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富永愛さんから、子育てに関するとても良いお話を頂き、深く考えさせられました
"先輩から 1ついいアドバイスを受けた時に。
目と心と手、っていうのがあって。
ちっちゃい頃は、親は子供に、目を離さない、手を離さない、心を離さないじゃないですか。
なんだけれども、小学校上がってくると。手を離さなきゃいけない。自分でできるにしなきゃいけないから。でも、目と心を離さないで。
次の段階は、目を離さなきゃいけない。でも心は最後まで離さない。"
ここから私は思いました
1、愛着理論
2、足場かけ理論
3、他者論
1、愛着理論
以前、子育ての大切な一つのこととして、アタッチメントがとても重要とのお話を思い出しました。子供へ触れること、そしてハグすること、これがとても子育てには大切なことだと。
今回の富永さんのお話も、心は離さない、ということは、アタッチメントの見えない形だとしても、それは続けていくことなのかとも思いました
英国の精神科医のジョン・ボウルビィの『愛着と喪失』では、「愛着は、個体が探索に向かうときに安心感を与える“安全基地”を提供する」と言われています。
ここで言う「探索」は、両利きの経営における「探索」においても、同じなのではと思います。つまり、イノベーターとしての探索活動は、すぐに結果が出る営みではないため
ともすると、遊んでるんじゃないか、好きなことだけやれていいよな、的なことを思われがちです。それでも、ボスが、それでいいんだと、心をつなげていてくれたら、きっと良い成果を出すことができる、そんなことも思いました
2、足場かけ理論
自転車の補助輪から、補助輪はずして手押しして、離してない離してない、言いながら、離して転ぶみたいなことを繰り返して、自転者は乗れるようになってるのと同じように
教育学者のジェローム・ブルーナーは『教育の過程』の中で、「支援は常に一時的なものである。学習者が自己で遂行可能になった時点で、支援は引き上げられる」と言われてます。
まさに、目を離して、手を離して、ということで、人は育つと言うことかと思いますが、逆に目も手も離さない、と言う厄介なこともあるよなあと思います。
私が、ワークショップなどをやるときに、最初はみっちりサポートしながら、最期は手を離しながら自分で失敗しながらできるようにと、心がけてますが
終了アンケートで一部から不平不満が出るみたいな、ことを恐れて、ついついみっちり教えてしまいたくなる欲求を抑えてます
職場でも、成果を出さなきゃと言うプレッシャーから、部下に任せるより、全部指示出してやった方が、確率が高まるみたいな考えに陥ると、実は手を離さない、そんなところが難しいからこそ、大切な考えだなあと思いました
3、他者論
フランスの哲学者のエマニュエル・レヴィナスは、『全体性と無限』の中で、「他者に対する責任は、選択されるのではなく、呼びかけに応答することによって始まる」と言われてます
つまり、社会的な繋がりが生まれるところから、実は倫理的な責任がそこに生じていると、言うことと解釈してます
イノベーターは、必ず仲間が必要になるので、自身のプロジェクトや仲間に対して、離れても“心をつなぎ続ける責任”を引き受ける存在であるとも言えると思いました
もっというと、実は、価値観の違う、今は仲間とは言えない他人でも、実は心はつなげることができる、と思えば、たとえ理解できなくても、違う正義を信じていても
あたかも反抗期の息子に相対するかのように、いつの日にか分かり合える、そんなことまで、心をつなげるということで、できる考え方なのかもしれないなと思いました
ということで、子供を育てる上での、目と心と手、については、イノベーターや、社員の育成、さらには対立の構造までも、包含してくれる、そんな素敵な考え方かなあと思いました
一言で言うと、
目と心と手ノベーション
そんなことを思いました^^
参考:NHKアカデミア選 冨永愛(後編)あくなき挑戦
2025/ 5/14(ZK) PM10:30 ~ PM11:00
地デジ021 NHKEテレ東京 https://www.nhk.jp/p/ts/XW1RWRY45R/
動画で観たい方はこちら
https://youtu.be/sFPt42gW8Is
富永愛さんから、子育てに関するとても良いお話を頂き、深く考えさせられました
"先輩から 1ついいアドバイスを受けた時に。
目と心と手、っていうのがあって。
ちっちゃい頃は、親は子供に、目を離さない、手を離さない、心を離さないじゃないですか。
なんだけれども、小学校上がってくると。手を離さなきゃいけない。自分でできるにしなきゃいけないから。でも、目と心を離さないで。
次の段階は、目を離さなきゃいけない。でも心は最後まで離さない。"
ここから私は思いました
1、愛着理論
2、足場かけ理論
3、他者論
1、愛着理論
以前、子育ての大切な一つのこととして、アタッチメントがとても重要とのお話を思い出しました。子供へ触れること、そしてハグすること、これがとても子育てには大切なことだと。
今回の富永さんのお話も、心は離さない、ということは、アタッチメントの見えない形だとしても、それは続けていくことなのかとも思いました
英国の精神科医のジョン・ボウルビィの『愛着と喪失』では、「愛着は、個体が探索に向かうときに安心感を与える“安全基地”を提供する」と言われています。
ここで言う「探索」は、両利きの経営における「探索」においても、同じなのではと思います。つまり、イノベーターとしての探索活動は、すぐに結果が出る営みではないため
ともすると、遊んでるんじゃないか、好きなことだけやれていいよな、的なことを思われがちです。それでも、ボスが、それでいいんだと、心をつなげていてくれたら、きっと良い成果を出すことができる、そんなことも思いました
2、足場かけ理論
自転車の補助輪から、補助輪はずして手押しして、離してない離してない、言いながら、離して転ぶみたいなことを繰り返して、自転者は乗れるようになってるのと同じように
教育学者のジェローム・ブルーナーは『教育の過程』の中で、「支援は常に一時的なものである。学習者が自己で遂行可能になった時点で、支援は引き上げられる」と言われてます。
まさに、目を離して、手を離して、ということで、人は育つと言うことかと思いますが、逆に目も手も離さない、と言う厄介なこともあるよなあと思います。
私が、ワークショップなどをやるときに、最初はみっちりサポートしながら、最期は手を離しながら自分で失敗しながらできるようにと、心がけてますが
終了アンケートで一部から不平不満が出るみたいな、ことを恐れて、ついついみっちり教えてしまいたくなる欲求を抑えてます
職場でも、成果を出さなきゃと言うプレッシャーから、部下に任せるより、全部指示出してやった方が、確率が高まるみたいな考えに陥ると、実は手を離さない、そんなところが難しいからこそ、大切な考えだなあと思いました
3、他者論
フランスの哲学者のエマニュエル・レヴィナスは、『全体性と無限』の中で、「他者に対する責任は、選択されるのではなく、呼びかけに応答することによって始まる」と言われてます
つまり、社会的な繋がりが生まれるところから、実は倫理的な責任がそこに生じていると、言うことと解釈してます
イノベーターは、必ず仲間が必要になるので、自身のプロジェクトや仲間に対して、離れても“心をつなぎ続ける責任”を引き受ける存在であるとも言えると思いました
もっというと、実は、価値観の違う、今は仲間とは言えない他人でも、実は心はつなげることができる、と思えば、たとえ理解できなくても、違う正義を信じていても
あたかも反抗期の息子に相対するかのように、いつの日にか分かり合える、そんなことまで、心をつなげるということで、できる考え方なのかもしれないなと思いました
ということで、子供を育てる上での、目と心と手、については、イノベーターや、社員の育成、さらには対立の構造までも、包含してくれる、そんな素敵な考え方かなあと思いました
一言で言うと、
目と心と手ノベーション
そんなことを思いました^^
参考:NHKアカデミア選 冨永愛(後編)あくなき挑戦
2025/ 5/14(ZK) PM10:30 ~ PM11:00
地デジ021 NHKEテレ東京 https://www.nhk.jp/p/ts/XW1RWRY45R/
動画で観たい方はこちら
https://youtu.be/sFPt42gW8Is
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