
Sign up to save your podcasts
Or


こちらは2026年10月25日の礼拝説教です。
この日は、岩手教会連合という諸教会からなるグループの、年の一度の合同礼拝が行われ、この説教もその礼拝の中で行われたものです。
ルカ15章の放蕩息子のたとえ話に出てくる父親の姿、特に「走り、抱擁する」姿が、神の民の特徴を表現しているのでは、という話です。
こちらは2026年10月18日気仙沼聖書バプテスト教会で行った礼拝説教です。創世記47章の後半からメッセージしています。
この箇所では、エジプト人が飢饉による困窮の中で奴隷となり、イスラエル(ヤコブの子どもたち)のほうは増えるという対照的な姿が描かれます。その後は、ヤコブがヨセフに遺言を残す箇所になります。
一番最後の箇所は、新改訳は「ひれ伏す」、新共同訳は「感謝を表す」と訳しています。この箇所から、人生の最後に感謝を表すうえで何が大切なのかを考えていきます。
2026年10月11日の礼拝説教です。使徒信条講解説教シリーズの四回目です。
使徒信条は、ラテン語だと、credo in deum, patrem omnipotentumと続き、「神」について、それは「父」であると語ります。この順番が大切だと思い、「神を父とすることの意味」をこの説教では語ります。
2026年10月4日気仙沼聖書バプテスト教会で行った礼拝説教です。
私たちの人生は「旅」であり、私たちは、神様からの祝福を受け、その祝福を周囲へ分け与えていくものであるという内容です。
2026年9月27日に八木山聖書バプテスト教会で行った礼拝説教です。
前半は、自分自身とコネクトし、他者にもコネクトすることの重要性を語っています。後半は、罪を認め、告白し、神に期待することを語っています。
こちらは、2026年9月20日に行われた礼拝説教です。使徒信条講解説教の3回目です。今回は「信じる」という言葉の意味を分かち合っていきます。
2026年9月13日に行った礼拝説教です。使徒信条講解説教の二回目です。今回は、「我」「私」という言葉を取り上げています。使徒信条はcredo(我信ず、私は信じます)で始まります。欧米の使徒信条の解説では、あまり「私」にこだわっているようなものがなく、比較的簡単に通り過ぎます。それに対して、日本のものだと、もっと言葉を尽くしています。この違いは、やはり日本社会で「私」を主語として語ることの難しさが反映されているのではないかと思います。クリスチャンは、否応なく「私は信じる」と言わざるを得ない立場にあります。そのことの恵みを話します。
こちらで説教の裏側で考えていたり、後日談を書いています。https://keitaabe.substack.com/p/195?r=7vjy33&utm_campaign=post&utm_medium=web&showWelcomeOnShare=true
2026年9月6日の礼拝説教です。
ヨセフがエジプトの宰相になっていたことを知ったヤコブは、エジプトに向かって出発します。その途中、ベエル・シェバでいけにえを捧げたあと、幻の中で主がヤコブに語ります。主はヤコブに「エジプトに下ることを恐れるな」と言います。
この説教では、その言葉の味わい考えていきます。
こちらは2026年8月30日に行った礼拝説教です。
正体を明かしたヨセフと和解した兄弟たちは、ファラオとヨセフから、カナンにいるヤコブを呼んでエジプトに連れてくるように言われます。兄弟たちは、ヨセフが生きていること、そしてエジプトで宰相となっているという「よき知らせ」をヤコブに伝えに行きます。
この姿を今日のクリスチャンの「型」として考えるとどのようになるか?このメッセージはそれを探求します。
From the publisher's feed

7 Listeners