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越谷は昔「海」だった? 家康がこの町を愛した本当の理由
越谷に42年暮らす歴史の語り部・宮川進さんをお迎えした後編です。「昔は海だった」という噂の真相、越谷と徳川家康の意外なつながり、そして年に2日しか見られない、この地域でも珍しい国の重要文化財まで。住み慣れた町がちがって見えてくる30分です。
今回のゲスト・テーマ
前回に続いて、越谷の歴史に詳しい宮川進さんがゲストです。越谷に移り住んで42年。ご本人は「新参者」と笑いますが、「越谷の面白い歴史を市民の方に知ってもらい、自分の住む町を楽しんでほしい」と語ります。YouTubeのライブ配信のあとにも、地図を広げて話が尽きなかったほどの方です。春日部市民のMCも「川を挟んでお隣の越谷がこんなに面白いなんて」と、収録中ずっと興奮気味でした。今回は「越谷って本当に〜なの?」という質問をぶつけながら、町の成り立ちを深掘りしていきます。
聴きどころ
「越谷は昔、海だった」って本当なの?
縄文時代、地球が暖かくなって海面が上がり、海が陸の奥まで入り込んだ「縄文海進」。越谷のあたりも海だった時期があるそうです。ただ宮川さんは、教科書のように一面を青く塗ってしまう描き方には「ちょっと誤解を生むんじゃないか」と話します。では、当時の越谷は実際にはどんな景色だったのか。レイクタウンの遺跡や春日部の地名の話も出てきます。「だから越谷のネギは美味しいのかも?」というMCの仮説の行方もお楽しみに。
「越谷」と名付けたのは家康? 地名の表記をめぐる謎
AIと一緒に質問を考えていたら出てきたのが「越谷という名前をつけたのは家康では?」という疑問です。昔は3文字で書いていた地名が、日光街道ができたころに2文字になったという話もあります。家康自身が「こしがや」をどう書いていたのか、体の「腰」の字を当てた表記もあったのか。宮川さんによると「江戸時代の人は地名の書き方がかなりおおらかだった」そうです。名付け親は家康なのか、その答えは本編で。
家康は、なぜ何度も越谷に来たのか
秀吉から関東への国替えを言い渡されたとき、家来たちは猛反対したといいます。それでも家康は、人がほとんど住んでいない土地を開いていく道を選びました。川の流れを変え、日光街道を通し、越谷の土台をつくった家康。そして越谷に足しげく通った理由は、何よりの趣味だった「鷹狩り」です。「空が真っ黒になるくらい」水鳥が集まったという当時の越谷の風景、家康が考えたとされる「鴨すき」、かつてはとバスが列をなして食べに来たという話まで飛び出します。
家康の別荘「越ヶ谷御殿」はどこへ消えたのか
家康が鷹狩りのときに泊まった御殿が、越谷にありました。ところが今その場所に行っても、木が生えているだけで何も残っていません。明暦の大火で江戸城まで焼け落ちたとき、困った将軍家が目をつけたのが…。歴史好きのMCが思わず「面白すぎ!」と声をあげた展開です。御殿跡がどのあたりにあったと考えられているのかも語られています。
宮川さんが「越谷市民に一度は見てほしい」もの
最後に、宮川さんおすすめの越谷の見どころを伺いました。「草加にも春日部にもない」越谷唯一の国指定重要文化財は、家康の銅像があるお寺にあり、公開されるのは年にたった2日だけ。ほかにも、昔の宿場町の面影を感じられる街道筋や、かつての名物グルメの話も出てきます。カレンダーに印をつけたくなる情報は本編でどうぞ。
こんな方に聴いてほしい
あぜ道の土器から始まった、87歳・宮川進さんの越谷歴史探訪
高校時代に田んぼのあぜ道で拾った、土器のかけら一つ。そこから半世紀以上かけて、宮川進さんは越谷の「足元に眠る歴史」を掘り起こしてきました。今回はその入門編です。
今回のゲスト・テーマ
ゲストは、越谷の歴史を伝える活動を続けている宮川進さん(87歳)。越谷の郷土史研究会での講座や史跡めぐりの案内役を務め、埼玉の古墳めぐりのガイド本も書いています。「シビックプライド越谷新聞」を定期的に発行していて、地元の冊子にも連載を持っています。 関西出身で、銀行員として各地を転勤し、越谷に住んで42年。スタジオから200メートルほどの「すごい近所」に住む、知る人ぞ知る越谷の歴史の語り部です。今回は「ざっくり越谷」の入門編として、宮川さん自身の歩みと越谷の意外な素顔を聞きました。
聴きどころ
高校生が拾った「土器のかけら」は、人生の何を変えたのか
関西で暮らしていた高校2〜3年のころ、家の近くの田んぼのあぜ道を散歩していて、宮川さんは土器の破片のようなものを見つけます。学校の日本史の先生に見せると、思いがけない答えが返ってきました。「千何百年前のものが、ただのあぜ道に落ちている」ことに心をつかまれ、考古学者の道まで考えた宮川さん。ところが選んだのは別の道でした。その分かれ道で何を考えたのかは、本編で。
なぜ越谷だったのか? 本人が明かす「直接の理由」
吉川や春日部など近くに候補はいくつもある中で、定年が近づいたころ、なぜ越谷に家を建てたのか。MCが「導かれたんですね」「ピンと来た?」と聞いても、宮川さんは「ピンとも来ない」とあっさり。笑ってしまうほど正直な、その本当の理由とは。そしてここから、越谷の畑を歩く日々が始まります。
「見つけちゃったために」困ったこと。土器発見の思わぬその後
千間台の畑を下を向いて歩いていたら、本当に土器が落ちていた。見つけたら教育委員会に届けるのがルールです。やがて区画整理事業で本格的な発掘調査が決まると、宮川さんは「困ったことになった」と言います。税金を使って掘って、もし何も出なかったら? 「逃げようかしら」とまで思ったという発掘の結果は、本編で。
写楽と越谷をつなぐ、意外な接点
話は埼玉の古墳70基を歩いて回ったガイド本の誕生秘話へ。出版社に自分で企画を持ち込み、「時が至れば考えましょう」と言われたその後の展開も聴きどころです。終盤には、謎の浮世絵師・写楽と越谷のつながりが飛び出します。舞台はスタジオのすぐ近くにあるお寺。MCが思わず「越谷ってすごい町じゃないですか」と声を上げた、その中身とは。
こんな方に聴いてほしい
本編はこちら
たまたまさいたまラヂオ「#282 越谷の歴史を伝える宮川進さん」は https://saitamaradio.com/ で配信中です。 87歳とは思えない軽やかな語り口と、ところどころのユーモアは音声でこそ伝わります。いつもの通勤路やあぜ道の見え方が、聴いたあとには少し変わるかもしれません。次回はさらに越谷の歴史を深掘りする予定とのことです。
今回のゲスト
今回はせんげん台駅から10分ほどのところにある串焼き・焼き鳥の良店【千喜】さんの平塚勇二さんです。
元バンドマンで元トラック運転手。修行は1ヶ月だけ。それでも地元で10年目を迎えた焼き鳥店主が、店づくりの考え方と、この番組で初めて話す「大きなニュース」を語ります。
今回のゲスト・テーマ
ゲストは前回に続いて2回目の登場、炭火焼きの串焼き・焼き鳥店を営む平塚勇二さん。開業して10年目に入りました。32歳ごろまでバンド活動をしたあとトラック運転手として働き、50歳で飲食の道に飛び込んだ方です。
前回は焼き鳥の話までたどり着けなかったので、今回はお店のこと、続けてきたなかで大事にしていること、これからの挑戦をじっくり聞いています。
MCが打ち合わせで触れたとおり、2025年は飲食店の倒産件数が過去最多でした。そんな年を越えて店を続ける店主の本音が聞ける回です。
聴きどころ
50歳の誕生日、何が「ドキッ」とさせたのか
誕生日に「あれ、50か」と気づいた瞬間、いても立ってもいられなくなったという平塚さん。子どもはまだ小さく、長い修行に入る余裕もありません。そこから焼き鳥にたどり着くまでの道のりと、当初は口もきいてくれなかったという奥さまとのエピソードも。「自分にできることは、料理で人を喜ばせることだろう」。その考えがどう形になったのかは本編で。
🎧 04:36ごろ
実はFC契約。それでも「FC感ゼロ」の店になった理由
これまであまり話してこなかったのが、開業のときにFC契約を結んでいたこと。それなのにお店にはチェーンらしさがまったくありません。「どこの駅前に行っても同じ風景」が嫌だったという平塚さんが、いちばん大事にした店づくりの方針とは。物件を見た人に鼻で笑われたというその方針が、今どうなっているのかも聴きどころです。
🎧 07:16ごろ
修行1ヶ月で、なぜあの備長炭の焼きができるのか
MCの2人は「きっと長く修行した人だ」と思い込んでいました。ところが実際の修行は1ヶ月で、「焼き鳥の『や』の字くらいしか教わっていない」そうです。そのうえで平塚さんが語るのが「うちに来る理由がないと、来てくれない」という言葉。駅から少し歩く店に人が通う理由は、どうやって作っているのでしょうか。
🎧 13:20ごろ
10年目の大きなニュース。炭火の店が熱源を変える?
後半で明かされるのが、焼き台の熱源を変える計画です。平塚さんは開発者のもとへ直接出向き、自分で仕込んで凍らせた串を先に送っておいて、その場で焼いて食べてみたそうです。「炭じゃなくて香りは出るんですか?」という問いに開発者がニヤッと笑って返した答え、そして平塚さんがこの決断の支えにしているという「思い込みを捨てて、思いつきを拾う」という言葉。ある人に言われてハッとしたという一言は、MCが涙ぐんだ場面です。ぜひ本編で聴いてください。
🎧 16:30ごろ
こんな方に聴いてほしい
その焼き鳥屋を知らないのは、人生の半分を損している。
みおさんが「外食するならここ」と決めている数少ないお店。きよぷんが「せんげん台のパークロードで必ず入る店」と言い切るお店。 今回のゲストは、せんげん台で焼き鳥といえばこの人──炭火串焼 千喜(せんき)の店主、ひらさんです。
オープニングから、みおさんの「せせりの秘伝みそ」「ささみ梅」「鶏皮タレ」推し、きよぷんの「新玉ねぎの豚巻き」推しが止まりません。聞いているだけでお腹が空く、たまたまさいたまラヂオ史上もっとも"腹ペコ注意"な回になりました。
カウンターの向こう側の人は、どこから来たのか
千喜のカウンターに座ったことがある人なら知っているはずです。ひらさんの焼きは「ライブ」です。 でも、そのライブの主役が、焼き鳥屋になる前に何をしていた人なのか。常連さんでも知らないのではないでしょうか。
番組では、いつものようにひらさんの人生を子ども時代から順番に辿ります。
足立区生まれのひらつか少年は、「縛られるのが大嫌い」な子どもでした。野球チームに入れば「お前、一人で楽しんでるだろ」と言われ、お兄さんが音楽を始めれば「じゃあ俺は違う楽器を」と天邪鬼を発動。 たどり着いたのが──ドラムでした。
しかも始めたタイミングが、受験生の真っ最中。親御さんがどんな顔をしたか、想像がつきます。
10代で新宿のライブハウスに立っていた
ここからのひらさんの話が、とにかく濃い。
当時はヘビメタ全盛の時代。長髪ばかりの中で、ビート系・パンク系のドラマーだったひらさんは、ちょっと浮いた存在でした。それでも先輩に声をかけられ、バンド人生がスタート。都内のライブハウスを回り、オリジナル曲を作り、レコーディングも経験します。
録音媒体が「オープンリール」から「DAT」に変わっていったという話に、きよぷんは大興奮、みおさんはポカン。この温度差もぜひ音声でお楽しみください。
バンド活動は30代半ばまで続きました。 では、どこでピリオドを打ったのか。そして、奥さまとはどこで出会ったのか。 ここは、ひらさんの口から直接聞いてください。きよぷんが「それは男から言わなきゃダメでしょ」と全力で乗っかっています。
「あれ、もう50じゃん」
料理はもともと大好き。休みの日は朝から台所にいるタイプ。トラックの運転手をしながら、お子さんの送り迎えも夕飯も全部やってきた人です。
でも、焼き鳥屋を開いたのは50歳になってから。
「気づいたら50歳で、このままじゃ死ぬまでこのままだと思って。急にエンジンがかかった」
実績もない、お金もない。周りからは「飲食なんてやめとけ」と散々言われた。それでも、ひらさんが言い出したら聞かないことを、周りの人はみんな知っていた──。
何がひらさんのエンジンをかけたのか。そして「言ってもあいつは聞かない」と知りながら、兄弟や周囲はどう動いたのか。番組後半で語られます。
「千喜」という名前に込めたもの
店名の由来についても聞いています。 「千」という字には、ひらさんにとっていくつもの意味が重なっていたそうです。せんげん台という土地のこと、そして開業を手伝ってくれた人のこと。 全部聞くと「バッチリすぎるネーミング」だと、スタジオ全員が唸りました。
最後の質問:「ひらさんにとって、焼き鳥屋とは?」
恒例の最後の質問への答えが、今回はいつにも増してロックでした。 きよぷんが「ロックだね、最高」と即答した、その一言。 前編のいちばん最後に入っています。
次回・後編の予告
日本で一番飲食店がなくなっていると言われる時代に、なぜ千喜は9年間、通るたびに満席なのか。 後編では、ひらさんが「なぜせんげん台だったのか」「なぜ続いているのか」を自己分析します。前編で時間切れになった「ディープな話」は、すべて後編へ持ち越しです。
▶ 番組を聴く たまたまさいたまラヂオ シーズン6 第28回は、各ポッドキャストプラットフォームで配信中です。 ご意見・ご感想は、サイトのフォームからお気軽にどうぞ。
今回のゲスト 炭火串焼 千喜(せんき) 埼玉県越谷市千間台西3-1-28 TMCビル1F 東武スカイツリーライン せんげん台駅西口から徒歩約8分 ※人気店のため、確実に行きたい日はご予約をおすすめします
「まちづくり」と聞いて、何を思い浮かべますか?
大きなイベントを開催すること。
駅前をきれいにすること。
空き店舗を活用すること。
行政と一緒に何か大きなプロジェクトを動かすこと。
もちろん、それもまちづくりです。
でも今回の「たまたまさいたまラヂオ」で話しているのは、もっと小さくて、もっと身近な「まちづくり」です。
第279回のゲストは、石川貴雄さん。
春日部で本屋を営みながら、武里を中心にさまざまな地域活動に関わっている石川さんと、
「そもそも、まちづくりって何なんだろう?」
という話をしました。
石川さんの話を聞いていて印象的だったのは、「まちづくりをやろう」と思って活動しているわけではない、ということ。
「このまちで何ができるだろう?」
「これならできるんじゃない?」
「やり方を変えたらできるんじゃない?」
そんなふうに、できることを少しずつ増やしていく。
たとえば武里で続けている「スト飲み」。
お店の外に椅子を出して、みんなで飲む。
ものすごく大きな事業ではありません。
でも、続けていくうちに「あそこで何かやっているよね」と地域の人たちに認識され、近隣のお店との連携が生まれ、そこに新しい人とのつながりも生まれてきました。
そして面白かったのが、
「どうして続けているんですか?」
という話。
答えはとてもシンプルでした。
「ただ楽しいから。」
これって、地域活動ではものすごく重要なことなのかもしれません。
補助金を取る。
KPIを設定する。
事業計画を作る。
大きな成果を出す。
そういうことから始めるのではなく、市民が「やりたいからやる」「面白いから続ける」。
それが結果として、人をつなぎ、お店をつなぎ、地域を少しずつ変えていく。
番組の中では、そんな活動を「まちづくり」というより、
「まち遊び」くらいの感覚でいいんじゃないか
という話にもなりました。
そして最後に聞きました。
「地域活動のゴールって、何ですか?」
石川さんの答えは、
市民がみんな、自分のまちのことを考えるようになること。
「あの店、面白いよ」
「最近ここでこんなことやってるよ」
「このまち、なんか楽しいよね」
特別な人だけが「まちづくり」をするのではなく、そこに住んでいる人たちがみんな自分のまちの情報通になって、自分のまちを面白がっている。
もしかすると、それが「まちづくり」のひとつのゴールなのかもしれません。
今回はほかにも、
・なぜ石川さんは地元だけではなく武里で活動するのか
・地域活動に「プレイヤー」をどう増やしていくのか
・補助金に頼らない活動はなぜ続くのか
・昔からある地域組織と、新しい活動をどうつないでいくのか
・変えるべきものと、急に壊してはいけないもの
など、かなり深いところまで話しています。
地域活動をしている人はもちろんですが、
「自分の住んでいるまちに、もう少し関わってみたい」
と思っている人にも、ぜひ聴いてほしい回です。
たまたまさいたまラヂオ 第279回 ゲスト:石川貴雄さん 「まちづくりと、そのゴールとは?」
番組はこちらからお聴きください。
https://saitamaradio.com
シーズン6、ちょうど折り返しの第26回。
今回のゲストは、春日部のかすかべ大通り(旧・日光街道粕壁宿)でおよそ200年。江戸時代の中頃に筆や墨を商うお店として始まり、明治から本屋へ——そんな歴史を受け継ぐ紅雲堂書店の15代目店主・石川貴雄さんをお迎えしました。
石川さんは「本屋の店主」というだけの人ではありません。武里で開催されたリノベーションスクールをはじめ、春日部のまちづくりに深く関わり、「本屋からまちをつなぐ人」として地域で知らない人はいない存在。今回の配信を告知しただけで、スタッフのSNSに「え、貴雄さんがゲストなの?」と反応が届くほどでした。
意外だったのは、そのスタートです。
中学2年生のとき、家庭のある事情で「自分が継ぐしかない」と悟った石川少年。本もほとんど読まず、家業の手伝いもしてこなかった彼が、そのとき何を思ったのか——番組では、飾らない本音がそのまま語られています。
高校時代に打ち込んだ卓球のこと。大学卒業後、浦和の書店に2年間住み込みで入った「書店修行」の、朝7時から始まる昭和な日々。そして15代目として店に立つようになってからの、先代であるお父様(黄綬褒章を受章された名物店主でした)との衝突。
「やりたくなかった」場所から始まった人が、なぜ今、誰よりもアクティブな本屋になったのか。
かつて紅雲堂書店の前の通りは「ロビンソン通り」と呼ばれていました。百貨店の閉店とともに人通りが減り、商店街にシャッターが増えていく——「これはヤバい」。そこから石川さんが出会ったものが、今の活動につながっていきます。
一人の本屋にできることは何か。本屋のない地域に、どうやって本を届けるか。派手ではないけれど、確かな手触りのある石川さんの「もがき方」は、地域で商いをするすべての人に響くはずです。
そして番組恒例、最後の質問。
「石川さんにとって、本屋とは何ですか?」
石川さんが少し考えて口にした答えは、ぜひ本編でお聴きください。200年の歴史よりも、その一言のほうが、この人を物語っている気がします。
なお今回は、みおさんが喉の風邪でお休み。ディレクターののぶさんがピンチヒッターでMCを務めました。みおさん、どうぞお大事に。
後編では、石川さんが取り組む春日部のまちづくりの話をさらに深掘りします。越谷と春日部、隣り合うまちの未来のヒントが詰まった回になりそうです。
▶ 音声はこちらから(Apple Podcast / Spotify)ご意見・ご感想は saitamaradio.com のフォームまで。
「本屋になりたくなかった」15代目転機は、あの百貨店の閉店だった今回はのぶさんがMCに
前編で「時間切れ」になったあの続きです。越谷レイクタウン近くの古民家複合施設「a.myu & village(ア・ミュー・アンド・ビレッジ)」代表・加藤広美さんをお迎えした後編。今回はいよいよ、加藤さんの事業の核心である「3つの再生」を深掘りしました。
スタジオがカフェになった日
収録当日、加藤さんはスタジオにたくさんのお土産を持ってきてくださいました。看板スイーツの「おかゆのチーズケーキ」、コリアンダー入りのデトックス水、そしてよもぎ茶。きよぷんが「これは一切れいける」と言い出し、収録そっちのけの試食会が始まります。
小麦粉も加工でん粉も使わずに、なぜあのしっとり食感が生まれるのか。番組ではその仕組みを加藤さんが解説してくれています。そしてもうひとつ。実はこのチーズケーキ、来月から名前が変わるそうです。新しい名前は「まだ秘密」とのこと。続報を楽しみに待ちましょう。
お米の話も出ました。おじいさまが農家だったという加藤さん、いまはお店で「お米推し」を掲げ、お米の販売や米ぬかふりかけの開発まで手がけています。販売量を聞いたMC2人の反応は、本編でどうぞ。
体の再生・心の再生・古民家の再生
きよぷんがAIと一緒に立てた仮説「加藤さんの事業は"再生"というワードでつながっているのではないか」。これを本人にぶつけるところから、後編の本題が始まります。
a.myu & villageが掲げる3つの再生は「体の再生」「心の再生」「古民家の再生」。中でも加藤さんが「一番のメイン」と言い切るのが体の再生です。その背景には、ご自身が体調を崩して入院した経験がありました。薬に頼らず、根本から体を立て直すにはどうすればいいのか。その問いが、グルテンフリーの「再生カレー」にも、よもぎ蒸しにも、すべてつながっています。
ちなみにこの再生カレー、最初は「四季」の4種類から始まったそうです。それが今では8種類。なぜ増えたのか、その理由が「2025年の日本の気候」と聞いて、思わず膝を打ちました。詳しくは本編で。
心の再生について加藤さんが挙げたキーワードは、衣食住に「働く」と「笑う」を足した5つ。「笑うこと」を経営の真ん中に置く理由を、加藤さんは科学の話も交えて語ってくれました。a.myu & villageのスタッフさんがみんな元気な理由、わかった気がします。
収録2時間前にかかってきた、一本の電話
今回の収録は生配信も同時に行われていて、リスナーさんからのコメントがリアルタイムで届きました。その中に、前編で語られた「お前に決めた」のあの社長さんからのコメントが。しかもこの日、収録のわずか2時間前に、その社長さんから加藤さんに一本の電話がかかってきていたのです。
電話の内容は、番組内で加藤さんの口から「発表」されました。前編を聞いた方なら、思わず「おお」と声が出る展開です。ここではこれ以上書きません。
120歳まで生きる
番組の終盤、加藤さんの口から飛び出したのは「私の目標は120歳まで生きること」という宣言でした。冗談めかしたトーンの中に、女性の自立についての芯の通った考え方が詰まっていて、前編から続けて聞くと、加藤さんの半生のすべてがひとつの線でつながる感覚があります。
そして最後に、きよぷんがどうしても聞きたかった質問。「どうして店名に"village(村)"と付けたんですか?」。加藤さんの答えは、スケールの大きさに笑ってしまうものでした。ぜひご自身の耳で確かめてください。
saitamaradio.com のお問い合わせフォームまで。
「専業主婦になるのが夢だったんです」
そう語るのは、越谷レイクタウンのほど近く、大成町の古民家複合施設「a.myu & village(ア・ミュー・アンド・ビレッジ)」を営む加藤広美さん。グルテンフリーのスパイスカレーが評判の古民家レストランに、よもぎ蒸しのサロン、そして手作りのお洋服。ひとつの古民家にいくつもの顔を持つこの場所は、いま越谷で最も注目を集めるスポットのひとつです。インスタグラムのフォロワーは1.7万人超え。越谷の飲食店では屈指の存在感です。
でも今回、私たちが聞きたかったのはお店の話だけではありません。ついに念願かなってお迎えした加藤さんの、「人生そのもの」です。
越谷に生まれて、中3の春に北海道へ
加藤さんは越谷生まれ、越谷育ち。地元をこよなく愛する彼女ですが、その道のりはまっすぐではありませんでした。
複雑な家庭環境のなかで、自分の居場所を探していた少女時代。そして中学3年の5月、彼女は突然、北海道・石狩の地にいました。──なぜ、越谷の中学生が北海道へ?ここは、ぜひ本編でご本人の口から聞いてください。番組MCふたりが思わず身を乗り出した、波乱の幕開けです。
「キラキラしてたから」で選んだ仕事が、彼女を鍛えた
高校卒業後、彼女が選んだのはバスガイドという仕事。数ある選択肢の中からバスガイドを選んだ理由が、実に彼女らしいのです。そして札幌を拠点に道内を巡る日々は、想像を超えて過酷なものでした。朝5時出勤、一週間家に帰れないことも。それでも彼女が3年間続けた理由には、思わず笑ってしまう「ある事情」がありました。
専業主婦の夢と、そこから始まった商売の道
越谷に戻り、結婚。26歳で家を建て、憧れだった専業主婦に──のはずが、人生はそう単純には進みません。タウンページを頼りに飛び込んだ古着の世界、赤ちゃんを育てながら始めたものづくり。そして「昭和の宝物」と彼女が呼ぶ、ある人たちとの出会いが、いまの活動の原点になっていきます。
車のライトが照らした、一枚の看板
フルーツサンドのお店を経て、彼女があの古民家と出会ったのは本当に偶然でした。夜、車のライトがふっと照らした一枚の看板。そこからわずか数日で、人生が大きく動き出します。根拠なんてない。それでも彼女が言い切った一言とは──この痛快な顛末は、ぜひ音声でお楽しみください。
「3つの再生」の話は、後編で
a.myu & villageが掲げるテーマは「古民家再生・心の再生・身体の再生」。なぜ彼女は「再生」という言葉を選び続けるのか。前編の最後に予告されたこの核心は、次回後編でじっくり掘り下げます。
収録の最後、「加藤さんにとってお仕事とは?」という問いに、彼女は迷いなく答えました。その答えに、スタジオの空気が変わった瞬間まで含めて、ぜひ本編でお聴きください。
▶ 配信はこちらから(毎週水曜配信) たまたまさいたまラヂオ
|https://saitamaradio.com
番組へのご意見・ご感想もウェブサイトのフォームからお待ちしています。
パーソナリティの鈴木美緒(みおさん)と山﨑清彦(きよぷん)、ディレクターの信田和也(のぶさん)がお送りする「たまたまさいたまラヂオ」シーズン6。今回はゲストなし、のぶさんの持ち込み企画による特別回です。
で、実は子どもたちの特別企画を間に挟んだのでナンバリングが本編で言ってることと違っております。ご了承ください。
テーマは「たまたまさいたまラヂオの真の使い方」。この番組をずっと聴いてくださっている方も、ゲストとして出演してくださった方も、そしてコミュニティ「たまひろ」のメンバーの皆さんも、たぶん一度は「この番組って結局なんなんだろう?」と思ったことがあるはずです。その問いに、ディレクター自らが正面から答える回になりました。
冒頭はいつもの「みおさんの最近の出来事」から。今回はなんとシンガポールでの研修帰り。昨年秋から続けているマーケティングの学びの一環で、海外視察に飛び込んできたそうです。屋上プールで有名なあのホテルにも上ったとか。そしてお土産に持ち帰ったのが、アルコール度数8%のインドのビール。「軽いけど重い」——この一杯を巡る3人のやりとりが、今回の乾杯を彩ります。みおさんの口から「海外展開」という言葉がさらっと出てきたのも、聴き逃せないポイントです。
そしてここから本題。のぶさんはまず、この番組の特徴をおさらいします。越谷・春日部エリアという、かなりローカルなところに一点集中で切り込んでいること。多彩なゲスト。そしてゲストの方々が集まるオープンチャット「たまひろ」が、いまや80名近いコミュニティに育っていること。
ただ、のぶさんには一つ引っかかっていることがありました。「地域密着」を掲げるうちに、番組やたまひろが"お出かけ情報番組"のようになってしまっていないか。もちろんそれも大事。でも「そこじゃないだろう」と。
では、のぶさんが考える「真の使い方」とは何なのか。
ヒントは、みおさんがずっと口にしてきた、ある一言にあります。この番組は、30分間ゲストの方の人生と想いをまるごと録音しています。放送と違って、ポッドキャストは流れて消えない。何年経っても、聴き直せる。その"残る"という性質を、のぶさんはある身近なものにたとえました。この例え話が、今回のいちばんの聴きどころです。酔いも手伝って途中で脱線しかけながらも(誰かこの子に水を!)、のぶさんが辿り着いた「たまひろメンバーの皆さんに、ぜひやってほしい具体的な一つのこと」。それが何なのかは、ぜひ本編で。
後半はもう一つの誤解について。「この番組、社長さんばっかり出てるよね」——そう見えてしまっているとしたら、それは3人にとって本意ではありません。仕事のことをメインに語ってほしいわけじゃない。普通の会社員でも、主婦でも、子育てや介護の真っ最中でも、何かにチャレンジして楽しんでいる人なら、誰だってこのマイクの前に座ってほしい。ここではきよぷんとのぶさんの見解が少しだけ食い違う場面もあり、きよぷんが最近ハマっている"あの競技"の仲間を連れてくる話まで飛び出します。
最後にのぶさんがまとめた「この番組から持ち帰ってほしいもの」と、「たまひろ」オープンチャットの新しい使い方の提案、そしてのぶさん自身への宿題(?)まで。ゲストがいない回だからこそ聴ける、番組の芯の部分です。
ご意見・ご感想は、公式サイト saitamaradio.com のフォームからお待ちしています。
こんにちは、たまたまさいたまラヂオです。
シーズン6・第22回は、前回に引き続き「子どもと遊ぼう!夏休み子どもチャレンジ」の後編。たまひろ準レギュラーのお子さん、さとちゃんとゆうなちゃんをゲストに迎えた、夏休みスペシャル第2弾です。
冒頭、みおさんの「夏の思い出」に一同絶句
恒例の近況コーナー。この夏、新しい習い事を始めて絶好調のみおさん。金・土・日と3日連続で通うほどハマっているそうなのですが——今朝、その夏に思わぬ「オチ」がつきました。
しかも、その原因が。
いや、これは言えません。きよぷんが思わず「そんなことある?」と聞き返し、最後には「お前はプロやな」とまで言わしめた一部始終は、本編の冒頭でどうぞ。日常のどこに落とし穴があるか分からない、という話です。
「大人の人生相談」に、小学生が本気で答えたら
前回好評だった人生相談コーナーもひとつ。今回は、カラオケにまつわる大人の切実な悩みです。
これに子どもたちがスラスラと答えていくのですが、飛び出す曲名・グループ名に大人チームは完全に置いてけぼり。ただ、最終的にたどり着いた「結論」は、同じ悩みを持つ大人にとってかなり実用的なはず。何をマスターすればいいのか、答え合わせは音声で。
そして、メイン企画。相談者は——
今回のメインは、引き続き「人生相談」。ただし、届いた相談が普通ではありません。
「暑くてたまりません。冷やす方法はありますか?」
一見よくある夏の悩み。でも、相談者の名前を聞いた瞬間、この相談の意味がガラッと変わります。しかもこの調子で、相談は次から次へ。差出人は毎回変わり、どれも「その人(?)」にしか書けない悩みばかり。
それに対して、さとちゃんとゆうなちゃんは「考えずに5秒以内で即答」というルールで挑みます。これがすごいんです。まっすぐで、優しくて、ときどき大人より本質的。収録していた私たちが一番ハッとさせられました。中でも終盤のある相談への答えは、聴いた後しばらく残ると思います。
誰からの相談で、ふたりが何と答えたのか。それはぜひ、耳で確かめてください。
締めは反射神経クイズで大盛り上がり
最後は、聞き間違えると大変なことになる「AかBか」クイズ。子どもたちの反応速度と、意外な着眼点が光ります。
収録後、ふたりからは「もっと喋れた」「もっとクイズやりたい」の声。この企画、夏だけで終わらない予感がしています。
配信情報
たまたまさいたまラヂオは、毎週水曜日にポッドキャストで配信中。ご意見・ご感想は、番組webサイト(saitamaradio.com)のフォームからお寄せください。
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