突然ですが、皆さんは、学生の頃、給食で出る牛乳、好きでしたか?
クラスメイトと一緒にパックや瓶に入った牛乳を飲むのは、家で飲むのとは一味違った感じがしますよね。
今回は、台湾の給食の歴史と、最近問題となった給食で出てくる牛乳に関する「ある取り組み」についてご紹介します。
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台湾では、学校で現在の牛乳の代わりに提供されていた脱脂粉乳を使ったミルクが給食の起源とされています。第二次世界大戦後台湾では食料が不足していたため、多くの子どもは栄養失調に陥りました。そんな状況を改善しようと、1951年、当時の教育に関する行政機関である教育庁は国連児童基金(ユニセフ)から贈られた5,000トンの脱脂粉乳を151の学校に配布、各学校はそれをもとにミルクを製造し、栄養補給の源として生徒たちに提供しました。このような取り組みが、現在に繋がる、栄養価の高い給食を推進するきっかけとなったのです。しかしこの時期はまだ、学校は現在のような給食を提供していなく、ほとんどの生徒は、お弁当を家から持って行くか、家に帰って昼食をとっていました。
戦後の人々の生活が困窮していた1948年にはアメリカが「台湾援助法」を可決し、台湾に対して機械製造の技術援助や人々の生活に必要な物資の提供などを開始。
1957年になると、教育庁はアメリカの援助の成果もあり、給食を実験的に提供する「給食モデル校」に台湾各地の5つの学校を選定。そこでは援助による脱脂粉乳、さらに、各学校では校内で栽培された野菜を使用したスープが作られ、これらを組み合わせたものが台湾における給食の原型となりました。
当時のスープには、カロリー不足を補うために、脱脂粉乳10g、イーストパウダー5g、大豆、乾燥小魚、野菜、海藻などが入っており、タンパク質、カルシウム、ビタミンBなどの栄養素を一度に補給できるものでした。
そして1966年、教育庁は「学校給食を実施するための要点」を普及させ、脱脂粉乳を使ったミルク、「給食モデル校」で提供されていた「スープ」、そして、主食としてアメリカから提供された小麦粉で作られた蒸しパンと麺、野菜の入った副菜1品、また、時には果物を合わせた給食となりました。
子どもたちの健康状態は改善し、体重と身長が大幅に増加したのもこの時期からです。給食提供は栄養補給と正しい食習慣の育成に加え、食事の前に手洗いをするという教師による指導も行われ、正しい衛生習慣も培われました。
1968年になるとアメリカによる支援が終了、また、1971年に国連から脱退させられたことにより国連からの補助金が断ち切られ、外部からの援助を得ず国内のみで給食を賄わなければならなくなりました。1980年代に入ると、工業化が進み、学校の厨房には大量調理が可能な鍋や冷凍庫が導入されました。また、各食品メーカーも調理しやすいようにカットした食材を売り出すようになったため、給食を作る効率が大幅に向上。
ただ効率が良いだけでは良い給食は提供できません。1990年代になると栄養面でもさらに向上した給食へと進化しました。それは、国家試験に合格した学校栄養士が初めて給食メニューの決定に採用されたからです。また同時に1990年代は、学校給食が全国的に普及した時代といえます。なぜなら、給食の普及率を60%以上に引き上げるため、教育庁の後を継いだ教育部が、1つの学校が近隣の他の学校に給食を供給するセントラルキッチンの導入を進めることを指示したからです。そして現在では、国産食材や有機野菜を使ったり、食育や国際交流が進められ、農業の知識や国際的な視野に富んだ学校給食へと変化し、当初とはまったく異なる進化を遂げています。
給食の進化の一つには、脱脂粉乳から始まった牛乳の提供も挙げられます。
教育庁が「学校給食を実施するための要点」を普及させた1966年、北部・台北市内にある、キリスト教徒の医療従事者から構成される団体「台湾キリスト教徒医学協会」は医療サービスを提供する場に、アメリカから提供された牛乳を14歳以下の子ども二百人に対し無料で提供する取り組みを開始。
その当時の牛乳のほとんどは、政府が外貨を投じて輸入したものでした。そこで政府は、1966年に「酪農発展グループ」と「酪農発展基金会」を設立し、給食に牛乳を供給する計画及び酪農家に対し助成金を支給。これにより、生徒が市場価格よりも安い価格で牛乳を消費できるように。また、牛乳の消費と酪農業の発展も促進されました。こういった以前に行われた政府の酪農業振興により、台湾では牛乳が給食で提供されるようになりました。
では最近に目を向けてみますと、教育部と日本の農林水産省に当たる農業部は昨年9月、「全土の小学校と幼稚園の全てのクラスに週二回国産の新鮮な牛乳を」という取り組みを共同で推進することを発表。ただ牛乳の保存施設が完備されていない学校もあることを考慮し、この取り組みには強制力がなく、各学校の選択に委ねられます。しかし日本人の私たちからしたら、給食で国産の新鮮な牛乳を飲むことは特別な事ではないので、「この取り組みをわざわざ推進するというのは、どういうこと?」と思われた方、いらっしゃるかと思います。
この取り組みが発表された目的は主に二つあります。一つは、台湾の児童たちが給食でより多くの栄養を摂取できる様にするため、もう一つは、台湾とニュージーランドとの間で2013年に締結された経済協力協定により、今年から、ニュージーランドから輸入された乳製品の関税が撤廃されることが決まっており、台湾の酪農家への打撃が心配されているためです。これにより今後台湾で生産されたものより価格の安い牛乳が輸入されてしまう恐れがあり、そんな酪農家を救済する目的もあるのです。
主にこういった理由で昨年9月より「週二回国産の新鮮な牛乳を」の取り組みが始まったわけですが、なんと残念なことに、昨年12月、中止が発表されてしまいました。今年2025年の冬休み明けの新学期、つまり今年の2月頃からの中止となります。理由としては一部の学校で、適切な方法で配送や冷蔵保存をするための設備と人手が不足し技術的に難しいという声が聞かれたためということです。
今後は各自治体ごとにこの措置の中止に対する対応が取られる予定です。
また、教育部は今回浮き彫りとなった問題を機に、給食で使用する食材の温度管理と、冷蔵運送システムのアップグレードを加速させ、児童の食の安全をさらに確保していくと発表しています。
皆さんが今新鮮な牛乳を日本で飲めているのはとても幸せなことなんです。
私も帰省した際は、酪農や流通に関わっている全ての人たちに感謝しながら沢山飲みたいと思います。