今回のエピソードでは、急速な発展を続けるAI業界に特徴的な流行サイクルに焦点を当てます。近年指摘されている「モデル → ツール → ハード → …」という循環的な構造について、そのメカニズム、背景、そしてこのサイクルを理解することがなぜAI関連事業の戦略立案に不可欠なのかを掘り下げます。これは、2025年5月22日にEduardo Ordax氏がLinkedInに投稿したミーム図解でも示唆された構造です。
AI業界特有の流行サイクル:モデル・ツール・ハード
AI業界では、新しい技術ブレークスルーが生まれてから、それが広く実用化されるまでの過程で、特定の技術や領域への注目が移り変わる循環が見られます。このサイクルは主に以下の3つのフェーズから構成されます。
1.モデル(AIモデル開発)フェーズ:
◦このフェーズは、大規模言語モデル(LLM)や生成AIモデルそのものへの注目が最も高まる段階です。
◦各企業や研究機関がより強力なモデルの開発・発表を競い、「世界で最も強力なモデル」の称号を巡る競争が繰り広げられます。
◦毎週のように新しいモデルが「画期的」と喧伝され、精度やベンチマークでのわずかな差異が誇示されます。
◦現在(2025年)ではGoogle DeepMindの「Gemini」がトップクラスとされ、OpenAIやAnthropicなどが追随する構図が例として挙げられます。
◦これは「革新」というより「リーダーボード競争」の様相が強く、研究者ですら順位争いに囚われがちになるという批判もあります。
◦背景には、Transformerの登場や計算資源の増大によるモデル性能の飛躍があり、技術的ブレークスルーへの期待感が業界を駆動しています。
2.ツール(応用・ソフトウェア)フェーズ:
◦強力なモデルが登場し出揃うと、次に焦点となるのが、それらを活用したアプリケーション、サービス、および開発ツールです。
◦開発者はLLMを組み込んだソフトウェア(チャットボット、AIアシスタント、画像生成ツールなど)を競ってリリースし、スタートアップが乱立します。
◦生成AIモデルを簡単に利用できるAPIやプラットフォームが整備され、プロンプトエンジニアリングやMLOpsといったAIエンジニアリングのツールチェーンも注目を浴びます。
◦一般ユーザーや各産業分野でも、「どのAIツールを使えば自社業務に役立つか」といった関心が高まり、PoC(概念実証)やパイロット導入が活発化します。
◦このフェーズでは「実問題への適用」がキーワードとなり、モデルそのものよりもユーザー体験やユースケースでの価値創出が強調されます。
3.ハード(ハードウェア/インフラ)フェーズ:
◦モデルとそれを用いたツールが広く普及するにつれて、それらを支える計算インフラやハードウェアへの関心が高まります。
◦巨大モデルの学習・実行には膨大なGPU計算資源が必要なため、AI専用チップや高性能GPUクラスタへの投資が爆発的に増加します。
◦例えば2024年前後には、生成AIブームによる需要でNVIDIAのGPUが供給不足となり、各社が競って調達・増強に走ったことが挙げられます。
◦クラウド事業者はデータセンター設備に巨額の資本を投じ、スタートアップも独自AIチップ開発に参入するなど「ハードウェアの熱狂」が起こります。
◦この段階ではインフラ整備競争の様相を呈し、**計算効率化(モデル圧縮・高速推論技術)**やエネルギー効率への注目も高まります。
◦ハードウェアの発展は、次世代モデルのさらなる大規模化・高度化を可能にし、やがて新たなモデルブレークスルーを呼び込む土台となります。
循環の再開とクールダウン期
ハードウェア面まで盛り上がった後、一時的にブームの冷却期間が訪れる可能性があります。これは「AI冬の時代」ほど長期ではないにせよ、過剰な期待が現実の成果に追いつかず失望が広がるフェーズです。投資熱が冷めたり、メディアの話題が他領域に移る中、技術の実用化に向けた地道な改善や既存システムへの統合が進みます。十分な冷却期間の後、新たな技術的ブレークスルーが現れると、再びモデル革新フェーズに戻り、サイクルが繰り返されると考えられています。このようにAI業界は「グラウンドホッグデー」(今日が何度も繰り返される)さながらに循環し続けると皮肉られています。
他のマーケットサイクル理論との比較
このAI業界の循環構造は、一般的な技術のマーケットサイクル理論とも類似点と相違点があります。
•Gartnerハイプ・サイクルとの比較: ハイプ・サイクルは「黎明期→過度な期待のピーク→幻滅期→啓蒙の坂→生産性の安定期」を辿るモデルです。AI循環説の各フェーズも、個別にはミニ版ハイプ・サイクルを形成していると言えます。しかし、AI循環説が示唆するのは、複数のサブ領域(モデル、ツール、ハード)が次々とピークを演出するため、全体として休みなく盛り上がり続ける点です。単一の技術の深い谷(幻滅期)が目立たなくなるほど、無数のピークが連なっているという見方もあります。これは、全体として熱狂が持続するという点でハイプ・サイクルと異なります。
•プロダクトライフサイクル(PLC)との比較: PLCは「導入期→成長期→成熟期→衰退期」を辿ります。革新的モデル登場は導入期、ツール普及は成長期、インフラ整備は成熟期、熱狂が冷める時期は衰退期とみなせます。しかし、AI産業全体では、次のブレークスルー(新モデル)の登場によって再び導入期にリセットされる点が典型的PLCと異なります。個々の技術や製品の寿命はあるものの、AI産業全体では波打つように新旧サイクルが連続している状態です。
•イノベーター理論(技術普及曲線)との比較: Rogersの普及理論では、技術は革新者→アーリーアダプター→マジョリティへと浸透します。モデル開発フェーズは革新者、ツールフェーズはアーリーアダプター、ハードフェーズはマジョリティ層への普及と重なります。ただし、AI循環説の高速なサイクルでは、新技術の興隆が以前の技術の普及を追い抜くことも起こり得ます。前の波がマジョリティ層に届く前に次の波が始まり、普及曲線が圧縮される可能性がある点で特徴的です。普及と次の革新が並行して進む点がAI業界ならではと言えます。
AI流行サイクルにおける課題とリスク
この活発な循環は多くのイノベーションを生む一方で、いくつかの課題とリスクも内包しています。
過剰投資とバブルリスク: 各サイクルのピークで過度な資金やリソースが投じられ、実需に見合わないバブルが形成される懸念があります。ハードウェアフェーズでのGPU争奪戦や、モデル開発競争におけるスタートアップへの巨額投資とその後の淘汰リスクなどが挙げられます。過剰投資の反動で市場が急冷すれば、AI冬の時代のように研究開発が停滞する恐れもあります。
•期待値ギャップと幻滅: 流行のピークではAIの可能性が過度に喧伝されがちですが、現実の技術水準が追いつかないと期待と現実のギャップが大きくなります。誤答やバイアス問題などが露呈した際に**幻滅(トラフ)**が広がり、プロジェクト中止や予算凍結を招き技術進展を遅らせる可能性があります。期待値管理の失敗は、社内支持の喪失や世論の反発(「AI不信」)にも繋がります。
•ツール依存と汎用スキル欠如: ツールフェーズで便利なAIアプリが乱立すると、ユーザーは特定のツールへの依存度を高めがちです。これはサービスの性能変化や停止による業務停滞のリスクを生みます。また、ツール頼みで簡単に成果が出せる状況は、人材の基礎スキル習得機会の損失を招く恐れがあり、ブラックボックス化したツールに現場が振り回される問題も起こり得ます。ツール間の互換性不足や標準化の遅れも課題です。
•クールダウン期の停滞と人材流出: サイクルの過渡期や冷却期間に入ると、新規投資や話題性が減少し、市場の停滞感が漂います。この時期には短期成果を求める投資家の撤退や、才能ある人材の他分野への流出が懸念されます。エコシステムを維持し、次の飛躍に備えることが重要ですが、停滞期が長引くとユーザーの信頼回復にも時間を要します。
•その他のリスク: 循環が速いことで倫理・規制整備が追いつかない問題、特定の企業や国へのリソース集中とその反動による一極集中の揺り戻し、そして本質的な研究より短期的なベンチマーク至上主義に陥る危険性なども指摘されています。
Eduardo Ordax氏のミーム図解について
AI業界の循環説は、Eduardo Ordax氏が投稿したミーム図解でも示唆されました。この図解(図1)は、主要な生成AIモデル開発企業が「世界で最も強力なモデル」を次々と発表し、その座を奪い合う「モデル競争の無限ループ」を皮肉的に描いています。OpenAI、Google DeepMind(Gemini)、Anthropic(Claude)、xAI(Grok)、DeepSeekといった企業名が並び、「You are here now(現在ここ)」としてGoogleのGeminiが強調される一方、Meta(LLaMA)が「You are not here anymore(あなたはもはやここにいない)」と描かれるなど、特定の時期の「リーダーボード」の変動をユーモラスに表現しています。この図解は、「モデル → ツール → ハード」という全体のサイクルの一部、特にモデルフェーズにおける熱狂と競争の様子を切り取ったミームと言えます。