1月は、過去の配信を1週間分ごとにまとめて編集したものをお届けします。
カッコよさの追求という軽薄とも思われかねないアプローチに対して、どれだけ重みや説得力、また本質的価値をももたらすことができるか?常に考え挑戦し続けなければならない。
前提として、両者の意味を明確に定義した人も、使い分けている人もいない。せいぜい時代劇と現代劇の違い程度の低レベルな認識である。
共通する意味としては「振り付け」。それから語源としては「主役とを立てる」の「立て」または「立」である。
相違点は視点の違いであり、殺陣が剣友会視点・殺陣師視点。立回りが主役視点であるということ。つまりその立ち位置からの認識であるということを表している。
だからこそ双方の異なる視点からの振り付けという意味で、殺陣と立回り、両方の言葉が残っている。
つまり俳優は、「立回り」という言葉を使うべきで、「殺陣」という言葉を用いるべきではない。それは剣友会用語と思えばよい。
昨日の補足:殺陣は当て字である。だからこそ反論があるなら文献レベルの裏付けが必要。
抽象化の意味=先週がアクション・プラチック理論の一般論で、それを抽象化することによって技術性を引き出している。
心技体アクションとは、心理・情動レベル、技運用レベル、細部身体表現レベルの統合と、そのオートパイロット化された状態。
集合図で表すと、立回りとアクションの集合を重ねたところに、立回りアクションの領域が存在する。
その領域を便宜上半分に分けると、立回り側が立回りからアクションへのアプローチ=TTAとなる。
反対がアクションから立回りへのアプローチ=ATTである。
この論理によって、純粋な立回り領域とアクション領域を定義するなら、
立回り=立回り(技法)による立回りへのアプローチという意味で、立回りto立回り=TTT となる。
同様にアクション=アクションtoアクションで=ATA
TTA=「立回り」側からの「立回りアクション」へのアプローチ
ATT=「アクション」側からの「立回りアクション」へのアプローチ
順に並べると TTT/TTA/ATT/ATA となる。
ここから浮かび上がってくるのは、全てのアプローチの技法を明らかにする必要があるということだが、特に立回りをより明確化する必要があるということ。つまり「立回りto立回り」の意味である。
「アクションtoアクション」=ATAが、身体能力の高さによって、アクション表現、この場合は格闘表現に対応するという意味であることから(無空中枢構造論)、立回りもアプローチの方法論を明確化する必要性が見えてくる。
それはすなわち、チャンバラ剣術であり、殺陣剣術と言ってもいい。つまりリアルな武術ではない、格闘表現としての立回りにおける刀剣操作法とそれを用いた表現技術に対する理論化と名称化の要求だ。それがないから、常に武術優位の勘違いが生じてしまうのである。
それが当たり前に行われ過ぎていて、自らの存在価値に無頓着になってしまっていることの現れとして、現在まで続いているのだ。
アクションの本質的構造である無空中枢構造、その中心の空洞部分のことを無空中枢という。
無空の意味は、その外部に存在する異分野訓練によって身体能力を高めることを目的としているため、独自形態や独自技術が無い、空であるということを意味している。
=異分野訓練が実体としての形態や独自技術を持ち合わせていることに対して無であり空であるということ。それが異分野訓練を優位と考える思考性の土台となってしまう。それはチャンバラも同じ。
アクションの目に見えない本質としての長所を抽出し、理論として可視化。その上で体系として再構築したもの、それが無空テクノロジーである。
それは最深層に運動構造、深層にシャドウ・テクノロジーが構造化されている。表層は結果として表出する形態なので無空のままと解釈する。
=表層:無空、深層:シャドウ・テクノロジー、最深層:運動構造
前々回シャドウ・テクノロジーとして伝えたのは、無意識レベルでの技術なので、そちらはシャドウ・テクノロジーの前段階として、改めてプレ・シャドウ・テクノロジーと概念化しておく。
プレ・シャドウ・テクノロジーは、経験則に基づく非言語化・未技法化・未体系化という潜在レベルでのフィーリング対応の土台であり、不安定・不確実な技術である。