A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ法話

A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ法話

By Tapasvini Devi DasiEducation
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A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ法話 episodes

  • プラブパーダ法話 45 (バーガヴァタム1-2-19)

    Title:『クリシュナの慈悲を理解する』

    1974年9月27日、インド、カルカッタで行われた法話です。

    ŚB 1.2.19

    तदा रजस्तमोभावा: कामलोभादयश्च ये ।

    चेत एतैरनाविद्धं स्थितं सत्त्वे प्रसीदति ॥ १९ ॥

    tadā rajas-tamo-bhāvāḥ

    kāma-lobhādayaś ca ye

    ceta etair anāviddhaṁ

    sthitaṁ sattve prasīdati

    不滅な愛情奉仕がハートの中に確立されたとたん、情欲、欲望、渇望といった激情と無知の自然様式の影響がハートの中から消えていく。すると献身者は徳性の者となり、完全に幸福になるのだ。


    ーー 法話から ーー

    BGにも書かれています。そして、ここにも書かれています。どうしたら、心が穏やかでいられるのか、という事を誰ものが追い求めています。誰もが言います。swamiji、どうか教えてください。どうしたら、心が穏やかになるでしょうか?どうすれば、心の平成さ、穏やかさが手に入るのか、その事が述べられています。
    ラジャスでもなく、タマスでもなく、サットヴァグナに身を置く事。タモグナ(tamo-guṇa)というのは、カルミー(karmīs)の生活です。タモグナ(tamo-guṇa)も、ラジョグナ(rajo-guṇa)もそうです。ラジョグナ(rajo-guṇa)も実際、カルミー(karmīs)です。サットヴァグナの次に、あとに、心の穏やかさというのが、やってきます。まずは、サットヴァグナの段階にやってこないといけません。Prasannaとは、幸せなムードの生活という意味です。幸せなムードの生活とは、どういうものでしょうか?嘆くことがない、追い求めることもしない。私たちは物質界にいて何かを追い求めています。これが欲しい、あれが欲しい、これが追い求めるということです。
    心が穏やかな状態になった時、バクティが始まります。
    心が乱れた状態では、献身奉仕を実行することができません。ですから、最初の段階でもし、いきなり、献身者になったとして、人里離れたところで、私はチャンティングをしますという人がいたら、それは騙しです。それは嘘です。そんなことができるわけがありません。どうしてチャンティングができるでしょうか?できません。なぜなら、心が固定されていないからです。浄化されない限り、心は常に乱れています。これが物質的な状態です。心がきっと乱れているはずです。プララーダマハラージがこのように言いました。これが物質世界の兆候であると。物質世界の兆候とはなんでしょうか?常に不安を抱えている。なぜでしょうか?

    1 hr 7 min
  • プラブパーダ法話 44 (バーガヴァタム1-2-19)

    Title:『愛するためのバクティライフ』

    1972年8月22日、ロサンゼルスで行われた法話です。

    ŚB 1.2.19

    तदा रजस्तमोभावा: कामलोभादयश्च ये ।

    चेत एतैरनाविद्धं स्थितं सत्त्वे प्रसीदति ॥ १९ ॥

    tadā rajas-tamo-bhāvāḥ

    kāma-lobhādayaś ca ye

    ceta etair anāviddhaṁ

    sthitaṁ sattve prasīdati

    不滅な愛情奉仕がハートの中に確立されたとたん、情欲、欲望、渇望といった激情と無知の自然様式の影響がハートの中から消えていく。すると献身者は徳性の者となり、完全に幸福になるのだ。


    ーー 法話から ーー

    māyāがみなさんのことを攻撃しています。
    Guṇaというのはこうした質のことです。自然の3つの様式のことです。物質自然はguṇamayīです。guṇamayīというのはこの物質自然の3つの様式で満ちているということです。māyāという意味ですが、たとえば、それは金のようなもの、それは金ではりめぐされているのか、その金というのが、金製、金箔ではりめぐされているものなのか、金で覆われているだけのものなのか、それと同じように、このmāyā、この物質自然というのは、この3つの様式で覆われています。sattva, raja, tama.これをguṇamayīといいます。
    また、このGuṇaの別の意味、これはロープです。ロープをご覧になったことはありますよね?、3つの紐、それがとても強くねじられたています。その3つの紐が捻られていることでとても強くなっています。それと同じようにこの3つのGuṇaが自然の3つの様式がとても強くロープのようにねじられています。そのロープに私たちは縛られているのです。そして、そこから、抜けることができまん。そいったロープで手や足が縛られてしまったらもう、それは抜けることが大変に難しいです。同じように、私たちは縛られてしまっています。私たちは自由を奪われ、そしてたくさんの事を、愚かな事を口にして、縛られてしまっていることをすっかり忘れてしまっています。あっという間にmāyāにやられてしまいます。māyāというのはとっても強いのです。
    次の方法により、sattvaのプラットホームに位置することができます。
    続きを法話で聴きましょう。

    1 hr 3 min
  • プラブパーダ法話 43 (バーガヴァタム1-2-19)

    Title:『アートマに満足はなし』

    1972年10月30日、ブリンダーヴァンで行われた法話です。

    ŚB 1.2.19

    तदा रजस्तमोभावा: कामलोभादयश्च ये ।

    चेत एतैरनाविद्धं स्थितं सत्त्वे प्रसीदति ॥ १९ ॥

    tadā rajas-tamo-bhāvāḥ

    kāma-lobhādayaś ca ye

    ceta etair anāviddhaṁ

    sthitaṁ sattve prasīdati

    不滅な愛情奉仕がハートの中に確立されたとたん、情欲、欲望、渇望といった激情と無知の自然様式の影響がハートの中から消えていく。すると献身者は徳性の者となり、完全に幸福になるのだ。


    ーー 法話から ーー

    私たちは自分たちの心を穏やかにしなければなりません。ですから、誰もがこの時代において、高い段階にいる物質的な人々、発達されたといわれる、物質的な人々さえも、みんな平和を求めています。心の自分のātmāの平穏さ、穏やかさといったものを求めています。例として、西洋諸国からの若い人たち、かれらは、もともと、恵まれた家庭から、とても恵まれた国からやって来ているわけですけど、彼らはお父さん、おじいさん、によってつくられた、、そういったスタンダードの生活、状態、そういったものを捨ててきました。彼らはそういったものが気に入らなかったのです。というのは、彼らは満足していなかったからです。ātmāが満足していませんでした。だから、そこをやめて来ました。bhogaとうのは、楽しみという意味です。そして、tyāgaというのは放棄という意味です。実際のところ、この世界では、とても忙しくして、物質的に楽しむために、とても忙しくしているkarmīsと言われる人たちがいます。また、tyāga、放棄に従事している人もいます。この2種類の活動が行われています。楽しむために感覚を満たすために感覚を楽しませるもの、そいうものを手に入れようとして、とても忙しくしている人たち、そういったことに満足できなかったとき、楽しむことができなかった時、満足できなかった時に彼らは言います。この世界は偽物だ、この世界なんか必要ない。

    ぶどうは酸っぱいに違いない、同じ話、ジャッカルとぶどうの話と同じことです。ジャッカルはぶどうが食べたくて飛びつこうと何度も何度も飛び上がりました。ですが、ぶどうのところにはとどきませんでした。そこで、食べれなかったジャッカルはこういうわけです。ぶどうなんか必要ないさ、あれは酸っぱいにちがいない。そういう言葉で自分を満たしました。brahma satyaṁ jagan mithyā というのはそのようなものです。それと同じで、この世界に疲れてしまった、そう言った人たちは、例えば、年をとったからとか、また、いろんな条件のために、楽しめなかったとか、そういったときにそういう人たちは言います。

    1 hr 7 min
  • プラブパーダ法話 42 (バーガヴァタム1-2-18)

    Title:『クリシュナを選ぶか、マーヤを選ぶか』

    1972年8月21日、ロサンゼルスで行われた法話です。

    ŚB 1.2.18

    नष्टप्रायेष्वभद्रेषु नित्यं भागवतसेवया ।

    भगवत्युत्तमश्लोके भक्तिर्भवति नैष्ठिकी ॥ १८ ॥

    naṣṭa-prāyeṣv abhadreṣu

    nityaṁ bhāgavata-sevayā

    bhagavaty uttama-śloke

    bhaktir bhavati naiṣṭhikī

    バーガヴァタムの法話に定期的に集い純粋な献身者に仕えることによって、ハートをわずらわせるありとあらゆる事がほぼ完全に破壊され、超越的な詩歌で称えられる人格神への愛情奉仕が不動の事実として確立される。


    ーー 法話から ーー

    毎日、バガーヴァタムを崇拝することによって、私たちはこうした汚れたものから解放されることになります。これは前の節で読んだところです。私たちはたくさんの不吉なものをハートの中に取り込んできました。ですから、シュリマード・バーガヴァタム, 或いは、バガヴァッド・ギーター、或いは、献身者の口からクリシュナのメッセージを聴く、ただそれだけで清められていきます。そのようにして、ほとんどの汚れたものがなくなります。きれいになります。でもすべてではありません。ほとんどの汚れたものが浄化された時点でわたしたちは解放されます。そして、直ちに、神への愛を得ることができます。これが元々、持っていた意識です。チャイタニヤマハープラブのように気が狂ったようになるでしょう。ゴーヴィンダと惜別の情を感じます。どのように? 一瞬が12年のように感じられる。

    私たちにも時々、経験があります。わたしたちがみたいと思っているもの、それを期待する心理学、そのような名前がついています。誰か、友達とか、恋人とかが来ることになっている、それを期待して待っている、そういう状況で、もし誰かがドアのところでコツっと音がすると、あ、来たの?あ、ちがうちがう、まだ来ていない、こういうふうに、一瞬が12年のように感じられます。そのような惜別の情をクリシュナに対してわたしたちが感じられるようになったとき、全ての汚れたものがなくなってしまったという意味です。

    1 hr 1 min
  • プラブパーダ法話 41 (バーガヴァタム1-2-18)

    Title:『クリシュナの栄光に耳を傾け、浄化されなさい』

    1974年9月26日、インド、カルカッタで行われた法話です。

    ŚB 1.2.18

    नष्टप्रायेष्वभद्रेषु नित्यं भागवतसेवया ।

    भगवत्युत्तमश्लोके भक्तिर्भवति नैष्ठिकी ॥ १८ ॥

    naṣṭa-prāyeṣv abhadreṣu

    nityaṁ bhāgavata-sevayā

    bhagavaty uttama-śloke

    bhaktir bhavati naiṣṭhikī

    バーガヴァタムの法話に定期的に集い純粋な献身者に仕えることによって、ハートをわずらわせるありとあらゆる事がほぼ完全に破壊され、超越的な詩歌で称えられる人格神への愛情奉仕が不動の事実として確立される。


    ーー 法話から ーー

    このようにバガヴァッド・ギーターで言われています。
    クリシュナに身を委ねようと、そうすれば、私の人生は完成に達することができる。クリシュナに身を委ね、同意するならば、そのように決定するならば、それはŚraddhāです。

    この神もいいし、あの神もいいし、みんな、あなたも神で私も神で、こういう考え方、これはŚraddhāではありません。
    例えば、貞淑な女性は、どの男性も皆良いとは言いません。貞淑な女性は言います。わたしの主人だけが良い人ですと。これが貞淑さというものです。中には、どの男性でもいいという人がいるかもしれません。それは貞淑さではありません。同時にŚraddhāというのは貞淑になること、純粋なクリシュナバクティーになること、これが、Śraddhāです。
    ここで、みなさんは見ていただけると思います。ここにアメリカ人の、あるいは、ヨーロッパ人の青年たち、彼らはŚraddhāで始めました。私は彼らに言いました。クリシュナこそが至高人格神であると、そして、その青年たちは、その事を受け入れました。若い青年たちはこのようには言いませんでした。あそこにも神がいるし、ここにも神がいるし、あれもこれも神だ、そのようなことは言いませんでした。彼らは自分たちの信念を持ちました。この信念をもったということは、それは彼らの幸運です。彼らはなんでもごちゃまぜにしたような、そういう考え方をしていませんでした。ですから、彼らはそれなりの成果を上げられたわけです。




    59 min
  • プラブパーダ法話 40 (バーガヴァタム1-2-18)

    Title:『煩わしいことすべて撲滅』

    1972年10月29日、ブリンダーヴァンで行われた法話です。

    ŚB 1.2.18

    नष्टप्रायेष्वभद्रेषु नित्यं भागवतसेवया ।

    भगवत्युत्तमश्लोके भक्तिर्भवति नैष्ठिकी ॥ १८ ॥

    naṣṭa-prāyeṣv abhadreṣu

    nityaṁ bhāgavata-sevayā

    bhagavaty uttama-śloke

    bhaktir bhavati naiṣṭhikī

    バーガヴァタムの法話に定期的に集い純粋な献身者に仕えることによって、ハートをわずらわせるありとあらゆる事がほぼ完全に破壊され、超越的な詩歌で称えられる人格神への愛情奉仕が不動の事実として確立される。




    ーー 法話から ーー

    素敵な服を着て、素晴らしいアパートに住んで、綺麗に体を洗っていれば、それが文明だと、人々は考えています。自分を襲ってくる汚れたものとは何なのかということを人々はわかっていません。何が汚れなのか、その事がわかっていません。
    アナルタ、私たちはたくさんの好ましくない、不必要なものを増やしてきました。それをアナルタと呼びます。アナルタというのは、物という意味です。たくさんの例を上げることができます。文明の発達がというものがまだなかった時、人々は銀製品、銀食器、あるいは、金食器、少なくとも、金属で作られた食器で食べていました。今ではプラスチックが使われています。それでも人々は文明の発達というものを誇りに思っています。実際、これはアナルタです。好まざるものです。

    わたしたちのハートの中にある汚れたものとはなんでしょうか?その汚れたものを洗い流す、そのプロセスとはなんでしょうか?プラブパーダがこの法話で説いています。

    1 hr 7 min
  • プラブパーダ法話 39 (バーガヴァタム1-2-17)

    Title:『クリシュナが我が子に望むこと』

    1972年8月20日、ロサンゼルスで行われた法話です。

    ŚB 1.2.17

    श‍ृण्वतां स्वकथा: कृष्ण: पुण्यश्रवणकीर्तन: ।

    हृद्यन्त:स्थो ह्यभद्राणि विधुनोति सुहृत्सताम् ॥ १७ ॥

    śṛṇvatāṁ sva-kathāḥ kṛṣṇaḥ

    puṇya-śravaṇa-kīrtanaḥ

    hṛdy antaḥ stho hy abhadrāṇi

    vidhunoti suhṛt satām

    人格神シュリー・クリシュナは誰ものハートに宿り、誠実な献身者に恩恵を授けてくださる至高の魂である。主の教えを聴きたいという思いに駆り立てられた献身者のハートから、物質的な喜びに対する欲望を洗い流してくださる。その教えは、正しく聴き唱える者の中には徳高く備わっている。


    ーー  法話から ーー

    少しばかり忍耐をして、少しばかり集中をもって、クリシュナの事に耳を傾ける、クリシュナがBGの中で何をおっしゃっているのか、クリシュナがSBの中で何について語られていらっしゃるのか、ただ、それに耳を傾けるだけです。どんな資格がなくてもいいのです。どんな教育がついていなくても、博士号をもっていなくてもいいのです。ただ聴くだけでいいのです。クリシュナは私たちに耳をくださっています。ですから、聴くことはできます。難しいことでしょうか?クリシュナはとても親切です。僅かでも、クリシュナの事に耳を傾けるということに心が傾けば、、例えば、耳を傾ける、聴く、そして、クリシュナが語っていることが理解できない、クリシュナについて語っていることが理解できない、あなたはサンスクリット語がわからない、英語の翻訳だってわからない、それでも、ただ聴いているだけで、ただ、耳を傾けているだけでいいのです。

    私たちはクリシュナについて聴くことによって、少しは理解できます。しかし、小さい子供とか、動物とか、理解できませんが、しかし、ハレークリシュナマハーマントラを聴くことにより、恩恵を得ることができます。みんな恩恵を得ることができます。これは事実です。なぜならこれは音響だからです。これは科学です。ハレークリシュナマハーマントラというのはたいへんに力があるのです。ですから、これを聴く者全てに恩恵を与えます。

    53 min
  • プラブパーダ法話 38 (バーガヴァタム1-2-17)

    Title:『クリシュナは全能なり』

    1966年、夏、ニューヨークで行われた法話です。

    ŚB 1.2.17

    श‍ृण्वतां स्वकथा: कृष्ण: पुण्यश्रवणकीर्तन: ।

    हृद्यन्त:स्थो ह्यभद्राणि विधुनोति सुहृत्सताम् ॥ १७ ॥

    śṛṇvatāṁ sva-kathāḥ kṛṣṇaḥ

    puṇya-śravaṇa-kīrtanaḥ

    hṛdy antaḥ stho hy abhadrāṇi

    vidhunoti suhṛt satām

    人格神シュリー・クリシュナは誰ものハートに宿り、誠実な献身者に恩恵を授けてくださる至高の魂である。主の教えを聴きたいという思いに駆り立てられた献身者のハートから、物質的な喜びに対する欲望を洗い流してくださる。その教えは、正しく聴き唱える者の中には徳高く備わっている。


    ーー 法話から ーー

    人が精神的な段階になると、何かを追い求めたり、何かを嘆いたりとすることがなくなります。
    失ったものを嘆いたり、また、何かを得たいと追い求めたりすることがなくなります。この物質世界では、この二つのこと、失くしたものを嘆く事、そして、何かを欲して追い求めること、、この二つの事がずっと行われています。わたしたちは持っていないものを追い求めます。これが手に入ったら、きっと幸せになるのにと。お金は今はないけど、でももし、100万円入ったら、そうしたら、私は幸せになれるんだ、と思います。そして、その100万円、一億円が手に入って、それを失くしたとしたら、嘆きます。
    brahma-bhūtaḥ,の段階に行けば、嘆いたり、落ち込んだりすることはなくなります。平安でいることができます。たとえ、いかなる困難な状況であろうとも、決して心が乱れることがありません。そういった状況でいられるのです。

    私たちが精神的な概念を培っていくならば、そうすれば何が本当の立場なのか、精神的な、超越的な人生において、どういう立場なのか、ということが理解できます。
    もし、わたしたちがそのように行動できるとするならば、つまり、わたしはこの体ではない、私は意識なんだ、そのことは事実ですが、もし、わたしが、そういった意識の段階で、行動できるとするならば、そうすれば、行動による、良い結果、あるいは、悪い結果といような、結果というものを克服できます。これが超越的な段階です。至高の段階で行動しなさいということです。失ったものを嘆いたり、欲しいものを追い求める、そのように行動しないということ。もしか、何か手に入れたとしても、それで思い上がってはいけない、その得たものは神のものであると考えること。もし、なにか、失ったとしても、それは自分の責任ではないと、それは、神がそうなさったのだと、そのように考えること。そうすれば、みなさんは幸せになります。これを私たちは実践しなければならない。すべてが至高主によってなされている事です。この超越的な質、超越的な事、これをわたしたちは培わなければならない。これが今の現状で、わたしたちが活動しているトリックです。肉体意識の段階で行動している限り、私たちはこの自分の活動の自分のした行為の反動というものに縛られてしまいます。精神的な意識で活動すれば、経験なものにも、不経験なものにも縛られることはありません。

    2 hr
  • プラブパーダ法話 37 (バーガヴァタム1-2-17)

    Title:『ハートに宿る友からの助け』

    1972年10月28日、ブリンダーヴァンで行われた法話です。

    ŚB 1.2.17

    श‍ृण्वतां स्वकथा: कृष्ण: पुण्यश्रवणकीर्तन: ।

    हृद्यन्त:स्थो ह्यभद्राणि विधुनोति सुहृत्सताम् ॥ १७ ॥

    śṛṇvatāṁ sva-kathāḥ kṛṣṇaḥ

    puṇya-śravaṇa-kīrtanaḥ

    hṛdy antaḥ stho hy abhadrāṇi

    vidhunoti suhṛt satām

    人格神シュリー・クリシュナは誰ものハートに宿り、誠実な献身者に恩恵を授けてくださる至高の魂である。主の教えを聴きたいという思いに駆り立てられた献身者のハートから、物質的な喜びに対する欲望を洗い流してくださる。その教えは、正しく聴き唱える者の中には徳高く備わっている。


    ーー 法話から ーー

    英語のことわざにこのようなものがあります。
    ”神は自らを助けるものを助ける”

    クリシュナ意識になるのは、そんなに難しいことではありません。
    人々は味わいというものを持っていません。
    人々はこのクリシュナ意識運動の重要性というものを理解していません。
    しかし、完全なる幸せを得るには、このクリシュナ意識運動が唯一の方法なのです。
    バガヴァッド・ギーターはこのように確証されています。
    幸せになりたければ、心穏やかになりたければ、3つの事を学ばなければならない。
    私たちは誰もが幸せになりたい、心穏やかで平安でいたいとそのように思っています。
    心が常に落ち着かない、これは一般的に理解できることです。
    わたしは完全に幸せで完璧に心が穏やかで、平安だと言える人は誰もいません。
    それは不可能です。
    物質世界というのは幸せを感じられない、そのようにできているのです。
    まず、私たちは自らの感覚を満たすためにこの物質世界にやってきました。でも、これが私たちがなすべき仕事ではありません。私たちが本当にしな   ければならない事はなんでしょうか?

    プラブパーダが法話で続きを説いています。

    1 hr 5 min
  • プラブパーダ法話 36 (バーガヴァタム1-2-16)

    Title:『神のもとへ帰る方法』

    1972年8月19日、ロサンゼルスで行われた法話です。

    ŚB 1.2.16

    शुश्रूषो: श्रद्दधानस्य वासुदेवकथारुचि: ।

    स्यान्महत्सेवया विप्रा: पुण्यतीर्थनिषेवणात् ॥ १६ ॥

    śuśrūṣoḥ śraddadhānasya

    vāsudeva-kathā-ruciḥ

    syān mahat-sevayā viprāḥ

    puṇya-tīrtha-niṣevaṇāt

    生まれ変わった聖者たちよ、一切の邪心を持たない献身者に仕えることで偉大な奉仕が為される。そのような奉仕によって、ヴァースデーヴァの教えを聴くことへの親近感を得ることとなるのだ。



    信念をもって耳を傾ける人、、信念なくしては進歩ををする、向上するということははできません。これが精神生活の第一歩です。
    クリシュナ意識というのは、ずっと続いているなと。すばらしいなと。彼らは本当にすばらしいことを布教しているなと、人々はそのように、私たちの活動を褒め称えています。私たちがこの基本となることをずっと守っていけば、そのことの進化を認めてくれます。このことをŚraddhāと言います。たとえ、このクリシュナ意識運動に参加しなくても、それでも、あ、いいことをしているな、クリシュナ意識はすばらしいなと、そのように、ハレークリシュナのひとたちはいい人たちだなと、そのように人が言うだけで、向上するこになるわけです。


    たとえば、新聞の紙面なんかで、時々、ハレークリシュナの人々はすばらしいと、もっとハレークリシュナのような人々がいればいいのにと、紙面で書かれることがあります。人々はそういう風にいうのです。たとえ、この運動に参加してこなくても、そのように褒め称える、この運動の進化を認めるだけでも、その認めた人が向上することになるのです。

    幼い子どもたちがそうです。赤ちゃんのような小さな子供たちが立ち上がって、子供なりにハレークリシュナを認めて、シンバルをたたきます。わかっていようが、わかっていまいが、そこは問題ではありません。ただ認めているというだけ、その子供にとって、赤ちゃんにとっても精神生活に触れているのです。素晴らしいことです。Śraddhā、それはすばらしいことなんです。

    クリシュナ意識運動に反対しないで、背かないで、ただ、その進化を認めただけで、あ、いいことをやっているんだなとそう思うだけで、それだけで精神生活に触れている、それは素晴らしいことです。精神生活を向上させるということは、この進化するという、認めるということを広げるということ、それだけのことなんです。

    1 hr 4 min

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バクティヨーガの教典を世界に広めた、A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダによるヴェーダの教え、シュリーマド・バーガヴァタムの法話 (日本語訳付) です。