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アメリカの哲学者、ルース・チャンさんのTED講演『難しい選択の仕方 How to make hard choices』の言葉に、人生を左右するほどの難しい選択への向き合い方について、深く考えさせられました。
曰く
"互角の選択肢の中から選択をする時私たちにはかなり画期的なことができます。自分というものを選択の理由にできるのです"
"自分はあのタイプではなくて このタイプの人間になると決めその理由を自分で作ると私たちは真の意味で本来の自分になるのです 自分の人生の作者になると言っても良いかもしれません"
"だから難しい選択に直面したら どっちの選択肢の方が良いかなんて無駄なことを考えてはいけません 最良の選択肢などないのです 外にある理由を探すのではなく 自分の内にある理由を探すのです"
"難しい選択を経験して学んだことは自分がどこに主体性を置くか 自分が何を目指すのかに表れます 難しい選択を経験することによってなりたい自分になるのです"
"難しい選択は決して苦悩や不安の元などではなく人間が生きる上での特別なことを称え喜ぶ 貴重な機会なのです
正解か不正解かという理由だけで私たちの選択を支配するのには限界があります
難しい選択の局面でこそ私たちが本来持っている個性を生かした人物になるための理由を主体的に作り出すことができます
だから難しい選択は不幸ではなくありがたい幸運なのです"
ここから私は思いました
1、難しい選択に最良の選択はない
2、難しい選択でなりたい自分になれる
3、難しい選択は幸運である
1、難しい選択に最良の選択はない
私が独立した6年前のことを思い出しました。
会社に残るべきなのか、独立して自分で会社を始めるべきなのか。
自分にとっては、本当に難しい選択でしたし、選択した後も、本当にこの選択でよかったのか、と寝れない夜を何度も経験しました
ルースさんがおっしゃるように、果たしてそれが最良の選択だったのか?と聞かれても、今の自分には答えは出せないと思います
でも一言だけ言えることは、今から見てその選択を、後悔することは一度もないということです。
それは、ルースさんがおっしゃられたように、自分の内側の心に従ったから、そんな気がしました。
2、難しい選択でなりたい自分になれる
そう考えてみると、ルースさんが言われるように、私は、難しい選択の際には、自分自分のパッションの源がどこにあるのかということを、中心に考えたからこそ
寝れない夜は沢山経験しましたが、もしかしたら、なりたい自分に近づいたと思ったから、後悔は感じないのかもしれないなと思いました
それともう一つは、少なくとも、自分として、挑戦することができた、という思いが残ったからという気もしています
会社に残るという選択肢には、給料の補償や将来の福利厚生の有利なことなど、実は外部要因的には、沢山のメリットがあったように思えます
でも、ここで、自分で全てのリスクを背負って、やりたいことを始める。ということを、今やらないと、おそらく、これから先の人生でやることもないのだろうなあとは、漠然と思っていました
もちろん100%なりたい自分になれているのかというと、全くもってそんなことはなく、なれてない自分の方がむしろ、めちゃくちゃ多い気がします
それでも、少なくとも、私の墓標の横には、「挑戦したものここに眠る」と書いても、嘘にはならないのではないか、その一点において、なりたい自分になれているといってもいいのかもしれないなあと思いました
3、難しい選択は幸運である
そう考えると、私が経験した独立するか、会社に残るかという私にとってのとっても難しい選択は、私の進むべき方向性を決めてくれる、とっても良い機会になったといってもいいのかもしれないと思います
その時は、本当に悩みに悩みましたし、いろんな人にも相談して、そして応援してもらって、そして沢山助けてもらえました
そのたくさんの仲間の応援や、助けてくれたことも含めて、自分の人生の方向性を、自分の内面と向き合えながら、その内面の通りに、選択できたことを、本当に幸運な経験をすることができたと思います
本当に振り返ると、初めて言えることではありますが
難しい選択は、幸運である
私自身も心から言える言葉かもしれない、そんなことを思いました
ということで一言で言えば
難しい選択は幸運ノベーション
そんな話をしています
参考
ルース・チャン TED講演『難しい選択の仕方 How to make hard choices』2014年。
https://www.ted.com/talks/ruth_chang_how_to_make_hard_choices
生物学者であり、評論家でもある池田清彦さんの言葉に、人が自由に生きることと、他者とともに生きることについて、深く考えさせられました。
曰く、
「そこで私は、「善く生きるとは、あなたの欲望をもっとも上手に解放することだ」と述べ、「善く生きるとは原理的に言えば、個人の問題であるが、正しく生きるとは、自分の欲望と他人の欲望を調停することだ」という自分の考えを書いた。」
「人々の恣意性の権利(=自分の欲望を解放する自由)は、他人の恣意性の権利を不可避に侵害しない限り、保護されなければならない。ただし、恣意性の権利は能動的なものに限られる」
ここから私は思いました。
1、欲望を解放する
2、欲望を調停する
3、他人を動かす権利はない
1、欲望を解放する
私たちは、欲望という言葉を、どちらかというと、よくないものとして捉えてしまうことがあるのではないかと思います。
それは、なんとなく和を尊ぶ日本人気質な、気もします。欲張ってはいけない。わがままを言ってはいけない。周りに合わせなければいけない。
でも、自分が本当にやりたいこと、自分が面白いと思うこと、自分が実現したい世界というのは、ある意味では欲望なのだと思います。
私はそこから、どうしてもこれを成し遂げたい、どうしてもこれをやりたい、というパッションの源が出てくるのだと思います。
周りに合わせる社会性も大事ですが、それをやり過ぎて、自分が何をやりたいか、わからなくなってしまう、それが実は1番怖いことのような気がしました
実はそれが善く生きることの一丁目1番地ということは、とても勇気を頂ける話と思いました
2、欲望を調停する
自分も欲望を自由に出していいんだから、他人も出していいよね、ということが、欲望を調停するということかと思いました
時には、自分の欲望と全く違うタイプの欲望を他人が持っていて、全く理解不能だったとしても、それは否定できるものではないという認識だまずは大切なのかと思いました
その上で、自分の欲望と、他人の欲望が、もしかしたら、対立する関係になることもあるのかもしれない、そこを調停することが、正しく生きる秘訣というのも、とても腹落ちできました
それは必ずしも、自分の欲望を引っ込めろということではない点が重要だと思います
私はよく、自分軸と他人軸のベン図の話をしますが、会社との関係なり、人間関係にしても、必ず重ならないところがあるので、その重なりをどう上手く、自分も他人も否定せずに、ある意味、アウフヘーベンしながら、調停していくことが、とても大切なのだと思いました
3、他人を動かす権利はない
これは一見当たり前のように思えますが、例えば、親切をした時に、相手から、感謝の言葉が一つもなかった、というときに
自分は、「なんだ、せっかく親切にしてあげたのに、一言もないのかよ」と言ってないかということを、考えた時に
自分は、その他人を実は、自分の思うように動いて欲しい、または動かせようとしてるのかもしれない、ということに、はたと気付かされました
つまり、自分がこうしたいということや、相手がこうしたいということは認めていても、自分がこうして欲しい、という期待を持つだけでなく、相手がその期待どおりに行動するのが当然だと思ってしまうことがある。
それはつまり、受動的な恣意性を知らず知らずに発揮しているということなのかもしれません。
そこには、自分自身が持っているコモンセンスや、そこにあるバイアスに気がついていない可能性があるということなのかもしれないと思いました。
「普通そうするよね」みたいな「普通」ってなんだよ、ということに、必ず自分は染まっていると考えることが大事だと思います
「普通そうするよね」と思った時にこそ、自分は受動的な恣意性を発揮していないか、コモンセンスのバイアスに染まってないか、それを一歩引いて考える
それこそが多様性を考えるということだし、正しく生きるということにつながる
そんなことを教えて頂いた気がしました
実は、そのバイアスがあるところにこそ、イノベーションの種がある、とも言えるのかもしれないなと思いました
ということで一言で言えば
正しく生きるノベーション
そんな話をしています
参考
本:池田清彦『多様性バカ 矛盾と偽善が蔓延する日本への警告』扶桑社、2024年9月1日発行
天皇陛下の手術を担当されたことでも知られる心臓外科医、天野篤さんの言葉に、イノベーションにおける真の課題に辿り着くプロの覚悟に震えました
曰く、
「患者さんはかなりの決断をしてるわけですよ。やっぱり行こうって。。決めるという最後のきっかけが何だったのかっていうことを医療人ってのはアプローチしないといけないわけで。
勝手に胃が悪いと思ってたことが、心臓だったりっていうことを見つけることもある。
一番医療人が怖い結論っていうのは、何かって言ったら、何もないっていう結論。
異常なしっていう結論を出すことが、一番怖いと思わないといけないと。
それが本当に、来なくていいですなのか、面倒くさいから来なくていいですなのか。
でも、一番大事なのは、本当に来なくていいですの、来なくていいです、を見つけないといけないことだと思うんですね。」
ここから私は思いました。
1、違和感を重視する
2、真の課題を諦めない
3、プロとしての覚悟
1、違和感を重視する
患者さんが病院に行こうと決断するまでには、きっとさまざまな葛藤があるのだというのは、本当にそうだなと思いました。
私もよく思いますが、こんなことで病院に行ってもいいのだろうか。気のせいかもしれない。でも、何かがおかしい。そして、ある意味、勇気を出して病院に行く。
天野さんが言われているのは、検査の結果だけを見るのではなく、そもそも、その人がなぜ病院に来ようと決断したのか、そのきっかけにまで向き合うことを言われていて、そこまで想像されていることが、本当にすごいなと思いました。
そして、これはビジネスにおける新規事業でも同じなのかもしれないと思いました。
お客様が何か困っていると言っているのだけれども、こちらから見れば、大した問題ではないように思える。あるいは、お客様自身も何に困っているのか、うまく説明できていない。
こういう状況の時に、どんな対応を自分はしているだろうと、思い返しました。
つい自分たちの知識や経験で、お客様もそんなに困っているわけではないので、たいした話ではないと、判断してしまうことがあるのかもしれない。
もしかすると、お客様が感じている違和感には、まだ言葉になっていない真の課題が隠れているかもしれない。
その違和感が、実は、ものすごく大きな真の課題の種になるかもしれないと思えるかどうかが、とても大切なのだと思いました。
2、真の課題を諦めない
天野さんの「異常なしっていう結論を出すことが、一番怖い」という言葉がとても私には刺さりました。
普通、異常が見つからなかったら、お客様も私もよかったと思うのですが、そこにこそ怖さがあると言います。
本当に何もないのか。
それとも、自分が見つけられていないだけなのか。
あるいは、そもそも探している場所が違うのではないか。
胃が悪いと思っていたら、実は心臓だったというお話は、まさにそのことを表しているのだと思います。
新規事業でも、お客様が訴えている問題を、そのまま解決すればよいとは限らないということかと思いました。
お客様自身が、本当の原因に気づいていないのかもしれない。もしかしたら、こちらが最初に想定した課題が、間違っているのかもしれない。
だからこそ、目の前の課題に答えを出すことだけでなく、本当に解くべき課題は何なのかを、しつこく諦めずに探し続けることが重要なのだと改めて思いました。
医療は、一歩間違えれば、生死に関わる判断が求められるだけに、ここまで真の課題の深掘りを諦めないのだなあと。
もちろん医療とビジネスでは、背負う責任の重さも、その性質も違うと思います。でも、相手が抱えている本当の課題を、簡単に諦めずに探し続けるという姿勢は、ビジネスでも同じなのだと思いました。
3、プロとしての覚悟
そこまで、お客様の真の課題を深く掘り下げて、試行錯誤を繰り返して、お客様も自分自身も納得いくところまで、いったからこそ、初めて
「本当に来なくていいです」
という言葉が言えるのだなと思いました。
そこにあるのは、最後の砦としての、医療人としての、プロフェッショナルとしての覚悟なのだろうなあと感じました。
自分自身、そこまでの覚悟をして、一人一人のお客様に本当に向き合えているのか、と思ってしまいました。
新規ビジネスをやっている人は、楽しそうでいいねえと、よく言われました
そこには、心理的安全性をもとに、自由な発想をして、時には、バカじゃないの?と言われるような議論もして、自分自身のバイアスさえも超えていこうとしながらの作業なので、確かにそう見えているかもしれないし、そういう場面もあるんだと思います。
でも、一旦お客様と向き合ったなら、なんとしても、お客様やその先にいる人たちの真の課題、真の痛みを取り除くために、最後の最後まで諦めずに向き合いたい。
そして、お客様のその痛みが取れて、喜んでもらえた時、もうこれで大丈夫です。もう来なくてもいいです。
腹の底からその言葉が言えるまで、プロとして向き合っていきたいなあと思わせて頂きました。
お客様が抱える課題を、自分が解決できる範囲で探すのではなく、お客様の本当の痛みにたどり着くまで向き合う、その大切さを教えて頂きました
ということで、一言で言えば
本当に来なくていいですノベーション
そんな話をしています
参考
NHK Eテレ『最後の講義 心臓外科医 天野篤』2026年9月19日放送
https://www.web.nhk/tv/pl/series-tep-4N7KX1GKN7/ep/AEEV8DMEX6
同志社大学名誉教授の太田肇さんの言葉に、日本の組織人の真の課題と、これからの方向性について、とても深く考えさせられました
曰く
"イヌの仮面を被った「ネコ型」――。それが日本の組織人の実像に近いのではないだろうか。"
"最大の問題は、「実態はネコ型であるはずの社員に対し、組織が頑なにイヌ型の行動を求める」という設計ミスにあるのだ。"
"このミスマッチが、「従順なイヌ」を演じながら裏で舌を出すような機会主義的行動を誘発してきた。結果として、組織にとっても個人にとっても、最も危険で非効率な面従腹背の迷路を歩ませることになってしまったのである。"
"社員たちの面従腹背や機会主義的行動を生み出していた「犯人」は何だったか。 それは同質性と閉鎖性、そして人格的な序列によって成り立つ共同体型組織である。
したがって、改革の方向性は明確だ。共同体型組織が持つ性質とは逆方向――すなわち、多様で、オープンで、フラットな組織へと転換していけばよいのである。
具体的に言えば、多様性とは「選択権」、オープンとは「離脱権」であり、フラットは「対等な関係性」を意味する。"
ここから私は思いました
1、ネコを被ってイヌになる
2、イヌ型組織の限界
3、ネコであることを思い出せ
1、ネコを被ってイヌになる
私はどちらかというとイヌの方が好きなのですが、日本人は、もともとネコ型なのではないかというお話には、確かにそうかもしれないと、目から鱗がおちる気がしました
この書籍の中では、日本人全体のエンゲージメントが世界最低水準であるにもかかわらず、コロナの影響でフリーランスになった人たちのエンゲージメントは欧米と遜色ないレベルということが言われています
確かに真にみんながイヌ型であったら、面従腹背になる必要もないし、むしろ気持ちがいいはずで、メンタルになる必要もないなあと思いました
私自身、振り返ってみても、いかに上司を自分の思う方向へ動いてもらうかに、あの手この手で、時にはネコも被りながら、必死に泳いでいたことも思い出します
真の課題は、元来ネコ型の日本人が、イヌ型マネジメントをうまく切り抜けるために、ネコをかぶってイヌに見せかけていた、そこにあるのかととても腹落ちさせていただきました
2、イヌ型組織の限界
私が思うに、高度成長時代のように、課題が明確で、やることがわかっていて、物量勝負の時代は、ある意味軍隊のように統率されて動くことによって、全体で成長できるという構造を作りやすかったのかと思います
給与右肩上がり、年功序列など、その成果があるからこそ、甘んじてイヌ型マネジメントや共同体組織の同調圧力にも、ついて来れたのかと思います。
しかし、成長が止まり、年功序列も崩れ、そこに甘んじていること自体が、ほとんどメリットを感じなくなってきた時代になり
かつ、技術革新によるスマホやクラウドやAIでさえも、個人の手に入る時代になって、本来のネコとしてのパワーを拡張できるようになっているので
イヌ型マネジメントの元でやる意味が感じにくくなっているということもあるように思いました
3、ネコであることを思い出せ
私はまずは、自分自身が、実はネコだったということを、思い出すことから始めることが重要かと思いました
これまであまりにも、ネコをかぶって、イヌになっていた組織人は、それさえも忘れてしまっているのではないか、とも思います
そのためには、自らは、本当はなんのためにその組織に入ったのか、自らは何を実現したいのか、自らが提供していきたい価値はなんなのか
ということを、一旦思い出してもらうということから、組織を通じて実施する必要があると思いました
その上で、組織として、太田さんが言われてるように、「選択権」「離脱権」「対等な関係性」を実現できるような、仕掛けや制度、ルールを提供する
それは、私の言葉で言えば、自らのパッションの源を思い出せ、ということになります。でも、それは実は組織的に、仕組みとしてやっていかないと、困る人がたくさん出てきてしまうということになると思います
例えば、情熱のポートフォリオを使って、大好き、利他、個性、成長パッションを思い出してもらう
それと組織のミッション、お客様とのミッションとのベン図の重なりはなんなのかを創発してもらう
そこから、イノベータリップルモデルで、自分のパッションは、どんな仲間と、誰のために、価値として提供していきたいのかを考えてみる
そんなネコ型としての、自分を思い出すことをやってもらうことと共に、組織がどうそれをサポートするのか、という観点が大切になる気がします
そして、そこまでネコ型になれたなら、まさに「選択権」「離脱権」「対等な関係性」を活用して、自分自身でも価値を提供したくなるのではないかと思います
その先には、私が目指す「全世界一世体当たり一法人化」の世界への扉が開くのではないかと思います。
それは会社を辞めるということではなく、会社にいながらでも、自分自身としても世の中に価値を提供している世界
それができたら真の、「選択権」「離脱権」「対等な関係性」も実現できるのではないか、そんなふうに思いました
ということで一言で言えば
ネコをかぶったイヌからの脱却ノベーション
そんな話をしています
参考: なぜ「賢い人」が集まってしょうもない意思決定がなされるのか 身近な疑問からみる日本型組織の「無駄の構造」 電子書籍データ作成日 2026年7月7日 第1版 著者 太田 肇発行 株式会社日経BP 日本経済新聞出版
ペンシルバニア大学ウォートンスクール教授のイアン・C・マクミランさんと、コロンビア・ビジネススクール教授のリタ・ギュンター・マグレイスさんが提唱した「仮説指向計画法」の話に、新規事業における「計画」とは何なのか、改めて考えさせられました。
マクミランさんは、2009年のウォートン・スクールのインタビューで、
「計画について私が確実に知っているのは、それが間違っているということだけだ。」
そして、マグレイスさんとマクミランさんは『ハーバード・ビジネス・レビュー』で、
「実績基準の計画法は、計画の基礎になる仮説をあたかも事実であるかのように扱い」
「仮説基準計画法は、戦略的新規事業の展開過程で仮説が知識に転換するのに応じて組織的に構築される。新たなデータが明らかになると、進展する計画に組み込まれる。」
と言います。
ここから私は思いました。
1 事業化しても計画は仮説
2 事業計画が成立する条件を発見する
3 計画を変えることを計画する
1 事業化しても計画は仮説
新規事業では、多くの企業がいくつかのゲートを設け、「この事業を次の段階へ進めるのか」を判断します。
ところがその先で、ゲートを通過して「この事業をやろう」と決まったら、事業計画に組み込まれる。
その瞬間、それまで仮説として扱っていたものが、いつの間にか「守るべき計画」に変わってしまうことがあるなあと、つくづく思います。
しかし、事業化が承認されたからといって、それらが突然、事実になったわけではありません。
顧客が本当にその価格を払い続けるのか、想定した方法で顧客を獲得し続けられるのか、その獲得コストで採算が合うのか、市場が想定通り拡大するのか。
新規ビジネスの場合は、まだ仮説がたくさん残っていて、事業化したからといって、仮説が事実になったわけではない。
これが新規ビジネスが育たない理由の一つでもあるのではないかと思いました。
仮説指向計画法では、個々の仮説だけではなく、「この事業はこうなる」という計画そのものを仮説として扱います。
事業化するまでは仮説検証。
事業化したら計画通りに進める。
そうやって途中で頭を切り替えるのではなく、不確実性が高い限り、事業化した後も仮説検証は続いていき、計画自体もそれに合わせて変えていく必要があると思いました。
2 事業計画が成立する条件を発見する
これは、仮説を置いて問い続けるという点では、イシューステートメントともよく似ているのですが、
イシューステートメントでは、
「私たちが解くべき問題は、本当にこれなのか」
と問い続けるのに対して、
仮説指向計画法が問うのは、
「この事業計画が成立するためには、何が真実でなければならないのか」
ということです。
なので、
お客様の真に解くべき課題を問い続けることと、
事業計画を成立させるために何が真実でなければならないのかを問い続けること。
このスタンスの違いになるのかなと思いました。
新規事業では、ゲート管理を導入している企業も多くなってきたと思いますが、
ゲート管理は、
「この事業を次の段階へ進めるか」
を判断するのに対して、
仮説指向計画法は、
「進みながら、事業計画の何が正しく、何が間違っているのかを発見する」
ための考え方と言えるかもしれないなと思いました。
イシューステートメントで、
「何を解くのか」
ゲート管理で、
「次へ進むのか」
そして仮説指向計画法で、
「この事業を成立させるために、何が真実でなければならないのか」
を問い続ける。
事業計画というアクティビティそのものを、問い続けるということなのかと思いました。
3 計画を変えることを計画する
では具体的な運用として、仮説指向計画法では、事業化した後も計画が仮説なら、いつ計画を変えるのか。
ビジネスのピボットのように、何かが起きるたびに、その場その場で計画を変えるということではないところが、大きな違いになるかと思いました。
仮説指向計画法では、
「いつ、何の仮説を検証するのか」
というチェックポイント自体を、あらかじめ計画しておくとのことです。
そしてチェックポイントごとに、
「何が仮説から知識に変わったのか」
を見る。
仮説が正しかったなら、その知識を使って次へ進む。
違っていたなら、新しく得られた知識によって計画を書き換える。
つまり、
「状況が変わったら柔軟に対応しましょう」
というだけの話ではなく、
「この時点で、この仮説を検証し、その結果によって計画を変える可能性がある」
というところまで、最初から計画しておく。
つまり、
「計画を変えることを計画しておく」
という特徴なのかと思いました。
もちろん途中で、事業の前提を覆すような重大な事実が分かったなら、その時点で計画を見直すこともあっていいと思います。
つまり、
定期的なチェックポイントと、
重大な仮説が崩れた時の見直し。
この二つを、あらかじめ仕組みにしておくということかと思いました。
さらに大切なのは、計画に対する実績だけではなく、仮説に対する学習も管理するということです。
評価も、どれだけ計画を達成したのかだけではなく、
「得られた知識によって、どれだけ計画を進化させたのか」
を見ることになる。
仮説指向計画法とは、計画そのものを仮説として扱い、何を確かめるのかを決め、確かめるタイミングを決め、そこで得た知識によって、計画そのものを書き換えていく。
つまり、
「計画を変えることを、計画する」
ということなのだと思いました。
ということで一言で言えば、
仮説指向計画法ノベーション。
そんな話をしています。
参考
リタ・ギュンター・マグレイス、イアン・C・マクミラン「未知の分野を制覇する仮説のマネジメント」『ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー』1995年11月号
リタ・ギュンター・マグレイス、イアン・C・マクミラン「仮説指向計画法」『ハーバード・ビジネス・レビュー』1995年7・8月号
ウォートン・スクール「仮説指向型成長――唯一の計画は、進みながら学ぶこと」2009年(引用部分の日本語訳は筆者)
マサチューセッツ工科大学(MIT)教授で材料科学者のユージン・フィッツジェラルドさんの最新書籍『The Invisible Engine: Why Innovation Evades Control(見えないエンジン――なぜイノベーションはコントロールを逃れるのか)』の話に、日本の基礎技術をどう市場につなげていくのか、改めて考えさせられました。
フィッツジェラルドさんは、ベル研究所時代に、ほとんど欠陥のない薄膜状の歪みシリコンをつくる方法を発見しました。
曰く、
「物理学の観点から見れば、それは大きな成果でした。」
しかし、その技術が後に半導体産業にとって重要な意味を持つことは、当時予想していませんでした。
「最終的に、業界はムーアの法則を延ばすために歪みシリコンが必要だと気づきました。それは、私たちが予想していなかったことでした。」
そして、このようなイノベーションを生み出すものについて、
「見えないエンジンとは、人々や企業といった異なる主体による、分散した集合知です。それらが最終的に市場にサプライズを生み出します。」
そしてMITニュースは、この歩みを、
「重要な半導体技術を発明し、商業化するまでの18年間の道のり」
と記しています。
私はここから思いました。
1、価値ある基礎技術を創る
2、見えないエンジンを使う
3、長期間継続できるか
1、価値ある基礎技術を創る
日本には、大学や企業の研究所、研究機関などに、世界に誇れる基礎技術がたくさんあると思います。
そこからなかなかビジネス化へ持っていくことが、大きな課題となっていると思います。
しかし、基礎技術があることと、それが大きな市場を生み出すことは、同じではありません。
歪みシリコンも、最初から「ムーアの法則を延ばす」という市場目的から生まれたわけではありませんでした。
出発点にあったのは、
「物理学の観点から見れば、それは大きな成果でした。」
という、技術そのものの価値だったのです。
ほとんど欠陥のない歪みシリコンを実現し、電子が高速で移動できるという性能上の価値も見えていました。
つまり、
市場価値はまだ分からない。しかし、技術として価値があることは分かっている。
ここが大切なのではないかと思います。
市場がすぐに見えないからといって、価値ある基礎研究までやめてしまったら、未来のイノベーションの種そのものがなくなってしまいます。
日本には、その技術力がある。そこは決して無くしてはいけないことだし、目先のビジネスが見えないからといって、価値ある基礎研究から易々と足場を移してはいけない、と改めて思いました。
2、“見えないエンジン”を使う
フィッツジェラルドさんは、「異なる主体による、分散した集合知」のことを「見えないエンジン」と呼んでいます。
実は、フィッツジェラルドさん自身も、歪みシリコンが後にムーアの法則を延ばす重要な技術になるとは予想していませんでした。
彼はベル研究所からMITへ移り、研究を続け、さらに1998年には教え子とアンバーウェーブ・システムズを設立して事業化に挑みます。
その過程で、研究者だけではなく、大学、新興企業、半導体企業など、さまざまな主体がこの技術に関わっていきました。
さまざまな人や組織が技術と接触し、それぞれの知識や課題を持ち込み、その相互作用の中から、研究者自身も予想していなかった価値が見つかっていった。
そうしたさまざまな主体による「分散した集合知」を、フィッツジェラルドさんは「見えないエンジン」と呼んでいます。
価値ある技術を研究所の中に閉じ込めず、多様な知性と接触させ続ける。
技術を市場に合わせるだけではなく、市場の側にも、その技術の価値を発見してもらう。
そんな世の中に潜んでいる「見えないエンジン」とどう接触しコラボレーションし続けていくか。
そこが、世の中に価値として昇華していくための、とても重要なアクティビティなのだと改めて思いました。
3、長期間継続できるか
フィッツジェラルドさんの歪みシリコンが発明から商業化に至るまで、MITニュースが「18年間の道のり」と表現するほどの時間がかかっています。
その間、ベル研究所からMITへ、さらに新興企業へと場所を変えながら、「見えないエンジン」とともに、技術は生き続けました。
そして、その間に世界の側も変わりました。
フィッツジェラルドさんは、
「研究をしているだけではなく、その間に世界そのものも変化している。」
と語っています。
今、市場がないからといって、10年後にも市場がないとは限らない。
今、使い道が分からないからといって、価値がないとは限らない。
世界が変わることで、それまで見えていなかった技術の価値が、突然見えてくることがある。
それは、これまでの発明や技術が日の目を見る時には、そういうものである、ということは、さまざまな事例から、わかっていても、18年間続けることは、本当に簡単なことではないと思います。
私はそこには、フィッツジェラルドさんが語っていた「社会にインパクトを与えたい」という強烈な意志が大切だと思います。
そしてもう一つ、マーケットはまだ見えていなくても、科学や技術の世界では明らかに価値があると、自他ともに認められていることも欠かせないと感じます。
その上で、「見えないエンジン」を世の中のあらゆる人々と、長い道のりをかけて継続していくこと。
そのために「見えないエンジン」エコシステムのような存在も必要でしょう。
彼はそれを、人々をイノベーションのために集める場を「第三の場所」と呼び、大学がそれを始動させる重要な存在になり得るとしています。
価値ある基礎技術を見極め、外の世界との相互作用を続けながら、それを長期間生かし続けられる仕組みを持てるか。
価値ある基礎技術を創ることを、中長期的に続けていく。
それを「見えないエンジン」に乗せるアクティビティとエコシステム。
そして、その技術を長期間生かし続けるサポートと仕組みづくり。
そこに、日本の基礎技術を世界のイノベーションにつなげていく、一つの可能性があるのではないか。
ということで、一言で言えば
見えないエンジンノベーション
そんな話をしています。
参考
ユージン・フィッツジェラルド『The Invisible Engine: Why Innovation Evades Control(見えないエンジン――なぜイノベーションはコントロールを逃れるのか)』2026年。
※日本語題は内容を示すための仮訳です。
MITニュース「イノベーションがどのように起こるかを再考する――ユージン・フィッツジェラルドへの一問一答」2026年8月17日。
MITニュース「ホワイトハウス、米国のイノベーション改善の鍵としてMITxの新講座を紹介」2013年6月18日。
MITニュース「根本的イノベーションを再発見する」2015年12月3日。
神経科学者、デイヴィッド・イーグルマンさんのTED「Can we create new senses for humans?」に、めちゃめちゃ衝撃とワクワクをいただき、これからの自分のあり方を考えさせられました
曰く、
「脳は音も光もない頭蓋骨の中に収められています 脳が見るのは様々なケーブルから入ってくる 電気化学的な言号だけです 脳が扱うものはそれだけです 脳というのはそのような信号を取り込んでパターンを抽出し 意味付けを行うことに驚くほど巧みでこの内的な宇宙から ストーリーをまとめ上げて皆さんの主観的な世界を作り出しているんです」
「ここで鍵になるのは脳というのはそういうデータが どこから来ているのか知らないし気にもしないということです何であれ情報が入ってきたら 脳はその使い方を見つけ出すのです 脳というのとても効率的な機械です それは基本的には汎用計算装置でどんなデータに対しても どう使えばいいか見出すことができ母なる自然が様々な入力チャネルを作り出す自由を生み出しています」
「それが意味するのは我々に備わる器官は別に特別で根本的なものではないということです 進化の長い道のりで受け継いできたものというに過ぎず 我々はそれにしがみついている必要はないのです。」
「ここで鍵となるのは未来へと進む中で私たちは自らの周辺機器を選んでいけるようになるだろうということです」
「今私たちが問うべきことは自分の世界をどう体験し 探索したいかということです」
私はここから思いました。
1、自分の周辺機器が選べる時代へ
2、人間の環世界バイアスを破壊する
3、自分が住みたい環世界とは
1、自分の周辺機器が選べる時代へ
今、自分が、目で見て、耳で聞いて、鼻で匂いを嗅いで、舌で味わい、皮膚で触れること、これ以外の感覚を拡張することができる世界がこれからくるかもしれないということに、衝撃をいただきました。
これまでも、感覚の拡張の話は伺ったことがありましたが、例えば、人間の脳にAIを接続するなどは、知能の拡張として、検索や情報蓄積を外部機能として、サポートしてくれる世界
失った腕をロボティクスを接続することで、脳から動かすことができる世界などなど
しかし、今回のお話は、私が思っていた、各々の機能の性能を向上させることではなく、全然違う感覚の周辺機器を接続することができるということなので、目から鱗がおちる思いでした
しかも、脳そのものには、新しい情報の入力方法を学び、それを使いこなしていける可能性があるということ
実は遠い未来ではないのかもしれないという衝撃をいただきました
2、人間の環世界バイアスを破壊する
生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの「環世界」という考え方では、同じ場所に存在していても、生物によって感じている世界は違う。
つまり、人間や、犬や、昆虫では、自分が持っている感覚器官、つまり周辺機器によって切り取られた、それぞれの世界を生きているという話です
各々の生物では、自ら長い間をかけて獲得してきた、周辺機器からの情報しか把握することができないため、それが世界の全てという認識になってしまう
つまり、人間で言えば、人間の五感が全てと思い込んでいる、環世界バイアスに縛られていると言ってもいいのかもしれないと思います
人間は、様々な機器を活用して、例えば、赤外線や、振動や匂いのセンサーなど、人間では感知できないものを把握できるようにしてきたと思いますが
それはあくまでも人間が感知できる五感へ変換することによって感知してきているということかと思います
それを、脳に直接ケーブルを接続するように人間が感知できるようにすることで、全く違う人の環世界を広げることができる
これまで目が見えない人たちが、例えば振動という別の経路から情報を受け取り、周囲の世界を新たな方法で感じられるようになる、ということもあるかもしれないし
健常な人たちにおいても、虫の目や、思いもよらない感覚を手に入れることができるようになるかもしれない
ここには、めちゃくちゃイノベーションのホワイトスペースがあるのかもしれないと、思いました
3、自分が住みたい環世界とは
これまでの人類は、AIも含めて、いかに自身に有用なツールを開発し実装していくかということが中心だった気がします
しかし、環世界のイノベーションが起きた世界においては、全く違う環世界に生きている人たちが、環世界の多様性の中で生きている、そんな世界が出現しているのかもしれないと思いました
物理的には同じところにいるのだけれども、接続している周辺機器が全く違うことによって、環世界が全然違うところに住んでいる人たちが出てくるのかも
さらには、もし将来、環世界そのものが「プラグアンドプレイ」のようになったとしたら、時と場合によって、自由に様々な環世界を行き来することができるのかもしれない
それは、自分が何を感じたいのか、どんな環世界に住みたいのか、を明確に、自分で問いを立てて、選択してかなければならい、または、選択することによって、全然違う世界からの体験を獲得することができる
より、自分自身がどんな世界へ住みたいのか、どんな人生を送りたいのか、という問いが大切になっていく世界になるのかもしれないなあと思いました
バーチャルな世界でもなく、多次元宇宙でもなく、多様な環世界、そんな未来がくるのかもしれない
一言で言えば
多様な環世界を生きるノベーション
そんな話をしています
参考
・デイヴィッド・イーグルマン「Can we create new senses for humans?」TED2015、2015年3月
・ヤーコプ・フォン・ユクスキュル『生物から見た世界』
陸上競技選手、田中希実さんの『希わくばの詩』の言葉に、表現するとはどういうことなのか、深く考えさせられました。
曰く、
「私は走ることより先に、読むこと、書くことに目覚めました。」
「ただ、書くこともずっと自分のためであり、あくまで『読む専』の私は、読書感想文をはじめ、作文は大の苦手でした。
経験を重ねるにつれ、大人に評価される文の書き方はなんとなく心得るようになりましたが、自分の本当の思いを人に伝えるために文章を使ったことは、ほとんどありませんでした。
だからこそ、だんだんと走ることに目覚めていったのでしょうか。言葉を使わず、走りで心の奥の何かを人に伝えていくことを、選び取っていったように思います。」
ここから私は思いました。
1、天職は最初から天職じゃない
2、思いは全ては言葉にならない
3、思いを伝えるために天職がある
1、天職は最初から天職じゃない
日本記録を次々と塗り替えている田中さんが、最初から「走ることこそが自分の表現だ」と思っていたわけではなく、その前に、読むこと、書くことに目覚めていたということに衝撃を受けました。
私たちは天職というと、小さい頃から「これしかない」と思い続け、一直線に極めていった先にあるもののように考えてしまいます。
でも、もしかすると天職とは、最初から「これが私の天職です」と分かっているものではないのかもしれない。
いろいろなものに触れ、うまくできないことも経験し、自分の中にあるものをどう表現したらいいのかを探していく中で、後から天職になっていくものなのかもしれないと思いました。
2、思いは全ては言葉にならない
想いの全てを、言葉で、人に伝えるということは、とても難しいことだと、私も実感します
言語化の本などもたくさん出ていますが、それでも、どうしても言葉に変換できない思いというのは、あると思います
哲学者・科学者のマイケル・ポランニーは『暗黙知の次元』の中で、
「私たちは、語ることができる以上のことを知ることができる。」
と述べているように
人間の中には、知っているのに説明できないこと、感じているのに言葉にできないことがある。
これは私の場合は、音楽にとてもそれを感じます。歌詞だけでは伝えきれないことを、メロディやコード進行やアレンジで伝えることができる
もっと言えば、言葉がない、インストゥルメンタルの方が、感情を伝えてくれてるなあと、思うことも多々あります
それが、田中さんの場合は、走りだったということなのかなと思いました
3、思いを伝えるために天職がある
きっと、誰にも、言葉には、そんなもどかしさがあって、それを、何か別の表現方法で伝えたいと思うことは、たくさんあるんだなあと、改めて思いました
きっと、その人が、懸命になっている姿、そこには、なんであれ、メッセージがある
そのメッセージに、言葉以上の感動をもらうのかもしれないと思いました
そして、それが、実は、その人の天職になっていくということも言えるのかもしれないと思いました
ランナーであれ、料理人であれ、音楽家であれ、アーティストであれ、教師であれ、職人であれ
自らの天職を見つけているような人は、実は、自分の言葉にならない思い、それをぶつける方法が見つけられた人、ということなのかもしれないと思いました
自分の天職とは、言葉では、伝えられない思いを、伝える手段なのかもしれない
天職を探すということは、自分なりの、誰かへのメッセージを伝える方法を探すということなのかもしれない
内村鑑三さんが、「後世への最大の遺物」でも、言われていた通り、誰もが持っている遺物は、その人の生き様である、ということにも、通じる話だなあと思いました
私も、自分の、言葉だけでは伝えきればい思いを、これからも、自分の生き様を通して、伝えられたらいいなと思いました。
ということ、一言で言えば
生き方が言葉になるノベーション
そんな話をしています
参考
・田中希実『希わくばの詩』世界文化社、2026年4月5日初版第1刷発行
・マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』
・内村鑑三『後世への最大遺物』
元トヨタ自動車技監の林南八さんが、トヨタ生産方式を築いた大野耐一さんから直接言われた言葉に深く考えさせられました。
曰く、
「最適や限界というのは前提条件を固定した時に決まる。君たちは前提条件を覆すために採用されてるんだ。」
トヨタといえば、なぜを5回繰り返す、世界的に有名なカイゼンを世の中に広めた会社との認識でしたが、その中には、前提条件を覆す、イノベーションにも通じる話をされていたことに、とても感動しました。
ここから私は前提を覆すとはどんな方法があるのだろう?と考えてみました。
1、解くべき問題のピボット
2、想像的再カテゴリー
3、異領域アナロジー
1、解くべき問題のピボット
2025年に学術誌『リサーチ・ポリシー』に発表された、 ジョナサン・R・クロムウェルさんとジャン=フランソワ・ハーヴェイさんが世界的大企業の579チームを対象にした研究では
最初から問題を明確に決めるのではなく、解決策を試しながら「本当に解くべき問題」を発見していったチームでは、約80%がプロジェクトを完遂し、一方、最初に問題を明確に定義し、その定義を維持したチームでは約50%だったとのことです。
つまり、解決策をピボットするだけではなく、解くべき問題そのものをピボットしていった方が、プロジェクトを完遂させることができた
これは、そもそも設定していた問題自体を、前提条件から疑ってかかっているということなのだと思いました
ある問題に対して、なぜなぜを5回繰り返すだけではなく、そもそもその問題自体が捉え方が違うのではないか、そして、真の問題はドンドン形を変えてピボットさせていくという考え方の方が、実は、ゴールに近づくことができるという学びかもしれないと思いました
2、想像的再カテゴリー
2025年に学術誌『思考力と創造性』に発表されたシャンティ・アストラさんとケネス・カーツさんの研究では、「想像的再カテゴリー化」という方法が研究されています。
「これはこういうものだ」というカテゴリーから一度外し、本来とは違うカテゴリーとして考えることで、認知的柔軟性が高まることが示されたということです。
例えば、「銀行」「大学」「会社」と名前をつけた瞬間、私たちは無意識に「こういうものだ」と決めてしまいますが、そのカテゴリーを一度壊してみる。
これは、ドリフの「もしものコーナー」とようなものかと思います。
「もしも銀行が居酒屋だったら」
暖簾をくぐりながら、大将がいつものメニューを自動的に出してくる。カウンターには馴染みの客が馬鹿話をしている。馴染みの客のボトルは飲んじゃっても喧嘩にならない。。。
こんな居酒屋の良さを銀行の中で味わえてもいいんじゃない?と発想が広がっていく
そもそも銀行ってご近所の笑顔を取り戻す場所、ってカテゴリーに想像してもいいじゃない
みたいな形で、できるだけ違うカテゴリーにぶち当ててみて、固定化された発想を壊していくというのは、前提を壊すという意味では、やってみても面白いなあと思いました。
3、異領域アナロジー
2026年に学術誌『デザイン・サイエンス』に発表されたルトヴィク・コカテさんとプラサド・オンカーさんの研究では、生成AIを使って異なる領域から類似する構造を見つけ、新しいアイデアにつなげる方法が研究されているそうです。
これは、まず、自分たちのビジネスの「構造」を言語化して、その後、AIに同じ構造を持つ遠い世界を探させ、そして、その世界の仕組みを元のビジネスへ持ち帰って適用してみる、方法です。
例えば、例えば、「銀行の『預金を集め、それを必要な人に融資し、利ざやを得る』という仕組みと、構造的に似ている仕組みを、金融以外の業界・自然界・社会システムから10個探して」とAIに指示して
10の候補から候補の中から、電力網を選んだ場合、各所で生まれた電力を集める → 必要な場所へ配分するという仕組みが構造的に似ているとなる
そこから今度は、じゃあ、
「銀行が電力網のように機能するとしたら、現在の銀行にはないどんなサービスが考えられる?」
とAIに聞く。
「お金が余っている場所と必要な場所をリアルタイムでつなぐ」
「需要に応じて資金の流れを動的に変える」
「中央の銀行だけでなく分散した資金供給源をつなぐ」
など、銀行の既存の前提から離れた発想が出てくる可能性がある。というものです。
AIを使った今時の面白い方法かもしれないなあと思いました。
ということで、前提を疑うためには、今はいろんな仕組みがあるので、それを適宜導入してやってみることがとても大切だと思いました
例えば
解くべき問題をどんどんピボットしながら真の問題へ到達する、「解くべき問題のピボット」
ドリフのもしものコーナーのように、全く違うものを掛け合わせて、もしも、、、だったら、と発想を広げてみる、「想像的再カテゴリー」
当該対象のアナロジーを一旦分析して、AIで同様のアナロジーの異種ものを見つけてきて、その異種がやっていることから、さらなるアイディアをいただく、「異領域アナロジー」
私も是非とも使ってみたいと思いました
ということで、一言で言えば
前提を覆すノベーション
そんな話をしています
参考
・林南八「元トヨタ自動車技監・林南八氏が〝改善の鬼〟大野耐一に学んだ仕事の極意」ウェブ致知/致知出版社
・学術誌『リサーチ・ポリシー』(2025年)「チームによる問題発見」に関する研究
・学術誌『思考力と創造性』(2025年)「想像的再カテゴリー化」に関する研究
・学術誌『デザイン・サイエンス』(2026年)「生成AIを活用した異領域の類推」に関する研究
世界最大級の物流企業のUPSで配送ルート最適化システム「ORION」の開発を率いたジャック・レヴィスさんの言葉に、めちゃめちゃ考えさせられました。
曰く、
「社内には、私と私のチームはどうかしていると思っている人たちがいました。」
「イノベーターは、人々の前で愚かに見えることを恐れてはいけない。そして私たちは、間違いなくそう見えていたと思います。」
「自分のアイデアへの深い信念と、打たれ強さが必要だ」
「経営トップのところへ行った時、私たちはアイデアではなく、結果を見せました。」
ここから私は思いました。
1、スポットライトに出る日は来る
2、信念を貫くためには
3、打たれ強くなるためには
1、スポットライトに出る日は来る
昨日はステルス・ノベーション(1982回)として、まだ弱いアイデアを、社内のスポットライトに出る前に、ステルスでいかに進めていくかという話をしました。
しかし、ステルスがうまく行った後に、必ず社内の人目に触れる場所、つまりスポットライトの前に、出なくてはならない日は来ます。
ORIONは、100年近く効率化を続けてきたUPSで、「もう改善余地などほとんどない」と思われている中で始まったと言われています。
イノベーションプロジェクトには、必ずと言っていいほど、その道をずっとやってきたプロが社内にいます。
「そんなことは、ずっと前から考えている」
「できるんだったら、とっくにやっている」
そんな批判を甘んじて受けなければならない時が来る。
しかも、その時にはまだ、自分たちが正しいとは証明できていない。
そこには、まさにジャックさんが言われているように、
「自分のアイデアへの深い信念と、打たれ強さが必要だ」
と思います。
では、その深い信念と打たれ強さは、どうやって身につけたらいいのか?という問いが生まれました。
2、信念を貫くためには
心理学者アルバート・バンデューラさんの「自己効力感」の研究が、とても関連することだなあと思いました。
バンデューラさんは、「自分にはできる」という感覚をつくる最も強い源泉の一つとして、自分自身の成功経験、Mastery Experienceを挙げています。後続研究でも、自己効力感を形成する4つの源泉の中で、習熟経験は一般に最も強いものとされています。
ORIONは、プロトタイプをつくって実際の配送現場で試し、顧客サービスを維持しながら、より低コストのルートをつくれることを一つずつ確かめていったそうです。
これはまさに小さな成功体験を、仮説検証を何回も回すことで、自らに積み上げていったということかと思います。
それによって、もちろん、ソリューションも練り上げられましたが、ジャックさんの成功経験が積み重なっていって、「自分にはできる」という信念を形作っていったのかもしれないなあと思いました。
信念がある、ない、とは、性格でも資質でもなくて、小さな成功体験を積み重ねていった経験の結果、生まれているものなのかもしれないなあと思いました。
3、打たれ強くなるためには
心理学者ドナルド・マイケンバウムの「ストレス・イノキュレーション・トレーニング」というのがあって、
マイケンバウムは、ストレスへの対処について、
「ストレスの原因やストレス反応を、解決すべき問題として定義する」
としています。
つまり、「みんなから馬鹿だと思われている」ということを、
「なぜ信じてもらえないのか」
「何を実証すれば、信じてもらえるのか」
という、解くべき問題に変えてしまう。ということなのかと思いました。
レヴィスさんたちは、まさにプロトタイプをつくり、実際の配送現場で試していき、最終的には、経営トップに対して、
「私たちはアイデアではなく、結果を見せました。」
と言っています。
これは、「みんなから馬鹿だと思われている」というストレスを、
「何を実証すれば、信じてもらえるのか」
という解決すべき問題として定義し直して、
ストレスにただ耐えるのではなく、次に何をすればいいのかという方向性を見つけて、実践した、ということなのかもしれないと思いました。
つまり、打たれ強いとは、何を言われても傷つかないことではなく、批判を「自分への評価」で終わらせず、「解くべき問題」に変えられること。
そういうことなのかもしれないなと思いました。
小さな成功が、信念を育てる。
批判を解くべき問題に変えることが、打たれ強さを育てる。
だから、信念も、打たれ強さも、挑戦する前に持っていなくていい。挑戦しながら育てていけばいい。
その二つを繰り返していくうちに、最初は「どうかしている」と思われたアイデアが、最後には経営に見せられる「結果」になっていく。
昨日は、スポットライトからアイデアを守る話でしたが、でも、いつかスポットライトに出る日は来る。
そこで必要なのは、生まれつきの強い心ではない。
小さな実装によって信念を育てる。
批判を解くべき問題に変えることで、打たれ強くなる。
そして最後には、アイデアではなく、結果を見せる。
一言で言うと、
スポットライト・ノベーション。
そんな話をしています。
参考
ジャック・レヴィス「イノベーションで最も難しい一歩? 人前で愚かに見えること」TED@UPS
ロベルト・V・ジカリ「イノベーション・マネジメントについて――ジャック・レヴィスへのインタビュー」ManageMagazine、2023年
アルバート・バンデューラ『Self-Efficacy: The Exercise of Control』1997年
ドナルド・マイケンバウム『Stress Inoculation Training』1985年
ドナルド・マイケンバウム、ジェリー・デフェンバッハー「Stress Inoculation Training」『The Counseling Psychologist』1988年
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