Cinéma de Canard〜映画の晩年〜:THE PODCAST

Cinéma de Canard〜映画の晩年〜:THE PODCAST

By CiS CREACTIVETV & FilmFilm Reviews
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Cinéma de Canard〜映画の晩年〜:THE PODCAST episodes

  • S0-E3:本多猪四郎監督「マタンゴ」〜本多猪四郎の戦争寓話。職業監督による「作家の映画」〜
    「映画の晩年」=「映画という表現の終焉」という時代の空気感から「映画は何を描き、表現してきたか」について教授、村上、ちょりの「コメンテート・アクター」3人が語り合うポッドキャスト。
    その「SEASON 0」はそれぞれの自己紹介を兼ねて、2エピソードずつ作品をセレクトし、語っていきます。
    第三回目は、村上のセレクションで、本多猪四郎監督の「マタンゴ」(1963年)を取り上げます。
    村上君らしいセレクトというか、本編中でも語っていますが、作品のタイトルぐらいはニッチに知られていても、実際に「観た」という意見は中々聞くことがない本作。だからこそ「取り上げるべき」作品として語りがいのある内容となりました。
    特に21世紀初頭に生まれた、村上君、ちょりさんと、20世紀の終わりに生まれた私、教授との間で作品の印象がどう異なるのか?あるいはどういうところが一致するのか?も含めて非常に興味深い作品。
    映画史としても重要な「ゴジラ」ではなく、まず先に「マタンゴ」なのかを紐解いていくと「核の脅威」の象徴である「ゴジラ」よりも観念的に、あるいは「概念」としても「戦争」とその時代を映した象徴が「マタンゴ」=キノコ人間であること。
    1960年代に製作された映画が、2020年代の現在こそ、より切実なメッセージとなっていることに話は及びます。
    製作当時は「一般的な娯楽映画」でしかない形で公開された本作が、実は、深く読み解いていくことで「強大な作家の自己表現」による「芸術映画である」側面が浮かび上がるのも、こうしたポッドキャストで取り上げ、意識化していく楽しみが、今回のエピソードで自然と生まれたような感じもします。
    今回のエピソードはそういった、作品理解を経て「トーク」が熱を帯びていく感じも大変聞きどころだと思います。(教授)
    CAST/教授、村上、ちょり
    STAFF/
    DIRECTOR & EDITER:Prof M
    THUMBNAIL DESIGN:Prof M
    ILLUSTRATION:CHORI
    SOUND STICKER:Prof M
    1 hr 34 min
  • S0-E2:宮崎駿監督「風立ちぬ」〜狂人・堀越二郎が見た夢と、人間・宮崎駿の到達点〜
    「映画の晩年」=「映画という表現の終焉」という時代の空気感から「映画は何を描き、表現してきたか」について教授、村上、ちょりの「コメンテート・アクター」3人が語り合うポッドキャスト。
    その「SEASON 0」はそれぞれの自己紹介を兼ねて、2エピソードずつ作品をセレクトし、語っていきます。
    第二回目も、前回同様、ちょりのセレクションで、宮崎駿監督の「風立ちぬ」(2013年)を取り上げます。
    前回取り上げた「夢と狂気の王国」を踏まえ、宮崎駿が全開で曝け出した自身の内面について。
    宮崎駿は、作品中に自身を意識的に投影することを頑なに避けてきた監督である。とはいえ、自分自身の感じている世界しか描くことができないという強烈な自己矛盾と、葛藤こそが彼の作品の大きな魅力で、何よりダイナミズムであった。
    完璧なファンタジーを模索しながら、一方で、肥大した自我を抑え切れることなく「自分語り」をしてしまう作家であった。
    しかし、本作では、もはや「忘我」の境地、トーク本編中でも特に村上氏が言及している通り、もはや虚無的とも言えるほどの空虚さを持って、堀越二郎という主人公に、自身の作家論、あるいは創作論、さらに恋愛観などを、淡々とした作劇ながらも雄弁に語り尽くしている。
    今回は①主人公・堀越二郎の人物の描き方、②恋人・菜穂子の人物の描き方、③ファンタジーと現実について、というポイントから紐解いて参ります。
    CAST/教授、村上、ちょり
    STAFF/
    DIRECTOR & EDITER:Prof M
    THUMBNAIL DESIGN:Prof M
    ILLUSTRATION:CHORI
    SOUND STICKER:Prof M
    2 hr
  • S0-E1:砂田麻美監督「夢と狂気の王国」〜宮崎駿×高畑勲×鈴木敏夫の、愛憎と利害のロマンス。そしてリベラリストたちのエゴとファシズム〜

    「映画の晩年」=「映画という表現の終焉」という時代の空気感から「映画は何を描き、表現してきたか」について教授、村上、ちょりの「コメンテート・アクター」3人が語り合うポッドキャスト。その「SEASON 0」はそれぞれの自己紹介を兼ねて、2エピソードずつ作品をセレクトし、語っていきます。その第一回目は、ちょりのセレクションで、彼女の人生観(あるいは死生観)、イデオロギーなどあらゆる思考の原点であり、現在も強い影響を与え続けている「スタジオ・ジブリ」の内幕を描いた砂田麻美監督の「夢と狂気の王国」(2013年)を取り上げます。作中に満遍なく描写される宮崎駿を中心とした、高畑勲、鈴木敏夫の非常に「恋愛的」な関係性、その中で浮かび上がるそれぞれの強烈すぎる個性。現代の価値観、あるいは視点において「とっても拗らせて面倒臭い」その関係性に翻弄され、宮崎駿に「若いエネルギーを吸い取られ」「目が死んでいる」と指摘されるジブリスタッフたち。そして本作の「主演女優=ヒロイン」である「三吉(さんきち)さんとの「擬似的な愛人関係」など、スタジオ・ジブリの「夢と狂気」が堪能できる。そこから見えてくるのは、まさに「夢」という甘美さ、あるいは「リベラル思想」という理想主義の現実は、どこまでも現実とは地続きの生々しい人間の感情の物語に他ならない。ましてや、スタジオ・ジブリの抱える巨大な才能、そして巨大な産業としての「現実」との乖離が、その「王国」を奇跡的に成立させているという構造は、現代社会の中で「リベラルの矛盾」として問題視され、淘汰されつつある点も、映画という表現の「生き残れなさ」と重なる部分である。トーク本編ではその部分をピックアップし、スタジオ・ジブリの「狂気」に魅せられた3人が思い思いに語ります。

    CAST/教授、村上、ちょり

    STAFF/DIRECTOR & EDITER:Prof MTHUMBNAIL DESIGN:Prof MILLUSTRATION:CHORISOUND STICKER:Prof M


    注)トーク本編の音質が芳しくないですが、ご容赦くださいませ。今後改善していきます!ごめんなさい!(教授)

    1 hr 39 min

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現代は「映画の晩年」という定義のもとで、そもそも「映画は何を描いて来たのか」もしくは「映画でしか表現できないものは何なのか」について、あまり語られることが少ない作品をセレクトし語っていくポッドキャスト。