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今回は双葉町、スワスティカ・ハルシュ・ジャジュさんの後編。
「震災や原発事故を経験した浜通りへ、旅行に行って楽しんでもいいのでしょうか?」
そんなリスナーからの質問に、スワさんが本音で答えます。
歴史を知ることは大切。
でも、道の駅に寄る、ご飯を食べる、町を歩く。
そんなふうに“普通に来る”ことも大切だとスワさんはいいます。
双葉町の壁画にある言葉は、
“Don't forget to have fun!”
「楽しむことを忘れないで」
そして今回は、移住者が抱えがちな「地域に貢献しなければならない」というプレッシャーにも踏み込みます。
「福島のために」ではなく、「福島と共に」。
何か特別なことをしなくても、ここに暮らしていい。
焦らず、自分らしく、楽しく。
インドから日本へ、そして浜通りへ。
一杯のチャイから生まれる小さな交流も含め、スワさんが考える“地域と共に生きること”をお届けします。
今回は双葉町へ。
ゲストは、F-ATRAsのマネージャー、スワスティカ・ハルシュ・ジャジュさんです。
インド・ニューデリー出身のスワさん。
日本語を学ぶため来日し、2021年に参加した双葉町のまち歩きツアーをきっかけに福島と出会いました。
現在は、海外から訪れる人たちに向けた教育旅行やツアーを通して、双葉町と世界をつないでいます。
スワさんが考える“観光”は、名所を見るだけではありません。
今は更地になっている場所にも、かつて人の暮らしがあり、町の物語があった。
地域の人の話を聞き、その歴史や文化を知ることも、大切な観光のひとつです。
そして、外から来たからこそ見える魅力もある。
双葉町のだるま市でインドのチャイを出すなど、スワさん自身も地域に新しい文化を加えています。
「自分も浜通りらしくなって、浜通りも自分らしくなっていく」
インドから日本へ。
日本から福島へ。
そして双葉町から世界へ。
スワさんの視点から、双葉町の“今”を見つめます。
今回は南相馬市小高区、Fukushima Watch Company 代表・平岡雅康さんの後編。
平岡さんが掲げる大きな夢は「福島を、日本のジュネーブにする」こと。
現在は県外でつくられている時計の部品も、いつか福島県内でつくり、時計づくりを県内で完結させたい。
さらに、時計の心臓部である“ムーブメント”そのものを福島でつくる構想も動き始めています。
「ぶっちゃけどうなの?」では、地方で商売をするリアルについて。
地方は人口が少ない。でも、コストを抑えられ、目立ちやすく、ネットを使えば全国ともつながれる。
小高の店舗には、県外から時計を求めて訪れるお客さんもいます。
そして新コーナー「ちょっと言わせて」では、小高暮らしの本音を直撃。
意外にも平岡さんは「都会にいた頃よりストレスが少ない」。
強いて言えば―「ラーメン屋さんが、もう少しほしい」。
寄り道では「ロボテスフェスタ2026」へ。
時計からロボットまで、南相馬で広がる“ものづくりの未来”にも触れます。
小高で始まった一本の時計から、福島の新しい産業へ。
平岡さんが描く、大きな夢をお届けします。
今回は南相馬市小高区へ。
ゲストは、Fukushima Watch Company 代表・平岡雅康さんです。
時計業界で長く経験を積んできた平岡さんと福島との最初の出会いは、東日本大震災後のボランティア。
さらに被災地で花火を打ち上げる活動を通じて地域とのつながりが生まれ、2022年、小高へ移住しました。
移住の背中を押したのは、地元旅館の女将さんとの出会い。
そして、小高で始めたのが国産機械式腕時計づくりです。
避難指示によって、一度“人々の時間が止まった”小高。
その町で、“時間を進める腕時計”をつくる。
土地の歴史や人の記憶を一本の時計に込めながら、平岡さんが目指すのは
「福島を時計産業の集積地にすること」。
時計、花火、養蚕、そして人との縁。
小高だから生まれた、ものづくりの物語をお届けします。
今回は川内村・高橋海斗さんの後編。
川内村でつくられるクラフトジン。
その中心となるのは、カヤの実をはじめとした日本の植物です。
「海外では作れない、日本だからこそ作れるものを」
そんな思いから生まれたジンは、国内外で評価され、すでに海外への輸出も始まっています。
一方、高橋さん自身は蒸留の仕事はまったくの未経験からのスタート。
「やってみないと分からない」
試して、失敗して、また改善する。
その繰り返しを楽しみながら、新しい仕事を自分のものにしてきました。
寄り道コーナーでは、2026年9月にオープンしたばかりのレストランバー「oku」へ。
クラフトジンと料理を組み合わせ、川内村の自然や食材、その土地の魅力まで味わえる場所を目指しています。
さらに「となりのホンネ」では、一緒に働く山口真緒さんが、高橋さんの意外な素顔も暴露。
一本のジンから、川内村へ来る理由をつくる。
そしていつか、村の人たちが誇りに思える場所へ。
川内村から世界を目指す、新しい挑戦の物語です。
今回は川内村へ。
ゲストは、株式会社Kokageでクラフトジンづくりに取り組む高橋海斗さんです。
福島大学への進学をきっかけに福島と出会い、結婚、子どもの誕生を経て、2024年に家族で川内村へ移住。
移住前は、川内村についてほとんど知らなかった。
クラフトジンづくりも、まったくの未経験。
それでも、「ジンって何なんだろう」というところから学び始め、今では
川内村の植物を使ったクラフトジンを製造し、国内外のコンペティションでも評価されるまでになりました。
地方では仕事の選択肢が少ないのか。
新しいことには挑戦しやすいのか。
そして、川内村で暮らすうえで大切なものとは。
高橋さんが語るのは、“人とのつながり”です。
「今度おいでよ」と言われたら、本当に行ってみる。
そこから人を知り、村を知り、気づけば道ですれ違う車のほとんどが知り合いになる。
家族との暮らし、仕事、地域とのつながり。
知らなかった村が、自分の居場所になっていく。
川内村で始まった高橋さんの新しい挑戦をお届けします。
今回は田村市・及川諒さんの後編。
東京で15年間テレビマンとして働き、家族で田村市へ移住した及川さん。
現在は地域おこし協力隊として、県外から農業をしたい人に向けた移住・定住促進に取り組んでいます。
今回深掘りするのは、及川さんが今、力を入れている蚕の仕事。
東北で一軒しかない稚蚕所を守り、田村市の伝統産業を未来につなげようとする挑戦です。
移住先を選ぶときは、まず自分たちが大切にしたい条件を考える。
そして、考えるだけでなく、実際に現地へ行ってみる。
及川さんの言葉には、これから移住を考える人への実践的なヒントがあります。
寄り道コーナーでは、田村市船引町の三浦農林へ。
採れたてのピーマンを丸かじりし、田村市の夏の味を体感します。
さらに「となりのホンネ」では、同僚の積田正恵さんが登場。
第一印象はちょっと怖かった及川さんが、少しずつ田村市の仲間になっていく姿も聴きどころです。
田村市には、まだまだ編集されていない面白さが眠っている。
人、仕事、伝統。及川さんの挑戦から、田村市の新しい可能性が見えてくる回です。
今回は田村市へ。
ゲストは、田村市地域おこし協力隊・及川諒さんです。
岩手県盛岡市出身の及川さんは、東京でテレビ番組制作に約15年携わった元テレビディレクター。
福島との縁は「ザ!鉄腕!DASH!!」のロケで、浪江町のDASH村に関わったことでした。
家族とともに東京を離れ、2025年に田村市へ移住。
きっかけは、子どもを遊ばせた公園と、そこから感じた「この町、面白そうだ」という直感でした。
田村市は、子育てには“程よい田舎”。
東京では公園に行かないと遊べなかった子どもたちも、田村市では「全部が公園」のようにのびのび過ごしているといいます。
テレビマンとして培った企画力や伝える力を、今度は田村市の農業や地域の魅力発信へ。
お人形様、小さな神社、自然、人、文化。及川さんの目には、田村市のあちこちに
“まだ知られていない面白いネタ”が眠っているようです。
移住して、地域に無理に溶け込もうとしなくてもいい。
暮らしていれば、自然と声がかかり、関係が生まれていく。
田村市というフィールドで、及川さんの新しい地域づくりが始まる回です。
今回は広野町・石田祥子さんの後編。
みかん帽子でおなじみの“みかんちゃん”こと石田さん。
広島県から何度も広野町に通い続け、移住を決めた一番の理由は、
町の人たちが「おかえり」と迎えてくれる居心地の良さでした。
町を知るために、自転車からバイクへ、そして次は車へ。
必要なものがあれば、まず地元の人に相談する。そんな日々の積み重ねから、
石田さんは少しずつ、でも確かに広野町の人になっていきました。
寄り道コーナーでは、二ツ沼総合公園内のトロピカルフルーツミュージアムへ。
広野町産の国産バナナ「綺麗」が育つ、福島の中の“南国”を訪ねます。
そして「となりのホンネ」では、“もじゃ先生”こと青木裕介さんが登場。
石田さんを「もう本当に町民」と語る言葉から、広野町に受け入れられ、愛されている姿が伝わります。
広野町の元気担当・みかんちゃんの明るさと、町のあたたかさを感じられる回です。
今回は広野町へ。
ゲストは、広野町地域おこし協力隊の石田翔子さんです。
広島県出身の石田さんは、大学時代のインターンシップをきっかけに広野町と出会い、
その後も何度も通い続け、ついには移住。
今は、みかんの帽子をトレードマークに、広野町の魅力を発信しています。
町の人たちが「おかえり」と迎えてくれる。
田植えやイベントに誘ってくれる。
そんなあたたかさに触れるうちに、広野町は石田さんにとって
“帰ってくる場所”になっていきました。
若い人には退屈?
仕事はある?
移住するなら何度も通った方がいい?
石田さんの言葉から、広野町の人のやさしさと、
移住の入り口としての“通い続けること”の大切さが見えてくる回です。
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