『イエスはまた、こう話された。「ある人に二人の息子がいた。15:12 弟のほうが父に、『お父さん、財産のうち私がいただく分を下さい』と言った。それで、父は財産を二人に分けてやった。15:13 それから何日もしないうちに、弟息子は、すべてのものをまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して、財産を湯水のように使ってしまった。』 【ルカ15:11-13】
第一に、家出をした子どもの状況はどうだったのでしょうか。
弟は父の財産の分け前をもらって遠い国に旅立ち、その財産を湯水のように全部使い果たしてしまいました。そして、ひどい飢饉が襲ってきました。食べるために豚の世話をしなければなりませんでした。ユダヤ人は豚を忌み嫌います。それなのに豚よりももっとひどい生活をしなければなりませんでした。豚は霊的には悪霊を意味します。神様から離れた人間は悪霊に仕えるものになリます。現代のいろいろな犯罪は、神様から離れた結果、現われているのです。家出をした子どもはサタンに仕え、悪魔に支配されている状況であります。
自分の悲惨な状況を考えながら自分の父の家を思い出しました。父の家には僕たちがたくさんいてそこには食物が豊かにあります。父の家に帰って僕のひとりになれば食物だけでも食べられると思い、彼は立ち上がって、自分の父のもとに帰って行きました。これが悔い改めの第一歩です。
第三に、息子が帰って来るのをひたすら待っていた父親の姿がありました。
息子が父親を見つけたのではなく、父親が先に息子を見つけました。ここに神様の心を見ることができます。昼も夜も家出をした息子が帰って来ることを切に願っているのです。これは十字架から神様の愛が私たちに啓示されているのです。父は彼に口づけし、彼に一番良い服(イエス・キリストの義の服)を着せ、指輪(聖霊)をはめさせ、足にはくつ(いばらと苦しみの道を歩んでも平安が来るように)を履かせ、ほふられた肥えた子牛(神様のみ言葉、豊かな神様の恵み)を食べさせて、祝宴を始めました。罪人ひとりが悔い改めて帰って来ると、天国ではパーティーが開かれているのです。そこには大きな喜びがあります。
第四に、帰って来た息子の生活はどうだったのでしょうか。
以前は息子という身分に対して感謝もしないし、すべてがしてもらって当然という思いでした。しかし、今や以前のように不従順な子どもではなくて、「私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。」(本文21節)と罪を告白しました。悔い改めて、すべてに感謝することができる息子として帰って来ました。信仰生活はすべてに感謝することです。不平不満をした長男は一度も罪を犯したことがないと思っていた人であり、律法主義者でした。長い間信仰生活をしていても、心の中で喜びがない人は、感謝の心が無くなったのではないかと、自分の信仰生活をかえりみなければなりません。帰って来た息子の生活はすべてに対して感謝する生活へと変えられました。
天の父なる神様は、私たちを選び、救い、天国へ導いてくださる神様なのです。
愛する天のお父様、み名を崇め感謝します。私たちは、ともすれば神様から遠く離れようとしますが、神様はしっかりと私たちを捉えてくださっていますから感謝します。神様の子としての資格がない私達ですが、神の子としていただいて感謝します。あなたの限りない愛をありがとうございます。その愛ゆえにイエス様を送ってくださり、罪深い私たちを贖ってくださって感謝します。放蕩息子のような私達ではありますが、どんなことがあっても見守ってくださってありがとうございます。全てに感謝し、主イエス・キリストのお名前によってお祈り致します。 アーメン。