Sign up to save your podcastsEmail addressPasswordRegisterOrContinue with GoogleAlready have an account? Log in here.
周りを変えようとするのでなく、自分が変われば、すべてが変わっていく、そんな単純明快な「意識の世界」の仕組みを、「ありがとう―意識の世界への架け橋」の著者、塩川香世さんと共に学んでいきます。... more
FAQs about ともに瞑想を:How many episodes does ともに瞑想を have?The podcast currently has 213 episodes available.
August 08, 2017第141回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-このブラウザでは再生できません。再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら⑤ 自分の亡骸自分が死んだあと、自分の亡骸をどのようにしてほしいですか。盛大に弔ってほしいですか。手厚く葬ってほしいですか。祭壇の前で、最後のお別れを言ってほしいですか。そして、いつまでも自分のことを記憶に残しておいてほしいですか。肉体細胞達の役目が終了する時、肉体細胞に「ありがとう」の思いを流しながら、その肉体から思いを離していったあとには、肉体という物体が残ります。私は、亡骸というのは、残骸に過ぎないと思っています。思いの抜けた残骸です。その残骸の主は、すっと肉体から抜け出して、依然として生きているのです。私は、このような状態が、人間本来の姿だと感じています。つまり、私達の本当の姿は意識であり、肉体が不必要になれば、いつまでもその肉体に留まっていないことを感じています。しかし、大抵の人は、その肉体にしがみついているのです。それは、その人がその肉体を自分だと思い込んでしまっているからです。肉体の消滅とともに、自分というものは消滅すると思っています。だから、手厚く葬ってほしい、高僧名僧の導きで、あの世に行きたいと本気で思っているのです。そして、命日には、在りし日の自分を思い出してくださいと願うのです。私は、自分の肉体細胞が活動している間に、その細胞達から優しい温かい思いを感じさせていただいています。そして、その細胞達が、いよいよ「さようなら」を告げる時、私達は互いに、「ありがとうございました」と思いを通じ合えると信じています。「さようなら、ありがとうございました」とお別れを告げ、すっとその肉体から離れていくことができるだろうと感じています。私は亡骸とともにあるのではありません。亡骸はそこにあっても、私は意識として現存している。それが私自身だと感じているのです。そのような心の状態ですので、肉体から思いを離したあとは、その亡骸を処分していただくだけです。そのお手数をおかけするだけだと思っています。その処分には、何ほどのお金も要らないと考えています。人が死んだ後々まで、別れを惜しんで、ずっと悲しみを引きずっていくのは、情が深くて優しい人だからでしょうか。それでは情が深くて優しいとはどういうことでしょうか。肉体がある間、互いに互いの心を見させてくれましたという思いから、ある一定の時間は、感慨深いものがあると思いますが、それは寂しい悲しい思いではなくて、喜びでその人を思う、そういうことだと思います。その人の在りし日を思うならば、喜びで思ってください。⑥ 転生「人はなぜ生まれてくるのか、なぜ死んでいくのか」、それは難しい課題でした。しかし、永遠の今を感じる心には、それらがすべて喜びの出来事であることが分かります。生まれてくることも、死んでいくことも、みんな自分自身に目覚めていくためだったからです。自分自身に目覚めるということは、大変な作業です。生まれてくることも、死んでいくことも、苦しみだと思い続けてきたのは、その大変さを物語っていると思います。だから、過去の修行者達は、転生輪廻から解脱することを考えたのです。転生とは苦しみ、その苦しみから解脱することが幸せへの道だと信じて、己の煩悩を滅却することに勤しんでいたと思います。それは、とんでもない思い違いであり、全くの無知でしかありません。しかし、そのことは意識の転回を始めなければ、分からないことです。いくら厳しい修行を重ねても、意識の転回が自分の中で始まらない限り、永遠に地獄なのです。ましてや、日々の生活に四苦八苦している中では、自分達の生活を守ることで、手一杯です。その中で何とか幸せに、豊かに、実りある時間をと、それぞれ懸命に生きているようですが、それがやがて音をなして崩れていく時が、やってくると言っているのです。過去の時代においても、そうだったはずです。いつの時代においても、天変地異は付きものです。しかし、意識の転回をやってこなかった私達は、いつも呪いと恨みの中で、死んでいったのです。そして、その意識の世界は、もちろんそのままで、また生まれてくるのだから、生も死も苦しみ、いつの間にかそれが定着してしまいました。その中で、守ろうとします。死守します。肉にしがみつく思い、その執着はすごいものです。全部、周りに責任を転嫁していきます。事実、過去において、そうしてきました。しかし、誰を恨んでも、何を呪っても、結局は自分自身が真っ暗な奥底に沈んでいっただけでした。そして、その真っ暗な奥底から、何度も何度も這い上がっていこうとするけれど、恨みの心や呪いの心で、また自らを沈めてきたのです。優雅で華やかな時代に生まれてきても、意識の世界は真っ暗でした。一国を治める権力者であっても、路傍にひっそりと暮らす一介の民であっても、意識の世界はみんな真っ暗でした。そして、真っ暗同士が近しい関係を持って、互いの真っ暗を見せ合うのが転生の数々でした。おびただしいほどの人間ドラマを心に持ち、それでもまた生まれてくるのです。何度も何度も、自分を目覚めさせるチャンスをもらってくるのです。世の中には、転生を信じている人も多くおられることでしょう。しかし、その人達もまた、それぞれの転生が、実は連結したものであることに、まだ気付けていないと思います。意識の転回をしないで、存在しているからです。◇意識の転回。肉から意識へ。自分の本当の姿を心で感じる。真っ暗な奥底から、何度もなんども這い上がっていこうとしたけれど、意識の転回は到底できませんでした。それほど、肉という思いが心にこびりつき、自分を苦しめ、地獄の奥底に落としていった大きな唯一の原因です。肉が自分でない、意識が自分だ、私達はエネルギーだ。目に見えない存在なんだ。頭でなく心で感じ始めること。意識の転回が始まっていくこと。これが待たれています。どんなに真理を追究しようとも、意識の転回を始めなければ何も変わりはありません。肉の中で自分を地獄に落としていくだけの循環、その循環をいつどこで変えていくか。そしてそれには正しい瞑想をする以外に方法はありません。お母さんの反省をしてゼロ歳の瞑想をして自分というものを知って、自分の流してきたエネルギーを知って、そして、自分の中の愛に帰ろうと、本気で真剣に思えるような道筋、その道筋を自分の中で見つけ出していくこと、意識の転回をし始めることが自分を蘇らせることに繋がっていきます。それでは軽く目を閉じて、ともに瞑想をしてまいりましょう。心の中に、お母さんは存在します。母の意識は存在します。温もりの中に、喜びの中に、愛の中へ戻ってきなさい、帰ってきなさい。たくさんの母の意識に、どうぞ、その思いに、心を向けてみてください。...more12minPlay
August 07, 2017第140回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-このブラウザでは再生できません。再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら④ 死んでいくこととは死んでいくこととは、どういうことでしょうか。生まれてきた人間は、必ず死んでいきます。不老不死の薬はありません。どなたも、やがて肉体が朽ち果てる時がやってきます。これは、みんな納得していただけると思います。問題は、人は、生まれてから死んでいくまでの間に、本当に自分がすべきことを見つけたか、すなわち、自分の仕事を見つけたかということにあると思います。これこそ我が天性の仕事だと、様々な分野で自分の情熱を傾けておられる方も、本当にそれが天性の仕事だと言い切れますか。そのような仕事とは別に、もっと他に自分が成すべきものがあったのではないだろうか、やはり、そのようなことをふと思うのは、人生も晩年を迎えた頃でしょうか。若くて血気盛んな時は、自分の能力を発揮できる場、チャンスに恵まれれば、大変有望な実りある人生だと、自己満足し、社会も評価します。当然、それなりの地位、名誉、財産、人望は得られるでしょう。そして、そういう人が亡くなっていけば、一段も二段も高く、優れた人物像が描かれていき、いついつまでも語り継がれていくかもしれません。その人を知る人達の間では、ああだった、こうだったと、もてはやされて、語り継がれていくでしょう。やれ生誕祭だ、何とかの神様だとか言って、お祭り気分で浮かれていくことだと思います。しかし、それは、現に生きている人達の側のことで、当の本人にしてみれば、その肉体を捨てた、すなわち、死の瞬間を迎えた時点で、そういった輝かしき栄光は、消え去っていきます。華やいだ雰囲気は、その人が肉体というものを身に纏っている時に限られます。本人は、それどころではありません。肉体を脱ぎ捨てた瞬間に、そんな生前の華やかな雰囲気とは似ても似つかない、重苦しい世界を味わっていくからです。呼べども叫べども、その重い苦しい重圧が覆いかぶさってくる。これが肉体を持っている間に、本当のことを知らずに存在してきた人間の実情です。死んであの世から、自分の今の世界はこんな世界だと語ることはありません。語ることなどできないからです。天国に安らかに召されてなど、もってのほかです。では、死んでいくことは苦しみなのでしょうか。なぜ苦しみなのでしょうか。そもそも、私達は苦しいから生まれてきました。苦しみから自分を救い出そうと生まれてきたのです。その出発点を知らずに生き、そして、死んでいけば、死んでいくことは確かに苦しみに違いありません。生まれてきた殆どの人は、人生の出発点を知るという自分の計画が、目の前の陽炎にうつつを抜かしている間に頓挫してしまいます。その人には、うつつを抜かしたつもりはないのかもしれません。また、精一杯人生を歩いてきたと思われるかもしれませんが、「自分は苦しいから生まれてきた。」「その苦しみから自分を解き放していこう。」という自覚はなかったはずです。さらに、殆どの人が、死ぬということは、すなわち、自分というものが消えてなくなると思っています。自分の愛する家族も、やってきた仕事も、築いた財産も、その時点でみんななくなってしまう。いいえ、そのことより「死ねば自分はどうなってしまうのだろうか」と、自分というものがなくなってしまうことに、例えようもない恐怖があるのです。そのような人に、自分の死を本当に喜びで迎え入れることなど、できるはずがありません。だから死んでいくことは、苦しみでしかないのです。ましてや、病気になって肉体的な苦痛を伴いながら、自分の死を待つ日々は、苦しみでしかないと思います。「死にたくない、死ぬのは怖い」、心の中ではそう思いながら、「どうせ自分はもうすぐ、この世からおさらばしていくのだ」と、自分に言い聞かせているだけではないでしょうか。いくら自らを励ましても、刻一刻とその時は迫ってきます。他力信仰をやってきた人達は、神のお導きを、仏のお慈悲をと、縋るような、祈るような思いを出し続けます。また、常日頃は神、仏とは無縁な人であっても、なかなか心の中は大変だと思います。大変で当たり前です。その人達は、自分自身に冷たい仕打ちをしてきたからです。自分はそんなことをした覚えはなくても、生まれてから死んでいくまでの間、苦しみから自分を何一つ救うことなく、苦しみを重ねていったに過ぎなかったなら、それは自分自身に冷たかったことになるのです。その残念無念さが、ただ心に満ち満ちている状態だと思います。もっとも、このことは肉体を纏っている時には、自分自身ですら気付けないでしょう。自分の心の世界が大変な状態であることに、肉体生命が閉じる瞬間まで気付けない人が殆どだと思います。◇そうですね。苦しいから生まれてきた。苦しみから自分を救い出したい。本当に自分を救い出したい。苦しい、苦しい。ここから救ってくれ、なんとかしてくれ。自分の叫び声を、肉体を纏っているときに知っていく気づいていく人は、それはほんの一握りの人でしょう。心を見て、自分の心の叫びに触れていく人達、その人達はやはり幸せな人達だと思います。どんなに苦しく、叫び声をあげている自分を感じたとしても、その自分を感じて、その自分に、「間違ってきた。私達は間違ってきた。みんなみんな間違ってきた、お母さんの温もりの中へ帰ろう。お母さんの温もりの中から生まれてきた。愛の中から生まれてきた。その中へ帰ろう」と、ただひたすらに伝えていけることを知っている、その実践をしている人達、その人達は幸せだと思います。どんなにお金があっても、どんなに周りに優しい人達があっても、自分の心の叫びを知らずにこの世を去っていくという人生、何度も何度も私達は繰り返してきたはずです。だから死を恐怖する、死にたくない、そういう心は、みんなどなたの心の中にもあります。だけど、私達はそれを自分の中で乗り越えるというか、自分の中で解消していかなければなりません。また、解消していけるんです。田池留吉の世界、アルバートの世界、お母さんを素直に、本当に素直に一生懸命に呼び、思い続け、何の欲もなく、ただひたすらに思い続けていくこと、そのことをしていけば、自ずと心の中に広がっていきます。温もりが、優しさが、安らぎが。そんな中にあった自分達だったって自ずとわかってきます。それが幸せな人生だと私は思います。ただひたすら、田池留吉を思える、アルバートを思える、意識の流れを思える。そんな幸せな時間、空間、できるだけできるだけ持っていきましょう。現象界は反対にとても厳しく大変な時期を迎えていきます。形にとらわれていけば、自分を見失っていきます。せっかく学びに繋がったのに、自分を見失っていく、元の木阿弥へということ。そこへ転落、自らを落としていくことのもうないように、落ちても踏ん張ってください。そこからすーっと浮上できるように自分の基礎を固めてまいりましょう。それでは少し思いを語らせてもらい長くなりましたが、ともに瞑想していきたいと思います。自分の死に対して、死後の自分をしっかりと真正面から捉えて、自分を見つめてまいりましょう。優しい優しい中で、自分を見つめてまいりましょう。そんな時間を持っていってください。...more13minPlay
August 04, 2017第139回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-このブラウザでは再生できません。再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら② 母親の存在を忘れ去りました「私に肉体をください」、そう願って、その願い通りに、あなたは両親のDNAを受け継いだ細胞の一つ一つに支えられて、お母さんのお腹の中で、この世に出ることを喜びで待っていました。お母さんの子宮の中で、お母さんの肉体細胞を通して、様々な影響を受けても、あなたは喜びいっぱいで、この世に出ていくその日を、今か今かと待っていたはずです。しかし、たとえ、お母さんのお腹から出る前に、あるいは、出てからほんのしばらくして、その細胞達が動いてくれなくなったとしても、あなたは、きっと、「よかった、嬉しい、ありがとう」という思いを流すはずです。なぜならば、ほんのしばらくでも、お母さんのお腹にいたからです。安らいで何の不満もない、ただ喜びだけの時間と空間を、あなたは持ったからです。その時、あなたは、お母さんの温もりの中に包まれている自分自身を感じていました。母親の存在を、あなたは充分に感じることができたのです。母親という存在が、自分を受け入れてくれた、この事実は、無事肉体をこの世に送り出すことができても、またできなくても、変わらずにありました。そのことを感じているあなたは、たとえ、この世に肉体を持って現れることはなくても、「お母さん、ありがとうございます」と告げて、お母さんのお腹から喜びで、姿を消していくのです。産まれてくるはずの我が子を流産したり、また死産であったり、産まれてすぐに死んでしまったりして、嘆き悲しむのはむしろ、母親の側かもしれません。私達は、このようにして、生まれてきたはずでしたが、生まれてくる意味も、母親の存在も、成長するにつれて、きれいさっぱり忘れていきます。それで自分の人生を生きていこうとしても、山あり谷ありの人生を自分の思う通りに、乗り切っていけるものではありません。実は、山も谷も自分の計画でした。そして、どのように通過していくかも、自分で設定してきたはずでした。しかし、肉体をもらうことを願ってきた思いを忘れ、自分で計画してきた環境だということも忘れ、「私はこんなところに生まれてきたくなかった。」「なぜ私を産んだのか。」「なぜ私の母親は、あのような母親なのか。」と、不足、不満の思いはみんな、目の前にいる母親を目掛けて攻撃していきます。厳しい環境であればあるほど、攻撃の勢いは強いものです。また、そうでなくて、例えば、人も羨むような恵まれた環境であっても、どこかに不足、不満を探し出しては、その思いを母親にぶつけていくのです。そのようにして、どなたも、自分の目の前にいる母親に対して、自分の思いがストレートに飛び出ることを体験していきます。「なぜ、母親には、自分の思いがストレートに出るのだろうか。」不思議に思いませんか。皆さん、小さな頃は、母親に対して、散々好き勝手なことを言ってきたのではありませんか。しかし、母親は、甘えて、駄々をこねても、結局は自分を受け入れてくれたはずです。時には厳しかったり、叱られたりということもありますが、それも父親がそうするのとでは、どこかが違うことを感じていました。それは、誰が教えるわけでもないけれど、みんなお母さんとはそういうものだと、心のどこかで知っているからだと思います。そうです、へその緒が繋がっているのは母親です。そして、へその緒を切ったその時から、母親の存在をみんな忘れ去っていくのだと思います。③ 大人になり切れない大人頭でっかちで、大人になり切れない大人が、うようよしていると思いませんか。大人と一口に言っても、その定義が何であるのかということになりますが、要するに人間のレベルが低下している、幼稚だということでしょうか。大人になり切れないというのは、子供のような無邪気さを残しているということではなくて、自己中心的で、身勝手で、自己主張には優れていても、その責任の所在をうやむやにしてしまう、そのような人だと思います。そのような人達が、会社で働き、また結婚して父親となり、母親となっていきます。結果どうなるのか、それが今、日本の国一つを取り上げても、毎日毎日、世間を騒がせている事件、不祥事に現れてきていると思います。たくさんの情報が溢れている世の中に、少子社会の流れが、どんどん大人になり切れない大人を量産していきます。身体と頭だけが成長し、心は未発達、まさにアンバランスの人間です。そのような人間が世の中に溢れていくのだと思います。身体は、生活環境が豊かになり整ってくれば、自然に成長していきます。また頭のほうも、それなりに受験戦争をくぐり抜けてきていますから、鍛えられています。しかし、心のほうはどうでしょうか。みんな心とは何かを知らないのではないでしょうか。そもそも、心の世界は、宗教学者はもちろん、学問的なところから解き明かすことはできません。また、科学的な見地からも、心の世界を語ることなどできないのです。確かに、単に嬉しい、悲しいなどという思いを語ることは、いくらでもできるでしょうし、心理学的に思いを分析することも可能かもしれません。しかし、思いを語っているからといって、心を語っていることにはならないし、その思いを分析して、それで心の世界というものが分かることにもなりません。なぜならば、思いを語る人も、思いを分析する人も、心を形の世界から見ているからです。心は、心の世界にあることを、彼らは知らないのです。結局、みんな心の世界を頭でとらえようとします。言葉、態度など形に表れているものに重点を置き、そこから心の世界を推し量り、または分析しようとします。一応それで、一つの宗教書とか指導書とか呼ばれるものは、出来上がっていくと思います。この世に氾濫しているものは、その類のものです。世の中は、今、その程度の情報を、いっぱい頭に詰め込んで、対処していこうとする風潮だと思います。しかも、周りには、大人になり切れていない大人がいっぱいです。アンバランスな人間に、アンバランスな情報を与えて、よりいっそう世間を混乱させていく風潮のように思えて、仕方がありません。◇それでは、今日も最後にともに瞑想をしていきたいと思います。母親の存在を忘れて、忘れ去った私達、そして大人になりきれない大人がたくさんいるこの世の中。色々なことが形となって現象化していく。不思議でもなんでもありません。自分たちの愚かさを露呈していく、これから益々その様子が顕著になっていきます。人間って本当に愚かだということですね。その人間がわからなくて、つまり自分自身がわからなくて、それでも、やっぱり幸せとか喜びとかをずっと求めてきた私達だったんですね。いま色々な環境のもとで生活をして、こうして学びに繋がって、田池先生から「本当のことはこうだよ」と伝えていただきました。そのことをもう一度、自分の中に戻して、本当に、真摯に、真剣に自分の人生を考えてください。考えてわかるものではないけれど、間違って存在し続けてきたんだなあということは、しっかりと自分の心の中で受け止めてまいりましょう。それでは、そのまま軽く目を閉じて、あなたの中のお母さん、本当のお母さんの意識の世界。肉のお母さんではなくて、私たちにずっとずっと、温もりと優しさ、喜びを伝え続けてくれた、お母さんの意識の世界、波動を感じてみてください。...more12minPlay
August 03, 2017第138回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-このブラウザでは再生できません。再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら2 10個のテーマを自分に問いかけてみましょう ① 生まれてくることとは生まれてくることとは、どういうことでしょうか。あなたは今、お母さんに産んでもらって、そこにいます。あなたの誕生を誰よりも喜んでくれたお母さんを、あなたは知っています。もちろん、お母さんのお腹から生まれてこれたことを、あなた自身も大変喜んでいた時があったのです。お母さんのおっぱいを吸って、お母さんに抱かれて、ただ安らいでいた時が、どなたにもありました。今は、自分の力で生きてきたと自負している社会的に立派な人も、もとはと言えば、お母さんがいたからこそ、です。しかし、その原点、言うなれば、自分の原点を殆どの人は忘れ去っています。そして、忘れ去るだけならまだしも、そのお母さんに対して、どれだけの思いを吐いてきたのかを自覚している人は、また皆無に近いかもしれません。ただし、お母さんが原点だと言われても、そのお母さんというのは、あなたが日常的に接してきたお母さんのことを言っているのではありません。所謂、あなたのお母さんは、あなたと同様に、色々な癖もあり、愚かな部分も多々あります。また、大抵の母親は、あなたを、「私の子供だ、私が産み育てた大切な我が子だ」と称して、支配の思いや、牛耳るエネルギーを容赦なく出してきます。もっとも、母親は決して、それが支配や牛耳るエネルギーだとは思っていません。「みんなあなたのためだ」と、そして、「それが母親の愛情だ」と思い込んでいるから、自分の中ではよしとしている部分があります。本当はそれが愚かなのですが、愚かだということが分からないのです。だから余計に始末が悪いのです。しかし、そのこととは別に、お母さんから厳然として流れるものがあります。その愚かな母親の本当の思いに、あなた自身が本当に触れていったなら、あなたは間違いなく変わっていくと思います。それは、あなたを我が所有物とみなしていく思いではなく、あなたをこの世に送り出せたことをただ喜び、ただただ、あなたの幸せを願っている思い、波動です。あなたがどんなに罵詈雑言を吐き、無理難題を突きつけても、あなたは今許されているから、そこに存在しています。あなた自身の頑張り、努力などで、今の地位、名誉、財産等々を築いてきたと本当に思っておられるなら、それはあなた自身があまりにも傲慢ではないでしょうか。ただ、今すぐに傲慢だと認めることは難しいと思います。しかし、いつの日にか、あなた自身に「はい、そうでした。私は傲慢でした。お母さん、申し訳ありませんでした」と、伝えてくれる自分に出会えると思います。その時に、あなたは、お母さんから厳然として流れてくる思いに、ただただ涙、涙だと思います。その時、あなたは、あなた自身の心で、日常目にしてきた母親でない母親の存在を知り、その存在から来る波動を感じていかれると思います。何とも言えない温もりと安らぎを、感じられるだろうと思います。そうなった時に、母の愛は無条件に自分を包んでくれていたことが喜びとして、心に広がっていくことでしょう。まず、そのような母親の本当の思いに支えられて、どなたも生まれてくることができたことを、信じていってください。それが、自分自身の原点です。ところで、子供は親を選べないということが、世間の通説としてあるようですが、本当はそうではありません。きちんと、あなたは、母親を選んできました。選んできたというよりも、お願いをしてきたのです。「私を産んでください」と願いを出したのです。肉体というものを、どうしてもあなた自身が必要としたからです。お母さんに産んでもらうということは、自分に肉体をもらうということです。みんな、そのようなことは、すっかり忘れ去っていきます。それは、ほぼ一〇〇%の確率です。そして、そこの思いに立ち返るために、この世に産まれ出た瞬間から、様々な苦労が始まっていくのです。しかも、原点を抜きにしているから、人生は重い荷物を背負って歩むものである、人生は苦であると、言い伝えられてきたことを信じてしまいます。鵜呑みにしていくのです。この世には、間違って伝えられているものがたくさんありますが、私は、このことは、最大の過ちだと思っています。生まれてくることは喜び、人生は喜びです。皆さんは、子供の誕生を喜び、祝います。それは、誕生を喜ぶことによって、「これからの様々な出来事を通して、どうぞ、本当の自分自身に目覚めてください」というメッセージを、親も子も互いに確認しているからです。しかし、その人にとって、本当の誕生日とは、「私は、生まれてくることができたこと、それだけが喜びです。お母さん、ありがとう」、そう思えた時です。そこからが自分のスタートなのだと思います。そのスタートラインに立たずして、本当のことは何も分からないと、私は今、そう思っています。◇どうでしょうか。あなたの本当の誕生日をお迎えになられているでしょうか。「私は生まれてくることができたこと、それだけが喜びです。お母さん、ありがとう」そう思えた瞬間がありますでしょうか。自分に肉体をくれた。自分の望み通りに肉という形をくれた母の意識、その母の意識に触れてみてください。肉のお母さんは愚かです。あなたはあなたの肉も愚かです。その肉のお母さんを指して言っているのではありません。しかし、あなたは肉体をもらわない限り、私達は肉体をもらわない限り、真実の波動の世界とは出会えなかった。このことをあなたの心でしっかりと知っていきましょう。知って言った時、無条件に、本当に無条件に自分を包んでくれていた母親の愛、そのエネルギーに触れて、本当に生まれてきたことを喜びとできるあなたに巡り会えると思います。それでは、どうぞそのまま、あなたが生まれてきたことについて、今どのように思っているのか、少し自分の心を覗いてみてください。そして、「お母さんありがとう」本当に自分の中からふつふつと湧き出てくる思い、その思いに、触れてみてください。...more10minPlay
July 29, 2017第137回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-このブラウザでは再生できません。再生できない場合、ダウンロードは🎵こちらhttps://www.amazon.co.jp/dp/4904648315/宇宙に興味がある人もたくさんおられると思います。宇宙のパワーが大好きな人も多いのではないでしょうか。しかし、「母の心」を忘れ去った中で、宇宙に思いを向けていくことは大変危険です。まず、「母の心」を感じていくことが一番大切なことだと分かってください。確かに、宇宙という波動の世界、エネルギーは、私達にこれから大きな影響を与えていきます。だからこそ、自分達の中に本当の意味での母の温もりを蘇らせることが第一なんです。「宇宙は遠くにあるものではありません。宇宙は自分達の心の中にあるのです。」ということを心に留めて、ありふれた日常から、宇宙を感じていってほしい、宇宙を思うことをしていってほしいと思っています。宇宙を感じること、宇宙を思うことは、母の思いを感じること、母を思っていくことなんだと知っていただきたいと思います。ここで、宇宙というところから、今一度、私達の日常生活に視線を向けてみます。私は、日々、目にするニュース、耳にするニュースを通して、次のようなことを感じています。あなたはどうでしょうか。人は、みんな心の中に暗闇を抱えています。日々、目にしたり、耳にしたりするニュースは、そのことを示しています。身震いするような、目を覆い、耳を疑う事件が、次から次へと出現してきます。色々な事が起こる中で、許せない、何でここまでするのか、怒りの矛先をどこへ向ければいいのか、その責任はどこにあるのかと、問題解決を叫ぶ人達も、実はそれが自分達の心の世界のことなのだということには、思いも及びません。しかし、それが現実なのです。誰がではなく、また特定の特殊な人種がというものでもないと、私は思っています。大切なもの、自分の原点を忘れ去った人間の心の中から出てくる闇の世界が、ある時には、弱い者いじめになったり、児童虐待になったり、その他、営利誘拐、児童買春、親殺し、子殺し、保険金殺人、おれおれ詐欺、霊感商法、詐欺商法、収賄贈賄、談合汚職、臓器売買、援助交際、集団暴行、麻薬密売に麻薬中毒等々、諸々の事件となって、毎日毎日、世間を騒がせています。しかし、それもほんの数日で、やがて、そのことは人の間から消えて、新たな事件へと世間の目は向けられていっているようです。ただ、確かに、世間の人達にはそうであっても、その事件、事故等の当事者には、決して忘れられない記憶となって、心に残留していきます。たとえ、加害者となった側を裁判にかけて、仮に極刑を言い渡されても、被害者側には、心の禍根として残ります。被害者の人権を蹂躙した加害者が、堂々と人権を主張していく場合も往々にしてあり、心中は複雑でしょう。一応は結審した事件等も、当事者達の心の中は、依然として、それらを引きずったままなのではないでしょうか。一度、心に受けた衝撃は、大きな心の傷となって、それが完全に癒えることは、なかなか難しいでしょう。そして、最終的に、お金によって決着をつけるということかもしれませんが、果たしてどうなのでしょうか。お金に蠢く思いは、すごいエネルギーですから、お金を手にすることで、また新たな問題が起こってくることは充分あり得ます。しかし、お金によって決着をつける以外に方法がないというのが、今の世の中の悲しさでしょう。一方、日々の生活の中では、熾烈な受験戦争や経済戦争が続いています。実際に武器弾薬が飛び交い、多くの人命が犠牲になっています。核の脅威にさらされている現実があります。最近では、ネット社会におけるサイバー攻撃等々があり、本当に、一つの家庭から世界中に至るまで、今や戦いのエネルギーが蔓延していることを感じます。それを、人類は発展、進歩、繁栄と位置づけるのでしょうか。戦争のない平和で明るい社会を作り上げていくために、人類は戦争を起こしていきます。あなたは、この矛盾をどのように思われますか。確かに、時代の流れ、時の変遷により、人々の考え方も変わります。社会との繋がりも、互いと互いの関係も、より複雑になっていくでしょう。その中で、互いが互いの立場を尊重し、理解し合いながら、互いに利益を追求していこう、人類の幸福と繁栄のために、充分に話し合いの場を持とう、知恵を出し合っていこう、ということかもしれませんが、本当のところどうなのでしょうか。果たして、そう、うまくいくのでしょうか。世の中は、今、水面下で激しく動いています。その水面下の動きが、ポッ、ポッと頭を出していることが、様々な自然現象や人的現象に現れているのです。もうすでに、その動きは始まり、いよいよ、これからだという時期に差し掛かっていると思います。これから、さらに世の中は混沌としていきます。事態は、もう、そういう局面を迎えています。だからこそ、それぞれが心の奥底に眠っている「母の心」に触れていかなければならないんです。またこれから、そういう方向に流れていくだろうと、私は感じています。次の項目で、このような世の中の流れを踏まえた上で、いくつかのテーマを出し、私の心に上がってくる思いを綴ってみました。そのテーマについて、あなた自身がどのように感じ、また思っているかを、自分に問いかけてみてください。◇宇宙。「第1章、宇宙とは」という中の部分、「母の心と宇宙」というところを三日かけて朗読させていただきました。宇宙。宇宙に心を向ける瞑想はとても大切ですけども、あなたの心の中に、母の心、母の温もりですね。母の温もりがしっかりと確立していなければ、宇宙の瞑想はうまくいきません。欲だけで、宇宙に向ける瞑想をしても、自分のお勉強に繋がりません。ただ、だんだん敏感になるにつれて、自分の苦しみの深みにはまっていくというか、そこから自分を救い出す。明るい方向へ自らをいざなっていくそのパワー、そのパワーは、母の心、愛が自分だったというそのことに尽きるんです。その心、母の温もりですね。それをしっかりと確立しつつ、宇宙に思いを向ける。そういう学び方をしていってください。正しい手順で、正しい瞑想をしていくこと、学びに触れた人、年月の長い人は、もう耳にタコができるほど聞いています。すべて自分のためです。自分を次元移行へいざなっていく意識の流れに乗せていくために、色々色々知識としてはあると思いますが、それをどうぞ、自分の心でわかってください。自分の心で感じわかったものを信じられる。つまり、自分の中を信じられるということが、とても大切なことです。それでは、今日もともに瞑想をして終わりたいと思います。軽く目を閉じて息を整えてください。どなたの心の中にも母の心は存在します。母の温もりはあなた自身の中に存在します。温もりを外へ外へ求めてきました。だから私達はすべて失敗してきました私たちのこれまでの転生はすべて失敗してきました。愛を外へ、自分以外のものに求めてきたんです。神にしろ、仏にしろ、宇宙のパワーにしろ、その結果を私達は全て受けていかなければいけません。今世、こうして一つの肉体を持って、学びに繋がった私たちです。この肉体を通し、どうぞ、真実に目覚めてまいりましょう。この肉体を通し、どうぞ、真実の自分に目覚めてまいりましょう。それでは、あなたの心の中にしっかりと存在する、その母の思い、母の温もりに、心を向けてみてください。...more13minPlay
July 28, 2017第136回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-このブラウザでは再生できません。再生できない場合、ダウンロードは🎵こちらこのように、私は、セミナーでの数え切れないほどの、特に今語ったような心の体験を経て、今世、ようやく、「私は間違ってきました。真っ黒な宇宙を広げてまいりました」ということを、本当に心で知ったのです。だから、はっきりと言えるのです。私達は誰一人例外なく、凄まじいエネギーを心に抱えていますと。そして、こんな状態を野放しにしているから、巷では理解に苦しむ事件、事故等が多発してくるし、大きな規模の災害も起こってくるんですと。そして、それは、決して他人事ではありません。私達の心の投影なんですと。日々の生活の中で、自分の心を見ていくことによって、すなわち、自分自身の思いの世界を丹念に追っていくことによって、このことが自ずと分かってきます。自分の凄まじい思い、エネルギーを心で知っていけるのです。つまり、自分というものを知っていけるのです。だから、どなたも自分の周りに、気に食わない人、そりが合わない人、そういう人を一人や二人、必ず用意しているはずです。あなたの心の中をかき乱す嫌な人、その一言、その態度が何か心に引っかかる嫌な人があなたの周りにいて、その人達が、あなたの心からどんどんマイナスのエネルギーが噴き出すのを手伝ってくれるのです。どなたもそういう人が自分の目の前にいれば、その人の言ったこと、したことに対して、心はその都度、反応していき、いわゆるマイナスのエネルギーは、際限なく噴き出していくはずです。しかし、自分の心からエネルギーが噴き出しているなんていうことは、自分の心を見るということを実践していかなければ、到底分かることではありません。だから殆どの方は、マイナスのエネルギーを垂れ流すだけ垂れ流しているだけです。そして、いかにも善良な人間を装っているだけなんです。地獄の釜の蓋が開いたということは、マイナスのエネルギーを垂れ流してきた自分の現実に、自分の心が触れたということです。それはある種の絶望かもしれません。しかし、その絶望は単なる絶望ではありません。心を見るという習慣がついていれば、絶望だけで終わることはあり得ないんです。なぜならば、自分の作ってきた凄まじいエネルギーを知っていけばいくほど、やがて、その凄まじいエネルギーを大きく包み込む温もりというか、喜びを感じていくからです。しかも、それは、自分の外から感じられるものではなくて、自分の中から湧き起こってくると感じてきます。つまり、大きくて広くて温かくて優しい自分が自分を包み込んでいることを知っていくんです。凄まじいエネルギーを出しているのも自分ならば、優しい思いであるとか、温もりであるとか、そのような、言ってみればプラスのエネルギーを出している自分も、確かにここにいることを感じてくるんです。それは言い換えれば、本当の自分と出会っているということです。そうなってくると、「人はなぜ生まれてくるのか」、「なぜ死んでいくのか」、そういったことも自然に分かってきます。そして、肉体という形を持って、今ここに存在している意味を、本当に自分の心で感じ分かってくれば、この章のタイトルで示した「母の心」があなたの心に響いてくるはずなんです。ところで、この「母の心」ということですが、自分達を意識、エネルギーだと知らずに、肉体という形が自分達の姿だと思い込んできた私達は、「母の心」とくれば、お腹に子供を宿し、そして、この世に誕生させ、大切に育てていく過程の中で感じる母性とか、母性愛を連想します。しかしながら、ここで言う「母の心」は、それとは少し趣を異にします。もちろん、「母の心」は、母性、母性愛にも通じていますが、そういうものを遥かに超えた世界というか、そういうものを包括した、もっと、もっと大きな広い世界だと思ってください。それは、広さ、温かさ、喜び等々のスケールが全然違いますが、決して特別な世界ではありません。確かに、今は殆どの人が忘れ去っていますが、誰もが心の奥底に眠らせています。それを、私は、「母なる宇宙」という言葉で語らせていただきました。私は、母性とか母性愛を大きく包み込む「母の心」は、私達のたった一つのふるさとである「母なる宇宙」という意識の世界、エネルギーと繋がっていることを、本書を通して語らせていただきたいと思っています。そして、どうぞ、あなた自身の心で、このことを証明してくださいということなんです。「母なる宇宙」、そうです、「宇宙」です。では、「宇宙」とは一体何でしょうか。「宇宙」という言葉から、私達は様々なことを連想します。私自身、宇宙と思えば、私はこの地球に、どこかの星からやってきたという思いを、ずっと以前より感じてきました。そのことを三次元的にとらえれば、何億光年の彼方から、宇宙船に乗ってという、さながらSF映画の中の一シーンを想像されて、未知なる宇宙への思いをかき立てられるかもしれません。しかし、私が感じているのは、そのようなものではなく、次元を超えてきたという感覚なのです。例えば、今のこの世界は、縦、横、高さの立体感がある三次元の世界ですが、その感覚でとらえる宇宙と、私が感じている宇宙は違っていると思います。私が宇宙と言い、宇宙と思っている宇宙とは、太陽系の惑星云々の形の世界ではなく、波動の世界のことなんです。そうです。宇宙とは、エネルギーです。その宇宙というエネルギーは、実は私達自身なんだ、私達は宇宙そのものなんだということを、それぞれの心で感じていただきたいというのが私の思いです。そして、「母の心」と宇宙が繋がっていること、つまり、本来の宇宙のエネルギーは、母なる宇宙と繋がっていること、いいえ、一つであることを知っていきましょうということなんです。◇母なる宇宙、そう、私達の心の奥底に眠っている私達の心のふるさと、母なる宇宙。その母なる宇宙に帰りましょうと田池留吉がその肉を持って、私たちに伝えてくれました。しっかりと伝えてくれました。田池留吉の肉は次元移行を伝えてきた。そして、意識の流れ、その意識の流れの中にある私達ですよと伝えにきてくれた。そんなことを母なる宇宙とともに瞑想をする、その瞑想の中でどんどんどんどん心で感じていただける。この喜び。この喜びを私は一人でも多くの方と共有したい。分かち合いたい。今そのように思っています。それでは今日もともに瞑想していきたいと思います。息を整えてください。私たちは次元を超えてやってきました。そして、次元を超えて行こう、そんな計画、意識の流れがあります。その意識の流れの中にある自分を思い、どうぞ、母なる宇宙に思いを馳せてみてください。...more11minPlay
July 27, 2017第135回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-このブラウザでは再生できません。再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら1 母の心と宇宙それでは、具体的に話を進めていきます。今ここに、大阪府在住の一人の老人がいます。御年八十六歳。名前は田池留吉と言います。三十年近く前に大阪府立高等学校の校長職を退かれて以来、日本各地で数多くのセミナーを開催してこられました。セミナーの中で、「私達人間は意識、エネルギーです」というテーマを、私達に示してくれた方です。「日々の生活の中で、自分の心を見る」という実践を通して、そのテーマが、それぞれの心で感じ分かっていける方向に学んでくださいと、セミナーに集ってくる人達に、熱く語ってこられました。このように説明すれば、一般的には、田池留吉という方は、セミナーに集ってくる人達にとって、師であり指導者であり、もっと宗教的な表現をすれば、教祖という立場となるでしょうか。そして、誰しもがその方から教えを乞いたいから、セミナーに集ってくるというのが、常識的なとらえ方だと思います。しかし、このセミナーにおいては、そのような世の中の常識と大きくかけ離れた部分が露わになってくるんです。その状態は、確かに形の上からは、常識を大きく逸脱しているかのように見えますが、先にあった「日々の生活の中で自分の心を見る」という実践を重ねていけば、きっとどなたもご自分の心で納得されるはずです。それはどういうことなのかと言いますと、自分は、田池留吉氏から教えを乞うという柔な思いで、セミナーに集ってきたのではなくて、田池留吉を殺しに生まれてきて、そして、セミナーに集ってきたんだということが、自分の心でつぶさに感じてくるということなんです。もちろん、自分の今抱えている悩み、苦しみを何とかしてほしいという他力信仰の続きで、セミナーに集って来られる方も少なくはないでしょう。しかし、そういう方達は、ある程度時間が経ってくると、このセミナーでは自分達の思うような回答が得られないということで、いつしかその姿は消えていきます。そしてまた、あちらの宗教、こちらの宗教と、尋ね歩くんです。結局のところ、田池留吉氏を、よくある宗教団体の教祖様、指導者という感じでとらえ、セミナーに集って来られただけの話です。つまり、その方達はセミナーに集ってきた動機が全く間違っていたんです。動機の間違いは、もちろん、この他にもあります。実は、その修正をしないで、セミナーに集い続けていても、それはセミナーに、そして、田池留吉氏にぶら下がっているだけで、田池留吉氏が示すところの「私達人間は意識、エネルギーです」というテーマに沿った学びの成就は難しいことは確かなことなんですが、ここでその点を語ると、話がそれていきますので、一応、ここで話を戻します。先の「自分は田池留吉氏から教えを乞うという柔な思いではなくて、田池留吉を殺しに生まれてきて、そして、セミナーに集ってきたということ」は、どういうことなのか、全く訳が分からないと言われる方もおられるでしょう。その通りなんです。それは、あなたの頭では絶対に分からないことなんです。けれども、それは、段々にあなたの心で分かってきます。その心の体験を、あなたもどうぞしてみてくださいということで、田池留吉氏は、文字通りその身体を張って、二十年余りの年月をかけて、誠心誠意、セミナーを開催し続けてくれました。私自身、セミナーに参加させていただいて二十年です。その年月の中で、私は、田池留吉氏が伝えてくれた「私達人間は意識である、エネルギーである」ということを、自分の心で実証してきました。それは、セミナー会場での実体験と、それと並行して起こった自分の身の周りの出来事の両面から、学ばせていただいたというわけです。ところで、今、「自分は田池留吉を殺しに生まれてきた」と申しましたが、それは何も田池留吉氏を殺しに生まれてきたということではありません。それでは単なる殺人行為です。私の本意は、この一文を通して、誰一人例外なく、私達の心、すなわち私達の意識の世界には、凄まじいエネルギーが渦巻いていることを、できるだけたくさんの人達に、自分の心で知っていただきたいというところにあります。それは、そうしないと、私達のたった一つのふるさとである「母なる宇宙」に帰り着くことが叶わないからです。まず、どなたも無知とエゴと欲で作り続けてきた凄まじいエネルギーで覆い尽くされている自分の現実を、心で知っていくことから始めなければならないんです。しかしながら、それは、実は、おいそれとはできないことでもあります。だから、そのお手伝いということで、田池留吉氏がいました。セミナーの開催がありました。自分の心を見て、そして、セミナーに参加していけば、私達はみんな、田池留吉氏という一人の人間を通して、自分の培ってきた、無知とエゴと欲の凄まじいエネルギーを、つぶさに感じていくことができるということでした。それが、田池留吉氏が、今世、二十数年の長い年月を費やして、セミナーを開催してくれた大きな理由です。もちろん、そのエネルギーは、あなた自身の心で感じられればお分かりになると思いますが、すべてを破壊していくエネルギーです。そんなエネルギーを心に抱え、私達は日々の生活を送っています。そんなエネルギーを心に抱え、人類は、政治、経済、文化、教育等々、あらゆる分野で、日夜奮闘しているのです。そうです。先の「自分は、田池留吉を殺しに生まれてきた」という訳の分からない一文は、すべてを破壊していくエネルギーを抱えて生まれてきたのが自分達だという意味なんです。それを具体的に言えば、次のような感じです。田池留吉氏という一人の人間をセミナー会場で目にしたとき、私の心から噴き上がってくるもの、つまりエネルギーを言葉で表現すれば、こういうふうになります。「ぶっ殺してやる、お前なんか消え失せろ、お前は目障りだ。」「雑魚ども、どけ、あいつを殺すのは私だ、誰の力も要らぬ、田池、お前を殺してやる。」「何が田池留吉の宇宙だ、何をぬかすか、ちゃんちゃらおかしいわ、我の宇宙こそ素晴らしい、我のパワーのほうが大きい、田池、死ね。」断っておきますが、私と田池留吉氏の間に、現実的に何のトラブルもありませんでした。また、私が田池留吉氏から何か被害を被ったとか、そんなことも一切ありませんでした。しかし、セミナー会場で氏の姿を見るとか、声を聞くとかすれば、私の心の中から、このような思いが噴き上がってくるのを、私は何度も体験させていただきました。しかも、こういう体験は私一人だけではなく、セミナーに集ってきた多くの人達は、これまでに何度も同様の体験をされています。この現象は、ある意味、とても不思議な現象だと思いませんか。田池留吉氏と私にしても、あるいは田池留吉氏と誰それにしても、殆どみんな、セミナーを通して関わりあってきただけなのに、なぜ、その姿を見ただけで、声を聞いただけで、心から、それも、おぞましい真っ黒な思いが、突如として噴き出してくるのでしょうか。私は、最初、不思議と驚きばかりでした。しかし、やがて、その不思議と驚きの現象も、「私の地獄の釜の蓋が、今世開きました」と理解させていただくことで、不思議でも驚きでも何でもなくなりました。確かにその現象は、田池留吉という一人の人間により、私の地獄の釜の蓋が大きく開き、白日のもとに引きずり出された衝撃を私に与えました。最初、それが、私には悔しくて腹立たしくてたまりませんでした。まさに、腸が煮えくり返るほどの悔しさだけが、心の底から噴き上がってきたのでした。しかし、今思えば、それが私の母なる宇宙へ帰る軌跡の始まりだったのです。◇という、私は、心の体験ですね。そういうことをセミナー会場でこれまで数え切れないほどさせていただきました。田池留吉の目を見る瞑想、田池留吉の指差し、田池留吉の異語、もうそれは、本当に私にとってかけがえのない宝物となっています。今は田池留吉という肉は目の前にありませんが、それでもセミナー会場でみなさんとともに瞑想するとかそういう時には、田池留吉の意識の世界、アルバートの意識の世界、波動の世界とともに、セミナーが遂行されているという感覚があります。その感覚を持って、私達は肉なき田池留吉の世界とともに、ともに歩んでいくんだという思いを強く持っています。それでは今日もともに瞑想をさせていただきます。軽く目を閉じてください。「田池殺してやる」。あなたの中でそう叫んでいるそのあなたに、あなたは出会っていますでしょうか?...more14minPlay
July 24, 2017第134回「ともに瞑想を」―母なる宇宙とともに-このブラウザでは再生できません。再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら「ともに瞑想を」、今夜からは、2013年4月に発行されました「新版・母なる宇宙とともに」の朗読がはじまります。宇宙に向ける瞑想を進めていくなかで、この機会に、ぜひ「母なる宇宙とともに」を、著者とともに、心で読み直してみてください。◇二〇〇七年に、『母なる宇宙とともにⅠ』、『母なる宇宙とともにⅡ』を出版させていただいてから、早いもので六年の年月が経ちました。最近になって、ⅠとⅡを合本させてはどうかというお話をいただきましたので、私は、内容をより吟味させていただき、装いも新たにして、見知らぬ人達との出会いを楽しみに、合本という作業に取り組んだ次第です。そもそも、この本の題名である「母なる宇宙」というのは、どこか遠くにある世界のお話ではありません。「母なる宇宙」というのは、私達みんなの本当のふるさとなんです。私達人間は、生まれた場所、育った場所は千差万別であっても、本当に帰るべき場所はたった一つなんです。そうです。私達が帰るべき、いいえ、帰りたい場所は、たった一つだけなんです。もちろん、その場所とは、この地球上のある特定の場所という意味ではありません。それでは一体、その場所とはどこにあるのでしょうか。「実は、この場所を探し当てるために、私達はこれまでに気の遠くなるような長い、長い時を経てきました」と、このように私が申しましても、今、そうだ、そうだったとしっかりと頷いてくれる方は、まだまだ数少ないでしょう。私はそれでもいいんです。自分の本当に帰るべき場所、帰りたかったふるさとに巡り合った私は、ただ自分の心が語るままに、一冊の本を送り出してやろうと思います。私達はみんな自分の本当のふるさとを捨てました。つまり、私達はこれまでずっと、ずっと、帰るべきところが分からずに、彷徨い続けてきたと申し上げても決して言い過ぎではありません。私達にはこれまで安住の地がありませんでした。だから、望郷、郷愁(ノスタルジー)という言葉がありますが、それらの言葉を通して、私達の心に響いてくる思いは、実は、あなたが今、感じておられるようなそんな薄っぺらな思いではないんです。あなたの心の奥底の、底の、まだもっと底から突き上げてくるあなた自身の心の声があります。それは、「帰りたい。帰りたい。帰ろう。帰ろう。みんないっしょに帰ろう」という声にならない声です。どうぞ、その声にならない声に心を傾けていってあげてください。一つ一つすくい上げていくことができるような、ご自分を取り戻していきましょう。さあ、あなたも、そしてあなたも、ご自分の本当のふるさとを探求していきませんか。今は声にならない声であっても、それがあなたの中で、段々に大きくなっていくときが来るのは、そんなに遠くないと、私は本書を通してお伝えしたいと思っています。◇あなたは今、ひとつの肉を持っています。しかし、あなたはその肉体があなたではありません。それを、あなたの心で本当に感じていってください。本当に分かってください。帰りたい、帰りたい、帰ろう、帰ろう、みんな一緒に帰ろう。声にならない声、どうぞ、その本当に、本当に、あなたの心に響いてくる、その、声にならない声、思いに、心を向けていってください。...more9minPlay
July 09, 2017第133回「ともに瞑想を」―宇宙の風 私達人間は、死んで終わりでしょうか-このブラウザでは再生できません。再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら「ともに瞑想を」、第133回目の配信となります。今日も、塩川香世さんと「意識の世界」を、ともに学んでまいりましょう。「宇宙の風 私達人間は、死んで終わりでしょうか」今夜は、「14.おわりに―「宇宙の風」を通して私が伝えたいこと」、202ページから209ページ、いよいよ最後になります。朗読終了後、塩川香世さんの思いが異語と共に語られ、お聴きいただいている皆さんとともに瞑想をしてまいります。おわりに―「宇宙の風」を通して私が伝えたいこと「宇宙の風」は、冒頭申しましたように波動です。波動の世界を心で感じていっていただきたい、私はそのような思いから、本書を綴ってまいりました。さて皆さん、私が一番にお伝えしたかったことは何だと思いますか。それは、どうぞ、日々の生活の中で、それぞれの環境の中で、自分の心を見てくださいということです。自分の心を見ていく、自分の出してきた思いを見ていく、自分の出すエネルギーを感じていく、それが日々の生活の中で日常化していくようにと、私はお伝えしたいんです。朝起きて夜寝るまで、ただ漫然と時間を過ごしているのではなく、なぜ今、自分がここにいるのか、私は何を本当にしたかったのか、私とは何だろうか、私の家族とは何だろうか、私の仕事とは何だろうか、私に繋がってくる人達と私とはどういう関係があるのだろうか、生きることとは、死ぬこととは等々について思いを馳せながら、この世の中の出来事、そして、世界中に起こってくる出来事、自然現象を見てください。目に見える世界から、目に見えない世界に思いを向けて、日々の生活をしていただきたいのです。もちろん、一つの肉体を持った存在が自分だとするところからは、何度も申しますが、私のお伝えしようとする思いはなかなか届かないと思います。何を言っているのか分からないと思います。難しいことだと思います。それよりもとりあえず、毎日が楽しければいい。一生懸命働いて、遊んで、人生を適当に生きていけばいいのではないか。自分の好きなことをして、楽しくつつがなく生きていければそれでいいのではないか。そんな声も聞こえます。しかし、私達は死んでもなお存在しているんです。肉体が滅びても私達は存在しているんです。それは、本当に本当のことなんです。あなたは今、目に見える世界の中にあって、何をすればいいのか、どうすればいいのか、何をしたいのか、また何をしなければならないのか、そういうことばかりを考えています。しかし、あなたが死ねば、目に見えない世界があなたの中で広がっていきます。そして「死」というのは突然やってくる場合が多々あります。特にこれからはそうでしょう。そんなとき、あなたは、いったいどうするのでしょうか。私は生きているとき、つまり肉体という形を持っているときから、そういうことを考えながら日々の生活をしていくことが、自分にとって一番優しくて、いいえ、自分だけではなくて、周りの人達にも、そしてこの宇宙にも、本当に優しい思いを投げかけているのだということを分かっていただきたいのです。そして、人に優しく、環境に優しくと言いながら、実は、本当のことを知らない自分達が、どんなにすごいエネルギーを垂れ流してきたのか、そして、そのエネルギーが、自分をそして周りの人達を破滅、破壊してきたことを、自分の心を見ることによって、それぞれがそれぞれの心で知っていただきたいのです。忙しい毎日かもしれません。時間に追われ、自分を振り返っている暇はないかもしれません。しかし、あなたのその足を止め、自分を振り返ることができるゆったりとした時間、そんな時間が本当に必要となってきます。お金では人は幸せにはなりません。愛しき人、かけがえのない家族、自分というものを評価してくれる社会、自分の才能、そういうものは、本当に一瞬のうちに消え去る儚いものでしかありません。そんな中で、どんなに頑張り努力し幸せになろうと思っても、結局は何も自分の中に持てなかった、みんなそういう転生ばかりだったことを本当に心で知っていただきたい、私は今、そのように思っています。私は、意識の流れを心で感じています。その流れの中にある私であり、今という時間だと感じています。その今という時間を、どうぞ大切にしていきましょうと、私は、呼びかけています。地球を思い、そして、これからの時間を思うとき、大規模な天変地異の嵐の中で、自らを目覚めさせる意識達との出会いもあるでしょうが、その一方で、いったいどれだけの意識達がこの宇宙にさ迷い続けていくのだろうかと思わざるを得ません。「心を見て、自分達の本当の姿を心で知っていきなさい」それがお母さんの子宮の中で、私達が伝えていただいたことなんです。私達は、自分の本当の姿を知りたいと切望してきたのです。その自分達の思いに、どうぞしっかりと心を向けていきましょう。「宇宙の風」を心で読んでみてください。あなたの素直な思いを引き出してくれる本なんです。宇宙の風は、あなたの中にあると私は伝えました。宇宙の風をあなたの中で呼び起こしていくことが、あなたの喜び、幸せに繋がっていくことを私は本当にお伝えしたいです。心の中に間違った宇宙を作り続けてきたことが、私達の大きな、大きな過ちでした。今こそ、しっかりと見つめてまいりましょう。これから、日本国中、世界各地でさらなる闇のエネルギーが噴き出してきます。人々は混乱していきます。本当にすごいことが展開していくんです。信じられないことが起こってきます。それを私は心から伝えたいです。それは、皆さんにいたずらに、恐怖や不安の思いを掻き立てるのではなくて、真実への道を一歩、本当に一歩、その歩みを進めていただきたいと思うからです。今世生まれてきた本当の意味を知っていただきたいと思うからです。私は、そのような思いから、心で感じ気付始めた人達から、今、自分ができることをしていっていただきいと思っています。 今、自分ができることは、ただひとつです。それは、自分の心を見るということです。温もりに徹底的に反逆してきた自分の姿を心で知ることです。そして、形ある自分を自分だとしてきた思いが、すべての間違いの元だったと、本当に心から知っていくことです。「その気付き、促しはどなたにも訪れてきます。そして、それは大いなる喜びです。」というメッセージとともに本書を閉じさせていただきます。◇宇宙の風。これからもうしばらくしてこの「宇宙の風」の復刻版と言いましょうか、最新版が発行されます。ところどころこのポッドキャストでコメントさせていただいた、その都度私の中から上がってきた思いを含めてところどころ書き加えております。波動を感じてみてください。そして、宇宙を思うあなたの喜び、幸せに繋げてください。宇宙は待っています。あなたの中で待っています。「あなたの中の宇宙とともに次元を超えていこう」、その呼び掛けにどうぞ素直に、素直に、本当に素直に喜んで受けていってください。その喜びだけを受けていってください。 肉を持つ私達、肉の思いというものは本当に愚かなちっぽけなものですが、その愚かなちっぽけな思いを心から離していく、心から緩めていく、弱めていくという難しさ厳しさがありますが、どうぞ丹念に丹念に自分の心を見て、いつも一から始めてください。私達は意識、私達は愛のエネルギー、心が自分達だった、愛の心が自分達だった、本当の愛を知っていく道筋に私達はあるんだということをしっかりと感じられるような今世であっていただきたいを思います。ともに、時間の許す限りともに学んでまいりましょう。...more12minPlay
July 08, 2017第132回「ともに瞑想を」―宇宙の風 私達人間は、死んで終わりでしょうか-このブラウザでは再生できません。再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら「ともに瞑想を」、第132回目の配信となります。今日も、塩川香世さんと「意識の世界」を、ともに学んでまいりましょう。「宇宙の風 私達人間は、死んで終わりでしょうか」今夜は、「13.心で気付いた人から、始めてください」、その195ページから201ページ,この章の最後までを朗読され、その後、ともに瞑想をしてまいります。どうぞ、皆さん、その肉を持っている間、しっかりと学んでいきましょう。自分の勉強をしていきましょう。そのために、私達は生まれてきたのです。そのために、肉を持ってきたのです。今世の時間を大切に学んでいきましょう。それぞれが選んでいくことだけれど、私は、そのことを、とにかくお伝えしたいです。自分の持ち時間を大切にしてください。肉を持っている時間を大切にしてください。これからの時を思うとき、そう言わざるを得ません。あなた自身の学びです。どうぞ、その思いを心に広げ、肉の時間の許す限り、心を向けていってください。あなた自身に、心を向けていってください。 はい、そして、宇宙に向ける瞑想を、喜んで、喜んで続けていきましょう。宇宙が分かるということは、どれだけすごいことなのか、それを心で感じていってほしいと思います。宇宙を心で感じてくれば、どれだけの時間、愚かなことを繰り返してきたか、自分の心に、必ず伝わってきます。頭など動かさなくていいんです。ただ心が応えてくるんです。ああ、私は、間違っていた、愚かだった、本当に愚かだった、長い、長い間、待ってくれていたんだなあ、そんな思いが伝わってきます。それはもう、何の理屈もありません。ただただ、心に伝わってくるんです。それが分からなくなってしまった自分だった、ただ素直にそう思ってください。すべてが待ってくれていました。母の意識が待ってくれていました。これからも待ち続けてくれているでしょう。その思いに、何としてでも応えていこう、そのように、心を向けていってください。肉を持っている時間、どうぞ、あなたの学びをしていってください。ブラックのエネルギーが、そうでないもともとあったエネルギー、温かくて広くてすべてを包み込むエネルギーとひとつに溶け合うには、まさにその質を変えなければなりません。ブラックのままだと、決して交じり合うことはないのです。このことはお分かりでしょう。水と油は、絶対に分離します。さて、その質を変えていくには、まず、今のエネルギーがブラックであると知らなければなりません。いいえ、その前に、自分からエネルギーが流れている、自分はエネルギーそのものだということに気付いていかなければならないでしょう。その手段が心を見るということでした。どんな心を使ったかを振り返りながら、自分のエネルギーを感じていく、この手っ取り早い方法が、以前セミナー会場で行われてきた、いわゆる闇出し現象というものでした。ここで、自分のエネルギーを心で感じてこられた人達は、どんどん正しい瞑想を積み重ねていけば、あとは自分の心で分かってくるとお伝えしています。それが、まだまだという自己評価ならば、それは、ただ自分の怠慢だけです。さて、それでは、その闇出し現象に参加できなかった人達、つまり、その時期には、まだこの学びに集えていなかった人達にとっては、今の説明からすれば、この学びは、少し、難しいというか、不利なように感じられると思いますが、私は、決してそうではないと思っています。闇出し現象を体験することは、確かに自分を知っていく上で、非常に効率がいいです。しかし、それを、自分のそれからの存在の仕方に、どのように活かしていくかということとなると、話は別だからです。要は、どの時点で、自分と真向かいになっていこうとするかです。そして、その転機は、必ず、どなたにも公平に訪れるのです。闇出し現象に参加された人も、していない人も、いいえ、今世、学びに集ってきた人も、そうでない人も、みんなに公平に、天変地異の配信があるこれからです。その中で、いかに、自分を知っていくか、意識の流れは、もうそのような段階に来ています。証明していくのは、それぞれの心の世界です。それぞれの心の世界が証明していくこれからの時を、どうぞ喜びで迎えていってください。宇宙に思いを向けることは喜びです。私は、何度も、そのようにお伝えしてきました。これからも、それだけを伝えていきます。私達の目覚めが、さらなる目覚めを呼び起こしていきます。どうぞ、皆さん、心を見てください。心を見て、そしてともに歩みを進めてまいりましょう。肉を持たない意識達は、本当に素直です。格段に速いスピードで、私達のもとに心を向けてくれています。宇宙は、その喜びのエネルギーを、これからもどんどん伝えてまいります。田池留吉が言った言葉が思い出されます。「田池留吉、アルバートを10信じていれば10の愛が流れる、1しか信じていなければ1の愛しか流れない。」意識の世界は、正直です。だからこそ、嬉しいです。◇これから起こりくる天変地異ですね、一番近いので、今日も大宝のホールで学びの友と瞑想をしてきましたが、その時にも申しましたが北九州のあの豪雨、一瞬にしてすべてを押し流すというか流れていく、消し去っていく、そして命も奪っていく、家族がそこでチリジリバラバラになる、そういう瞬間、その時に「神、仏もない。」その思い、私達はどれだけそのエネルギーを流し続けてきたか。祈りのエネルギー、恨みと呪いのエネルギー、その思いを自分に向けて流してきたんです。その思いをどんどんどんどんこれから二五○年、三○○年の間、転生していく中で、すごい天変地異の中で再び見ていくことになるでしょう。これからの天変地異はすごいです。本当にすごいです。それをどうぞ心に留め置いて、今、今、自分の心を見る、心を向ける、本当に田池留吉、アルバート、母なる宇宙へ、という思いを自分の中にしっかりと確立していくことをしてまいりましょう。...more9minPlay
FAQs about ともに瞑想を:How many episodes does ともに瞑想を have?The podcast currently has 213 episodes available.