「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」
私たちには様々な自由が与えられています。例えば、信教の自由、表現の自由、言論の自由、思想良心の自由などがありますね。これらは個人個人が生きていくうえで欠かせない自由であり、私たちはこれらのことが憲法によって保障されています。誰もこれらの自由を私たちから奪う権利はありません。
一方、私たちが持っている自由は、決して無制限に乱用しても良い自由ではありません。社会の中で秩序をもって行使される範囲において保証されている自由です。ルールを無視して、他者に迷惑を掛けたり、他者の人権や命を軽んじる行為を、自由の名のもとに許してはいけません。
聖書によれば、クリスチャンには自由が与えられています。イエス・キリストはヨハネの福音書で「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」と語られ、真理であるイエスご自身を知る事こそが真の自由であると語られました。罪の奴隷状態から解放された私たちは、真の自由を得ているのです。しかし、クリスチャンもまた、このようにして与えられた自由を乱用して独りよがりの信仰生活にならないように気をつけなければなりません。
コリントの教会では、信仰を持ったクリスチャンによるはき違えが見られました。与えられた自由を、あろうことか罪を犯す口実に利用していたのです。パウロは彼らが秩序を無視し、欲に溺れた生活をしていることに心を痛め、愛をもって強い口調で戒めました。今日の御言葉はその文脈の中でパウロが語った言葉です。「あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮である」と書き送りました。イエスを信じた私たちの中には神の霊である聖霊が住んでおられるのです。聖霊は私たちに何が正しくて何が誤っているかを御言葉を通して教えてくださいます。その内なる声を無視して罪を重ねることほど、神さまを悲しませる行為はありません。パウロはまた、私たちは代価を払って買い取られたのだと書きました。これはイエスが十字架において私たちの罪の借金をすべてチャラにしてくださったことを表しています。イエス・キリストが命の代価を払ってまで私たちをご自身のものとしてくださったのです。私たちはもはやキリストのものです。ですから私たちに与えられている自由は、神の栄光のために、イエスの御心を行うために用いるべきものです。
私の好きな讃美歌に「キリストには変えられません」というものがあります。
「キリストには変えられません。世の宝も、また富も。このお方が私に代わって死んだ故です。世の楽しみよ去れ、世の誉れよ行け」
と歌われます。キリストに贖われ、買い取られた私たちは、キリストを生活の中心に置き、世の楽しみや世の誉れ以上に、キリストの愛と恵みに心を向けて行く者となりましょう。
あなたにも私にも自由が与えられています。この自由を神の栄光を現すものとして用いて行けるなら幸いです。