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建築分野の国際的な賞であるプリツカー賞を受け、また日本人として初めてマザーテレサ社会正義賞を受賞された、坂茂の言葉に震えました
曰く
"それは、建築の仕事を10年くらいやってみてわかったのですけれど、われわれ建築家というのはあまり社会の役に立っていないんですよ。
なぜかというと、われわれのクライアントはみんな特権階級ですね。財力があったり政治力があったり。それがすごくむなしく感じ始めましてね。
特に地震のあとに気がついたんですけれど、地震で人が死ぬわけではないんですよ。建築が崩れて人が死ぬんですね。だから、われわれ建築家の責任であるにも関わらず、そのあと街が復興するとき、また新しい仕事が来るわけですよ。
ところが、街が復興する前に避難所や仮設住宅という非常に劣悪な住環境に、みなさん追いやられるわけですね。それを改善するのも、僕ら建築家の責任ではないかなと思って始めたんです。"
ここから私は思いました
1. 社会的弱者への視点
2. 既存のシステムの歪み
3. 行動からの新たな大義
1. 社会的弱者への視点
イノベーションには、必ず起点となる真の課題があると思いますが、社会において最もペインの強い課題を持たれているのが、期せずして社会的弱者という立場になってしまった人かもしれないなあと思いました
阪さんが、被災地に行かれた際に、その違和感が強烈に巻き起こって、そして自らの建築家としてのあり方にまで、当事者意識で捉えられていったのかなあと思います
これはまさに、イノベーションにおける、現場100回行くことによって、その場にいる人たちの本当の痛みを知って、自らであれば何ができるか、というインサイトに繋がる行動とまさに同じだなあと感じました
2. 既存のシステムの歪み
また、これまで数々の賞を受賞されてきたにもかかわらず、その社会的なシステムに違和感を投げかけることができる姿勢にも、とても感動しました
成功体験を追随するのではなく、これまでの在り方に、本当にそれでいいのか?という問いを常に持ちつづけられてるのだろうなあと、そしてある意味、特権階級へのロックスピリッツを、強烈に感じました
ヨーゼフボイスさんの社会彫刻ではありませんが、建築家として、社会システム全体に実は歪みがあることを発見し、それを再構築する必要があるという、大きな意味での建築家としてのパッションが炸裂し始めているように思いました
3. 行動からの新たな大義
阪さんの本当にすごいなあと思うのは、その違和感に飛び込んで、まさに、自ら実現しようと、具体的な行動を起こされていることかと思います
最初はもしかすると大変な活動と思われたところが、現場の仲間との行動を進めていくようになって、次第にそれ自身が、自らがやるべきこと、つまり自らの新しい大義として、感じられる活動になったからこそ、これまでの建築家としての活動と、並行して実施されることができる出るのかもしれない
これまで培ってきた素晴らしい活動や大義にとどまらずに、常に新たな違和感からの、さらなる新たな大義を作り出し向かわれる姿勢は、真のイノベーターそのものだなあと思いました
今回の事例から一言で言うと
弱者から新たな大義が始まるノベーション
そんなことを思いました^ ^
参考: NHK NらじR1 建築家として災害に向き合う 建築家・坂茂さん 放送日:2025/01/10 https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/nradi/nra20250110.html
建築分野の国際的な賞であるプリツカー賞を受け、また日本人として初めてマザーテレサ社会正義賞を受賞された、坂茂の言葉に震えました
曰く
"それは、建築の仕事を10年くらいやってみてわかったのですけれど、われわれ建築家というのはあまり社会の役に立っていないんですよ。
なぜかというと、われわれのクライアントはみんな特権階級ですね。財力があったり政治力があったり。それがすごくむなしく感じ始めましてね。
特に地震のあとに気がついたんですけれど、地震で人が死ぬわけではないんですよ。建築が崩れて人が死ぬんですね。だから、われわれ建築家の責任であるにも関わらず、そのあと街が復興するとき、また新しい仕事が来るわけですよ。
ところが、街が復興する前に避難所や仮設住宅という非常に劣悪な住環境に、みなさん追いやられるわけですね。それを改善するのも、僕ら建築家の責任ではないかなと思って始めたんです。"
ここから私は思いました
1. 社会的弱者への視点
2. 既存のシステムの歪み
3. 行動からの新たな大義
1. 社会的弱者への視点
イノベーションには、必ず起点となる真の課題があると思いますが、社会において最もペインの強い課題を持たれているのが、期せずして社会的弱者という立場になってしまった人かもしれないなあと思いました
阪さんが、被災地に行かれた際に、その違和感が強烈に巻き起こって、そして自らの建築家としてのあり方にまで、当事者意識で捉えられていったのかなあと思います
これはまさに、イノベーションにおける、現場100回行くことによって、その場にいる人たちの本当の痛みを知って、自らであれば何ができるか、というインサイトに繋がる行動とまさに同じだなあと感じました
2. 既存のシステムの歪み
また、これまで数々の賞を受賞されてきたにもかかわらず、その社会的なシステムに違和感を投げかけることができる姿勢にも、とても感動しました
成功体験を追随するのではなく、これまでの在り方に、本当にそれでいいのか?という問いを常に持ちつづけられてるのだろうなあと、そしてある意味、特権階級へのロックスピリッツを、強烈に感じました
ヨーゼフボイスさんの社会彫刻ではありませんが、建築家として、社会システム全体に実は歪みがあることを発見し、それを再構築する必要があるという、大きな意味での建築家としてのパッションが炸裂し始めているように思いました
3. 行動からの新たな大義
阪さんの本当にすごいなあと思うのは、その違和感に飛び込んで、まさに、自ら実現しようと、具体的な行動を起こされていることかと思います
最初はもしかすると大変な活動と思われたところが、現場の仲間との行動を進めていくようになって、次第にそれ自身が、自らがやるべきこと、つまり自らの新しい大義として、感じられる活動になったからこそ、これまでの建築家としての活動と、並行して実施されることができる出るのかもしれない
これまで培ってきた素晴らしい活動や大義にとどまらずに、常に新たな違和感からの、さらなる新たな大義を作り出し向かわれる姿勢は、真のイノベーターそのものだなあと思いました
今回の事例から一言で言うと
弱者から新たな大義が始まるノベーション
そんなことを思いました^ ^
参考: NHK NらじR1 建築家として災害に向き合う 建築家・坂茂さん 放送日:2025/01/10 https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/nradi/nra20250110.html
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