われらの文学 レオンラジオ 楠元純一郎

20 中部开始啦! 青空文库 夏目漱石 こころ 中 1+2


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オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」

エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」

作詞作曲 楠元純一郎


中 両親と私

宅(うち)へ帰って案外に思ったのは、父の元気がこの前見た時と大して変っていない事であった。

「ああ帰ったかい。そうか、それでも卒業ができてまあ結構だった。ちょっとお待ち、今顔を洗って来るから」

 父は庭へ出て何かしていたところであった。古い麦藁帽(むぎわらぼう)の後ろへ、日除(ひよけ)のために括(くく)り付けた薄汚(うすぎた)ないハンケチをひらひらさせながら、井戸のある裏手の方へ廻(まわ)って行った。

 学校を卒業するのを普通の人間として当然のように考えていた私(わたくし)は、それを予期以上に喜んでくれる父の前に恐縮した。

「卒業ができてまあ結構だ」

 父はこの言葉を何遍(なんべん)も繰り返した。私は心のうちでこの父の喜びと、卒業式のあった晩先生の家(うち)の食卓で、「お目出とう」といわれた時の先生の顔付(かおつき)とを比較した。私には口で祝ってくれながら、腹の底でけなしている先生の方が、それほどにもないものを珍しそうに嬉(うれ)しがる父よりも、かえって高尚に見えた。私はしまいに父の無知から出る田舎臭(いなかくさ)いところに不快を感じ出した。

「大学ぐらい卒業したって、それほど結構でもありません。卒業するものは毎年何百人だってあります」

 私はついにこんな口の利(き)きようをした。すると父が変な顔をした。

「何も卒業したから結構とばかりいうんじゃない。そりゃ卒業は結構に違いないが、おれのいうのはもう少し意味があるんだ。それがお前に解(わか)っていてくれさえすれば、……」

 私は父からその後(あと)を聞こうとした。父は話したくなさそうであったが、とうとうこういった。

「つまり、おれが結構という事になるのさ。おれはお前の知ってる通りの病気だろう。去年の冬お前に会った時、ことによるともう三月(みつき)か四月(よつき)ぐらいなものだろうと思っていたのさ。それがどういう仕合(しあわ)せか、今日までこうしている。起居(たちい)に不自由なくこうしている。そこへお前が卒業してくれた。だから嬉(うれ)しいのさ。せっかく丹精(たんせい)した息子が、自分のいなくなった後(あと)で卒業してくれるよりも、丈夫なうちに学校を出てくれる方が親の身になれば嬉(うれ)しいだろうじゃないか。大きな考えをもっているお前から見たら、高(たか)が大学を卒業したぐらいで、結構だ結構だといわれるのは余り面白くもないだろう。しかしおれの方から見てご覧、立場が少し違っているよ。つまり卒業はお前に取ってより、このおれに取って結構なんだ。解ったかい」

 私は一言(いちごん)もなかった。詫(あや)まる以上に恐縮して俯向(うつむ)いていた。父は平気なうちに自分の死を覚悟していたものとみえる。しかも私の卒業する前に死ぬだろうと思い定めていたとみえる。その卒業が父の心にどのくらい響くかも考えずにいた私は全く愚(おろ)かものであった。私は鞄(かばん)の中から卒業証書を取り出して、それを大事そうに父と母に見せた。証書は何かに圧(お)し潰(つぶ)されて、元の形を失っていた。父はそれを鄭寧(ていねい)に伸(の)した。

「こんなものは巻いたなり手に持って来るものだ」

「中に心(しん)でも入れると好(よ)かったのに」と母も傍(かたわら)から注意した。

 父はしばらくそれを眺(なが)めた後(あと)、起(た)って床(とこ)の間の所へ行って、誰(だれ)の目にもすぐはいるような正面へ証書を置いた。いつもの私ならすぐ何とかいうはずであったが、その時の私はまるで平生(へいぜい)と違っていた。父や母に対して少しも逆らう気が起らなかった。私はだまって父の為(な)すがままに任せておいた。一旦(いったん)癖のついた鳥(とり)の子紙(こがみ)の証書は、なかなか父の自由にならなかった。適当な位置に置かれるや否(いな)や、すぐ己(おの)れに自然な勢(いきお)いを得て倒れようとした。



私(わたくし)は母を蔭(かげ)

へ呼んで父の病状を尋ねた。

「お父さんはあんなに元気そうに庭へ出たり何かしているが、あれでいいんですか」

「もう何ともないようだよ。大方(おおかた)好くおなりなんだろう」

 母は案外平気であった。都会から懸(か)け隔たった森や田の中に住んでいる女の常として、母はこういう事に掛けてはまるで無知識であった。それにしてもこの前父が卒倒した時には、あれほど驚いて、あんなに心配したものを、と私は心のうちで独り異(い)な感じを抱(いだ)いた。

「でも医者はあの時到底(とても)むずかしいって宣告したじゃありませんか」

「だから人間の身体(からだ)ほど不思議なものはないと思うんだよ。あれほどお医者が手重(ておも)くいったものが、今までしゃんしゃんしているんだからね。お母さんも始めのうちは心配して、なるべく動かさないようにと思ってたんだがね。それ、あの気性だろう。養生はしなさるけれども、強情(ごうじょう)でねえ。自分が好(い)いと思い込んだら、なかなか私(わたし)のいう事なんか、聞きそうにもなさらないんだからね」

 私はこの前帰った時、無理に床(とこ)を上げさして、髭(ひげ)を剃(そ)った父の様子と態度とを思い出した。「もう大丈夫、お母さんがあんまり仰山(ぎょうさん)過ぎるからいけないんだ」といったその時の言葉を考えてみると、満更(まんざら)母ばかり責める気にもなれなかった。「しかし傍(はた)でも少しは注意しなくっちゃ」といおうとした私は、とうとう遠慮して何にも口へ出さなかった。ただ父の病(やまい)の性質について、私の知る限りを教えるように話して聞かせた。しかしその大部分は先生と先生の奥さんから得た材料に過ぎなかった。母は別に感動した様子も見せなかった。ただ「へえ、やっぱり同(おんな)じ病気でね。お気の毒だね。いくつでお亡くなりかえ、その方(かた)は」などと聞いた。

 私は仕方がないから、母をそのままにしておいて直接父に向かった。父は私の注意を母よりは真面目(まじめ)に聞いてくれた。「もっともだ。お前のいう通りだ。けれども、己(おれ)の身体(からだ)は必竟(ひっきょう)己の身体で、その己の身体についての養生法は、多年の経験上、己が一番能(よ)く心得ているはずだからね」といった。それを聞いた母は苦笑した。「それご覧な」といった。

「でも、あれでお父さんは自分でちゃんと覚悟だけはしているんですよ。今度私が卒業して帰ったのを大変喜んでいるのも、全くそのためなんです。生きてるうちに卒業はできまいと思ったのが、達者なうちに免状を持って来たから、それが嬉(うれ)しいんだって、お父さんは自分でそういっていましたぜ」

「そりゃ、お前、口でこそそうおいいだけれどもね。お腹(なか)のなかではまだ大丈夫だと思ってお出(いで)のだよ」

「そうでしょうか」

「まだまだ十年も二十年も生きる気でお出のだよ。もっとも時々はわたしにも心細いような事をおいいだがね。おれもこの分じゃもう長い事もあるまいよ、おれが死んだら、お前はどうする、一人でこの家(うち)にいる気かなんて」

 私は急に父がいなくなって母一人が取り残された時の、古い広い田舎家(いなかや)を想像して見た。この家(いえ)から父一人を引き去った後(あと)は、そのままで立ち行くだろうか。兄はどうするだろうか。母は何というだろうか。そう考える私はまたここの土を離れて、東京で気楽に暮らして行けるだろうか。私は母を眼の前に置いて、先生の注意――父の丈夫でいるうちに、分けて貰(もら)うものは、分けて貰って置けという注意を、偶然思い出した。

「なにね、自分で死ぬ死ぬっていう人に死んだ試(ため)しはないんだから安心だよ。お父さんなんぞも、死ぬ死ぬっていいながら、これから先まだ何年生きなさるか分るまいよ。それよりか黙ってる丈夫の人の方が剣呑(けんのん)さ」

 私は理屈から出たとも統計から来たとも知れない、この陳腐(ちんぷ)

なような母の言葉を黙然(もくねん)と聞いていた。


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