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自立と依存は、長い目で見た時に随分と結果が変わってきます。最終的に自己責任において信仰を実行してゆくことで、依存関係にならず、自立した信仰となってゆくのではないでしょうか。
先人を語る最後の先人は、郡山大教会初代平野楢蔵先生です。侠客だった楢蔵先生はない命をたすけられ、道の俎板として突き進んでいかれた先人です。侠客時代にならした度胸と行動力で、おたすけに邁進してゆかれ、郡山の礎を築かれました。
おやさまのひながたは、笑われ謗られるところから始まっています。褒められ崇められる道から始まっていたら、誰しもが通れる道とはならなかったでしょう。低いところからのスタートだったところに、溢れる親心を感じます。
母家を毀つとき、教祖は「これから、世界のふしんに掛かる。祝うて下され。」と仰られ、人夫達に酒肴を出されています。古い建物≒既成概念と考えてみると、それをなくすことで新しいふしんにかかれるのかもしれません。
形のふしんは、資材が揃いお金を払えば専門家がしてくれます。しかし、目に見えない心のふしんは、たとえお金を払ったとしても誰かが変わってやってくれるものではありません。心のふしんは、自分でする以外に手段も方法もないということです。
天理教は「神を信じなさい」という教えではなく、神の働きを知ることが大切なポイントです。人のことを教えで裁くのではなく、皆わがごととして自らの心を天の定規で正しながら歩む信心です。
古くは「初試験」というのを受け、通ってはじめて別席のお話を聞くことができました。完璧に覚えていたにも関わらずに通らなかった方もおられます。神様のお話を聞くのは、求めて聞かせてもらうという、その心根のあり方こそが肝心なのです。
前回に引き続き、松村道生さんをゲストにお迎えしました。たすけあいとは、同じ目線でなかったら成就しない。一方が上から目線だと成り立たない世界です。同じ目線になると、必然的に掛ける言葉も変わってきます。
せかいぢういちれつわみなきよたいや たにんとゆうわさらにないぞや
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