2025年3月30大斎節第4主日
「父は出て来て懇願した」ルカ15・28
自分を棚に上げて思ってしまうときがあります。「なんであんな人が教会にいるんだ。なんであんな人が聖職なんだ」。自分は素直に誠実に教会生活を送ろうとしてきた。そう思えば思うほど、赦しがたくなります。
放蕩息子の兄は真面目で正しい、模範的な良き息子です。親不孝者の弟が、父を死んだものとして財産を分捕って出ていき、娼婦らに金をつぎ込んでいる間も、兄はずっと父に従順に働いてきました。
しかしその弟が全財産をすって帰って来たとき、父は、家長の威厳を捨てて、家から走り出て来て弟を抱きしめ、最上級の仔牛を屠って大宴会を始めたのです。
兄は宴会の音楽や踊りを聞いて怒りました。それは正しいことです。「不公平だ!家族を捨てて出て行った人間をあなたは罰するどころか宴会までして歓迎する。自分には友だちとの宴会のために仔山羊一匹すらくれなかったのに、あいつには仔牛一頭をも与える。なぜ正しい私は報われず、あいつのような悪人が赦されるんですか!」
兄は怒りの故に父を「お父さん」と呼べず、弟を「あなたのあの息子」と呼んで不満を爆発させます。宴を祝う家に入ろうともしません。
すると父は、弟を見て家から走り出て来たのと同じように、怒る兄を見て家から走り出て来ます。そしてこう呼んで「懇願する」のです。
「息子よ、私の財産は既に全部お前のものじゃないか。お前の弟は遠くへ行って死んだも同然だったのに、生きて帰って来た。私とお前の弟は泣いて喜んでいる。どうかこの私の喜びを、一緒に喜んでくれ。一緒に宴会を祝ってくれ。」
父に懇願された兄はどうしたでしょうか。聖書には書いておらず、それは読者一人一人が兄弟姉妹に対する態度で答えることです。
神への帰還を祝う宴会、聖餐。父なる神はそこから出て来て私たちに懇願します。「自分の正しさを超えて、共に喜んでくれ。お前の弟が、妹が帰って来た。喜んでくれ。」
その声を聞くと相手を憎む自分の小さい視野が、慈しみに満ちた神さまのもっと大きな視野に広がっていきます。それが祝福です。
聖餐共同体としての教会。自分だけが恵みを受けるのではなく、兄弟姉妹が赦しと恵みを受けることを喜び合う教会になりましょう。
そして死から命への旅を共にしましょう。復活の祝宴に至るまで。