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今回は、カフカの選書。近内悠太さんの著書『贈与を巡る旅 つながりと身体の倫理学』を取り上げます。
前作『世界は贈与でできている』で知られる著者が、全国各地を旅しながら「贈与」の現場や人間の営みを確かめ直す本書。
効率や成果、問題解決が「純度100%の良いもの」とみなされがちな現代において、その外側にある曖昧で豊かな人間のあり方を描いています。
問題解決の外側にある『身体性・儀式・祈り』をキーワードに、議論は以下の3つのトピックを中心に展開しました。
・生産性を超えた「儀式」と「祈り」の力:サッカーの試合前に行われるペナント交換や子どもとの入場など、一見不合理で勝ち負けには直接関係ない「儀式」や「祈り」こそが、人と人とを繋ぎ、場に深い意味や一体感をもたらしているという視点。
・理由を超えて受け継がれる伝統と「非合理」の味わい:茶道の所作や棚田の景観のように、合理的な説明や費用対効果だけでは測れない「無意味に見えて大切なもの」こそが、時代を超えて「意味があると信じる心」によって受け継がれていく構造。
・後から気づく「贈与のリレー」と時間軸のズレ:親からの愛情やスポーツでの応援のように、受け取った瞬間には自覚できず、後になって「すでに受け取っていた」と気づく感覚。直接返せないからこそ、次の誰かへと手渡していくバトンについての考察。
この回では、普段の仕事で「問題解決」を追求する日々の中で「それだけで良いのか」と自問するカフカの実感 と、茶道や落語などの体験を通じて「すべてを論理で解明できないからこそ人生は味わい深い」と語るオカの視点を交えて議論します。
特に、社会課題の解決を急ぐあまり「自分を拡張しすぎる傲慢さ」から一歩引き、目の前の一人や自然との関係性に立ち返る重要性について深く語り合います。
今回は、オカの選書。『転売ヤー 闇の経済学』(新潮新書)を取り上げます。
世間から激しい批判や撲滅運動が起こっている「転売ヤー」の存在。しかし本書は、単に「悪質な集団」として叩くのではなく、普通の大学生や中国人インフルエンサー、会社員などへの取材を通じて、彼らが転売に手を出した背景や社会構造をフラットに描き出しています。
「転売の構造と仕事観」をキーワードに、議論は以下の3つのトピックを中心に展開しました。
知的好奇心から読み進めつつも、プロセスや関係性を軽視する稼ぎ方に虚しさを感じるオカの視点と、サカナクションのライブ対策を引き合いに「ファンとの関係性」や「売り手の姿勢」を掘り下げるカフカの反応を交えて議論します。
特に、単なるバッシングに終わらせず、なぜこの市場がなくならないのかという経済構造のメカニズムや人間の心理について深く語り合います。
最終的に、「目先の効率や数字に振り回されるのではなく、いかにして信頼や愛着の持てる持続的な仕事や関係性を築いていくか」という、自身の仕事観や生き方に立ち返る問いを深めます。
今回は、ゲストのいたるさんの選書です。
ケネス・スタンリーさん、ジョエル・リーマンさんの著書『目標という幻想――未知なる成果をもたらすオープンエンドなアプローチ』(BNN)を取り上げます。著者は、OpenAIのリサーチチームのリーダーを務めたAI研究者。
本書は、私たちが当たり前のように設定する「目標」が、実は個人の視野を狭め、本当に画期的な発見やイノベーションを阻害しているという驚くべき逆説を、AIの実験データなどから解き明かしています。
「未来への執着を手放す『足がかり』の探索」をキーワードに、議論は以下の3つのトピックを中心に展開しました。
「目標設定は楽」という脳のトラップ:目的地を定めてそこから逆算して動くことは非常に楽であり、脳も「頑張っている感」を覚えて気持ちよくなります。しかし、その心地よさと引き換えに、別の豊かな可能性やイノベーションの機会を自ら潰してしまっているという弊害について考えます。
目標を決めないことで画像が進化する「ピックブリーダー」の実験:あらかじめ「人の顔を描く」などのゴールを決めずに、ただ直感的に「少し違う、面白い画像」を何世代も選び続けた結果、最終的にきわめて複雑な絵が自然発生した驚きのプロセス。目標設定がむしろ創造性を阻害することを示す、AI研究の最前線です。
目標に執着しない第3の道「足がかり(ステップ・ストーン)」:目標に到達できるかどうか(未来への執着)で自分を測るのではなく、過去の自分と比較して「一歩でも前に進んでいるか」を評価するアプローチ。目標が機能するシンプルな環境と、そうではない複雑な現実世界を切り分ける重要性を紐解きます。
この回では、元アスリートとして逆算思考が得意でありながら、「目標を立てるとそればかりに全神経を注いで暴走(1m先しか見えなくなる)してしまう」と自身の空白への恐怖を振り返るカフカの葛藤と、出産後に「目標達成ができるか・できないか」の2択に囚われ、ビジネスの物差しで自分に呪いをかけていたと気づかされるオカの実感を交えて議論します。
特に、新人教育などで「目標が必要なシーン」と、キャリアや人生のような「目標が不要な複雑なシーン」を混同して全体に適用してしまう現代人の単純化思考について、3人で深く語り合います。
カフカが最近経験した転職も、まさに目標からの逆算ではなく、一歩一歩の「足がかり」が偶然重なって線になったというエピソードも。
最終的に、私たちは「不確実な世の中で、未来の目標に縛られるのをやめ、いかにして今ある『足がかり』を信じて一歩を踏み出すか」という、人生の歩み方を捉え直す問いに立ち返ります。
今回は、カフカの選書。 茂木健一郎さんの著書『なごみの道』(早川書房)を取り上げます。
本書は、脳科学者である著者が、日本人が日常的に持っている「なごみ(和み)」という独自の精神性や哲学を、海外に向けて英語で書き下ろした随筆です。
「白黒つけないまろやかさ」をキーワードに、議論は以下の3つのトピックを中心に展開しました。
・食と文化に宿る「混ざり合い」の精神:餃子と白米を同時に楽しむ「口内調味」や、神と仏が同じ場所で共存する「神仏習合」を例に、異なるものを排除せず「一緒にしてオッケー」とする日本独特の心地よい受容性について。
・落語『芝浜』にみる曖昧さの美学:夢か現実かの白黒をあえてはっきりさせず、複雑な人間の感情をそのまま包み込む『芝浜』の物語から、お互いの関係性を維持し続けるための「なごみ」の知恵を紐解きます。
・ビジネスの現場で「なごみ」は通用するのか:常に意思決定や論理的決断(A案かB案か)を迫られる仕事の場面において、対立を回避し、共存できる「第3の道(C案)」を一緒になって模索するアプローチとしての可能性。
この回では、転職したばかりの緊張感の中で「衝突を和らげる役割(なごませる役)を担いたい」と語るカフカと、『芝浜』のストーリーを鮮やかに解説するオカ、そして「白黒はっきりさせる」文化である外資系キャリアの背景を持つスペシャルゲストのいたるさんの三者三様の視点を交えて議論します。
特に、マイナスをゼロに戻す「癒やし」とは異なり、相手や人間そのものを深く理解しようとする「なごみ」の難しさと尊さについて深く語り合います。
今回は、コンの選書。 チョ・ナムジュさんの著書『82年生まれ、キム・ジヨン』(斎藤真理子 訳、筑摩書房)を取り上げます。
韓国で130万部を超え、日本でも社会現象となった本作は、ある日突然、別人が憑依したような言動を始めた33歳の女性、キム・ジヨンの半生を淡々と描いています。
その記録は、一人の女性の物語を超え、現代社会に根深く残る女性の生きづらさを浮き彫りにしています。
「日常に潜むマイクロアグレッションと無意識の連鎖」をキーワードに、議論は以下の3つのトピックを中心に展開しました。
・「あるある」の中に隠された絶望:大きな事件が起きるわけではないが、兄弟で傘を分ける際や食事の優先順位など、日常の些細な場面に積み重なる「女だから」という理不尽。当事者ですら「当たり前」として流してきた痛みが、言葉によって暴かれていく衝撃について。
・淡々としたカルテ調が呼ぶ「没入体験」:物語は精神科医のカルテという形式で非常に冷徹に綴られますが、それが逆に読み手の感情を激しく揺さぶり、「心の中で号泣した」「血が吹き出しそうな感覚」といった強烈な読後感を生む理由を考察します。
・世代を超えて受け継がれる「呪縛」:祖母が孫の中で弟を一番可愛がる姿など、差別が家族や文化の中でナチュラルに継承されていく構造。韓国と日本の類似点や、徴兵制などの独自の背景も含めた社会の歪みを深掘りします。
この回では、自身の経験と重ね合わせ「しんどいと言えずに流してきたことが言葉になっている」と語るオカの激しい共感と、未読の状態から「男性としてどう響くのか」を慎重に探るカフカの視点、そして臨床心理学を学ぶ立場から「個人の性格ではなく文化的な形成」として本作を捉えるコンの分析を交えて議論します。
特に、読書会における男女の反応のズレ(ミステリー的なギミックとして消費してしまう危うさ)や、性別による「期待値の壁」をいかに超えるかという点について深く語り合います。
最終的に、私たちは「誰かを加害者に仕立ててヘイトをぶつけ合うのではなく、自分の中にあるマジョリティ性にも気づきながら、いかにお互いの『内側の声』を理解しようとするか」という、共生のための誠実なスタンスに立ち返ります。
今回は、オカの選書。
恩蔵絢子さんの著書『感情労働の未来: 脳はなぜ他者の“見えない心”を推しはかるのか?』(河出書房新社)を取り上げます。
1983年に提唱された「感情労働」という概念は、CAや看護師のように「相手に合わせて感情をコントロールする仕事」を指すものでした。しかし本書は、現代のSNSやあらゆる人間関係において、私たちが無意識に感情をすり減らしている現状を脳科学の視点から解き明かしています。
「感情の抑制と解放のバランス」をキーワードに、議論は以下の3つのトピックを中心に展開しました。
・全方位に広がる感情労働:かつては職場における特定の職種に限定されていた「感情の負荷」が、今や友人関係、SNS、家族など、私たちの生活の全域にまで拡張されているという指摘。
・「頭と心の乖離」という葛藤:キャリアを重ね「ちゃんとしなきゃ」と頭で理解しつつも、出産や育児などのままならない経験を経て、模範的な振る舞いに限界を感じているオカの現在地。
・AIには代替できない「感情の深さ」:AIが得意とするのは、あくまで表質化された「言葉のレイヤー」の広さであり、人間が持つ「言葉にならない深い感覚」こそが人間同士の作用の本質であるという視点。
この回では、対人支援職の現場で「客観的であれ」と訓練されながらも、支援者自身の感情を扱うことの重要性を学び始めたコンの視点と、集団への適応と個の感覚の狭間で揺れるカフカの反応を交えて議論します。
今回はカフカの選書。
安斎勇樹さんの著書『静かな時間の使い方』を取り上げます。 現代社会は、SNSのフォロワー数や会社のKPIといった「市場のスコア」、世間体などの「社会の規範」といった、著者が「ソーシャルノイズ」と呼ぶ情報に溢れています。
本書は、こうしたノイズから物理的に距離を置き、静かな時間の中で「リフレクション(内省)」を行うことで、自分自身の内なる声と言語化を取り戻す重要性を説いています。「分析的」と「物語的」という2つのリフレクション。
成果をロジックで振り返るだけでなく、自分の熱意や直感を「物語」として意味づけすることで、初めて自分の納得感につながるという視点です。
さらに、「信念」に至るためのステップアップとして、「感情」、「技術」、「興味」という3つの階層を丁寧にリフレクションする。そうすることで、自分の才能が発動する条件である「信念」が形を帯びてくるプロセスが紹介されています。
この回では、元アスリートとして「才能の有無」というアンフェアな世界にいた経験から、自身の信念を「フェア(対等)」であることだと再定義するカフカの自己分析と、復職後に「効率」だけを求めて働く中で「没入」という感覚を失い、バイタリティを削削されているオカの実感を交えて議論します。
特に、余裕がなくなった時に「相手のせい」にしてしまう衝動を、いかにしてリフレクションという「理性」で飼いならすかという切実な問いについて深く語り合います。
最終的に、私たちは「どれだけ時間やお金を確保しても、自分の内側の声を言語化しない限り満たされない」という、デジタル社会における幸福の核心に立ち返ります。
今回は、オカの選書。 小川哲さんの短編『嘔吐』(文芸誌「GOAT」掲載)を取り上げます。
本作は、ある中年男性が、ファンである女性作家のサイン会を「おじさんであること」を理由に追い出された、というブログを投稿することから始まります。一見、不当な差別に抗議する紳士的な告発に見えるこの文章が、SNSでの炎上や二次情報の流布を経て、読み手の「真実」を激しく揺さぶっていく物語です。
「認知の歪みと雰囲気の支配」「ロジック」と「感情」の対立。仕事のプロジェクトなどで、本来の目的(ロジック)を優先する人が、盛り上がっている場(感情)において「冷たい人」と見なされてしまうような、現代社会における正論の通じにくさ。
本人同士が納得していても、それを見た「第三者」への影響を考慮しなければならないSNS社会特有の監視構造と、そこから生まれる息苦しさについて考察します。
この回では、自身の仕事でのプロジェクト事例(目的と盛り上がりの乖離)を引き合いに出すオカの実感と、メタ的な視点で「客観視できる自分でいたい」と願いつつも、反射で動いてしまう人間の身体性を分析するカフカの視点を交えて議論します。
特に、「私たちは言葉の端々に宿る人間性をどこまで正しく受信できているのか」という、コミュニケーションの本質的な難しさを深掘りします。
最終的に、私たちは「情報の海の中で、いかにして自分自身の価値観を保ち、他者の痛みを想像し続けることができるのか」という、現代的な誠実さを問う問いに立ち返ります。
今回は、カフカの選書。
2026年3月に刊行されたばかりの本書は、株式会社COTENで歴史調査を担当する著者が、資本主義というシステムの中で私たちが感じる「しんどさ」の正体を、歴史的背景や哲学的な視点からフラットに描き出しています。
今回ご紹介するのは「資本主義の追っ手」「6つの追っ手」「常に環境に適応し、成長し続けなければ生き残れない」という強迫観念。
この回では、元アスリートとして引退後も競争や成長の呪縛から逃れられず、市場価値への劣等感や焦りを抱えるカフカの葛藤と、妊娠・出産を機に強制的に「競争のトラック」から降りたことで、資本主義のルールに乗れなくなったオカの実感を対比させながら議論します。
特に、安易な「脱資本主義」を唱えるのではなく、システムの中に身を置くプレイヤーとして、いかに自分なりの「距離感(バランス)」を主体的に保つかという点について深く語り合います。
私たちは資本主義というレールの上のプレイヤーとして、自分にとっての適切な成長や速度をいかにして自分自身で決めていけるのだろうか。
今回は、コンの選書。『母という呪縛 娘という牢獄』を取り上げます。
本書は、2018年に滋賀県で起きた、9年もの浪人生活を強いられた娘が実の母を殺害・遺棄した実在の事件を、記者による取材と被告となった娘の手記から解き明かしたノンフィクションです。
「母娘の共依存と支配」「教育虐待」「心理的な逃げ場のなさ」。傍目には逃げ出せるように見えても、当事者の心の中では「母を殺すか、自分が死ぬか」しか選択肢がないと感じるほど煮詰まった「牢獄」の闇について描かれています。
親による「過度な同一視」。母自身の不遇な生い立ちやコンプレックスを埋めるために、娘を「自分自身」だと思い込み、支配を強めていった歪んだ愛情の形とは。
この回では、親の意向と自分の意志の狭間で葛藤した過去を持つコンの実感を交えて話しています。特に、「愛情の裏返し」という名目で正当化される支配の残酷さや、誰もが一歩間違えれば「異常」とされる世界線に入りうる危うさについて深く語り合います。
最終的に、私たちは「他者を自分とは別の人間としていかに尊重し、理性で支配欲を制御し続けるか」という、家族関係の深淵にある問いに立ち返ります。
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