仏教の法話を聞いた後にはなぜか拍手をすることがない。法話によって「あなたはそれでいいんですか?」と問われたときに、「素晴らしい!」と賞賛の拍手をする気にはなれないだろうから。しかし、法話によって自分自身では問えなかった自分を問い返されたときの感銘、問いに出会ったことの感銘によって素直に拍手をしたくなる。そういう自然な拍手はあってもいいじゃないかと僧侶の長谷さんはおっしゃいます。
はじめて法話を聞きに来られた方に感想を尋ねてみると「こんな話いままで聞いたことがなかった。初めて聞きました。」という返答が返ってきたとのこと。この感想は僕自身ももったことがあるし、よく聞く感想ではある。しかし、法話で話されていることは荒唐無稽なへんてこりんは話ではなく、「それはたしかにそうだよな」と頷くしかない道理ともいえる当たり前の話が展開される。ではなぜ、そのあたりまえの「道理」の話を聞いて「こんな話、初めて聞いた」という感想を持つのか?
長谷さんの言葉を借りれば、初めて聞いた真宗の教えは、
笑いが起きるような話でもないし、感動が起きるような話でもないのだけれど、
「こんな話聞いたことがなかった」といったその人の感想は、かなり的を得た表現だと。
そこにはどうも、通常の“講演”というものとは異なる、話し手と聞き手を包み込む主体と客体の関係性になにかカギがあるような気もします。
そこの興味深さに、あれこれ話は展開していきました。
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