
Sign up to save your podcasts
Or


つい先ほど、第12回SEEを大盛況で無事に終えることができました。ご登壇の皆様、来て頂いたオーディエンスの皆様、アドバイザリーや審査員で多大なるご支援を頂きました皆様、そしてスタッフの皆様、本当にありがとうございました
正式な報告は別途させて頂きますが、本日感じたことをお話ししたく思います
1、プロの斬新な視点
2、若手の燃えるパッション
3、現場の課題へ向き合おうとする真摯さ
1、プロの斬新な視点
今回も多種多様な起業家の皆様にご登壇いただいたので、きっとさまざまなマッチングが生まれてるのではないかと思います。
特に、その道のプロフェッショナルの専門性を活かした、かつイノベーティブな取り組みが多かった気がします
トイレ洗浄ロボットのinprogさんや、デジタルの世界のプロモーターを目指すAlcheさん、自宅で心臓病検知のココロミルさんなど、皆さんその道のプロで、さらなる未来を紡ぎ出そうとしているように思いました
2、若手の燃えるパッション
一方で、若手の弾けるような燃えるパッションで、なんとか現場にある課題を解決できることを探索し続けたいという思いもひしひしと伝わってきました
EdFusionの親子の新たなAI革命や、沖縄高専のRewaveの災害時のメッシュ通信網、そして、神山まるごと高専のCodellのスマートグラスによる高齢者向けのソリューションなど
自分たちがもってる得意技を、とにかく役に立てることはないのか?ということをとにかく探索しまくるパッションには、本当に頭が下がりましたし、彼らは必ず彼らしか見えない価値を探し当てるだろうなと、直感的に思わせてもらえました
3、現場の課題へ向き合おうとする真摯さ
プロも、若手も、同じように、とにかく感じたのは、とにかく現場に向き合って、そこから新たな価値を生んでいこうという思いでした
審査員からのさまざまな質問にスラスラと答えられるのも、現場で何度も試行して考え抜いているからということを感じました
現場への姿勢には、プロも若手もないんだなと
いかに真摯に向き合ったかということが全ての勝負になっていると感じました
今回も素敵なプレゼンを本当にありがとうございました!
参考:第12回SEEより
ジャズ・ヴィブラフォン奏者、ステフォン・ハリスさんのTED「There are no mistakes on the bandstand」にジャズとイノベーションの関係について、新たな気づきを頂きました。
曰く、
「バンドスタンド上では、そもそも誤りをミスと捉えません。
唯一のミスと言えば、他人の演奏を受け入れられないことです。
ジャズでは、すべてのミスがチャンスなのです。」
「ジャズでは細かい管理はしません。それが芸術的な可能性を制限してしまうからです。」
「音楽を本当に奏でたいとき、私は聴くようにしています。周りから学べることのほうが、私ができることより遥かに多いんです。」
ここから私は思いました。
1、ミスは次の可能性になる
2、管理しすぎると可能性を失う
3、変化を捉えて即応する
1、ミスは次の可能性になる
アカペラのライブをやる時は、まずはやる曲の楽譜を作成して、そして各々のパートを各々が個別に練習して、さらに全員で合わせる練習をして、というステップを通じて本番に向かいます。
なので、とにかくみんなでうまく合わせたところは、間違わないように、ハモリがずれないように、かなりの気を張って歌っています。
しかしながら、ジャズの世界は、さらにその先に価値を置いているんだなということを、ひしひしと感じました。
むしろ、ミスが起きたときに、そこから次の可能性をどれだけ開けるかに価値を置いている。
それが、唯一無二の即興音楽を奏でていくことにつながる。
ここに改めて感動しました。
練習したことを間違いなくやることにも、もちろん価値はあります。
しかし、さらにその先には必ず予想外があり、その予想外こそが面白いという考え方です。
これは発明の世界で、意外な結果が出たことで大きな発見につながった、という逸話にも似ているなあと思いました。
イノベーションの世界でも、全く予想外の結果が出てきた。もしかしたら失敗かもしれない。
でも、そこで、
「だとしたら、ここから新たな価値が生まれているのではないか?」
というマインドセットで動くことが、とても大事だなあと思いました。
組織心理学者セバスチャン・フィッシャーさんらは、ミスを隠すのではなく、共有し、助け合い、素早く対応する「エラー・マネジメント文化」と、組織や個人のイノベーションとの関係を研究しています。
こうした文化では、
「ミスについて話し、知識を共有し、助け合い、素早く発見して対処する」
という実践が重視されます。
つまり大切なのは、ミスを次の学習につなげられるか。
ミスは、次の可能性の入口なのだと思えるかにかかっているのだと思いました。
2、管理しすぎると可能性を失う
組織学者でありジャズピアニストでもあるフランク・バレットさんは、
「ジャズの即興という芸術は、演奏者に新しいものを創り出すことを要求する。」
さらに、
「過度の規制と統制は、音楽的アイデアの相互作用を制限する。」
と論じています。
またジャズ奏者について、
「あらかじめ決められた計画も、結果の確実性もない中で、新しい応答をつくり出す。」
とも表現しています。
これがジャズの素晴らしいところで、予想外を生みやすい。
管理やルールという取り決めごとは、できるだけ最小限にして、個々人が自由に動ける状態にすることをゴールに置く。
会社や組織のイノベーションも、最低限のルールだけを決めておいて、他は個々人の自由意志に委ねる。
そして、自由にどれだけ挑戦し、新たな価値を生み出していったかを評価として見ていく。
そんなジャズのような基準やルールで動かすことができたら、よりイノベーティブなモデルが出てくる可能性が高まるのではないか、とも思いました。
VUCAの時代には、JAZZ型経営というような形が、必要なモデルの一つなのかもしれないと思いました。
3、変化を捉えて即応する
組織学者カール・ワイクさんらは、
「センスメイキングとは、状況を言葉で明示的に理解できる“状況”へと変換し、それを行動への跳躍台にすることである。」
と説明しています。
これはまさに、ハリスさんが、周りの音を聴いて、理解できる状態へ変換し、それを瞬時に即興という行動へ跳躍する、ということと同じようなことを言われていると思いました。
つまり組織も、周りの音がどのように変化しているのかを聴く耳を持つ必要がある。
そして、その変化をどう意味づけ、どのような組織行動へ変えていくべきかを、迅速に判断して動く。
そんな、変化を意味づけ、即座に行動へつなげられる組織になれば、JAZZ型経営として、即興音楽のように新たなビジネスモデルを次々と生み出していくことができる。
そんな究極の組織に近づくような気がしました。
実は、私の会社は「InnoProviZation」といいます。
InnovationとImprovisation、つまり「イノベーション」と「即興」を組み合わせた名前です。
私は、イノベーションもジャズの即興演奏のようなものだと思っています。
誰かのミスを否定するのではなく、そこから次の価値につなげる。
すべてを決め切るのではなく、余白を残す。
周りの変化を聴き、その瞬間に自分の動きを変える。
一人で完成した曲を奏でるのではなく、
仲間と、その瞬間にしか生まれない価値をつくる。
それが、私がInnoProviZationという名前に込めた思いです。
ということで一言で言えば、
ミスがチャンスになるノベーション
そんな話をしています。
参考:
・ステフォン・ハリス「There are no mistakes on the bandstand」TEDSalon NY2011
・セバスチャン・フィッシャーほか「企業と個人の革新性におけるエラー・マネジメント文化の役割」Applied Psychology、2018年
・フランク・J・バレット「ジャズと組織における創造性と即興―組織学習への示唆」Organization Science、1998年
・カール・E・ワイク『Sensemaking in Organizations』
火薬で感動的なアート作品を作り続けている、現代美術家の蔡國強さんの言葉に痺れました。
曰く
「私の父は絵を描いていました。
真面目な性格のせいか、父の絵はとても慎重で、とても細かいんです。
私も父の性格を受け継いでしまって絵を描くときに色々と考えすぎて思考にブレーキをかけてしまうんです。
私を暴走させる何かがあれば、私は解放されると思ったんです。
この火薬が私自身を解放するためのいい武器になったんです。だから火薬が最初に破壊したのは私自身です。
アーティストは、いつも破壊されなければならないですから。」
ここから私は思いました。
1、思考のブレーキ
2、制御できないものを味方につける
3、今までと違う自分を試す
1、思考のブレーキ
きっと、思考にブレーキというのは、自分では全く気付かないうちに、かけられているのかもしれないなあと思いました
アイディエーションなどをやると、よく、バカな話ほど出す意義があるからね〜などとお話をしますが、アイディエーションの時はいいけど、いざソリューション化の段階になると、小さいものになってしまっている、みたいな経験をたくさんしてきた気がします
心理学者ジェニファー・ワイリーは、
「専門知識はメンタルセットとして働き、創造的な問題解決において固定化を促してしまうことがある」
と指摘しています。
「過去の知識や経験に引っ張られ、別の見方がしにくくなる状態」を認知的固着と言われていますが、例えば、会社に入ってから2〜3年してくると、仕事の内容がわかってきて、何をしたらお客様や上司に褒められて、何をしたら怒られるのがわかってくる
それはある意味、社会人としての大切な教育という側面もありますが、一方で、身についてきたマナーや専門性が、新しい創造をするときの邪魔をしてくる、まさに思考のブレーキをかけられている状態に、知らない間にハマっている、ということもあるのかもしれないと思いました
一番いいのは、それに自分で気づくことなのですが、自分で気づけないから、厄介なのかもしれないとも思いました
2、制御できないものを味方につける
では、それにどうしたら気がつけるのか、または、どうしたら思考のブレーキを外すことができるのかを考えた時に
新たな創発する場面においては、自らでは制御不能なものを、味方につけて、一緒に創発活動をするという手があるということを、蔡さんの火薬アートから教えていただいた気がしました
火薬は、絵筆のようには完全にコントロールできない。だからこそ、そこに思いもよらない形や表現が生まれてくる、そういう相棒を味方につけるということができたら良いのではないかと思いました
では会社の中での、創発活動などに、制御できないものを味方につけるということを、どうしたら良いのだろう?という問いが生まれました
例えば、全くその分野に詳しくない人たちとして、異分野の人たちと混合させることもあるかもしれないし、まだ社会人生活をしてもいない学生や、さらに子供と混合してやることもあるかもしれない
さらにもっと言えば、風土、文化、言語など、全く違う人たちをそこに加えて、議論をすることによって、これまで凝り固まった思考から、自分では予測できない視点から、新たなアイデアが生まれる思考からの新たなアイディアが出てくる可能性が高まるということもあるかもしれません
私の主催しているStartup Emergence Ecosystem(SEE)では、年齢、性別、業種、業態、職種、規模などなど、全く違う人たちを、意図的に混ぜてます
通常のオープンイノベーションであれば、自分の業種における、特化した課題を、できるだけ効率的に見つけて、早くビジネス化していく、ということが大きな目標になると思いますが
それとは、あえて、真逆をいくことで、これまでにない新しいイノベーションが創発できるのではないかと思ってやっています
各々が、各々の、爆薬になってもらう。
そんな、制御できないものをあえて、入れ込むことで、新たなイノベーションの種が生まれる、ということになるのかもしれないなあと思いました
3、今までと違う自分を試す
しかし、そこで、出会って面白かっただけでは、何も変わらない
そこから、いかに自分自身で動き出して、今までと違う自分として試していく行動を起こすことができるか、ということが、最後のピースになると思います
経営学者のエルミニア・イバーラは、新しい自分に変わっていくためには、「可能性のある未来の自分を、暫定的に実際に試してみる」ことが大切だと考え
「考えることや内省は、行動と実験のあとに来るべきで、その逆ではない」と述べています。
つまり、新しい自分は、考えて見つけるのではなく、試しながら見つけていく。
蔡さん自身も、火薬について、
「時間をかけるうちに、素材のことがだんだん分かってくる」
と語っています。
そして、
「まず、それが制御できないものであり、偶然の要素があることを受け入れなければならない」とも言っています。
つまり、最初からうまくできる必要はない。
試して、失敗して、少しずつ付き合い方を覚えていけばいいということだと思います
でも、その第一歩を踏み出すことができるか
さらに、失敗の連続でも、それを継続していくことができるか
それが、とても大事なことなのかもしれないなと思いました。
「アーティストは、いつも破壊されなければならない」
これは、私たちが何か新しい価値を創発していく時にも、全く同じことが言えると思いました。
固着を壊す。不確実性を入れる。違う自分を試す。
その活動の先に、組織や個人における、新しい価値の創造というものが出てくるのかもしれないなと思いました
一言で言えば
自分を破壊するノベーション
そんな話をしています
参考
・NHK「日曜美術館」放送開始50年特集「アートのチカラ」2026年9月13日放送
・ジェニファー・ワイリー
「専門性というメンタルセット―創造的問題解決における領域知識の効果」
『Memory & Cognition』第26巻第4号、1998年、716–730頁
・エルミニア・イバーラ
「暫定的な自己―専門職への適応におけるイメージとアイデンティティの実験」
『Administrative Science Quarterly』第44巻第4号、1999年
・エルミニア・イバーラ、ジェニファー・ペトリリエリ
「アイデンティティ・ワークとアイデンティティ・プレイ」
『Journal of Organizational Change Management』第23巻第1号、2010年、10–25頁
・エルミニア・イバーラ
『Act Like a Leader, Think Like a Leader』Harvard Business Review Press
・Art21「Cai Guo-Qiang: Spirituality, Chaos, and “Inopportune”」
音楽劇『39歳』で主演を務める朝夏まなとさんの言葉に、心を動かされました。
プログラムで、朝夏さんはこう語っています。
「いつか誰もが立つ、わかりやすい人生の岐路は、39歳より前に来る人もいれば後の人もいるかもしれない。
このお話は、別れを泣いて終わらせるのではなく、そこに至るまでにみんなが愛をもって生きていたというお話です。
結果、大切なものは“愛”だと思うんです。
愛や友情をテーマに据えた音楽劇『39歳』を観劇されたお客様が、明日もキラキラ生きていこうって思ってくださるような存在になれたら本望です。」
私は思いました。
1、誰にも訪れる岐路
2、命の贈与
3、悲しみを喜びへ
1、誰にも訪れる岐路
普段生活していると、死を意識することはほとんどないですが、でも必ず、しかも誰にでも訪れるのが、死、だと思います
それが早く来るか、遅く来るだけの違いだし、若いからとか、年齢がいってるとか、というのも、確率論では早い遅いはあっても、自分にとっては、実はいつ来るかわからない
そう思って日々生きれているかといわれると、全然意識してないなあと思います
そんな現実を突きつけてくる39歳は、改めて目から鱗を落としてくれた気がしました
2、命の贈与
もし、自分に残された時間がわかったら、その命を何に使うだろうと、とても考えさせられました。
普段通りの生活をするというのが、これまで良いかなあと考えていましたが、本当にそれで良いのかと
残された命がわかるからこそ、そこで初めて、自分はどう終わりたいのか、残された人はどうなるのか、そこから自分は今何をすべきなのか、それを本気で考えるようになるのかもしれないと思いました
イノベーターリップルモデルは、大義で誰かのために何かをできるかが、最後に問われます
それが、生きがいを回すモデルなのだとしたら、もしかしたら、誰かのためになることを、または、し残したことを、残された命でやることは
最後に生きがいをもらう、または、自分の何らかを誰かに残せる、または、何らかのバトンを渡せる、とても良い方法なのかもしれないとも思いました
それはいってみれば、残りの命を誰かのために使うという命の贈与と言っても良いのかもしれないなあと思いました
3、悲しみを喜びへ
そしてそれは、自分の自己満足だけでは止まらないことも、とても素敵だと思いました
つまり、命の贈与をもらった人は、その人からの命をかけた大切な贈り物を抱えて生きていくことができる
それは、もしかしたら、自分がいなくなった時の、悲しみを、少し和らげてくれるかもしれないし、泣きながらも喜んで受け取ってくれるのかもしれない
そうなったら、それ自体が、素敵な贈り物になるのかもしれないなあと思いました
もちろん普段からそんな活動ができてたら、素敵なのですが、なかなかできてないので
自分が岐路に立った時、このことは、覚えておきたいなあと思いました
一言で言えば
命を贈るノベーション
そんな話をしています
参考
音楽劇『39歳』プログラム
朝夏まなとさんの言葉
梅田芸術劇場『39歳』
音楽劇 39歳より
https://www.umegei.com/thirty-nine2026/
宮﨑駿さんの漫画で特に大好きな『風の谷のナウシカ』に出てくる、ナウシカの言葉に、改めて感動し、深く考えさせられました。
曰く、
「その人達はなぜ気づかなかったのだろう
清浄と汚濁こそ生命だということに」
「私達の神は一枚の葉や
一匹の蟲にすら宿っているからだ」
ここから私は思いました。
1、清浄だけでは生命は強くなれない
2、矛盾を消さずに抱える
3、異質なものから新しい生命が生まれる
1、清浄だけでは生命は強くなれない
実は、私は映画の方を見ていたので、このセリフがあったのかどうか定かではないのですが、めちゃくちゃ深い言葉だなあと、心に突き刺さりました。
部屋を片付けるのが苦手な私ですが、本音のところでは、周りがきれいな方が嬉しいし、心地の良いものに囲まれていた方が落ち着くよなあを思います。
だからこそ、ナウシカの、「清浄と汚濁こそ生命だ」という言葉には衝撃をいただきました。
ミネソタ大学の生態学者デイヴィッド・ティルマンさんらは、草原で10年間にわたって植物種の数を操作する実験を行った結果
植物の種類が多い生態系ほど、長期的な生産性が高く、年ごとの環境変動に対しても安定していましたことを発見したそうです。
つまり自然は、
一種類の「優れたもの」だけで強くなっているのではなく
違うものが一緒に存在することで、全体として強くなっている。
自分が心地が良いと思う環境を整えることと、生命力を高めることは、実は同じではないのかもしれないなあと、思わせていただきました。
2、矛盾を消さずに抱える
清浄と汚濁というのは、まさに相入れにくい、矛盾を孕んだ関係性だと思います。
できれば、清浄に倒したい。しかしそれでは、生命力を高めることはできない。だからこそ、その矛盾を抱えたまま、進まなければならない
オライリーさんの両利きの経営の話を知っていても、気がつくとどちらかに体重がのってしまう、ということがあると思います
デラウェア大学のウェンディ・スミスさんとマリアンヌ・ルイスさんは、組織の「パラドックス理論」を研究しています。
二人は、変化の激しい環境では相反する要求そのものが強まり、どちらかを消すのではなく、矛盾する要求の間を動き続けることが、持続的な成果につながるというモデルを提示しました。
私は、ここにナウシカの「清浄と汚濁こそ生命」と同じものを感じます。
矛盾したものが同時に存在する状態を引き受ける。
もしかすると、生命も組織も、矛盾がないから生きられるのではなく、矛盾を抱えているから変化し続けられるのかもしれないなあと思いました
3、異質なものから新しい生命が生まれる
「私達の神は一枚の葉や一匹の蟲にすら宿っているからだ」
私はここに、自分とは違うものの中にも、たくさんの価値があるという思想を感じました。
ノッティンガム大学のワン・ジエさんらは、文化的に多様なチームと創造性・イノベーションについて、過去の研究を統合するメタ分析を行い
単に国籍など表面的に多様であるだけでは、創造性との明確な関係はなかった一方
価値観や考え方など「深いレベルの多様性」は、チームの創造性・イノベーションと正の関係を示し、特に、一緒に仕事をし、互いに依存して課題を解くチームで、その関係が見られたとのことです。
これは、まさにオープンイノベーションにも通じると思います。
自分と同じものだけを集めるのではなく、企業も、スタートアップも、研究者も、顧客も、異なる価値観や知識を持ったまま出会う。
そして、違いを消して一つにするのではなく、違ったまま、つながる。
その間から、誰も最初には持っていなかった新しいものが創発する。
私は、それこそがイノベーションなのではないかと思いました。
生命とは、異なるものがあり、矛盾があり、時には汚れ、失敗し、ぶつかりながら、それでも一緒に生きていくことで、新たな力を得るものなのかもしれないなあと思いました。
異質なものを排除することからではなく、異質なものと生きることから始まる。
一言で言えば、
汚濁と生きるノベーション。
そんな話をしています。
参考
宮﨑駿『風の谷のナウシカ』。
NHK「こころの時代〜宗教・人生〜 ファンタジーに秘められた宗教(6)『火の鳥』『風の谷のナウシカ』」、2026年9月7日。番組は両作品から「生命とは何か」「生きるとはどういうことなのか」を考える内容です。
デイヴィッド・ティルマン、ピーター・ライヒ、ヨハネス・ノップス「10年間の草原実験における生物多様性と生態系の安定性」『Nature』441、2006年。
ウェンディ・スミス、マリアンヌ・ルイス「パラドックス理論に向けて――組織化の動的均衡モデル」『Academy of Management Review』36巻2号、2011年。
ジエ・ワンほか「文化的に多様なチームにおけるチーム創造性・イノベーション――メタ分析」『Journal of Organizational Behavior』40巻、2019年。
NHK出版「『火の鳥』『風の谷のナウシカ』から見る、現代日本の死生観」
作家でコミュニティ・ビルダーのエミリー・ワプニックさんのTED「天職が見つからない人がいるのはどうしてでしょう?」に感動しとても考えさせられました
曰く、
「マルチ・ポテンシャライトとは、多くに興味を持ち、創造を追求する人です。」
「アイデアの統合、迅速な学習力、適応力の3つは、マルチ・ポテンシャライトの得意とする所であり、焦点を絞れと強いられると失いかねない技能です。」
「マルチ・ポテンシャライトのありのままの姿を大事にするのは、私たちの社会にもっともな理由があるからです。今の世の中に山ほどある複雑で多次元的な問題に取り組むには、創造的で型にはまらない人材が必要なのです。」
「内に秘める情熱を大切にすることが、幸せな本物の人生につながります。」
ここから私は思いました。
1、天職がない素晴らしさ
2、一人オープンイノベーターになる
3、自らのパッションの源に正直になる
1、天職がない素晴らしさ
私は、小さい時に、何になりたいの?と聞かれた時には、「なんでもできる人」って言っていたそうです。
なんて欲張りな、と思うかもしれませんが、実は、小さい時に、レオナルドダヴィンチの本を読んでて、めちゃくちゃ憧れていたからでした
芸術家であり、科学者であり、医者であり、工学者であり、まさにスーパーマンに見えていたのだと思います。
でも世の中で、天職と言われる場合は、例えば、大谷翔平さんのように、小さい頃から、野球一筋、みたいなことを、イメージして
いつか天職に巡り会いたい、みたいなこともあるような気もします
いろんなことに手を出して、中途半端に終わるより、一つのことをまずは極めてからにしなさい、みたいなことも言われていた気がします
でも、いろんなことやりたいんだよなあと、私はずっと思い続けて、アカペラ、バンド、作詞作曲、野球、アメフト、SE、コンサル、ビジネス企画、オープンイノベーション、執筆、youtubeそして、独立、なんか経験したことがないことでワクワクすることは、全部やっちゃいたいのは、大人になっても変わらない気がします
なので、私にとっては、ワプニックさんの言葉は、とても勇気をいただけました。
転職を探さなくてもいい。
いやむしろ、一つに決められないからこそ、「アイデアの統合」「迅速な学習力」「適応力」という3つの力を得られる。
とても優しい話だなあとも思いました
2、一人オープンイノベーターになる
とはいえ、かつてルネサンスには、レオナルド・ダ・ヴィンチのように、芸術、科学、工学など、いくつもの世界を横断する人がいたのに、なぜ現代では、そんな人が目立たなくなったか、とも思います
ノースウェスタン大学の経済学者ベンジャミン・ジョーンズさんは、その理由を「知識の重荷」という考え方で説明しています。
人類の知識が増えるほど、最先端にたどり着くまでに学ばなければならないことも増える。その結果、発明者の専門化が進み、イノベーションは一人からチームへと移ってきたことを、大規模な発明者データから示しましたそうです。
確かに。言われてみればそんな気もしますが、さらに面白い研究もありました。
エドゥアルド・メレロさんとネウス・パロメラスさんの2015年の論文、そのタイトルは、
「ルネサンス人は死んでいない!」
電気・電子産業の発明チームを特許データで分析したところ、ジェネラリストがいるチームは、不確実性が低い領域では経済的重要性の低いイノベーションになりやすい
一方、不確実性が高い領域では、より経済的に重要なイノベーションを生み出すという結果でした。研究者たちは、ジェネラリストの幅広い知識が、異なる知識の再結合を助けると考えています。
私はここに、マルチポテンシャライトの価値があると思いました。
普通のオープンイノベーションは、異なる企業、異なる技術、異なる専門家を出会わせ、新しい価値を創発させますが
マルチポテンシャライトは、その「異質」を一人の中に持つことで、より不確実性が高い領域で、イノベーションを起こそやすい人材となっているのかもしれません
現代のルネサンス人は、死んだのではない。
マルチポテンシャライトとして生きているのかもしれないなあと思いました
3、自らのパッションの源に正直になる
でも、だから、「一つに決めない方がいい」という話でもないと思います。
ワプニックさん自身、心からスペシャリストなら専門を究めればいいと語り、スペシャリストとマルチポテンシャライトが組むことが「素晴らしいパートナーシップ」だとしています。
これは、イノベータリップルモデルにおける、自らのパッションの源に忠実に生きようという話でもあるんだなあと思いました
天職を見つけられておめでとう、でもなく、天職と言えるものがないからといって、探さなきゃいけない、でも、中途半端な人生でもない
大切なのは、自分は、本当に何に心が動いているのか。
ワプニックさんは、内に秘める情熱を大切にすることが、幸せで自分らしい人生につながると語ります。
どんな選択をしていても、自らのパッションの源に正直に生きてきたたくさんの軌跡そのものが、自分のオリジナリティになる。
一言で言えば
マルチポテンシャライト・ノベーション
そんな話をしています
参考
エミリー・ワプニック「天職が見つからない人がいるのはどうしてでしょう?」TEDxBend、2015年。
ベンジャミン・F・ジョーンズ「知識の重荷と『ルネサンス人の死』――イノベーションは難しくなっているのか?」『The Review of Economic Studies』76巻1号、2009年、283–317頁。
エドゥアルド・メレロ、ネウス・パロメラス「ルネサンス人は死んでいない!――発明チームにおけるジェネラリストの役割」『Research Policy』44巻1号、2015年、154–167頁。
アート集団「MSCHF」の創設者、ゲイブ・ウェイリーさんのTED「このTEDトークは悪いアイデアだらけ」に感動しました。
彼らは、巨大な赤いブーツをつくったり、銀行口座の残高をその場でランキングしてしまうATMをつくったり、5,000人に同じ一台の車の鍵を売ったり、一見すると馬鹿げたアイデアを次々と実行しています。
ウェイリーさんは言います。
「私にとって、悪いアイデアこそ一番ワクワクします。何が起こるか、わからないからです。」
そして、実際にやってみると、
「それらは自分自身の生命を持ち始め、良くも悪くも、まったく別のものになっていきました。」
最後に、
「悪いアイデアが良いアイデアだ、と言っているわけではありません。ただ、自分が居心地の悪さを感じるようなものを探究する機会を、自分に与えてほしいのです。何が起こるかなんて、わからないのですから。」
ここから私は思いました。
1、心が動く馬鹿げたアイデアを拾う
2、何が起こるかをつぶさに観察する
3、アイデアが自分自身の生命を持ち始める
1、心が動く馬鹿げたアイデアを拾う
よくアイディエーションの会などでは、馬鹿げたアイディアをどんどん出しましょう、みたいに発散のために私もよく言いますが、本当にそれを世の中に送り出している人はどれくらいいるのでしょう?という意味で、ウェイリーさんのお話は衝撃的でした
心理学者のジェニファー・ミューラーさんらは2つの実験から、人は創造性を求めていると言いながら、不確実性が高まると創造的なアイデアに否定的なバイアスを持ち、その創造性自体を認識しにくくなることを示したそうです。
最初は、実現性は度外視してといってアイディアを出しまくりますが、最終的に、やはり実現性や、誰が買ってくれるんだ、みたいなところで、とっても現実的なソリューションになっていく、というのは、悪いことではないですし、むしろ普通な気もします
それを、やっちゃうウェイリーさんからのキーワードは、私は、なぜかそれにワクワクしちゃって、抑えきれなくなっちゃうから
ということに尽きる気がします。
まずは、ワクワクが止まらなくなるくらい、パッションの源や琴線に触れたのであれば、止めることは、逆に心と体に悪いのかもしれないとも思います
とにかく何が起きるかわからないじゃない、面白いじゃない、で始めてみる
それはもしかしたら、もう一つのイノベーション創発方法なのかもしれないと思いました。
2、何が起こるかをつぶさに観察する
一方で、リーンスタートアップがうまくいかないケースとして、面白そうだから色々やってみた。というケースもあるよなあとも思います。
ウェイリーさんの話を聞いてて、一つ、とても大切なのは、それで何が起きるのかを、つぶさに観察しているか、ということがあるような気がしました。
彼らは、カードを入れると銀行口座の残高が表示され、その場で利用者同士をランキングしてしまうATMをつくたら、お金という、人間の欲望や格差をむき出しにするような問題提起になるのでは?ということで実際に作りました。
ところが実際に置いてみると、見知らぬ人たちがATMを囲み、他人の結果を見て盛り上がり、不思議な一体感が生まれたことを発見しました。
ウェイリーさん曰く
「本当のアートはATMではありませんでした。人々がATMを通して築いた関係こそが、本当のアートだったのです。」
と言われています。
アートは、みる観客がいて、初めて完成するとよく言われていますが、そこで起きる変化を、つぶさに観察していたからこそ、自分たちが提供しようとしていた価値以外の価値が生まれたことに気がつけた
その気づきを得られるかどうかに、鍵があるような気がしました
3、アイデアが自分自身の生命を持ち始める
アートは、観客がいて、初めて完成されると、よく言われます。
ウェイリーさんのやり方も、まさにそのやり方を踏襲していると思います。
でも、そこから、さらにそれを観察して、新たに生まれた価値に気づいて、さらにそこからの物語を紡いでいこうとしているところが、単に展示して、皆さんで感じてください。という作品とは、圧倒的に違いを感じます
それは、まるで、オープンソースプロジェクトのように、まずは、自分がワクワクするものを、大海原に投げ込んでみて、そこに集う人たちが、また勝手に解釈して、どんどん違うものに形を変えていく、そんなもののような気がします
それを、ウェイリーさんは
「アイデアが自分自身の生命を持ち始める」
と表現したのではないかと思います
もしかしたら、イノベーションプロジェクトのやり方の一つとして、とにかくワクワクするパッションが沸いて仕方がないものを
とにかく、世の中に出しちゃうっていうのもありなのかもしれないと思いました
そして、それに、何かワクワクすることを感じた人たちが、それに全然想定していない価値をつけていくことによって、まるで生き物のように、進化、変異をし続けていく
それは、まるで、イノベータリップルモデルの、仲間たちが、誰かのパッションに集まってきて、さらなる大義を目指していくのと同様で、それをクローズドな会社の仲間とやるのではなく
極めてオープンな仲間たちと、新たな創造をしていくという、
これまでの枠の中にいる仲間たちとのイノベーションだけでなく
枠の外にいる人も含めた仲間として、イノベーションを形作っていく
イノベーションをアイディアから形作っていく、極めて自由で柔軟なオープンイノベーションの形なのかもしれないなあと思いました
アイデアを世の中に投げる。
心を動かされた人が反応する。
その人たちは緩やかな「仲間」としてまた新しいアイデアを加える。
そして、自分一人では想像できなかった価値が生まれる。
つくる → 売る → 買ってもらう
だけではなく、
問いを投げる → 反応が起きる → 仲間になる → 一緒につくる → 新しい価値が生まれる
というイノベーションもあるのではないでしょうか。
馬鹿げているのに、なぜか心が動いたら、捨てない。
まず世の中に投げてみる。
そして、何が起きるのかをつぶさに観察する。
そこで心を動かされたお客様や観客を、仲間にする。
するとアイデアは、自分一人のものではなくなり、
自分自身の生命を持ち始める。
そこから、自分では想像もしなかったイノベーションが生まれるということもあるのかもしれないなあと思いました
ということで一言で言えば
馬鹿げたアイデアノベーション
そんな話をしています
参考
ゲイブ・ウェイリー「このTEDトークは悪いアイデアだらけ」TED2025
ジェニファー・S・ミューラー、シムル・メルワニ、ジャック・A・ゴンカロ「創造性に対するバイアス――なぜ人は創造的アイデアを望みながら拒絶するのか」『心理科学』2012年
『間違えるということ』の著者、キャスリン・シュルツさんが、TED「間違えるということ」で、言われていることに、深く共感し考えさせられました。
曰く
「間違っているときには、ある感覚があります。それは、正しいと感じることです。」
「ほとんどの場合、何かについて間違っていることを知らせてくれる内的な手がかりはありません。手遅れになるまでは。」
そして、自分と違う意見を持つ人について、
「まず、私たちは相手が無知なのだと思います。自分と同じ情報を持っていないのだ、と。」
それでもなお同意しなければ
「相手は真実を知っていて、かなり頭もいいのに、悪意をもって真実を歪めている」と考えてしまう。
そしてシュルツさんは、「正しい」という感覚から外へ出ることを、道徳的、知的、創造的に、私たちがなし得る最大の飛躍だと語っています。
ここから私は思いました。
1、間違ってる自分は気づけない
2、「反対だったら?」を意図的に考える
3、答えを探し続ける自分を信じる
1、間違ってる自分は気づけない
自分が正しいと思いこんでいるときには、いろんなことを言われても、どうしてもその意見に固執してしまうことは、本当によくあることだなあと思います
特に、自分自身については、間違っていると思わないのに、他人がその人の意見に固執して見えることが、圧倒的に多いと思うのはその通りだと思いました
心理学者エミリー・プロニンさんらは、人は他人の認知バイアスには気づきやすいのに、自分自身のバイアスには気づきにくいことを示し、「バイアスの盲点」と名づけています。
さらに、チャールズ・ロードさんらの研究では、死刑への賛成派と反対派に、賛成・反対双方の研究を見せても、それぞれが自分の立場を支持する研究を高く評価し、両者の考えはむしろ分極化したという研究もあります
自分が「正しい」と思うほど、違う意見を持つ人を遠ざけてしまっている。ということにも気づけない
シュルツさんは、約1200年前にアウグスティヌスが、
「我間違う、故に我あり」
と考えたことを紹介しています。
間違えることは、人間の欠陥ではなく、人間であることそのものであると言っているのかもしれないなあと思います
とはいえ、間違っている自分自身が、その間違いに気づくにはどうしたらいいのでしょうか。少し悩んでしまいました
2、「反対だったら?」を意図的に考える
1984年、心理学者チャールズ・ロードさんらは、単に「公平に考えてください」と求める方法と、
「もし反対の結論が正しいとしたら?」
と考える方法を比較しました。
その結果、反対の可能性を意図的に考えることで、自分に都合よく情報を評価する偏りが抑えられました。
だから、
「私は正しいだろうか?」
だけではなく、
「もし私が間違っているとしたら?」
とまで考えてみるということが、一つの気づきを得る方法なのかもしれないなあと思いました。
また、心理学者レオニード・ローゼンブリットさんとフランク・カイルさんは、人は物事の仕組みを実際以上に理解していると思い込む「説明深度の錯覚」を明らかにしたそうです。
「では、それは具体的にどういう仕組みですか?」
と説明を求められることで、自分自身が、
「あれ、分かっていなかった」
と気づくことって、よくあることだと思います、
人に指摘される前に、自分で一回詳細までを考えてみる。
そうすると「分からない」を発見することができるのかもしれない
「もし私が間違っているとしたら?」
「もっと詳しく考えてみたら?」
この二つの自らへの問いが、もしかしたら自分の目を覚ましてくれる、着付け薬になるのかもしれないなあと思いました
3、答えを探し続ける自分を信じる
一方で、自分を信じることが大事だ、と言われることもあります。
あまりにも、自分への問いをし続けることで前に進めなくなってしまう、ようなこともあるのかもしれないなあとも思いました。
そこで思ったのは、「自分の答えは正しい」と信じることと、
「自分なら答えを探し続けられる」と信じることは違う
ということです
疑うのは、自分が今持っている答え。
信じるのは、間違っても、また考え、学び、やり直せる自分。
「私は正しい」と信じるのではなく、
「私は間違っても、また前に進める」と自分を信じることが大切なのかもしれないなあと思いました
間違っている時の自分に気づくことはとても難しい
でも、
「もし私が間違っているとしたら?」
「もっと詳しく考えてみたら?」
を常に問い直すことをすることで、気づくことができるかもしれない
それは、自分を信じないことじゃなくて
答えを見つけ続ける、自分を信じることとなる
そんな考え方が大切かもしれないと思いました
一言で言えば
自分は間違ってるノベーション
そんな話をしています
参考:キャスリン・シュルツ「間違えるということ」TED、2011年
キャスリン・シュルツ『間違えるということ』2010年
エミリー・プロニン、ダニエル・リン、リー・ロス「バイアスの盲点――自分と他者のバイアス認知」2002年
チャールズ・ロード、リー・ロス、マーク・レッパー「偏った情報の受け入れと態度の分極化」1979年
チャールズ・ロード、マーク・レッパー、エリザベス・プレストン「偏った情報評価を減らすための反対仮説の検討」1984年
レオニード・ローゼンブリット、フランク・カイル「説明深度の錯覚」2002年
ペンシルベニア大学ウォートン校の組織心理学者、アダム・グラントさんが「失敗予算」という面白い考え方を話していのに、めちゃくちゃイノベーションを感じました。
曰く
「私は、自分自身に『失敗予算』を設定していました。これは、1年間に何回まで失敗してよいかという、ある種の割り当てです」
「もし私の失敗率がゼロなら、それは、自分自身に十分な挑戦をさせていないし、十分に成長していないということだと気づきました」
「普通の年なら、3つのプロジェクトに失敗したいと思っています」
ここから私は思いました。
1、失敗を計画に組み込む
2、ちゃんと失敗したかを毎年問う
3、失敗予算を予算計画に組み込む
1、失敗を計画に組み込む
挑戦をしよう、失敗してもいい、というお話だったり、チャレンジ分の予算の確保をするみたいな話は、よく聞いたことがありますが
失敗予算という言葉や、失敗を予め計画に織り込んでおくというお話は、目から鱗がおちるようでした。
実際、失敗したらどんな目に遭うのか、について、想像できないということに、真の課題があるのかもしれない、そんなことを思わせていただきました。
失敗予算という明確な計画を設けることによって、これだけは失敗してもお目玉はもらわなくて済むんだとか
さらにいうと、逆に失敗してないと評価が下がるということになると、これまで安穏としていれば、成果が出ていたような部署においても、あえて挑戦しよう、または何の失敗すればいいんだっけという議論も生まれる
素晴らしい考え方だなあと思いました。
2、ちゃんと失敗したかを毎年問う
失敗を計画に入れ込む効用のもう一つは、その失敗が果たしてどうだったのか?を振り替えざるを得なくなるということです。
評価の際に、何がうまくいったのかを、どうにかこうにかうまく説明をして、ボーナスを上げてもらうように頑張る、みたいなことを、私もやっていましたが
いかにこの失敗が、次へのステップになるのか、この失敗で何を学んだのか、みたいな議論は、成果の評価面談では、本当にでかい失敗をしてしまった人以外、滅多にされないのではないかと思います
それが、全員の振り返りと、組織的に、挑戦を奨励するだけではなく、失敗を資産に変えていくことができるという意味では、めちゃくちゃ大きいことにつながるかもしれないなあと思いました
サウスフロリダ大学のアーウィン・ダニールズ教授と、ノースカロライナ大学ウィルミントン校のアレックス・ベスタル教授は、米国の製造業106社を対象に、失敗への向き合い方と製品イノベーションの関係を調べました。
その結果、失敗を単に許容するだけでは、製品イノベーションには効果がありませんでしたが、過去の失敗を意図的に分析した企業ほど、より革新的な新製品を生み出したそうです。
つまり、
「今年、ちゃんと失敗したか」と問うだけではなく、
「その失敗から何を学んだか」まで問う。
これは相当、挑戦やイノベーションへのノウハウが貯まる組織になる可能性があると思いました。
3、失敗予算を予算計画に組み込む
アダム・グラントさんは、本当の予算に組み込むという話までは、していませんでしたが私は、この「失敗予算」というキャッチーな考え方を、企業の予算計画にも組み込んだら、尚更面白いのではないかと思いました
予算を使う際には、基本的には、どんなROIに通じるものなのか?ということが求められてしまうので、どうしても短期的な成果を求めがちになってしまうのではないかと思います
でも、たとえば、この失敗予算というのは、失敗をするための予算ですから、当然、ROIを求められることはないということになります。
そうすると、今回の失敗でROIを出さないけど、来年、再来年と失敗を重ねることで、中長期的にでかいROIになるはずだ、みたいな議論をしやすくなるのではないかと思いました
経営学者リタ・マグラスさんらが研究してきたリアルオプションという考え方では、
不確実性の高い新規事業では、最初から大きな投資判断をするのではなく、まず小さく投資して情報を得る。そして、その学びをもとに、次に進むか、やめるかを判断する。
という考え方と言っています。
つまり、最初の予算で買っているのは、短期的な利益だけではなく、
学習と、次の選択肢を買っている。と言えるのだと思います。
そう考えると、失敗予算とは、
単に失敗してもよいお金ではなく、
短期ROIに縛られず、未知を探索し、次の判断材料を得るための予算とも考えると、それを計画時に計上しておくというのは、まさに挑戦を支える予算という形になるのではないかと思いました。
失敗を減らすのではなく、
失敗を計画に入れる。
成功だけを問うのではなく、
ちゃんと失敗したかを問う。
そして、
失敗予算を予算計画に組み込む。
それが、挑戦を続けられる組織をつくるのかもしれません。
一言で言えば
失敗予算ノベーション
そんな話をしています
参考:
・「10%ハッピー・ウィズ・ダン・ハリス」第547回「アダム・グラント:完璧主義と先延ばしについて」
・シム・シトキン「失敗を通じた学習――小さな損失の戦略」
・アーウィン・ダニールズ、アレックス・ベスタル「失敗からの学習と製品イノベーション」に関する研究
・リタ・マグラスほかによる「リアルオプションと新規事業投資」に関する研究
旭化成社長の工藤幸四郎さんが、『カンブリア宮殿』で語られていた「理想の上司」の話に、とても共感しました。
曰く、
"私が思う理想の上司は、脇が甘い人がいいと思いますね。
私、関西長かったんですよ。就職してからずっと関西だったんで。どうだろう、35年間ぐらい。
関西にいたんですけど、関西、ボケとツッコミがあるんですけど、上司がボケるっていうのは、脇を甘くするということ。
で部下が突っ込むっていうのは、そんなわけないでしょみたいな。
これはものすごく会話が進むし、相手にいろんなことは言いやすくなる関係づくりっていうのはもすごく大事だと思うんです。
コミュニケーションが一番やっぱり大事だと思うんで。"
私は思いました。
1、ボケとツッコミは仮説検証サイクル
2、上司からボケる
3、上司から仲間になれる
1、ボケとツッコミは仮説検証サイクル
実は、ボケるというのは、なかなかのテクニックがいるのではないかと思います。
ある意味、常識を逸脱して、突拍子もないことを言うことができないと、良いボケにならないのではないかと思います。
そう考えると、常識やバイアスを壊すことができるイノベータこそが、これからの上司としてふさわしいと言えるのかもしれないなあと思いました。
部下の常識をいかに打ち破るか、お客様の常識をいかに打ち破るか。
さらには、上司がそうくるなら、私はさらにボケてみせるという、笑い飯のようなダブルボケが始まるくらいの、ボケた仮説の応酬があって、
その上で、
「じゃあ、お客様に検証して、どっちが正しいのか勝負だ」
くらいのことが言える上司。
そんな上司が私の理想かもしれないなあと思いました。
2、上司からボケる
ビジネスコンテストをやっても、いいアイディアが出てこない。
「うちの部下は、同じようなアイディアしか出してこなくて、つまらない」
というような声を聞いたことがあります。
それはもしかしたら、主催者側や上司、自分も含めて、問題があるのかもしれないなあと思いました。
まずは、その指示をする側、主催する側から、面白いボケという問いを投げかけないと、それを受け取る側は、いいツッコミもできない。
まずは、自らが、誰もが驚くような、これまでの常識を打ち破るような、ボケという問いを出すことができているのか?
そんな問いを自らにできているかを省みることが、とても大事なのかもしれないと思いました。
自らの組織から良いアイディアが出てこないのは、もしかしたら、自分のボケ不足にあるのかもしれない。
そんなことを思いました。
3、上司から仲間になれる
アイディアマンの上司がいて、どんどん新しい仮説を立てては、部下に検証をさせていく。
それはとてもスピーディで、もしかすると成果を上げている優秀な上司と言われているのかもしれません。
でも、それだけだと部下はAIエージェントのような存在になって、一向に自ら仮説を出せる人間にはならないかもしれないとも思います。
自らの仮説を部下にぶつける時に、この「ボケ」というテクニックの凄さは、そこにユーモアがあることだと思います。
「またバカなことを言い始めたよ、うちの上司は」
と思わせることが、
「じゃあ私もボケますけどね」
という気持ちを想起させてくれる。
実際、北京大学のイー・カオさんらが812人の従業員を対象に行った研究では、リーダーのユーモアは、既存の枠組みを大きく変える「ラディカルな創造性」と正の関係があることが示されています。
さらに、その間には、
「それは違うのではないか」
「今のやり方を変えた方がいいのではないか」
と部下が声を上げる問題提起型の発言行動が関わっていました。
まさに、上司がボケ、部下がツッコみ、さらに部下もボケ始める。
そんな対話が、常識を超えるアイディアにつながっていくのかもしれません。
そして、何を言ってもいいんだ、この場は、という心理的安全性も生まれていく。
このボケという、ユーモアあふれる、さらには脇が甘いと思わせるテクニックによって、
上司という存在から、仲間に降りてきてくれている。
そんな感覚まで持たせることができるのではないでしょうか。
もちろん、時には厳しさも必要だと思います。
でも、上司が「最強の仲間」としてそこにいてくれる存在になる。
これは相当な高等テクニックだなあと思いました。
イノベータリップルモデルを回すためには、どうしても仲間が必要となります。
その仲間が、最強の上司だったら、本当にすごいイノベーションを生む組織になるのかもしれないなあと思いました。
ということで一言で言えば、
脇が甘い上司ノベーション
そんな話をしています。
参考:参考: カンブリア宮殿【オンリーワンで勝ち筋を!宮崎発のコングロマリット・100年企業】テレビ東京 2026年9月3日(木)https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_tvtokyo/program/detail/202609/18189_202609032306.html
・イー・カオ、カーシューチェン・ジョウ、ユーボー・ホウほか
「リーダーのユーモアが従業員の創造性に与える影響―従業員の発言行動の観点から」
『フロンティアーズ・イン・サイコロジー』2023年
中国のフルタイム従業員812人を対象に、リーダーのユーモア、従業員の発言行動、漸進的創造性・ラディカルな創造性との関係を調査。
From the publisher's feed

44 Listeners

62 Listeners

0 Listeners

0 Listeners