聞いてくれてありがとうございます。
今回の朗読部分の要点を一言でまとめると、「無我」になるとおもいます。
漢字で「ワレが無い」と書く無我です。 「我が無い」。
それじゃあその「が」とはなんでしょうか?
とっても難しいことですが、私は 「これは確かだと思い込むモノやコトの対象」 だと思います。
それは人によってみんな違うけれど、お金だけは頼りになると思う人もいるでしょうし、家族だけが確かだと思う人もいますでしょう。
こう言うと驚かれるかもしれませんが、仏教の信心は、なにかを信じることではありません。
信心とは、どんなものごとも確かでないと知る知恵のことです。
この知恵が身につくと、奥深くから心の眼が澄んできて、それまで見えていなかったものごとがクリアに見えるように成ってゆきます。 すると、楽しくなるんです。
私は仏教とは、人生をエンジョイするためのツールだと思います。 真冬に滝に打たれたりするような、苦しい修行は避けなさいと、今回の放送でも言っています。
それは、修行自体が目的ではないからだと思います。「おれは苦しい修行をやってる偉い人間だ」
とか
「あたしはお金をたくさん寄付した」
とか、
「難しい言葉を覚えた」
とか、そんな自慢の種をつくることが修行じゃありません。
無我の事実を知ることによって、人生をエンジョイして生きる自分に変わってゆく。仏教はそのための手段なんだと私は思います。
このポッドは、東京都港区三田にある財団法人仏教伝道協会が発行している和文仏教聖典」の連続音訳シーリーズの2回目です。 (伝道協会非公式チャンネル)
この本は、ホテルの部屋の引き出しなどによく置かれています。
また仏教伝道協会のサイトから PDF版を簡単にダウンロードできます(無料)。
金井隆久記