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この世は心の学校です。教祖様は、信心は本心の玉を磨くものと、師匠大坪総一郎師は、この世には魂を磨きに来たのだと教えて下さいます。今風に言えば、この世は心の学校だと表現出来るのではないでしょうか。その根底に流れている神様の願いの本質は同一だと思います。その時代時代に即した表現がなされると言うことではないでしょうか。
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(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
成り行きの一つ一つは一つ一つの授業だと言うこと。小学校でも中学校でも色々な課目の授業時間がある。一つ一つの授業で、ここは天の心で、ここは地の心(土の心)で、ここは日月の心でと教えて下さるようなもの。それもただ教えるのではなく、手取り足取りして教えて下さる。それを習おうと言う気になれば楽です。
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この世に生を受けたと言うことは、心の学校に入学させられたと言うことです。日本の小学校では国語、算数、理科、社会等を習いますが、心の学校では天の心、地の心、日月の心を習うと言うことです。成り行きは天地金乃神様の心育てのカリキュラムであり、更に一つ一つの成り行きはその中の授業であると言うことになります。
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今朝は、御理解第一節「今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ。」を頂きました。目を覚ますと言うことが大事だと思います。音を聞いているのに目を覚さない人が多いように思います。何に目を覚ますのかと言うことですが、この世は心を育てるための学校であると言うことに目を覚ますのだと思います。
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とかく人間の私どもは神様が家来になってくれたらいいのにと言ったような思いをどこかに持っているのではないでしょうか、何でも叶えてくれる家来に。しかし信心の本質は人間の私どもの方が神様の家来にならせて下さいと本気で願う信心に遷って行かなければなりません。そういう心が育たねばなりません。
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ある投稿に「今日も一日あなたのお心に叶う一日でありますようお願い申し上げあげます」とあった。少し違和感を覚えた。師匠大坪総一郎師の弟子の立場からすると、今日も一日、神様の御心に適う一日でありますようにと願うのが本筋だと思う。信心の理想郷とは、神様と人間氏子との拝み合いの生活ですと頂いた。
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師匠大坪総一郎師の教えて下さる合楽理念、その特徴的なものは色々ある。例えば一切神愛、天の心、地の心、日月の心、土の心、成り行き、人情から神情へ、人間が人間らしく助かって行ける、真の助かりの理念、合楽世界、不合格御礼、未だ未だ色々有る中に地味だがとても重要なものが実験実証だと思う。合楽理念を試して見て下さい、そこに必ず手応えが頂けます、神様の御働きが頂けますと言うのです。
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師匠大坪総一郎師は年勝り代勝りの助かりの道として合楽理念を提唱された。今はそれから50年後の答えがある。残念ながら代勝りを実証しているところは本家、分家とも無いのが現実だろう。では合楽理念は正しくなかったのだろうか。師匠は年勝りの人の助かりを頂いておられた。正しく行じるならばとも付け加えておられた。この50年本当に正しく行じて来たかを自らに問わなければならない。
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神様の御心を尋ね尋ねするのが信心です。とかく私どもの願いや思いを神様に聞いて頂き、叶えてもらうのが信心のように思いがちですが、もちろん信心の過程においてはそれも有りますが、信心の本筋は神様の御心を尋ね尋ねし神様の御心に添い奉ろうという心が育ち、その精進を積み重ねることです。
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真の信心は、神様の御心を心とする信心にあるわけだが、今朝は心中祈念の時に、数名の人が全身真っ白の洋服を着ている様子を御心眼に頂いた。思うに、神様任せとか、神の心を心とすると言うけれど、私どもの心にどこか自分の色の付いた箇所が有ったのでは神の心には成り得ないと言うこと。真っ白な心で神の心を心としなければならない、神様任せにならなければならない。
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