A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ法話

A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ法話

By Tapasvini Devi DasiEducation
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A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ法話 episodes

  • プラブパーダ法話 25 (バーガヴァタム1-2-10)

    Title:『愛はクリシュナから来たり』

    1973年11月16日、インド、ニューデリーで行われた法話です。

    ŚB 1.2.10

    कामस्य नेन्द्रियप्रीतिर्लाभो जीवेत यावता ।

    जीवस्य तत्त्वजिज्ञासा नार्थो यश्चेह कर्मभि: ॥ १० ॥

    kāmasya nendriya-prītir

    lābho jīveta yāvatā

    jīvasya tattva-jijñāsā

    nārtho yaś ceha karmabhiḥ

    人生の願望を決して感覚満足に向けてはならない。人間とは絶対真理について問うためのものであるから、健全な生活、すなわち自己の維持だけを望むべきである。他のいかなるものも、仕事の目的にしてはならない。



    ーー 法話から ーー

    クリシュナというのは、愛する人という意味です。クリシュナという言葉そのままの意味は、すべてを魅了するという意味です。心をひかれる、魅了されるというのは愛情によって心を惹かれます。他のものではありません。ですから、その名前をクリシュナといいます。

    この完璧なる愛、私達はみな、愛を求めています。青年も愛を求め、少年も愛を求めています。では、この愛とはどこからくるのでしょうか?それは、愛というのは、もともと、本来、クリシュナの中にあるものだ、これが、ヴェーダンタスートラの見解です。この愛するということ、これは、至高なる絶対真理から来ています。ただ、それが歪んだ形で反映されているのです。歪んだ形での反映、この物質世界では、私達が目にするものは全部、精神世界のものが歪んだ形で反映されているものです。
    ですから、SBの中でも最初にこのように書かれています。すべてのものが歪んでいると。歪んだ形で影となっていると。例があげられています。ちょうどそれは、砂漠の中で水を見つけるようなものだと。この太陽の光によって水そっくりなまったく本物ではない写しが現れます。でもそこには水はないのです。ただ水の映像があるだけです。それと同様にこの物質界にあるものは、愛の反映だけ、愛を写した影となっているものだけです。実際に愛とは、この物質界にはありません。この物質世界にあると思われる愛というのは砂漠の中の蜃気楼です。ですから、本当の愛というものを求めるなら、この愛という言葉はすべてを魅了するお方、クリシュナにしか当てはまらないのです。
    ですから、クリシュナ意識運動というのは、人々にこう言った幻覚な形ばかりの水だとか、愛だとか、心を惑わせてはいけないと、そういう事を教えるためにあるのです。現実は一つだけです。本当の現実まで来てください。本物ではない現実にはまらないでください。これが、バクティヨーガ、クリシュナ意識運動です。

    1 hr 2 min
  • プラブパーダ法話 24 (バーガヴァタム1-2-9)

    Title:『神に何を求めるか』

    1972年9月7日、インド、ニューブリンダーヴィンで行われた法話です。

    ŚB 1.2.9

    धर्मस्य ह्यापवर्ग्यस्य नार्थोऽर्थायोपकल्पते ।

    नार्थस्य धर्मैकान्तस्य कामो लाभाय हि स्मृत: ॥ ९ ॥

    dharmasya hy āpavargyasya

    nārtho ’rthāyopakalpate

    nārthasya dharmaikāntasya

    kāmo lābhāya hi smṛtaḥ

    職業上の仕事はどれも究極的な解放のためのものであることは確かであり、物質的なものを獲得するために行ってはならない。さらに、最高の奉仕に従事している者は、獲得した物質的な利益を自らの感覚を満たすために使ってはならない、と賢者は言う。




    ー 法話の内容から ーー

    この権威ある知識の中では、たとえば、バガヴァッド・ギーターがそうですが、来世というのは受け入れられています。バガヴァッド・ギーターの最初、冒頭から、魂は永遠であると書かれています。魂は永遠であって、次から次へと移っていくと。ですから、来世はあるんだというふうに書かれています。これが権威ある知識です。誰かがもし、生まれる、誕生なんてないんだと言ったとするならば、そのことは権威ずけられていません。それは俗人の言っていることです。俗人はなんでも好きなように何でも言えるのです。その結果はどこにあるでしょうか?結論というのは権威ある権威者から権威ある知識を受け入れる。権威者は普通の人のような4つの欠陥を持たない人。(BG16-24)

    間違いを犯さない人。
    幻想に犯されない人。
    決して騙すことがない人。
    感覚が完璧な人。

    私たちはこういう質をもっていません。そんな私達がどうやって完璧な知識を作り出すことができるでしょうか?そんなことは不可能です。ですから私達の原則、すなわち、ヴェーダの原則とうのは完璧な方から知識を得るということです。

    1 hr 37 min
  • プラブパーダ法話 23 (バーガヴァタム1-2-9)

    Title:『幻想』

    1974年4月23日、インド、ハイデラバードで行われた法話です。

    ŚB 1.2.9

    धर्मस्य ह्यापवर्ग्यस्य नार्थोऽर्थायोपकल्पते ।

    नार्थस्य धर्मैकान्तस्य कामो लाभाय हि स्मृत: ॥ ९ ॥

    dharmasya hy āpavargyasya

    nārtho ’rthāyopakalpate

    nārthasya dharmaikāntasya

    kāmo lābhāya hi smṛtaḥ

    職業上の仕事はどれも究極的な解放のためのものであることは確かであり、物質的なものを獲得するために行ってはならない。さらに、最高の奉仕に従事している者は、獲得した物質的な利益を自らの感覚を満たすために使ってはならない、と賢者は言う。


    ーー 法話の内容から ーー

    誰もが私は幸せだと思っています。しかし、この体、肉体というのは苦しみなのです。苦しんでいないという人はいるでしょうか?この体とうのは苦しむためにあるのです。すごい暑さに苦しむ。あまりの寒さに苦しむ、これも苦しみです。それでもわたしたちは快適だと思っているのです。こんな暑さなんて望んでいないのに、どうしてこんな暑さを強いられるのだろうと人々は考えません。改善策はなんだろう、もうこういうのは嫌だと考えなくてはなりません。しかし、わたしたちはこの物質の体を受け入れています。

    わたしたちは感覚を満たそうとして罪深いことをたくさんしています。そして、どんどん巻き込まれています。これはよくありません。なぜでしょうか?この魂はこのビカルマのために、私たちはこの体を受け入れなくてはならなかった。私たちは十分に苦しんでいるではないか、今、私たちは体をもっているということは、苦しんでいるということです。それはあなたたちの過去の行動によって得た体です。それなのに、また同じことをしてまた苦しむために別の体を得ようとしているのです。そんなことが知性あることと思いますか?それは違います。それは知性とは呼びません。これは正気じゃない人が考えることです。本当に考えることは、それは、どうすれば永遠に幸せになれるかということです。これがクリシュナ意識です。クリシュナはこのようにおっしゃっています。これが完成です。これが本当の人生です。どうか、クリシュナ意識を始めて実行してください。
    この機会を与えるために世界中にセンターを開いています。これはでっちあげではありません。これはとても厳格に経典に則っています。権威づけられたものです。もし、あなたがクリシュナ意識を始めるなら、永遠に幸せになれるでしょう!

    1 hr 10 min
  • プラブパーダ法話 22 (バーガヴァタム1-2-9)

    Title:『クリシュナへの奉仕は誰にでもできる』

    1972年10月20日、インド、ブリンダーヴィンで行われた法話です。

    ŚB 1.2.9

    धर्मस्य ह्यापवर्ग्यस्य नार्थोऽर्थायोपकल्पते ।

    नार्थस्य धर्मैकान्तस्य कामो लाभाय हि स्मृत: ॥ ९ ॥

    dharmasya hy āpavargyasya

    nārtho ’rthāyopakalpate

    nārthasya dharmaikāntasya

    kāmo lābhāya hi smṛtaḥ

    職業上の仕事はどれも究極的な解放のためのものであることは確かであり、物質的なものを獲得するために行ってはならない。さらに、最高の奉仕に従事している者は、獲得した物質的な利益を自らの感覚を満たすために使ってはならない、と賢者は言う。



    ーーー 法話の内容から ーーー

    人々は私たちのことをこういうふうに言います。クリシュナ意識運動をやっている人々、この人たちは逃避しているのだ。彼らは働きたくないから逃げているのだ。そのようにいう人がいます。社会に頼って、他の人が働いたお金で食べているのだという人がたくさんいます。実際にはそれは本当のことではありません。クリシュナは全ての人に食べ物を与えています。840万種類の生命体がいて、神の保護で食べています。それなのに、なぜ人間は経済問題を解決するためにこんなに必死にならないといけないのでしょうか?それは文明が愚かだからです。すべてはもうあるのです。いくらか働けばいいのです。この物質界というのはいくらか働かなければ食べていけないのです。食べ物を得られないのです。そのように造られているのです。

    1 hr 7 min
  • プラブパーダ法話 21 (バーガヴァタム1-2-9.10)

    Title:『真なるダルマはカルマではない』

    1973年11月14日、インド、ニューデリーで行われた法話です。

    ŚB 1.2.9

    धर्मस्य ह्यापवर्ग्यस्य नार्थोऽर्थायोपकल्पते ।

    नार्थस्य धर्मैकान्तस्य कामो लाभाय हि स्मृत: ॥ ९ ॥

    dharmasya hy āpavargyasya

    nārtho ’rthāyopakalpate

    nārthasya dharmaikāntasya

    kāmo lābhāya hi smṛtaḥ

    職業上の仕事はどれも究極的な解放のためのものであることは確かであり、物質的なものを獲得するために行ってはならない。さらに、最高の奉仕に従事している者は、獲得した物質的な利益を自らの感覚を満たすために使ってはならない、と賢者は言う。

    ŚB 1.2.10

    कामस्य नेन्द्रियप्रीतिर्लाभो जीवेत यावता ।

    जीवस्य तत्त्वजिज्ञासा नार्थो यश्चेह कर्मभि: ॥ १० ॥

    kāmasya nendriya-prītir

    lābho jīveta yāvatā

    jīvasya tattva-jijñāsā

    nārtho yaś ceha karmabhiḥ

    人生の願望を決して感覚満足に向けてはならない。人間とは絶対真理について問うためのものであるから、健全な生活、すなわち自己の維持だけを望むべきである。他のいかなるものも、仕事の目的にしてはならない。




    ーー 法話の内容の一部から ーー

    カルマとは自分の感覚を満足させること、そしてバクティというのは主に満足していただくことです。行為は同じです。ですから人々はカルミーとバクターの違いがわからないのです。カルミーというのは自分の感覚を満たすこと、バクターというのはクリシュナの感覚を満たしてさしあげることです。感覚を満たすという行為は存在するのですが、クリシュナに満足していただく、これがバクティです。
    バクティとは行動を止めなさいという意味ではありません。バクティというのは、自分の持つ全ての感覚を感覚を与えてくださった方、その方の感覚を満たすために使うということです。これをバクティと呼びます。





    1 hr 22 min
  • プラブパーダ法話 20 (バーガヴァタム1-2-8)

    Title:『目に見えない体を精神化する』

    1972年9月6日、インド、ニューブリンダーヴィンで行われた法話です。

    ŚB 1.2.8

    धर्म: स्वनुष्ठित: पुंसां विष्वक्सेनकथासु य: ।

    नोत्पादयेद्यदि रतिं श्रम एव हि केवलम् ॥ ८ ॥

    dharmaḥ svanuṣṭhitaḥ puṁsāṁ

    viṣvaksena-kathāsu yaḥ

    notpādayed yadi ratiṁ

    śrama eva hi kevalam

    自分の立場に応じてしていたとしても、人格神の教えに対して魅力を掻き立てられないような職務なら、それはまったく無益な労働にすぎない。



    ーー 法話の内容から ーー

    希薄な体は解脱したとき、解放された時になくなります。この解脱した時、この希薄な体からも解放されます。精神的な体を得て、精神的な王国へと移動します。ですから、この物質的な体に入っている間に希薄な体のほうを教育し、完全に精神化されるように教育しなければなりません。この希薄な体というのは、心と知性と偽のエゴでできています。わたしはアメリカ人だ、インド人だ白人だ、黒人だ、人間だ、動物だ、自分はこれだ、あれだと考えています。この私は何であるか、これが変わらなくてはなりません。わたしは神の永遠なる僕であると変わらないといけません。
    もし、このようにしてこの希薄は体の行動に教育をつけて心と知性と偽の自我でできた希薄な体を教育するならば、死んだ時にこの希薄な体を置いて、残して、そして、あなたは精神的な体を得て、精神的な神の王国に戻ることができる、これがクリシュナ意識運動です。
    目に見える体は自動的に離れます。ですから、どうやって私たちは希薄な体を去るか、離れるか、そこを修練しないといけません。この希薄な体から離れるためには私たちは、神への愛を育まなければなりません。プレマとよばれるものです。
    どうしたら、この希薄な体を離れることができるかというプロセスがあります。

    1 hr 22 min
  • プラブパーダ法話 19 (バーガヴァタム1-2-8)

    Title:『義務か、時間の浪費か』

    1974年4月22日、インド、ムンバイで行われた法話です。

    ŚB 1.2.8

    धर्म: स्वनुष्ठित: पुंसां विष्वक्सेनकथासु य: ।

    नोत्पादयेद्यदि रतिं श्रम एव हि केवलम् ॥ ८ ॥

    dharmaḥ svanuṣṭhitaḥ puṁsāṁ

    viṣvaksena-kathāsu yaḥ

    notpādayed yadi ratiṁ

    śrama eva hi kevalam

    自分の立場に応じてしていたとしても、人格神の教えに対して魅力を掻き立てられないような職務なら、それはまったく無益な労働にすぎない。



    ーー 法話の内容から ーー

    私たちはこの物質界に関わるとすぐに汚れてしまいます。空から落ちてくる透明な雨水、これは蒸留水ですが、それが地上に達した途端にすぐに泥だらけになってしまいます。ですから、現在の状況として、私たちの意識は汚れた意識となっています。

    バガヴァッド・ギーターに書かれています。わたしたちはハートの中にたくさんの汚れたものを持っています。どうしてそんなによごれてしまったのでしょう?物質自然と関わってきたためにこんなに汚れを大きくしてしまったのです。
    これがわたしたちの病気です。

    1 hr 13 min
  • プラブパーダ法話 18 (バーガヴァタム1-2-7)

    Title:『自分の立場を理解しなさい』

    1974年4月21日、インド、ハイデラバードで行われた法話です。  

    ŚB 1.2.7

    वासुदेवे भगवति भक्तियोग: प्रयोजित: ।

    जनयत्याशु वैराग्यं ज्ञानं च यदहैतुकम् ॥ ७ ॥

    vāsudeve bhagavati

    bhakti-yogaḥ prayojitaḥ

    janayaty āśu vairāgyaṁ

    jñānaṁ ca yad ahaitukam

    至高人格神シュリー・クリシュナに献身奉仕をすることにより、人は直ちにいわれのない知識を授かり、この世界への執着をなくしていく。




    ーー 法話の内容から ーー  

    神の愛を得ることにより、毎瞬間、神を見ることができます。人は聞きます。神を見たことがありますか?と。神を見るというのは大して難しいことではありません。ただあなたがその神をみる資格を得ればいいだけのことなんです。神への愛をもっていればいいだけなんです。そうすれば神をみることができます。
    経典にも書かれてますが、あなたがたとえクリシュナ意識を培っていなくても、あなたなりの方法で神を見ることできるんです。このように、クリシュナは言っています。私は水の味であると。たとえば、あなたは水を飲みます。水を飲んだ時に、あなたは水の味、クリシュナだと、あなたは思う。そんなことが難しいことでしょうか?いいえ、まったく難しいことではありません。

    お日様の光とか、月の光とか、そういったものをみないということはないですよね。人々は神をみたことがあるかあるのかと聞きますが、しかし、みなさんは神を見ているはずです。なぜなら、クリシュナご自身が『わたしは太陽の光』であるとおっしゃっている。太陽の光をみたことがない人なんているでしょうか?

    ですから、そのように神を見るように始めなくてはいけません。そしてクリシュナを思い出すことができれば、それはつまり、『見ている』ということなんです。『見ること』、精神的に見るということは、この私たちの目で見るということではないのです。

    クリシュナについて聞く時、唱える時、思っている時、その時、神を見ているのです。 これがプロセスです。そして、これがバクティヨーガです。


    プラブパーダがどのようにバクティヨーガを学べばよいか、人間としての立場を理解することを説いています。続きは法話でお聴きください。

    1 hr 25 min
  • プラブパーダ法話 17 (バーガヴァタム1-2-7.8)

    Title:『神から神の理解を得る』

    1973年11月13日、インド、デリーで行われた法話です。

    ŚB 1.2.7

    वासुदेवे भगवति भक्तियोग: प्रयोजित: ।

    जनयत्याशु वैराग्यं ज्ञानं च यदहैतुकम् ॥ ७ ॥

    vāsudeve bhagavati

    bhakti-yogaḥ prayojitaḥ

    janayaty āśu vairāgyaṁ

    jñānaṁ ca yad ahaitukam

    至高人格神シュリー・クリシュナに献身奉仕をすることにより、人は直ちにいわれのない知識を授かり、この世界への執着をなくしていく。

    ŚB 1.2.8

    धर्म: स्वनुष्ठित: पुंसां विष्वक्सेनकथासु य: ।

    नोत्पादयेद्यदि रतिं श्रम एव हि केवलम् ॥ ८ ॥

    dharmaḥ svanuṣṭhitaḥ puṁsāṁ

    viṣvaksena-kathāsu yaḥ

    notpādayed yadi ratiṁ

    śrama eva hi kevalam

    自分の立場に応じてしていたとしても、人格神の教えに対して魅力を掻き立てられないような職務なら、それはまったく無益な労働にすぎない。




    ー 法話の内容から ー

    バクティという意味は支えるということ、ヨーガというのはその過程、方法という意味です。
    このことはバガヴァッド・ギーターにも書かれています。バガヴァッド・ギーターというのはバクティヨーガーです。
    クリシュナに保護を求める、その代表者に保護を求めなくてはいけません。

    ヴェーダではこのように進めています。暗闇に居続けてはいけない。明るいところに、火のあるところにいきなさいと。



    1 hr 16 min
  • プラブパーダ法話 16 (バーガヴァタム1-2-6)

    Title:『心の完全平和をめざす』

    1973年11月12日、インド、デリーで行われた法話です。

    ŚB 1.2.6

    स वै पुंसां परो धर्मो यतो भक्तिरधोक्षजे ।

    अहैतुक्यप्रतिहता ययात्मा सुप्रसीदति ॥ ६ ॥

    sa vai puṁsāṁ paro dharmo

    yato bhaktir adhokṣaje

    ahaituky apratihatā

    yayātmā suprasīdati

    全人類にとっての至高の職務(ダルマ)とは、超越的なる主に愛を込めて献身的に仕えることができるようになる手段のことである。完全に自己を満足させるためには、そのような献身奉仕が不純な動機を持たず、途切れることなく行われなくてはならない。



    ー 法話の内容から ー

    もし、あなたが神を愛することを学んだならばどんなタイプの宗教にあなたが従っていていたとしても、そこは問題ではありません。バーガバタムというのはとても寛大なのです。神を理解するにはヒンズー教じゃないといけないとか、この宗教に従わないといけないとか、あのタイプの宗教じゃないといけないとは言っていません。どの宗教でもかまわない、そこが問題じゃないのです。でも、問題は、あなたが愛というものを培っているかどうか、大きく育てているか、とうことです。このことは、シュリマード・バーガバタムの中で説明されています。大切なのは神への愛を成長させているかということです。

    1 hr 25 min

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バクティヨーガの教典を世界に広めた、A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダによるヴェーダの教え、シュリーマド・バーガヴァタムの法話 (日本語訳付) です。