オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」
エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」
作詞作曲 楠元純一郎
編曲 山之内馨
内容摘要
<<20200426第1回(商法の意義)>>
第1章
〇 趣旨
みなさーん、こんにちは。今日から、この『われわれの商法総則』のラジオ番組を立ち上げました。商法総則・商行為法は日本の商法の一部で、大学の授業とかの対象になっておりますが、こちらは私どもの『中等教育パンドラ』のコンテンツに位置付けており、ximalaya.comのラジオ番組である『LeoN Radio』でも放送いたします。大学生だけでなく中高生から社会人、そしてお年寄りの方々まで全国津々浦々、はたまた外国の方々にまで幅広く興味をもたれることを期待しております。そのためには、難しそーな法律学をできるだーけわかりやすく解説することに心掛けたいと思います。そのわかりやすさに大いに役立つと思われるのが質問者の役割です。質問者にはあえて哲学者や日本留学を目指す外国人の方にも入っていただきました。
法律は、なにも官僚や法曹三者(裁判官、検察官、弁護士→放送三社テレビ局のことではありませんね)だけのものではなく、国民一人ひとりの重要な社会基盤(インフラ)です。なぜ、素人も法律を知る必要があるのか?それは長年積み重ねてきた法律論から得られる知恵を学び、一人ひとりの生き方において自己責任のもとで自己決定ができるようにするためだと思います。
法律は最低限の道徳であるといわれることもありますが絶対ではありません。中には悪法もあるかもしれません。その場合、日本国憲法がそれをチェックする一定の機能を備えておりますが、それだけでは不十分であり、やはり国民一人ひとりがチェックするのが理想であり、民度が試されるところです。また、現行の法律が世の中の仕組みにそぐわないものもあるかもしれません。とくに経済活動は公正性はもとより効率性が強く求められ、常に進化発展しつつありますので、それと関連のある商法なども状況の変化に応じて改正したり、解釈で柔軟にかつ適切に対応したりする必要があります。
本企画のタイトル『われらの商法総則』など「われらのシリーズ」には、当該法律の知恵、合理性を学び、咀嚼し、場合によっては批判的にも考察し、そして最終的に自分たちの血肉にしていければという思いを込めました。東洋大学の福川前理事長がかつて、「法律学は成長産業である!」と仰っていました。世の中の矛盾、不合理で非効率な部分に光を照らし、世の中を少しでもいい方向に変えていくために、一人ひとりが社会教育として法律学を学ぶことは、たしかに、明日への成長に繋がるものと納得した次第です。
さあ、これから商法総則を楽しく、ご一緒に学んでいきましょう!
(松尾)松尾欣治です。よろしくお願いします。法律には疎いので、この番組を楽しみにしています。日本の文化では「でしゃばる」行為が嫌われます。大学の講義でも、講師と目が合うと下を向くのが日本人学生、目を輝かせるのが留学生なので、すぐに区別がつきます。しかしこれでは世界を舞台にビジネスはできない。一言でいえば、「権利主張が苦手」なのです。この「権利」という言葉は、西周の造語、日本にはなかった。ここが大問題なんだろうと、ぼくは思います。たとえば、「学ぶ権利」は憲法で保障された権利です。ところが、大学の授業でこの権利を行使する学生が少ない。授業を活気のあるものにしようと教授のみなさんは頑張る。すると、学生の側では、教授たちがあたかも“教える権利”を行使しているかのように感じられる。いつの間にか学ぶ権利が“学ぶ義務”になってしまっている。大学の原点からすると、市民が法律を知らないと困るので、詳しい人を雇った。それが大学のはじまりですから、大学教育というのは商法の原点とも言えるかもしれない。株式会社の大学も存在します。こんな問題意識から商法を楽しく学び、考えてみたいと思います。
(楠元)松尾先生、ありがとうございます。哲学者であり、かつ、大学外部評価者の方に直接ご進講させていただき、コメントまでいただけることの幸せを噛みしめております。誰かに見られているという感覚は、アドレナリンを出してくれますから。毎回、授業の外部評価を受けることができ誠に爽快な気分です!
1 商法総則の位置付け
商法総則は商法の一部(商法典第一編)。
法典の編纂方法はパンデクテン方式。
パンデクテン方式とは、一般的・抽象的な規定を前方に、個別の特別な規定を後方に置き、体系的に編纂する方法。重複を避け、条文数を極力減らし、検索もしやすく、統一的な解釈をし易くするという利点もありますが、初心者には難しそうに見えるという難点もあります。
「体系」は難しい印象をもちますが、システムのことと考えていいですか?
一定の原理に基づき、統一的に組織的に秩序づけられたものというのが体系の意味だと思いますが、システムも同様に考えています。
商法典には商法総則、商行為法、海商法がある。
法令はこちら、e-Gov(電子政府)のサイトで検索できます。たとえば、「商法」で検索。
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0100/
商法にはそれ以外にもあるの? → 4 形式的商法と実質的商法を参照。
商法はいわゆる六法の一つ。
六法ってなんですか?
憲民刑商民訴刑訴。つまり、憲法、民法、刑法、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法のことです。民訴(みんそ)などは、「民訴は眠素」と言われる古典的ギャグがあります(民訴関係者ごめんなさい)。しかし、実際に法律は無数に存在しており、六法というのは大学とかの講義科目名称などで便宜上使う、国家の重要な基本法という意味でしょうね。昔は自宅の書棚に、「家庭の医学」と「六法全書」の分厚い本が二冊並んで置いてあったものです。私は子供心にそれがいつも気になって仕方がありませんでした。こんなにおびただしい法律が満載なのに、なんで六法なんだろうと!。
ちなみに、憲法、民法、刑法、商法は、国家の権限とか私人の権利義務とかを規定する実体法であるのに対し、民事訴訟法や刑事訴訟法は手続法です。また、憲法、刑法、両訴訟法は、国家と私人との間のタテの関係を規律する公法に、そして、民法、商法は私人間のヨコの関係を規律する私法に講学上、区分されます。
ここの「タテとヨコ」を国という字で考えると、口は四海に囲まれた島国の海。中に「玉」。これは国民のことでしょう。玉は「王」に点で、王とは、天・人・地の三界に「|」通じる人のこと。タテが公法、ヨコが人間関係ということになりますか? これに通じれば、だれでも王様になれますね。あれ、点で王様になれないか!
この話は、わかりにくいかもしれません。工学部と法学部の違いが、これなのです。
金沢工業大学を躍進させた、故佐藤豪名誉学長とご自宅で話していたときのことです。佐藤先生は、「工学の世界でよく言われることですが、工学の“工”とは、どういう意味か?」と、話し始めました。
工とは、天と地を表し、「 ̄」は天、「_」は地を表わす。では、「|」とは何を意味するか?
佐藤先生によると、これは「↓」で、天から地上へ宇宙にもともと存在する知識を地上に下すことを意味する。
つまり、工学とは、宇宙にもともとある知識を地上に下して、技術に使い生かすのである。人間の知識ではない、宇宙にもともと存在していたものを人間界にもってきただけのことだ。ここで傲慢になってはいけない、自分を捨て去らなければならない。そうでなく、自分を主張してしまうと、「工」が「王様」になってしまう。それは工学ではない、人間がいるからだ。
このようなお話でした、わたしの理解では。
では、「王様」の学問とは何か? 法学が、工学に対しては、王様の学問になるのではないでしょうか?
ところで、法律は国会で制定される法のことを指し、全国で一律に適用されるものです。その意味で、法律は法ですが、法は法律ではありません。「逆もまた真なり」というわけにはいかないのです。新型コロナ対策の引きこもりには結構重宝しているバナナですが、論理的にはバナナは果物ですが、果物はバナナではありません。果物にはリンゴもあればミカンもあるからですね。法律も六法以外に無数に存在するように、法もまた無数に存在するのであり、法律は法の一部にすぎません。法には自然法もあれば実定もあります。人が生まれながらにして有する権利などは自然法に基づいており、物事の筋道、事物の本性から生ずるものが自然法で、人が人為的に関与した法が(法律、命令、条令、条約、判例、慣習法など)は実定法です。さらに、実定法の中でも、権利義務とか権限といったようなものを定めている法が実体法であるのに対し、その権利の確認および実現方法や権限の行使のあり方について定める法が手続法です。
よって、商法総則は、無数に存在する法の中の実定法の中の法律の中の六法の中の実体法の中の私法(民法は日常生活の、商法は企業生活の権利義務関係を規律)の中の商法の中の商法典の一部であるということができます。ちなみに私は東京の世田谷区民であり中野区民ではありません。このように、法律学は分類の学問でもあります。
「バナナは果物であっても、果物はバナナではない!」
そんなバナナ!←そのようなバナナの意味ですよ((笑)。
2 形式的商法と実質的商法
商法は形式的商法と実質的商法に分かれます。形式的商法は商法典を指し、商法典の内容は既述のとおりであり、実質的商法は商法として統一的・体系的に把握することのできる一定の法領域であり、企業(一定の計画に従い、継続的意図をもって、営利行為を行なう独立の経済主体)に関する法(企業法)と捉えるのが一般的です。具体的には、そこには商法典に加え、会社法、保険法、商業登記法等の商事特別法や商慣習法、商事自治法なども含まれます。手形小切手法も実質的商法に含まれると考えられています。ただし、手形小切手は企業だけでなく一般人も利用している点で、実質的商法の中に入れてもよいか、議論がないわけではありません。
もし、実質的商法を企業法として捉えるならば、企業に関連する経済法である独占禁止法、企業の重要なあ人的要素である労働者に関する労働法、企業の取引の相手方である消費者に関する消費者法(とくに消費者契約法)をどう見るべきか?
この「形式的商法」とは、江戸幕府の幕藩体制、を思い出させます。実質的には商人に実力がありましたが、武士は食わねど高楊枝。福沢諭吉は言いました、「門閥制度は親の仇でござる」。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云えり」とも言いました。「王」の字で、この言葉を考えると、天地の間に人がいて、王。それは間違いで、天地を身分や偏差値の上下とすると、天と地が重なり、そこに人もいて、平たく「一」の字になってしまう。だれもが一から始めることができる! 何を始めることができるのか?それは学問でしょう! かくして、『学問のすすめ』とはあいなりました。複式簿記は福沢諭吉が慶応義塾を経営するに際して、西洋から導入したものでした。簿記ですかぁ? 経営ですかぁ? そう言えば、福沢諭吉の身長がわかるのは、塾生が日本で最初に保険会社を立ち上げたため、第1号で保険に加入してあげたからです。保険会社、おお、会社だ。
3 商法の歴史
日本の商法はドイツ商法を継受して明治32年に施行されたものであり、その意味ではドイツ・フランス・イタリアを中心としてヨーロッパの大陸法系に属しています。大陸法系の源流にはローマ法があります。商法が誕生したのは、中世の地中海商業都市(ベネチア・ジェノアなど)あたりからだといわれています。それは慣習法に基づく商人の法(階級制度を意識)として形成されたものとされていますが、その後、フランス革命を経て、いわゆるナポレオン商法典ができたときは、平等主義に基づき、人から行為にも着目(商人法主義から商行為法主義へ)するようになりました。スペインが最初に商行為主義を採用し、フランスは折衷主義を採ったとされております。当初、商行為法主義を採ったドイツは、その後、商人法主義に傾き、日本はそのドイツ法を参考にしたため、商人法主義と商行為法主義の折衷型となっております。
なお、基本的に大陸法系は成文法主義を、イギリス・アメリカなどの英米法系はコモンローとエクイティー(コモンローで救済されない場合の法準則としての衡平法)を中心とした判例法主義(判決の集積体が法)を採用しています。ヨーロッパでも、スイス、イタリア、北欧諸国では商法典がなく、民商二法統一となっています。ちなみに、中国も民商法合一です。アメリカでは、各州にモデル法としての「統一商法典(Uniform Commercial Code)」があり、会社法についてもモデル法としての「模範事業会社法(Model Business Corporation Act)」がありますが、それを採用するかどうかは各州の判断に委ねられています。
アメリカの会社法は州ごとに独自の制定権があり、とりわけ、デラウエア州一般会社法がさまざまな方面に影響力を有しています。デラウエア州のそれは経営者にとって規制が比較的緩やかで、経営判断の裁量が幅広く認められ、経営の失敗に対して免責されやすいことから支配株主や経営者の間で人気があり、実際にニューヨーク証券取引所に上場している会社の多くがデラウエア州で設立されているといわれています。上場会社の多くがデラウエア州一般会社法を設立準拠法にしていることで、当然、デラウエア州の裁判所、とくに衡平法裁判所に会社法専門の優秀な裁判官が集まっているとされ、その裁判例には世界中の会社法学者も研究対象として注目しております。
(楠元)デラウエア州はニューヨークとワシントンDCの間にある小さな州ですが、規制緩和競争(race to the bottom)の覇者だけあって、さぞかし会社設立のための登録免許税収入で潤っているのではないかと思われます。デラウエア州といえば、化学工業で莫大な財をなしたデュポン創業者の邸宅博物館があるので有名ですね。
(松尾)Race to bottom ! これぞ、福沢諭吉が成功した秘訣です。福沢諭吉は士農工商のボトム、商人の子弟を集めて教育したのです。今日なら、受験エリートは武士、だから受験に失敗すると浪人になってしまいます。福沢諭吉は、Race to bottom!で成功したのでした。