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京都外国語大学教授のジェフ・バーグランドさんのお話に勇気を頂きました
"英語は発信者責任型言語。発信する方が責任持ってはっきりしないといけないんです。
キーン(ドナルドキーン)さんが、日本語っていいですね。自由自在に読む人が自分で解読したらいいんだと。
これが僕にとっては一番日本語の特徴なんです。日本語は受信者責任型言語。自由自在に解読ができる。"
"実は、この受信者責任型言語というのが、他の文化を吸収していくのに大事な力なんです。だから日本人ってのは、結構受け入れる心が大きいんです。
あんまり否定しないんです。全然違うもんでも、それもありかなあと、これが日本人の日本語からくる受信力だと思うんです"
ここから私は思いました
1、余白文化
2、共創促進文化
3、高コンテクスト文化
1、余白文化
日本語が受信者責任型言語というのは、わかりやすい視点だなと思いました。鈴木孝夫さんが『ことばと文化』(1973)の中でもお話しされているようですが、確かに、主語がなくても、下手をすれば、咳払いだけで通じるなんてのも、受け取る側が解釈できるよね、から、受け取る側で慮ることが普通に行われるなあと思います
その反面、日本人は発言しないとか、グローバルな世界では積極的な発言がないといないと同じだ、みたいなネガティヴなことも言わがちで、さらに萎縮してしまうみたいなことも感じてます
でも実は悪い面だけではなく、とても良い面もたくさんあるというジェフさんのお話に勇気を頂きました。
受け取る側にある程度を委ねるという意味では、受け取る側の判断、解釈を入れて初めて成立するという意味で、余白文化、といってもいいかと思いました。
そして、余白があるからこそ、ずらした解釈が生まれる、誤読が生まれる、ある意味ボケが生まれる、こういったてんについては、発信した側にも、あ、そういう解釈も面白い、と受けることで、様々なものが掛け合わされる、とてもイノベ〜ディブな文化ということも言えるのかもしれないと思いました
2、共創促進文化
受信者責任言語においては、受け取った側の解釈を改めて発信者側に確認する行為というのが、必ず必要となると思います
それが、まどろっこしい、もっとはっきりいってくれないから勘違いした、みたいなデメリットもありますが、それもポジティブな面から見ると、コミュニケーションを促進する構造になっている、ということも言える気がしました
受信者側からの確認行為があり、さらにそこに発信者側からのさらなる発信が起き、このコミュニケーションが促進することで、実は"仲間"とのさらなるイノベーティブな意見交換ができるという意味では、これも日本文化の良い面かもしれないと思いました
3、高コンテクスト文化
エドワード・T・ホールさんが「高コンテクスト文化では、メッセージの多くが言語以外の手段、すなわち沈黙、間、表情、背景的状況に託される。日本はその典型である。」と言われた通り、日本では、言語以外の伝える方法を大切にしてるのかなと思います
原始の時代からの、ものを叩く、声を高低で話す、物音を聞く、気配を感じる、目や仕草で伝えるという、言語を持ってしまったがために失われたことを、日本はとても大切にしてきたのかもしれないなと
そしてそれは、とても豊かなコミュニケーションであり、そこから生じる豊かな感性や感情なども、大切にし続けた文化なのかと思います
それは、きっと日本人の中に、様々な刺激や感覚、違和感や伝え方伝わり方、さらには味わい方、触れ方、見え方、聞こえ方、など、バラエティで繊細な感覚を養ってくれてるのかなあと、そんなことを思いました
余白を大切にし、共創をより良しとし、様々な感じ方、伝え方を育んできた、日本文化は、とてもイノベーティブな環境であり、そんな人々が集う土地であり、これからも、そんなイノベーションをたくさん産む可能性がたくさんある、そんな土地に生まれてるのかもしれない
そんなことを思いました
一言で言うと
受信者責任型言語ノベーション
そんなことを思いました
参考: テレビ寺子屋【日本語っていいですね/ジェフ・バーグランド】2025/4/19(土)フジテレビジョンhttps://www.sut-tv.com/program/terakoya/
京都外国語大学教授のジェフ・バーグランドさんのお話に勇気を頂きました
"英語は発信者責任型言語。発信する方が責任持ってはっきりしないといけないんです。
キーン(ドナルドキーン)さんが、日本語っていいですね。自由自在に読む人が自分で解読したらいいんだと。
これが僕にとっては一番日本語の特徴なんです。日本語は受信者責任型言語。自由自在に解読ができる。"
"実は、この受信者責任型言語というのが、他の文化を吸収していくのに大事な力なんです。だから日本人ってのは、結構受け入れる心が大きいんです。
あんまり否定しないんです。全然違うもんでも、それもありかなあと、これが日本人の日本語からくる受信力だと思うんです"
ここから私は思いました
1、余白文化
2、共創促進文化
3、高コンテクスト文化
1、余白文化
日本語が受信者責任型言語というのは、わかりやすい視点だなと思いました。鈴木孝夫さんが『ことばと文化』(1973)の中でもお話しされているようですが、確かに、主語がなくても、下手をすれば、咳払いだけで通じるなんてのも、受け取る側が解釈できるよね、から、受け取る側で慮ることが普通に行われるなあと思います
その反面、日本人は発言しないとか、グローバルな世界では積極的な発言がないといないと同じだ、みたいなネガティヴなことも言わがちで、さらに萎縮してしまうみたいなことも感じてます
でも実は悪い面だけではなく、とても良い面もたくさんあるというジェフさんのお話に勇気を頂きました。
受け取る側にある程度を委ねるという意味では、受け取る側の判断、解釈を入れて初めて成立するという意味で、余白文化、といってもいいかと思いました。
そして、余白があるからこそ、ずらした解釈が生まれる、誤読が生まれる、ある意味ボケが生まれる、こういったてんについては、発信した側にも、あ、そういう解釈も面白い、と受けることで、様々なものが掛け合わされる、とてもイノベ〜ディブな文化ということも言えるのかもしれないと思いました
2、共創促進文化
受信者責任言語においては、受け取った側の解釈を改めて発信者側に確認する行為というのが、必ず必要となると思います
それが、まどろっこしい、もっとはっきりいってくれないから勘違いした、みたいなデメリットもありますが、それもポジティブな面から見ると、コミュニケーションを促進する構造になっている、ということも言える気がしました
受信者側からの確認行為があり、さらにそこに発信者側からのさらなる発信が起き、このコミュニケーションが促進することで、実は"仲間"とのさらなるイノベーティブな意見交換ができるという意味では、これも日本文化の良い面かもしれないと思いました
3、高コンテクスト文化
エドワード・T・ホールさんが「高コンテクスト文化では、メッセージの多くが言語以外の手段、すなわち沈黙、間、表情、背景的状況に託される。日本はその典型である。」と言われた通り、日本では、言語以外の伝える方法を大切にしてるのかなと思います
原始の時代からの、ものを叩く、声を高低で話す、物音を聞く、気配を感じる、目や仕草で伝えるという、言語を持ってしまったがために失われたことを、日本はとても大切にしてきたのかもしれないなと
そしてそれは、とても豊かなコミュニケーションであり、そこから生じる豊かな感性や感情なども、大切にし続けた文化なのかと思います
それは、きっと日本人の中に、様々な刺激や感覚、違和感や伝え方伝わり方、さらには味わい方、触れ方、見え方、聞こえ方、など、バラエティで繊細な感覚を養ってくれてるのかなあと、そんなことを思いました
余白を大切にし、共創をより良しとし、様々な感じ方、伝え方を育んできた、日本文化は、とてもイノベーティブな環境であり、そんな人々が集う土地であり、これからも、そんなイノベーションをたくさん産む可能性がたくさんある、そんな土地に生まれてるのかもしれない
そんなことを思いました
一言で言うと
受信者責任型言語ノベーション
そんなことを思いました
参考: テレビ寺子屋【日本語っていいですね/ジェフ・バーグランド】2025/4/19(土)フジテレビジョンhttps://www.sut-tv.com/program/terakoya/
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