三方を山々に囲まれたこの村では、秋になると、白い蕎麦の花が一面に広がる美しい風景を見ることができます。そして、その白い花の間に現れるのが、茜色に染まる小さな実です。
その名は、「タチアカネ」。
今回は、青木村を代表する特産品のひとつであるタチアカネの歴史と特徴、そして一つの新しい蕎麦品種が、どのようにして「青木村の味」へと育っていったのかをたどります。
タチアカネは、古くから青木村だけで受け継がれてきた在来種ではありません。長野県の農業研究によって開発された比較的新しい蕎麦品種で、かつての長野県中信農業試験場で育成され、2009年度に農業関係の品種として認定された後、2010年5月に正式に品種登録されました。
「タチ」という名前は、比較的倒れにくい、つまり倒伏に強い性質に由来します。そして「アカネ」は、実が成熟する途中で美しい茜色を帯びることに由来しています。
白い花と、赤く色づく実。
その印象的な姿は、タチアカネという品種の大きな特徴のひとつです。
しかし、タチアカネの物語で特に興味深いのは、この品種が青木村で育種されたものではないにもかかわらず、今日では村を代表する特産品として広く知られていることです。
新しい品種として誕生したタチアカネを地域の農産物として育て、産地としての価値を築き、食文化や観光、地域振興へとつなげてきた場所――それが青木村でした。
長野県の資料では、青木村はタチアカネを「唯一産地化した」地域として紹介されています。少なくとも2014年には、すでに「青木村限定栽培の新品種『タチアカネ』」として観光PRに活用され、石臼で挽いた蕎麦粉や手打ち蕎麦が村の魅力として紹介されていました。
その後、タチアカネは農産物の枠を越え、青木村を訪れる理由のひとつへと成長していきます。
新そばの季節には「タチアカネ新そばまつり」が開催され、多くの人々が村を訪れてきました。村内ではタチアカネを使った蕎麦が提供され、さらに乾麺や焼酎、菓子など、さまざまな加工品へと展開されています。
タチアカネの味の特徴として紹介されているのが、爽やかな香りと、ほのかな甘みです。
しかし、一杯の蕎麦が生まれるまでには、品種だけではなく、育った土地、その年の天候、収穫、保存、製粉、そして蕎麦を打つ人の技術など、数多くの要素が関わっています。
春から夏へ。
白い花が咲き、茜色の実が育ち、秋に収穫される。
そして、その一年の営みが、新そばとして一枚のざるの上に現れます。
一杯の蕎麦を味わうことは、青木村の季節を味わうことでもあるのかもしれません。
タチアカネの物語は、村の外へも広がっています。
2023年には、青木村産のタチアカネが、東京などで展開する「しぶそば」で期間限定提供されました。東急グループの礎を築いた五島慶太が現在の青木村の出身であることを考えると、そこには村と都市を結ぶ、もう一つの物語が見えてきます。
青木村の畑で育った蕎麦が、東京の人々のもとへ届く。
そこで初めて「タチアカネ」という名前を知った人が、やがて青木村という土地に興味を持つかもしれません。
一粒の蕎麦には、人と土地をつなぐ力があります。
地域の特産品というと、私たちは何百年も前からその土地に存在していたものを想像しがちです。しかし、タチアカネは違います。
2010年に正式登録された比較的新しい品種が、十数年という時間の中で、青木村を代表する名前のひとつへと育ってきました。
そこには、栽培する人、品質を守る人、蕎麦を打つ人、商品を開発する人、祭りを支える人、村の外へ魅力を伝える人、そしてタチアカネを味わう人々の存在があります。
品種を生み出したのは、農業研究。
その品種を畑に根づかせ、村の風景にし、食文化へと育て、「青木村の味」へと変えていったのは、この地域に関わる人々でした。
秋の青木村。
白い蕎麦の花の間に、茜色の実が揺れています。
「タチアカネ」。
一粒の蕎麦が、土地の名前になる。
一杯の蕎麦が、人を土地へつなぐ。
今回は、青木村が育て続けている特別な蕎麦、タチアカネの物語をお届けします。