A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ法話

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By Tapasvini Devi DasiEducation
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A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ法話 episodes

  • プラブパーダ法話 55 (バーガヴァタム1-2-24)

    Title:『様式を超えよ』

    1972年11月4日、インド、ブリンダーヴィンで行われた法話です。

    ŚB 1.2.24

    पार्थिवाद्दारुणो धूमस्तस्मादग्निस्त्रयीमय: ।

    तमसस्तु रजस्तस्मात्सत्त्वं यद्ब्रह्मदर्शनम् ॥ २४ ॥

    pārthivād dāruṇo dhūmas

    tasmād agnis trayīmayaḥ

    tamasas tu rajas tasmāt

    sattvaṁ yad brahma-darśanam

    たきぎは土が変形したものであるが煙は生木よりも優れ、火は煙より優れている。なぜなら火を使うことにより(ヴェーダの供犠を通して)優れた知識という恩恵を授かることができるからである。同様に、激情(ラジャス)は無知(タマス)より優れているが最も優れているのは徳性(サットヴァ)である。徳性によって絶対真理を理解できる段階に到達できるからである。

    56 min
  • プラブパーダ法話 54 (バーガヴァタム1-2-24)

    Title:『絶対真理をどう見るか』

    1972年8月27日、ロサンゼルスで行われた法話です。


    ŚB 1.2.24

    पार्थिवाद्दारुणो धूमस्तस्मादग्निस्त्रयीमय: ।

    तमसस्तु रजस्तस्मात्सत्त्वं यद्ब्रह्मदर्शनम् ॥ २४ ॥

    pārthivād dāruṇo dhūmas

    tasmād agnis trayīmayaḥ

    tamasas tu rajas tasmāt

    sattvaṁ yad brahma-darśanam

    たきぎは土が変形したものであるが煙は生木よりも優れ、火は煙より優れている。なぜなら火を使うことにより(ヴェーダの供犠を通して)優れた知識という恩恵を授かることができるからである。同様に、激情(ラジャス)は無知(タマス)より優れているが最も優れているのは徳性(サットヴァ)である。徳性によって絶対真理を理解できる段階に到達できるからである。

    1 hr 2 min
  • プラブパーダ法話 53 (バーガヴァタム1-2-23)

    Title:『物質世界はチャンスなり』

    1972年8月26日、ロサンゼルスで行われた法話です。

    ŚB 1.2.23

    सत्त्वं रजस्तम इति प्रकृतेर्गुणास्तै-

    र्युक्त: पर: पुरुष एक इहास्य धत्ते ।

    स्थित्यादये हरिविरिञ्चिहरेति संज्ञा:

    श्रेयांसि तत्र खलु सत्त्वतनोर्नृणां स्यु: ॥ २३ ॥

    sattvaṁ rajas tama iti prakṛter guṇās tair

    yuktaḥ paraḥ puruṣa eka ihāsya dhatte

    sthity-ādaye hari-viriñci-hareti saṁjñāḥ

    śreyāṁsi tatra khalu sattva-tanor nṛṇāṁ syuḥ

    超越的な人格神は、激性、徳性、無知という物質自然の三様式と間接的に関わっておられ、ただ物質界の創造、維持、破壊のためだけに、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァという3種類の質を帯びた姿を取られる。これら3つのうち、あらゆる人間は徳性の姿であるヴィシュヌから究極の恩恵を受けることができるのである。




    ーー 法話から ーー

    ここ物質世界では人々は皆、自分の要求を満たそうとしています。自分が中心です。ですから、人を食い物にしようとしたり、騙したり、脅したり、ありとあらゆることをして、自分が楽しもうとしている、それだけです。これが、物質世界と精神世界のちがいです。もし、自分が楽しみたい、自分の感覚を満たしたいと思うなら、それは、物質的です。もし、クリシュナを楽しませたい、クリシュナの感覚を満たしたいとお思うなら、それは精神的です。ここが、違いです。ですから、ここでやろうと、バイクンタでやろうと、やることは同じです。ですから、これは、チャンスなんです。感覚を満たそうとして、この物質界にやってきた、そうした制約された魂は機会を与えられているわけです。

    もし、幸せになりたいなら、わたしに身をゆだねなさい、ここがポイントです。

    49 min
  • プラブパーダ法話 52 (バーガヴァタム1-2-23)

    Title:『最高の利益を得る方法』

    1972年11月3日、インド、ブリンダーヴァンで行われた法話です。

    ŚB 1.2.23

    सत्त्वं रजस्तम इति प्रकृतेर्गुणास्तै-

    र्युक्त: पर: पुरुष एक इहास्य धत्ते ।

    स्थित्यादये हरिविरिञ्चिहरेति संज्ञा:

    श्रेयांसि तत्र खलु सत्त्वतनोर्नृणां स्यु: ॥ २३ ॥

    sattvaṁ rajas tama iti prakṛter guṇās tair

    yuktaḥ paraḥ puruṣa eka ihāsya dhatte

    sthity-ādaye hari-viriñci-hareti saṁjñāḥ

    śreyāṁsi tatra khalu sattva-tanor nṛṇāṁ syuḥ

    超越的な人格神は、激性、徳性、無知という物質自然の三様式と間接的に関わっておられ、ただ物質界の創造、維持、破壊のためだけに、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァという3種類の質を帯びた姿を取られる。これら3つのうち、あらゆる人間は徳性の姿であるヴィシュヌから究極の恩恵を受けることができるのである。

    50 min
  • プラブパーダ法話 51 (バーガヴァタム1-2-22)

    Title:『自己を活性化する』

    1972年11月2日、インド、ブリンダーヴィンで行われた法話です。

    ŚB 1.2.22

    अतो वै कवयो नित्यं भक्तिं परमया मुदा ।

    वासुदेवे भगवति कुर्वन्त्यात्मप्रसादनीम् ॥ २२ ॥

    ato vai kavayo nityaṁ

    bhaktiṁ paramayā mudā

    vāsudeve bhagavati

    kurvanty ātma-prasādanīm

    ゆえに、太古の昔からあらゆる超越主義者たちは大きな喜びに包まれて、人格神主クリシュナに献身的に仕えてきた。そのような献身奉仕は自己を活性化するからである。


    ーー 法話から ーー

    献身奉仕はātmā(アートマ)である。つまりそれは、自己である、心である、体でもあります。ですから、アートマというのは、体、そして、心、また自己ももさしています。ですから、ātma-prasādanīmというのは、心を満たしたいならば、また、自己をみたしたいならば、あるいは、体を満たしたいならばという意味でもあります。私たちは体、肉体概念の生き方、あるいは、メンタルな概念での生き方、そして、スピリチュアルな、精神的な概念の生き方という三通りの段階で生きています。ひどく無知である人、そういう人は肉体概念の極地で生きています。もう少し発達した、向上した人はメンタル、すなわち、心理的なそうした概念の見方をして生きています。そしてさらにもっと向上している人は精神的な概念で精神的な見方をして、そういう中で生きています。精神的な概念の生き方というのが、ここに書かれています。真実は精神であり、この部室ではありません。物質は真実です。精神より劣ります。物質というのは精神が基本になり、成長します。ちょうど、わたしたちの体は精神的なものが存在するからこそ、それを基盤にして成長しています。ですから、精神的な悟りというのは、私たちのの人生における、究極なゴールです。この人間として生まれた生、これは、Jīvasya tattva-jijñāsā nārtho yaś ceha karmabhiḥ と言われますが、jīvasya tattva-jijñāsā... Jijñāsāというのは、真実について、真実について問う、ということが、生命体がなすべきもつとも主なことです。

    51 min
  • プラブパーダ法話 50 (バーガヴァタム1-2-22)

    Title:『献身者はあらゆる疑いを超越している』

    1972年8月25日、ロサンゼルスで行われた法話です。

    ŚB 1.2.22

    अतो वै कवयो नित्यं भक्तिं परमया मुदा ।

    वासुदेवे भगवति कुर्वन्त्यात्मप्रसादनीम् ॥ २२ ॥

    ato vai kavayo nityaṁ

    bhaktiṁ paramayā mudā

    vāsudeve bhagavati

    kurvanty ātma-prasādanīm

    ゆえに、太古の昔からあらゆる超越主義者たちは大きな喜びに包まれて、人格神主クリシュナに献身的に仕えてきた。そのような献身奉仕は自己を活性化するからである。 


    51 min
  • プラブパーダ法話 49 (バーガヴァタム1-2-21)

    Title:『物質と精神との間にある結び目』

    1972年11月1日, インド、ブリンダーヴァンで行われた法話です。

    ŚB 1.2.21

    भिद्यते हृदयग्रन्थिश्छिद्यन्ते सर्वसंशया: ।

    क्षीयन्ते चास्य कर्माणि द‍ृष्ट एवात्मनीश्वरे ॥ २१ ॥

    bhidyate hṛdaya-granthiś

    chidyante sarva-saṁśayāḥ

    kṣīyante cāsya karmāṇi

    dṛṣṭa evātmanīśvare

    このようにハートの中の結び目が突き刺され、疑いはことごとく砕かれる。結果を求める行為の連鎖は、自己が主人であるとわかった時に終わるのだ。


    ーー 法話から ーー

    私たちは多種多様な体をしています。体には多様性があります。私たちは人間という体をもって、2つの手があり、二本の足があり、頭がひとつあり、そうした当たり前の要因はあります。しかし、それぞれの体が他の体とは違っています。みんな違います。たった一人たりとも同じ性質、同じ体というものを見つけることはできません。それはなぜかというと、みんなカルマが違うからです。私たちはカルマにしたがって様々な体を得ています。そして、私たちはこのカルマをやめなければなりません。このカルマを止めることです。

    どうやったらこのカルマを止めることができるでしょうか?

    ただクリシュナのために行動すればそうすれば、このカルマの行動の結果から解放されます。
    何をするにせよ、クリシュナのためにしなさい。

    1 hr 3 min
  • プラブパーダ法話 48 (バーガヴァタム1-2-21)

    Title:『山ほどの結び目でがんじがらめ』

    1972年8月24日、ロサンゼルスで行われた法話です。

    ŚB 1.2.21

    भिद्यते हृदयग्रन्थिश्छिद्यन्ते सर्वसंशया: ।

    क्षीयन्ते चास्य कर्माणि द‍ृष्ट एवात्मनीश्वरे ॥ २१ ॥

    bhidyate hṛdaya-granthiś

    chidyante sarva-saṁśayāḥ

    kṣīyante cāsya karmāṇi

    dṛṣṭa evātmanīśvare

    このようにハートの中の結び目が突き刺され、疑いはことごとく砕かれる。結果を求める行為の連鎖は、自己が主人であるとわかった時に終わるのだ。

    40 min
  • プラブパーダ法話 47 (バーガヴァタム1-2-20)

    Title:『精神生活とは喜びにあふれたもの』

    1972年10月31日, ブリンダーヴァンで行われた法話です。

    ŚB 1.2.20

    एवं प्रसन्नमनसो भगवद्भक्तियोगत: ।

    भगवत्तत्त्वविज्ञानं मुक्तसङ्गस्य जायते ॥ २० ॥

    evaṁ prasanna-manaso

    bhagavad-bhakti-yogataḥ

    bhagavat-tattva-vijñānaṁ

    mukta-saṅgasya jāyate

    このように純粋な徳の様式に落ち着き、主への献身的な奉仕に触れて精神が活性化された人は、あらゆる物質的なものとの関りから解放された状態で、明確かつ科学的な至高人格神の知識を獲得する。

    1 hr 2 min
  • プラブパーダ法話 46 (バーガヴァタム1-2-20)

    Title:『精神的な生活は科学なり』

    1972年8月23日、ロサンゼルスで行われた法話です。  

    ŚB 1.2.20

    एवं प्रसन्नमनसो भगवद्भक्तियोगत: ।

    भगवत्तत्त्वविज्ञानं मुक्तसङ्गस्य जायते ॥ २० ॥

    evaṁ prasanna-manaso

    bhagavad-bhakti-yogataḥ

    bhagavat-tattva-vijñānaṁ

    mukta-saṅgasya jāyate

    このように純粋な徳の様式に落ち着き、主への献身的な奉仕に触れて精神が活性化された人は、あらゆる物質的なものとの関りから解放された状態で、明確かつ科学的な至高人格神の知識を獲得する。





    ーー 法話から ーー  


    なぜ人間が、文明人と言われる人間が4つの事のために必死にならなければならないのでしょうか?私たちは動物よりもさらに知性を持っています。私たちは動物よりも存在のためにもっと快適にいられるはずです。しかし、実際には人間が存在のために苦しむことは、動物が存在にために苦しんでいることよりも、もっと大きい、存在のためにもっと苦しんでいます。どうして、これを文化、文明と呼ぶんでしょうか?これは、文明ではありません。誰もが平和を、穏やかな日々を求めています。大きなビジネスをして、大変なお仕事をして、とても忙しく働き回っている人でも、週末になればどこかで、ひっそりとしたところで、どっか、くつろげる場所でなにも問題なしに、静かに、穏やかに居たいと、だれもがそう望みます。これは自然なことです。人間の人生というのはそのようでなければいけません。どうして、食べて、寝て、性を営むために、こんなに必死にならなくてはならないのだ、とそのように考えることが自然な事です。人間として自然なことです。これは間違った文明といっていることです。しかし、近代では人間の社会というのは、そのようになってしまっています。ただ、この4つの生きていくための4つの事、ただ、それを満たすことのために、昼も夜も、まるでロバのように必死になっています。そのように人間社会はつくられてしまっています。そして、その4つの事さえも、保証はされていません。 私はインドにいて、そして、皆さんの国に行きました。その時にわたしはみなさんの国に来るときに考えていました。アメリカという国はとても恵まれた、富んだ国であると、そして、そこに行けば食べる事も寝ることも、性を営むも、何の問題もないと、わたしはそのように考えていました。しかし、実際には問題だらけです。人々の文明が休む所を失くして、人々は公園で横たわり、道端で寝ています。どうしてでしょうか?

    49 min

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バクティヨーガの教典を世界に広めた、A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダによるヴェーダの教え、シュリーマド・バーガヴァタムの法話 (日本語訳付) です。