神のかたちについて語るシリーズの3回目です。今回は、具体的に神のかたちとしてどう生きるかについて考えます。私たちは神の栄光を現すために生きているのでしょうか?それとも、より大きな責任があるのでしょうか?私たちは世俗的なものと聖なるものをはっきり分けることをしますが、そうせず、私たちがするすべてにおいて神のかたちとして生きることができるのです。
エピソードの冒頭では、エデンの園は完璧ではなかったことについて話します。園は良かったのですが、そこから物語が展開するはずだったのです。その物語は神と一つになり、この世界が回復された時に完成します。
続いて、神様と人間の関係が親子関係と似ていることについて話します。神様は私たちと共に世界を治めたいのです、エデンの園の時のように。
ウェストミンスター小教理問答はイングランド国教会による有名な書物です。「人のおもな目的は、神の栄光をあらわすこと」というフレーズでお馴染みです。このフレーズの理解次第では、人間は傍観者になってしまう懸念があります。神の栄光を現し、喜ぶことは、神のかたちとして生きることの一部に過ぎません。
最後の方では、イエスを信じる者たちにとって、神のかたちとして生きることはどういうものか考えていきます。私たちは神を現すだけじゃなくて、神と共に働くことができるのです。しかしながら、私たちはしばしばこれをうまくすることができません。心を新しくしてもらうことによって、神の代理として神を現すことができるようになるのです。
ビデオ
このポッドキャストは、「神のかたち」というビデオと一緒に見ることをお勧めしています。こちらでご覧になれます:https://www.youtube.com/watch?v=2MKGZd9myGI
参考文献
栄光の重み C.S. ルイス
ウィキペディア | ウェストミンスター小教理問答
"Why Business Matters to God: (And What Still Needs to Be Fixed)" by Jeff Van Duzer
参考聖書箇所
詩篇8:5
詩篇86:9
申命記30:15
マタイ書 22:37-40
マタイ書 23:37
音楽
"Defender (Instrumental)" by Rosasharn Music