「あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けています。それと同じように、彼らも今は、あなたがたの受けたあわれみのゆえに不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今あわれみを受けるためです。」
今朝の御言葉も昨日に引き続き、神とユダヤ人との関係が中心テーマです。この聖句では、「あなたがた」と「彼ら」という二つの代名詞が使われていますが、「あなたがた」とはローマに住んでいる異邦人クリスチャンで、「彼ら」とはユダヤ人のことです。ユダヤ人は神に選ばれた民族として神のあわれみを受けていたけれども、彼らはイエスを受け入れず拒絶したために、恵みが異邦人にもたらされ、異邦人が救いの恵みを得ることになった。そしてユダヤ人はますます意固地になってイエスを拒絶しているが、最後には彼らもあわれみを受ける、すなわち救いの恵みに与るだろう、というのです。
あれから約2000年が経ちました。今現在もユダヤ人のほとんどが、イエスキリストを救い主として受け入れるのを拒否しています。しかしパウロが書いているように、私自身、神がユダヤ人をあわれみ、必ずや彼らが心を開いてイエスを主として受け入れる日が来ることを待ち望んでいます。
このユダヤ人の救いを願うことと、政治的にイスラエルという国家を支持することとは分けて考えなければなりません。多くの人たちが、ユダヤ人というと、ナチスドイツによるホロコーストを思い起こすと思います。クリスチャンであるなしに関わらず、600万人とも言われるユダヤ人が殺されたあの悲劇は、決して忘れるべきではありません。
さて、2000年間祖国を失っていたユダヤ人たちの多くが、続々とかつてイスラエルがあったところに帰還を果たし、欧米の支援を受けて、ついに1948年にイスラエルが誕生しました。これはまさに奇跡と言っていい出来事でしたが、同時にそれまでその土地に住んでいたパレスチナ人との間に大きな政治問題を抱えることになりました。
多くの福音派のクリスチャンは、神がユダヤ人を特別に選ばれたという契約が今でも有効である以上、私たちもイスラエルの側につくべきだと考え、パレスチナ問題において何が何でもイスラエルを支持する傾向が強く見られます。しかし、パウロがローマ人への手紙の中でこれほどイスラエルの救いについて言及したのは、ローマにいるクリスチャンに対して、どんな時でもイスラエルを支持してほしいと伝えたかったわけではありません。パウロはただ、イスラエルは決して神に見捨てられたわけではない、必ず最後には救われるということを強調したのです。
神はイスラエル人もパレスチナ人もどちらも愛されます。私はユダヤ人クリスチャンの証しもパレスチナ人クリスチャンのお話も伺ったことがありますが、どちらも心からイエスを愛する方々でした。この両国間に大きな埋めがたい溝があるのは悲劇です。簡単なことではありませんが、私たちは両国がいつか和解を果たし、平和を実現することを祈っていきたいと思います。それを可能にするのは、平和の君イエス・キリストの他ありません。イエスの御名がこの地であがめられますように。