
Sign up to save your podcasts
Or


あなたは何者ですか?何を成した人ですか?
何者かでないとダメですか?
世間が定義するような「何者か」になろうと無理をする必要はありません。他人の評価と個人の存在価値は関係ありません。
自然体で続けられることが、個人の役割であり、使命でもあります。自分の役割ではないことを、正義感や義務感でがんばっても苦しいだけです。
苦しくなくできること、何だか続けられてしまうことを、ただ淡々と行うことが、あなたが「あなた」であることの証です。
心と身体、そして魂が、本当に健康であるためには、ちょっと不健康なことが必要なのではないかしら?
過度な健康へのこだわりや我慢は、ストレスとなって心身と魂を痛めつけるかもしれません。
不健康とされる習慣を自分に許すのは、心の余裕や癒しとなって、最終的に健康につながるように思います。
人間関係の悩みが生じる本当の理由は、単に、今ある環境や集団と合わない、ということです。
多くの人は周囲に馴染めないとき、自分に欠点や落ち度があると思い込みがちです。自分を責める必要はありません。
ありのままの自分が、たまたま、今、まわりの環境と合わないだけなのです。
依存、あるいは依存的な状態は、単純に二項対立で扱うべき問題ではないと思います。
犯罪か?合法か?
良いことか?悪いことか?
現行の制度や、社会構造、歴史的背景などによって、特定の物質や行動が悪にもなり、善にもなるわけです。
依存の背景にあるのは、個々が抱える深い苦しみや痛み。これらを和らげるための生存戦略として、依存が発生すると考えます。
単に「ダメ!」「絶対ダメ!」というだけでは、何も解決しない。自分を、あるいは依存を抱える他人を、むやみに責めないでください。
日常に潜む依存、依存的な状態について考察します。
依存の対象は「物質」と「プロセス・行動」の二種類に分けられます。多くの人が無意識のうちに何らかの依存を抱えているといえるでしょう。
依存の根本的な原因は、快楽の追求ではなく、現実にある苦痛や不安からの一時的な回避にあるのだと思います。依存は、過酷な現実を生き抜くための、防衛や癒しとして機能しているわけです。
一概に悪だと決めつけたり、否定したりしないでください。
仕事そのものに、固有尊厳や価値は存在しないという独自の視点を提示します。
生計を立てるための職業は、人格や生きる目的を決定づけるものではありません。重要なのは仕事の内容ではなく、どのような姿勢で仕事に向き合うか、ということです。あなたが主体となって、仕事に価値を与えるのです。
仕事という概念に、自分の存在価値を飲み込まれないように、俯瞰的に見てみましょう。
自分を深く理解するために文章を書くこと、自分と対話することの意味について語ります。
私の出版サポート業務の経験から、文章を書くことは単なる情報伝達ではなく、自己の癒やしや内面的な成長を促すプロセスだと認識しています。
文章を書くのが苦手であっても、今の感情を客観的に記録することは、未来の自分への大切な贈り物になります。論理や形式に囚われないでください。
強いネガティブな感情は「かぎかっこ」に入れて外に切り出すことで、適切な距離を保てるようになります。
ネガティブな感情や思考は自然なものです。でも、その感情を歴史上の人物、政治家、企業などの固有名詞に対して抱くネガティブ感情は、危険だと思うのです。
それらの感情は、断片的な情報や他者の評価に基づいているため、対象の全体像を捉えていない可能性が高いからです。
絶対的な悪は存在しないのでは?とも思います。どんな悪い行為にも、行為者の正義や事情、逃れられない背景によって、その行為が現れているだけなのでは?とも思います。
自分自身との対話において言葉をゆっくりと選ぶことの重要性について論じます。
現代社会では、迅速さや論理性が重視され、会話において言葉を丁寧に選ぶことが軽視されがちです。しかし、他者との会話に限らず、自分自身の思考の中で使用する言葉も、急いで決めてはいないでしょうか?
自分の心の状態を感じ、よりフィットする言葉を、ゆっくり選びなおしてみましょう。
ただ話すこと、ただ聴いてもらうことの重要性について考察します。
ある相談者の話。は、職場における人間関係の悩みを抱え苦しんでいました。自分の心が傷ついている状況なのに、仕事だから我慢すべきだと思い込んでいたのです。
周囲は心療内科への受診を勧めますが、これを強く拒否。しかし、一人の友人が「あなたがつらそうに見える」「あなたの話を聴きたいな」と伝えたことで、専門家へ相談するという行動につながりました。
From the publisher's feed