「ノブレス・オブリージュ」というフランス語があります。これは、もともとは貴族が社会に対して負っている義務を意味し、由来は聖書からきていると言われています。現在では、経済的に恵まれ、社会的地位のある人々の社会的責任、道義という意味で使われています。欧米で、富裕層が多額の寄付を当然のように行う背景には、このノブレス・オブリージュの思想があると思います。
さて、みなさん。ここまで読んで「ノブレス・オブリージュは自分には関係ない話だな」と思いましたか?
いやいや、思い出して頂きたい。この思想は、聖書のみ言葉が由来になっているのです。聖書はなにも富裕層に向けて書かれた書物ではありません。
今日、メッセージで語られるのは、まさにクリスチャン一人一人が与えられている「ノブレス・オブリージュ」についてです。
クリスチャンは、この世のどんなセレブリティーよりも多くのものを与えられています。
神の子イエス・キリストご自身が命をかけて私たちを罪から救い出し、永遠の命を無償で与えて下さったのですから。
これ以上の大きな恵みがあるでしょうか?
では、神様は私たちにお与えになった「莫大な資産」(=恵み)を、どのように用いるべきだと教えているのでしょうか?
私たちは王の王である神様に仕える貴族です。自分一人でその「財産」を耽溺して暮らすのか、ノブレス・オブリージュに従って生きるのか?
神の国のノブレス・オブリージュに従って生きること、そしてそれにはどのような結果が伴うのか、メッセージに耳を傾けてみましょう。