Share 心理カウンセラー島幸樹の「心がスーッと楽になるボイスブログ」
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By 島幸樹
The podcast currently has 13 episodes available.
ある人は自分自身のことを「メンタルが弱い」と言い、
またある人は、他人を指して「メンタルが弱い」と言います。
『レッテルを張る』というのでしょうか。
自分とか他人を「メンタルが弱い者」として扱おうとします。
でも、そもそもメンタルが弱いという言葉はあるけれど、
「メンタルが弱い」ということ
そんなものは存在するのかどうか。
あるのは、優しさであったり、繊細さであったり、
また、一つの状況から多くのものを
受け取りやすい特徴があったりするだけ。
強いとか弱いというのは、
それを言う人の価値判断が多かれ少なかれ。。。
人の気質、性格をエネルギーだとすれば、
それ自体に弱さがあるわけではない。
誰もが皆、
人はその人なりの能力によって支えられています。
それ自体に弱いというものはない。
久しぶりのボイスでしゃべってます。
どうぞお聴きくださいませ。
↓ ↓ ↓ ↓
先日の投稿では、フランクルの「生きる意味」についてをお伝えしたのですが、この動画でお話するより以前にお話ししていたのが、実存主義的なカウンセリング、実存主義的アプローチでした。
それがこちらです。
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この記事の最後に、動画ではなくて音声ファイルで録音しているものも貼り付けておりますので、ご都合の良い方を開いてくださると光栄です。
実存主義的なアプローチというのは、本人の考えや感情を主体にカウンセリングの時間を共有しあうような意味合いがあります。
フランクルの話でもそうでしたが、今目の前で起きている状況は同じものであっても、どういう態度でその状況を生きるのかは最後の最後まで本人が選択できるものであるべき。
だから、カウンセリングにおいても、少なくともそのカウンセリングの時間中は、相談者さんの起きている状況に対する本人の受け取り方を100%尊重するわけです。
実存主義的なカウンセリングというのは、お互いの人格と人格がバシバシとぶつかり合っている(物理的または心理的な意味で)といえます。
さて、これまで公開している実存シリーズの動画です。
↓音声は、実存主義とカウンセリングの同内容です。
夜と霧、
それでも人生にイエスと言う、
はじめてそれらを読んだときに、ブルブルっと体が震えたのを覚えています。
もっとフランクルのことを知りたくて、著名な先生方が書かれているフランクルの解説書を読みました。
読めば読むほどに、自分の生きる意味について考えさせられる、というか、ドーンと胸に何かが刺さります。
苦悩のときを人はどう生きていけばいいのかを説くフランクルなのですが、今、このコロナ禍の状況の今こそ、見直したい心理学ですね。
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ということで、フランクルについて、この生きる意味についてお話しておりますので、ぜひご覧いただけたら、お聞きいただけたら嬉しいです。
ユーチューブではなく、ボイス(音声)でも配信しております。
先日ある方に質問されて、私なりに答えたことをブログに書こうと思ったのですが、書くよりしゃべる方が良いかと自分なりに判断しました。
「答えはあなたの中にある」
コーチやカウンセラーは、クライアント様から質問をされても、そんなに簡単に答えを言わないのかもしれません。
それは確かに私も同意です。
「答えはあなたの中にある」とは?
どうぞよろしくお願いいたします。
「自分がされて嫌なことは他の人にしてはいけません」
自分がされて嫌なことが、他の人もされて嫌なことかどうかはわかりません。
愛とは、想像力だと思います。
でもその人のことを知っていくうちに「その人だったら」、「その人の人格だったら」を想像していけるようになるのではないでしょうか。
とはいえ自分とその人は違う人間。
自分だったらこうだけど
愛は想像力だと思う件について。
心理カウンセリングのブログなので、これまでも何度か書いてきたように思うのですが、「共感する」ということについて。
共感的理解というのは、相手の立場で話を聴こうとする姿勢です。
たとえばある出来事に私とAさんが遭遇したとして、私は「悲しい」気持ちになるかもしれないけれど、Aさんは「ムズムズした」気持ちになるかもしれません。
でも、Aさんに私が共感的理解を示そうとするなら、私はAさんの「ムズムズした」気持ちに寄り添いたいと思うのです。
はじめ「ムズムズした」気持ちだったAさんも、そのムズムズはもっと違う形に変わっていくかもしれないし(気持ちって瞬間瞬間で変化するから)、ムズムズではなかったことに気が付くこともあります。
ボイスブログ、ぜひお聴きください。
だれかと一緒に仕事をするとき、会話をするとき、わたしたちは当然そこにいるその人との時間をすごすはずなのですが、何かの拍子にパッと一瞬で過去のあるときにタイムスリップするときがあります。
今だれかとしゃべっていて、例えばその人が圧の強い人で、大きな声で怒鳴りつけてくるような人だったとします。
今ここにいるのは、幼少期の自分の父親ではないのに、あたかもその父親の顔写真を、今ここにいる誰かの顔にペタッと貼り付けている。
今日のボイスブログはそんなお話です。
仏教の言葉に、対面同席五百生という言葉があります。
すてきな言葉ですね。
ボイスブログの更新です。
ちなみに、エジソンが白熱電球で使った素材は、京都の竹だったそうですね。
ところで、ボイスの中で、「人がどんなふうに感じたり考えたりするか」について言っていますが、これを心理学では「認知」といいますね。
さて、失敗は存在しないの話です。
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