われらの文学 レオンラジオ 楠元純一郎

54 梦想实现(?)了,可我却并没有很高兴 青空文库 夏目漱石 こころ 下 51+52


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オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」

エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」

作詞作曲 楠元純一郎

編曲 山之内馨

五十一


「Kの葬式の帰り路(みち)に、私はその友人の一人から、Kがどうして自殺したのだろうという質問を受けました。事件があって以来私はもう何度となくこの質問で苦しめられていたのです。奥さんもお嬢さんも、国から出て来たKの父兄も、通知を出した知り合いも、彼とは何の縁故もない新聞記者までも、必ず同様の質問を私に掛けない事はなかったのです。私の良心はそのたびにちくちく刺されるように痛みました。そうして私はこの質問の裏に、早くお前が殺したと白状してしまえという声を聞いたのです。


 私の答えは誰に対しても同じでした。私はただ彼の私宛(あて)で書き残した手紙を繰り返すだけで、外(ほか)に一口(ひとくち)も附け加える事はしませんでした。葬式の帰りに同じ問いを掛けて、同じ答えを得たKの友人は、懐(ふところ)から一枚の新聞を出して私に見せました。私は歩きながらその友人によって指し示された箇所を読みました。それにはKが父兄から勘当された結果厭世的(えんせいてき)な考えを起して自殺したと書いてあるのです。私は何にもいわずに、その新聞を畳(たた)んで友人の手に帰しました。友人はこの外(ほか)にもKが気が狂って自殺したと書いた新聞があるといって教えてくれました。忙しいので、ほとんど新聞を読む暇がなかった私は、まるでそうした方面の知識を欠いていましたが、腹の中では始終気にかかっていたところでした。私は何よりも宅(うち)のものの迷惑になるような記事の出るのを恐れたのです。ことに名前だけにせよお嬢さんが引合いに出たら堪(たま)らないと思っていたのです。私はその友人に外(ほか)に何とか書いたのはないかと聞きました。友人は自分の眼に着いたのは、ただその二種ぎりだと答えました。


 私が今おる家へ引(ひ)っ越(こ)したのはそれから間もなくでした。奥さんもお嬢さんも前の所にいるのを厭(いや)がりますし、私もその夜(よ)の記憶を毎晩繰り返すのが苦痛だったので、相談の上移る事に極(き)めたのです。


 移って二カ月ほどしてから私は無事に大学を卒業しました。卒業して半年も経(た)たないうちに、私はとうとうお嬢さんと結婚しました。外側から見れば、万事が予期通りに運んだのですから、目出度(めでたい)といわなければなりません。奥さんもお嬢さんもいかにも幸福らしく見えました。私も幸福だったのです。けれども私の幸福には黒い影が随(つ)いていました。私はこの幸福が最後に私を悲しい運命に連れて行く導火線ではなかろうかと思いました。


 結婚した時お嬢さんが、――もうお嬢さんではありませんから、妻(さい)といいます。――妻が、何を思い出したのか、二人でKの墓参(はかまい)りをしようといい出しました。私は意味もなくただぎょっとしました。どうしてそんな事を急に思い立ったのかと聞きました。妻は二人揃(そろ)ってお参りをしたら、Kがさぞ喜ぶだろうというのです。私は何事も知らない妻の顔をしけじけ眺(なが)めていましたが、妻からなぜそんな顔をするのかと問われて始めて気が付きました。


 私は妻の望み通り二人連れ立って雑司ヶ谷(ぞうしがや)へ行きました。私は新しいKの墓へ水をかけて洗ってやりました。妻はその前へ線香と花を立てました。二人は頭を下げて、合掌しました。妻は定めて私といっしょになった顛末(てんまつ)を述べてKに喜んでもらうつもりでしたろう。私は腹の中で、ただ自分が悪かったと繰り返すだけでした。


 その時妻はKの墓を撫(な)でてみて立派だと評していました。その墓は大したものではないのですけれども、私が自分で石屋へ行って見立(みた)てたりした因縁(いんねん)があるので、妻はとくにそういいたかったのでしょう。私はその新しい墓と、新しい私の妻と、それから地面の下に埋(うず)められたKの新しい白骨とを思い比べて、運命の冷罵(れいば)を感ぜずにはいられなかったのです。私はそれ以後決して妻といっしょにKの墓参りをしない事にしました。



五十二


「私の亡友に対するこうした感じはいつまでも続きました。実は私も初めからそれを恐れていたのです。年来の希望であった結婚すら、不安のうちに式を挙げたといえばいえない事もないでしょう。しかし自分で自分の先が見えない人間の事ですから、ことによるとあるいはこれが私の心持を一転して新しい生涯に入(はい)る端緒(いとくち)になるかも知れないとも思ったのです。ところがいよいよ夫として朝夕妻(さい)と顔を合せてみると、私の果敢(はか)ない希望は手厳しい現実のために脆(もろ)くも破壊されてしまいました。私は妻と顔を合せているうちに、卒然(そつぜん)Kに脅(おびや)かされるのです。つまり妻が中間に立って、Kと私をどこまでも結び付けて離さないようにするのです。妻のどこにも不足を感じない私は、ただこの一点において彼女を遠ざけたがりました。すると女の胸にはすぐそれが映(うつ)ります。映るけれども、理由は解(わか)らないのです。私は時々妻からなぜそんなに考えているのだとか、何か気に入らない事があるのだろうとかいう詰問(きつもん)を受けました。笑って済ませる時はそれで差支(さしつか)えないのですが、時によると、妻の癇(かん)も高(こう)じて来ます。しまいには「あなたは私を嫌っていらっしゃるんでしょう」とか、「何でも私に隠していらっしゃる事があるに違いない」とかいう怨言(えんげん)も聞かなくてはなりません。私はそのたびに苦しみました。


 私は一層(いっそ)思い切って、ありのままを妻に打ち明けようとした事が何度もあります。しかしいざという間際になると自分以外のある力が不意に来て私を抑(おさ)え付けるのです。私を理解してくれるあなたの事だから、説明する必要もあるまいと思いますが、話すべき筋だから話しておきます。その時分の私は妻に対して己(おの)れを飾る気はまるでなかったのです。もし私が亡友に対すると同じような善良な心で、妻の前に懺悔(ざんげ)の言葉を並べたなら、妻は嬉(うれ)し涙をこぼしても私の罪を許してくれたに違いないのです。それをあえてしない私に利害の打算があるはずはありません。私はただ妻の記憶に暗黒な一点を印(いん)するに忍びなかったから打ち明けなかったのです。純白なものに一雫(ひとしずく)の印気(インキ)でも容赦(ようしゃ)なく振り掛けるのは、私にとって大変な苦痛だったのだと解釈して下さい。


 一年経(た)ってもKを忘れる事のできなかった私の心は常に不安でした。私はこの不安を駆逐(くちく)するために書物に溺(おぼ)れようと力(つと)めました。私は猛烈な勢(いきおい)をもって勉強し始めたのです。そうしてその結果を世の中に公(おおやけ)にする日の来るのを待ちました。けれども無理に目的を拵(こしら)えて、無理にその目的の達せられる日を待つのは嘘(うそ)ですから不愉快です。私はどうしても書物のなかに心を埋(うず)めていられなくなりました。私はまた腕組みをして世の中を眺(なが)めだしたのです。


 妻はそれを今日(こんにち)に困らないから心に弛(たる)みが出るのだと観察していたようでした。妻の家にも親子二人ぐらいは坐(すわ)っていてどうかこうか暮して行ける財産がある上に、私も職業を求めないで差支(さしつか)えのない境遇にいたのですから、そう思われるのももっともです。私も幾分かスポイルされた気味がありましょう。しかし私の動かなくなった原因の主なものは、全くそこにはなかったのです。叔父(おじ)に欺(あざむ)かれた当時の私は、他(ひと)の頼みにならない事をつくづくと感じたには相違ありませんが、他(ひと)を悪く取るだけあって、自分はまだ確かな気がしていました。世間はどうあろうともこの己(おれ)は立派な人間だという信念がどこかにあったのです。それがKのために美事(みごと)に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他(ひと)に愛想(あいそ)を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。



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