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胡椒がもし辛くなかったら胡椒としての値打ちは無い。信心がもし天地金乃神様のおかげを受けられなかったら信心としての値打ちは無いとも言える。人間はこの世に魂を磨きに来たのであると言う大原則のもとに生身の人間としての好都合なおかげを特別に授けて下さる神様。それがこのお道の信心でもあろう。
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(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
師匠大坪総一郎師の許での信心の稽古は、天地金乃神様からお知らせを頂いて信心の稽古をさせて頂くことになる。御夢いわゆる御神夢をもって色々と教えて下さることもある。今朝は20数年前に父が亡くなった時の事を再現ビデオのような感じで御夢を頂いた。何かが一つ異なっていた。それは私の心のありようが当時とは異なっていた。
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今朝は、信心は馬鹿になる稽古と頂きました。師匠大坪総一郎師を一言で言うとどんな方ですかと尋ねられたら、師匠は馬鹿な方でした、いや馬鹿のような方でしたと答えると思います。どのような対応を受けられても馬鹿になって居られたと言うことです。馬鹿にならねば成行きを受け切ることが出来ませんし、黙って治めること一つが出来ません。
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自国の産業を守るために輸入品に関税をかけると言うがその関税を負担するのは自国民であってみれば、聞こえは良いけれども実質は悪いのと同じように、おかげは和賀心にありと言い和らぎ賀ぶ和賀心を目指そうとするのも聞こえは良いが実体は御利益信心の域を出ていない。信心が人間は心を育てるための生きものだと一変しなければならない。
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昨日は朝のお話の後、師匠大坪総一郎師の研修を聴かせて頂いていたら次のような事を仰って居られた。だいたい今日の御理解はあれが具体的な答えじゃもんね、言うなら例えば神に向かうと言うてもね、そのあの、直感が御神意に適うた直感がピシッとできておること。そして願いも神様の願いにピシッと合うた願いがなされたこと、ね。直感と、その次に願われたこと、ね、と。
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信心の稽古には「感じる」と言うことが大切です。師匠大坪総一郎師がそれまでのいわゆる御利益信心から大転換され真の信心へと向かわれたのは、私にも天地金乃神様の御期待、願いがかけられているに違いないと感じられたところからです。そこから自分が益する為の信心から神様に喜んでもらうための信心へと一変されたのです。
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天地金乃神様と人間氏子とが互いに喜び合える信心生活でありたい。教祖生神金光大神様は、信心は親に孝行するも同じことぞやと御教え下さる。親孝行とは親を大切にすることであり喜んでもらうことでもあろう。その親の喜びとは何だろうか。一つに、子供の喜ぶ姿を見てまた親も喜ぶと言うことがある。その喜びが雪だるまのように大きくなる。
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ここ数日音の編集ソフトが上手く働かない。別の1台のは上手く機能している。やっと設定を見比べてみようと思った。そうしたら1箇所のボタンが押し込まれていなかった。合楽理念は役に立たないと言う方が居られるそうだが、先ずは師匠大坪総一郎師という手本に照らし合わせてボタンのかけ違いがないかをチェックする必要がある。
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人は自ら生きようとしても生きれるものではない、生かされて生きているのだと言われることがあります。生かされていると感得することは有難いことですが、では何のために生かされているのかと言うことになります。人は魂を磨くことのためにこの世に生かされているのだと言うことが人類の共通認識ともなれば有難いですね。
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今朝は変わった御夢を頂いた。師匠大坪総一郎師が溺れかけておられる。師匠が溺れて流されようとしておられるところをやっと腕一本を掴んで引き上げようとしている情景から始まった。今まさに師匠御出現の意義が溺れて流されかけているのだと感じさせて頂いた。人間の真の助かりこそが師匠の悲願だと思う。
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(和賀心教典 413頁)
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