われらの文学 レオンラジオ 楠元純一郎

23 这书上说的就是我没错了 青空文库 夏目漱石 こころ 中 7+8


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オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」

エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」

作詞作曲 楠元純一郎

編曲 山之内馨



 父は明らかに自分の病気を恐れていた。しかし医者の来るたびに蒼蠅(うるさ)い質問を掛けて相手を困らす質(たち)でもなかった。医者の方でもまた遠慮して何ともいわなかった。

 父は死後の事を考えているらしかった。少なくとも自分がいなくなった後(あと)のわが家(いえ)を想像して見るらしかった。

「小供(こども)に学問をさせるのも、好(よ)し悪(あ)しだね。せっかく修業をさせると、その小供は決して宅(うち)へ帰って来ない。これじゃ手もなく親子を隔離するために学問させるようなものだ」

 学問をした結果兄は今遠国(えんごく)にいた。教育を受けた因果で、私(わたくし)はまた東京に住む覚悟を固くした。こういう子を育てた父の愚痴(ぐち)はもとより不合理ではなかった。永年住み古した田舎家(いなかや)の中に、たった一人取り残されそうな母を描(えが)き出す父の想像はもとより淋(さび)しいに違いなかった。

 わが家(いえ)は動かす事のできないものと父は信じ切っていた。その中に住む母もまた命のある間は、動かす事のできないものと信じていた。自分が死んだ後(あと)、この孤独な母を、たった一人伽藍堂(がらんどう)のわが家に取り残すのもまた甚(はなは)だしい不安であった。それだのに、東京で好(い)い地位を求めろといって、私を強(し)いたがる父の頭には矛盾があった。私はその矛盾をおかしく思ったと同時に、そのお蔭(かげ)でまた東京へ出られるのを喜んだ。

 私は父や母の手前、この地位をできるだけの努力で求めつつあるごとくに装おわなくてはならなかった。私は先生に手紙を書いて、家の事情を精(くわ)しく述べた。もし自分の力でできる事があったら何でもするから周旋してくれと頼んだ。私は先生が私の依頼に取り合うまいと思いながらこの手紙を書いた。また取り合うつもりでも、世間の狭い先生としてはどうする事もできまいと思いながらこの手紙を書いた。しかし私は先生からこの手紙に対する返事がきっと来るだろうと思って書いた。

 私はそれを封じて出す前に母に向かっていった。

「先生に手紙を書きましたよ。あなたのおっしゃった通り。ちょっと読んでご覧なさい」

 母は私の想像したごとくそれを読まなかった。

「そうかい、それじゃ早くお出し。そんな事は他(ひと)が気を付けないでも、自分で早くやるものだよ」

 母は私をまだ子供のように思っていた。私も実際子供のような感じがした。

「しかし手紙じゃ用は足りませんよ。どうせ、九月にでもなって、私が東京へ出てからでなくっちゃ」

「そりゃそうかも知れないけれども、またひょっとして、どんな好(い)い口がないとも限らないんだから、早く頼んでおくに越した事はないよ」

「ええ。とにかく返事は来るに極(きま)ってますから、そうしたらまたお話ししましょう」

 私はこんな事に掛けて几帳面(きちょうめん)な先生を信じていた。私は先生の返事の来るのを心待ちに待った。けれども私の予期はついに外(はず)れた。先生からは一週間経(た)っても何の音信(たより)もなかった。

「大方(おおかた)どこかへ避暑にでも行っているんでしょう」

 私は母に向かって言訳(いいわけ)らしい言葉を使わなければならなかった。そうしてその言葉は母に対する言訳ばかりでなく、自分の心に対する言訳でもあった。私は強(し)いても何かの事情を仮定して先生の態度を弁護しなければ不安になった。

 私は時々父の病気を忘れた。いっそ早く東京へ出てしまおうかと思ったりした。その父自身もおのれの病気を忘れる事があった。未来を心配しながら、未来に対する所置は一向取らなかった。私はついに先生の忠告通り財産分配の事を父にいい出す機会を得ずに過ぎた。




 九月始めになって、私(わたくし)はいよいよまた東京へ出ようとした。私は父に向かって当分今まで通り学資を送ってくれるようにと頼んだ。

「ここにこうしていたって、あなたのおっしゃる通りの地位が得られるものじゃないですから」

 私は父の希望する地位を得(う)るために東京へ行くような事をいった。

「無論口の見付かるまでで好(い)いですから」ともいった。

 私は心のうちで、その口は到底私の頭の上に落ちて来ないと思っていた。けれども事情にうとい父はまたあくまでもその反対を信じていた。

「そりゃ僅(わずか)の間(あいだ)の事だろうから、どうにか都合してやろう。その代り永くはいけないよ。相当の地位を得(え)次第独立しなくっちゃ。元来学校を出た以上、出たあくる日から他(ひと)の世話になんぞなるものじゃないんだから。今の若いものは、金を使う道だけ心得ていて、金を取る方は全く考えていないようだね」

 父はこの外(ほか)にもまだ色々の小言(こごと)をいった。その中には、「昔の親は子に食わせてもらったのに、今の親は子に食われるだけだ」などという言葉があった。それらを私はただ黙って聞いていた。

 小言が一通り済んだと思った時、私は静かに席を立とうとした。父はいつ行くかと私に尋ねた。私には早いだけが好(よ)かった。

「お母さんに日を見てもらいなさい」

「そうしましょう」

 その時の私は父の前に存外(ぞんがい)おとなしかった。私はなるべく父の機嫌に逆らわずに、田舎(いなか)を出ようとした。父はまた私を引(ひ)き留(と)めた。

「お前が東京へ行くと宅(うち)はまた淋(さみ)しくなる。何しろ己(おれ)とお母さんだけなんだからね。そのおれも身体(からだ)さえ達者なら好(い)いが、この様子じゃいつ急にどんな事がないともいえないよ」

 私はできるだけ父を慰めて、自分の机を置いてある所へ帰った。私は取り散らした書物の間に坐(すわ)って、心細そうな父の態度と言葉とを、幾度(いくたび)か繰り返し眺めた。私はその時また蝉(せみ)の声を聞いた。その声はこの間中(あいだじゅう)聞いたのと違って、つくつく法師(ぼうし)の声であった。私は夏郷里に帰って、煮え付くような蝉の声の中に凝(じっ)と坐っていると、変に悲しい心持になる事がしばしばあった。私の哀愁はいつもこの虫の烈(はげ)しい音(ね)と共に、心の底に沁(し)み込むように感ぜられた。私はそんな時にはいつも動かずに、一人で一人を見詰めていた。

 私の哀愁はこの夏帰省した以後次第に情調を変えて来た。油蝉の声がつくつく法師の声に変るごとくに、私を取り巻く人の運命が、大きな輪廻(りんね)のうちに、そろそろ動いているように思われた。私は淋(さび)しそうな父の態度と言葉を繰り返しながら、手紙を出しても返事を寄こさない先生の事をまた憶(おも)い浮べた。先生と父とは、まるで反対の印象を私に与える点において、比較の上にも、連想の上にも、いっしょに私の頭に上(のぼ)りやすかった。

 私はほとんど父のすべても知り尽(つく)していた。もし父を離れるとすれば、情合(じょうあい)の上に親子の心残りがあるだけであった。先生の多くはまだ私に解(わか)っていなかった。話すと約束されたその人の過去もまだ聞く機会を得ずにいた。要するに先生は私にとって薄暗かった。私はぜひともそこを通り越して、明るい所まで行かなければ気が済まなかった。先生と関係の絶えるのは私にとって大いな苦痛であった。私は母に日を見てもらって、東京へ立つ日取りを極(き)めた。

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