尾崎亜美の下へ、1984年12月下旬、ある曲提供の話が舞い込みます。
「クリスマスが終わった直後、年末の大掃除をしていた私に、松田聖子さんのスタッフから、次のシングルの曲を書いて欲しい」という話が届いたんです。松田聖子さんとは、彼女がこの年1984年6月に発売したアルバム『Tinker
Bell』の中で、松本隆さんが書いた歌詞に私がメロディを作った事もあって、再び話を持ってきてくれたんです。
詳しい話を聞いてみると、曲の締切は翌日。しかも、この時はメロディに加えて、歌詞も一緒に書いて欲しい、という内容でした。驚きましたけど、頑張って作ることにしたんです」。
「この頃、私は、自分自身の次のオリジナルアルバムを、神話をモチーフに作ろう、と考えて、幾つか神話を読みながら、アルバムの構想を練っている時期でした。松田聖子さんの曲を、どんなイメージで作ろうか、大掃除をしながら考え、窓ガラスにはたきを掛けた瞬間、ホコリが舞って、日差しと重なって、私は一瞬、まばたきをしたんです。その瞬間、「あっ。これだ」とひらめきが、頭の中を走って、「ウインク」という言葉が浮かび、さらに、神話の事を考えていたからでしょうか、日差し=天使と考えて、曲のタイトルを考えたんです」。
「曲は、メロディと歌詞を一緒に考え、組みたてていく中で、それまでの松田聖子さん曲と同じ路線の曲を作っていくのではなく、どうやったらいい意味で彼女の持っているイメージを崩すことができるだろうか、考えました。「オリビアを聴きながら」を歌った杏里は、彼女のデビュー曲という事もあって、透明感を杏里から感じていましたけど、既に活躍している松田聖子さんは、私の頭の中でスウィート、というイメージがあって、スウィート=バラードという考えが浮かんできたんんです。だから、メロディは敢えてリズミカルな曲調にしてみよう、と考えて、曲の冒頭AメロからBメロへ変わった時にリズムも変わる、バッハの対立法を参考にして曲を作ったんです。そのメロディに合わせて、歌詞もリズミカルな箇所は、女の子の目線で。曲の頭と、エンディングは男の子の振りをした天使の目線で、と変化
させてみました。「オリビアを聴きながら」が、自分の生活感を曲の中に描いているに対して、この曲は私が持っていない感情、憧れのような気持ちを描いているんです」。