『ですから、私たちは今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。かつては肉にしたがってキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。5:17 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』
第一に、罪が赦され、義とされた自分を見なければなりません。
以前、罪の中で失敗し悪魔の奴隷の生活を見続けながらいくら私たちが“主よ、主よ”と主を呼び求めても罪の勢力から逃れることはできません。私たちはイエス様の血潮で洗い聖められ、神様の子どもとなった自分の姿を見るべきです。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20)罪が赦され義とされた自分を見るべきなのです。
第二に、聖霊を受けて、聖さと愛の実を結んでいる自分を見なければなりません。
聖霊様はイエス様を受け入れた人の中におられます。その方を認めて歓迎し、礼拝し、その方を見続けるとその方が私たちをキリストの栄光の姿に変えてくださいます。そして、私たちが聖い生活と愛の実を結ぶように私たちを祝福してくださいます。「わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。」(エゼキエル36:27)主のみ言葉を守ることができるのは聖霊様の力です。
第三に、イエス様の打たれた傷によっていやされた自分を見なければなりません。
病気になった時、私たちは感覚によって痛みを感じるのですが、信仰によりイエス様の打たれた傷によっていやされたという自分を見るべきです。見続けるとその通りになります。私たちは感覚的に病気を認めていても、イエス様の打たれた傷によって自分はいやされたという姿をイエス様の中で見なければならないのです。
第四に、恵みとアブラハムの祝福を毎日受けている自分の姿を見なければなりません。
人々は長い間否定的な言葉や呪いの言葉を多く使う教育を受けてきたので、物事を肯定的に考えることが苦手です。しかし、クリスチャンは、イエス様がすでに2000年前私たちの呪いや苦しみを全部背負ってくださったのですから、私たちは毎日アブラハムの祝福を期待していくことができます。毎朝起きたら“私は祝福を受けます。”と期待の言葉を自分にかけてください。そうすれば期待した通りになります。「主は私の羊飼い,私は乏しいことがありません。」神様が私たちの所に来られた理由は「羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネ10:10)神様の恵みと祝福が私たちをすばやく追ってくるのです。
第五に、イエス様のよみがえりは私のよみがえりだということを強く見なければなりません。
イエス様のよみがえりを信じれば、私たちもイエス様のようによみがえります。戦士は毎日死ばかり見るのです。復讐心に燃え、相手を殺すことばかり考えます。戦士は自分が負けたら自殺して自分の義をたてようとします。しかし、私たちはイエス様のよみがえりを見なければなりません。イエス様は一粒の麦のように私たちのために地に落ちて死なれましたが、多くの実を結ばれました。「善を行った者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。」(ヨハネ5:29)
イエス様のように人を生かすために善を行なって、良いよみがえりを毎日夢見ていきましょう。信仰の創始者であり、完成者であるイエス様をいつも見上げていきましょう。弱さのただ中に、もしあなたが今誰にも言えない苦しみにあっているなら、イエス様も共に苦しんでいる。もし、あなたが今ひとりで戦いの中にいるなら、あなたは一人じゃない、イエス様が共におられる。痛みのただ中にあるなら、イエス様も共にいる。もしあなたが今疲れて立つこともできなくても、倒れそうになっても、忘れないで欲しい、神様が共にいることを。
『イザ41:10 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。』