庚申塔や庚申塚は、中国由来の道教に基づく信仰が日本の民間信仰と混ざり合い、平安時代に広まったそうです。
平安時代の貴族社会では、徹宵の際に「庚申御遊」という宴を催すのが恒例になっていたそうで、末期には酒も振舞われ、庚申本来の趣旨から外れていったようです。江戸時代には、仏教と混ざった庚申信仰が一般的に流布されるようになり、最も盛んな時代になり、たくさんの庚申塔が建立されたそうです。
明治に入り、神仏分離令や修験禁止令に伴って、急速にその数を減らしていったそうですが、江の川流域には今もなお残っている地域があります。
今回は、そんなモダニズムとシャーマニズムを行き来する世界を垣間見ていきましょう。