『4:7 俗悪で愚にもつかない作り話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分自身を鍛錬しなさい。
4:8 肉体の鍛錬も少しは有益ですが、今のいのちと来たるべきいのちを約束する敬虔は、すべてに有益です。』
神様は私たちに本能を与えてくださいました。本能を神様が願っておられる所に使うと神様の御心がなります。しかし本能を間違った所に使ってしまったらその本能によって堕落の道が死の道に至るのであります。堕落した人間の本能はサタンの誘惑によって道が広くなりました。聖書には「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見い出す者はまれです。」(マタイ7:13~14)と記されています。しかし、神様の御言葉だけの道を私たちが行くためには敬虔も必要ですし、自制心も必要です。神様は狭い門から入りなさいと言われますが、堕落してたくさんの広い道を味わった人にはそれは本当にむずかしいことです。私たち人間にはできないことを神様は出来るようにしてくださいます。なぜなら神様からの自制が与えられるからです。この自制こそが敬虔への鍛錬となるのです。
『創2:16 神である【主】は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。2:17 しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」』
神様はエデンの園の中で命の木の実を本能で食べるようにしてくださいました。しかし、善悪の知識の木の実を取って食べてはならないと言われました。それは制限された自由でした。これは神様が私たちを愛するが故に言われた言葉でした。しかし、人間はサタンの誘惑に落ちてそれを食べてしまいました。それから女性には子どもを産む苦しみが、男性には本当に血だらけになるような苦しみが始まりました。私たちとって神様のみ言葉に従順し、神様のみ言葉を守ることは知恵であり、命であります。
『Ⅰテモ4:7 俗悪で愚にもつかない作り話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分自身を鍛錬しなさい。4:8 肉体の鍛錬も少しは有益ですが、今のいのちと来たるべきいのちを約束する敬虔は、すべてに有益です。』
鍛錬ということは毎日毎日同じことを繰り返しすることを言います。同じ思いを毎日抱くこと、すなわちイエス・キリストのみ言葉を毎日抱くと私たちからイエス・キリストの実が現われるのです。しかし汚ない思いを抱くと、汚ないものが現われるのです。卵を抱くとヒナが生まれるし、まむしの卵を抱くとまむしが出てきます。憎しみを抱くと殺人したくなり、情欲を抱くと姦淫するようになります。何を抱くかということがとても重要です。悪い思いに対して私たちは“サタンよ、さがれ”と言わなければなりません。しかしこの悪い思いを抱き続けると、それは私たちの責任になります。心の中で抱くものが命にもなれば、死ともなるのです。ですから「力の限り、見張って、あなたの心を守れ。いのちの泉はこれからわく。」(箴言4:23)と書かれています。私たちの心の中で間違った思いが入らないように、見ること、聞くことに気をつけなければなりません。
スポーツ選手は冠やメダルを獲得するために、厳しい訓練を受けます。訓練、鍛錬には自制が伴います。使徒パウロは毎日自分に死ぬと言いました。本能をいつも殺すことを意味します。そうすると、毎日イエス・キリストがパウロの中で生きたのであります。イエス様はサタンに打ち勝ちました。サタンの誘惑に対してイエス様は聖霊に満たされ、み言葉によっていつも誘惑を退けました。み言葉に書いてある通りにいつも行こうとしました。それが勝利の道であります。イエス様はサタンの誘惑に対して、み言葉を使って宣言されました。私たちはそれが神様からのものか、そうではないかをいつも吟味すべきであります。聖霊充満はみ言葉充満であり、み言葉に従順することです。私たちはこれが神様に栄光を帰すものか、聖書に書かれてあるものかどうかをいつも考えるべきです。「すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。」(Ⅰコリント10:23)私たちはみ言葉と聖霊に従って、いつも狭い門、いのちの門に行かなければなりません。自由奔放の本能に従って行動すると、ついには死の道に至ります。私たちはいつも本能を使って主のみ言葉に従うべきなのです。
愛する天のお父様、み名を崇め感謝します。「力の限り、見張って、あなたの心を守れ。いのちの泉はこれからわく。」と箴言に書かれてあるように、私たちの心の中でみ言葉充満になりますようにお導き願います。その為の鍛錬をいとわないようにお助け願います。有益な言葉、徳を高める言葉が口からすぐに出ますようにお願いします。今日の礼拝を感謝し、すべてを感謝し、主イエス・キリストのお名前によってお祈り致します。 アーメン。