
Sign up to save your podcasts
Or


愛のエネルギーは、作り続けるものではなく、もともと存在していたものでした。そして、そのもともと存在していたものが、私達だったんです。私達は、もともと存在していた愛の中に生きていました。
「愛、あなたは愛です」、第7回目の今日は、第一章「愛(本当の自分)に目覚めよう」。ページ数では、49ページから53ページまでの朗読です。
【参考】(朗読部分のテキストです)
「愛、あなたは愛です」第一章 愛(本当の自分)に目覚めよう p49~p53④愛のエネルギー、愛の力、真実の愛の力。それが、これから地球人類に色々な事を通し、色々な場面で示されていくでしょう。
本当の愛とは何なのでしょうかという問いかけです。
本当の愛とは自らを目覚めさせるエネルギー、パワー、それが愛なんです。
私達は愛である、これに目覚める力、パワー、その愛のエネルギーは、溢れています。
ただ、残念ながら、これは形の世界にとらわれている心からは、全く分からないことです。全く感じられないことです。
偽物の愛ばかりを私達は大きく膨らませて、その偽物の愛の中で苦しみ喘ぎ続けてきたんです。それが私達人類の膨大な心の歴史でした。
愛、私達が知っている愛は、憎しみの裏返しです。その愛のエネルギーは、殺戮のエネルギーでもあります。
私達が間違って作ってきた世界の中における愛、そのエネルギー。
どんなに言葉を飾ってみても、どんなに綺麗事を言ってみても、そこには、憎しみ、呪い、そのようなどす黒いエネルギーが渦巻いているんです。
そのエネルギーを愛という言葉で覆い隠し、私達は中身が分からなくなってしまいました。
「愛とは優しさ、永久に続くもの。」「永遠の愛。」綺麗な言葉です。
しかし、そこから流れてくる波動、エネルギーを心に感じられる人は感じてみてください。
人類が作り続けてきた愛のエネルギー、その波動はいかなるものなのか。その愛は偽物でした。
愛のエネルギーは、作り続けるものではなく、もともと存在していたものでした。そして、そのもともと存在していたものが、私達だったんです。私達は、もともと存在していた愛の中に生きていました。
愛を求めなくても、私達自身が愛だった。
しかし、このことになかなか人類は気付けなかったんです。
だからこそ、自分の外に愛を求め、何億年、いいえ、もっと、もっと長い間苦しみ続けてきました。
偽物の愛は必ず裏切ります。そして、裏切られた私達は、さらに地獄を作っていくんです。その中では、憎しみの思いが募ります。
呪い、憎しみ、殺戮、破壊。
言葉通り、そのエネルギー、波動は闇黒です。
闇黒の中で、私達は愛を探し求めてきました。求めても、求めても、得られなかった。しかし、だからこそ、さらに求めてきたんです。
その求めること、そのことが間違っている、間違ってきたんだ、それにはなかなか、なかなか気付けなかったんです。
愛は求めて得られるものではありません。愛は与えられるものでもありません。
愛は私達自身。私達自身が愛そのもの。その愛そのものの自分自身に目覚めていくこと、そんな自分自身を本当に思い起こすこと、それが数限りない転生の中で示されてきたことでした。
しかし、誰も本当の愛に辿り着けませんでした。たった一人も辿り着けませんでした。この世に、愛の人なんて存在しません。
私達は、愛が分からなくなり、自分が分からなくなり、ただ狂い続け、苦しみ喘ぎ続けてきたんです。そんな自分達の心の歴史を、ほんの少しでも垣間見ることができたならば、今の人生、どんなにすごいチャンスに恵まれていたかが、ご自分の心で分かります。
愛を思い、愛に触れ、愛を広げていく。すべては本当の自分に帰る道。それが、私達が自分に決めてきた道筋です。
自分に帰る、本当の自分に帰る、この喜びの道を心で見つけ、その道を一歩、一歩歩んでいく確かな喜びを、心に広げることができたならば、どんなに幸せか、どんなに嬉しいか、あなたの心で感じてみてください。
もうまもなく、愛のエネルギーが、もっと、今よりももっとさらにもっと、いいえ、全く想像もできないほどの強さ、深さ、広さで私達に目覚めを促してくれます。形は、崩壊でしょう。
しかし、そこから感じ響いてくる波動はプラスです。
プラスのエネルギーが働いていることを、しっかりと心で受け止め、心で感じ、すべてが愛に帰る喜びのエネルギーだと、心で味わっていきましょう。
小さな、ちっぽけな世界に自分を押し留めていることに、気付いてください。そんな中から自分を解き放してください。
【瞑想より】
①愛はすべての意識に存在しているエネルギーです。本来はすべての意識達は愛そのものなんです。
しかし、肉という形を持つ意識は、その本来の姿を遠く、遠く置き忘れてきました。そして、肉という形を指して、自分だと思ってきました。
その形のある世界を現実のものとして、そこで生活をしていくうちに、一番、二番、そして誰よりも幸せに、誰よりも権力を、誰よりも富を、誰よりもパワーをという思いを膨らませていきました。
本来の自分の姿、愛、そのエネルギーを忘れ去った人類が、その愛のエネルギー、本来の自分達に帰っていくことはとても困難なことです。
しかし、ここに、すべての意識達に気付きと促しを与えていく「意識の流れ」という目に見えない流れが厳然としてあります。
この「意識の流れ」は、すべての意識達が愛に帰る道を突き進んでいくように流れています。ともに、ともに帰る道をただただ「意識の流れ」は伝えてくるのです。
そこで、私達が愛に目覚めるために何が必要なのかを考えてみましょう。
日常生活の中で、あなたは何を一番大切にしていますか。
お金ですか、人との繋がりですか。それとも神、仏の力ですか。
あなたの幸せとはいったい何でしょうか。そういうものにまつわるものを手に入れることがあなたの幸せに繋がっていくのでしょうか。
そのところからもうすでに私達は道を間違っているのです。
幸せとは何か、喜びとは何か、温もりとは何かと、自分に問いかける時期に来ています。
ところで、あなたが、転生ということを知っておられるか、また信じておられるかということがありますが、私達人間には、生まれて死んで、また生まれてくるといった転生の歴史があることは事実なんです。
しかも、その私達の転生のすべてが失敗でした。
すべてを捨て去って、つまり、本来の自分を遠くに、遠くに追いやり、偽物の自分達ばかりを大きく膨らませてきた時間、それが私達の何億年もの転生でした。
そんな数知れない自分の転生、自分の失敗の転生から、どうぞ、本当の自分を知っていく方向に、今世こそ、あなたの心を向けていってください。
数知れない転生は、あなたの心の中で、明るい陽射しが射してくるのを今か、今かと、待ち詫びています。
そんな心の叫びとでも言うのでしょうか。心からの叫びに耳を傾け、心を傾けられるような人間に蘇ってください。
温もりと優しい愛溢れる思い、そして、喜び。それが私達の本当の姿です。本当の私達は愛のエネルギー、愛のパワーに満ち満ちています。
愛を全く取り違えてきた私達だったことに、一人でも多くの方が、そして一日でも早く、自分の心で気付いていくことが待たれています。
✧
②「あなたは愛です。」
このメッセージが、どなたの心の中にも絶えず流れていることを知ってください。
私達は、心の中に、愛、喜びのエネルギーをたくさん、たくさん持っているんです。その喜びのエネルギーをどんどんどんどん噴き出していってください。
日々の生活の中では、あなたが作ってきた凄まじいエネルギーが、飛び出していくでしょう。
しかし、それは本来のあなたは喜びだからです。
あなたが愛だから、愛のエネルギーであるあなたが、間違い続けてきたあなた自身を解き放していきます。
あなたがあなたを解き放していく喜びの道。それが私達の人生でした。
肉を持ってきた人生でした。数々の転生はそのためにありました。
「あなたは愛です。私は愛です。」ということに目覚めるために、私達は、これまで、たくさん、たくさん、この地球上で転生を繰り返してきました。
その一つひとつが愛に目覚めるための時間と空間でした。
✧
③自分を救っていくことができる、救っていける力、パワーが自分の中には溢れている、それがあなた自身です。
あなたの中に愛が溢れています。愛はあなたの中から、尽きることなく溢れ出てきます。
それを信じているか否かです。信じられる状態であるか否かです。
簡単なんです。
そして、今、信じていなければ、信じられない状態であれば、あなたは苦しみの底にあるということです。
肉としてのあなたが、今どんなに幸せな中にあっても、意識の世界、つまりあなたの現実は、苦しみの中にあるんです。それはみんな死ねば分かります。
私達は、その苦しみをどのようにしていくか、その課題を抱えて、これからの時間を経ていきます。
そんな中で、あなたの中の愛、本当のあなたは、ただ待ち続けるだけです。その本当の自分に思いを向けられないということは、自分に冷たい、冷酷無慈悲な人だということになります。自らを苦しみの中に沈めて平然としているのだから。
優しい微笑をたたえながら、周りに施しをどんなに与えても、本当は冷血人間です。表面上の形だけで判断してはいけません。
私は自分に優しいです。何としても自分の中を救っていこうという決意を秘めて生まれてきたことを知ってきました。母の温もり、母の意識は私の心に充分に届いています。
だから、意識の世界にある私は、逆戻りは絶対にしません。後ろ向きになれと言われてもなりません。
私は、私の中の愛が私を引導していることを心で感じています。
だから、私は、私の意識の世界は、もちろんその中核から逸れるはずはないけれど、肉の世界における、いわゆる一人の人間としても、人の道というものを、踏み外すことはありません。
本当の愛が心で分かってきたならば、そんなことはしないんです。できないんです。するはずがないんです。
だから、人間がみんな、自分の中の愛に目覚めていけば、規律、規則、道徳等々は、無用の長物ということになります。
そのようもので自分達の心を縛らなくてもいいことが分かってきます。
そこで登場するのが、瞑想という作業です。
母の反省と他力の反省を、正しい瞑想を通して、さらに深くしていくんです。
正しい瞑想の正しいというのは、あなたの心の向け先を言っています。
先に書きましたように、瞑想をするにあたって、たったひとつ重要なことがあります。
あなたが何を思い、どこに心を向けて瞑想をしているのかということです。
それがいわば、真実を知っていけるかどうかの大きな分かれ道です。
そして、それは言うまでもなく、以下の太字のメッセージを大きな、そして唯一の柱にしたものでなければなりません。
「私達人間の本当の姿は、目に見えません。私達は意識、エネルギーとして永遠に存在しています。」「私達の本質は愛です。愛のエネルギー、パワーが私達なんです。」
私達は意識だ、愛だと信じて瞑想をするのと、それを信じずに瞑想をするのとでは、瞑想といっても、実は似て非なるものなんです。
そして、このメッセージを私達に伝えてくれたのが、田池留吉という人でした。
田池留吉氏については、拙著「その人、田池留吉Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」をはじめ、UTAブックさん発刊の本にすでに書いていますので、本書では省略させていただきます。
ただ、田池留吉氏は、教祖とか指導者とか、そういう立場の人ではないことだけは、本書でも強調しておきます。
結論を言えば、田池留吉に心を向けて瞑想をするというのが、正しい瞑想なんです。
そこで問題となってくるのは、これまでに、田池留吉氏に会ったことがない人達、会ったことはないけれど、名前は聞いている、あるいは写真で顔を知っている人達です。
会ったことはもちろん、顔も知らない、名前も知らない人達は少し置いておくとして、名前を聞いたことがあるとか、写真で顔を見たことがあるというのであれば、その人が、本当に母の反省や他力の反省を通して、自分の心を見るという実践をなさって、自分の心を真実の方向に向けようとしているならば、もちろん、正しい瞑想をすることは理論上、可能です。
というのは、正しい瞑想とは、田池留吉に心を向けるということであって、田池留吉氏に心を向けることではないからです。
田池留吉氏と、田池留吉とは違います。呼び名が同じだから、全く無関係とは言いませんが、決定的な違いあります。
田池留吉氏は、あなたの外に存在しています。
田池留吉は、あなたの中に存在しています。
しかも、田池留吉というのは、どなたの心の中にも、もともとあった喜びと温もりの意識の世界です。
だから、その人が、本当に上記の太字のメッセージを心で感じて、田池留吉というのもまた、意識、エネルギーだ、愛のエネルギーだととらえようとする方向に、自分の心を素直に向けていけば、今世、田池留吉氏と実際に話をするとかいうお付き合いがなくても、正しい瞑想ができるということです。ただし、これは非常に難しいということも確かです。
しかし、そういう人が、どんどん心を向けてきて、セミナーに参加してみようかということになって、セミナー参加が現実のものとなれば、話はまた違ってきます。
特に田池留吉氏と直接に話をすることがなくても、そういう人であるならば、セミナーに参加したということで、何かその人の意識の世界に届くものがあるはずです。それが本来の意識の世界の仕組みです。
従って、その逆も言えるんです。
上記の太字のメッセージの意識の転回が停滞している人は、よく、よく、田池留吉氏を知っていても、まだまだ真実よりも道遠しということでしょう。
実生活で田池留吉氏をよく知っている、田池留吉氏とお付き合いがあるということと、田池留吉の意識の世界と歩みをともにしているということは、関連しません。
以上、瞑想ということから、田池留吉氏が、二十年余りに及ぶセミナーで伝えてくれたことを、かいつまんで記してみました。
これより先は、日々の中で時間を作って、田池留吉に心を向け、私は愛ですと思って瞑想をしたときに、私の心に伝わり響いてきた思いを書き留めたものを中心にしながら、その都度、心に上がってきた思いを綴っていきます。
それに先立って、少々注釈です。
文中、田池留吉と同様にアルバートという言葉も多く出てきます。
田池留吉も、アルバートも意識、エネルギー、波動の世界の総称だと考えてください。
その世界は喜びと温もりだけの無限の世界、まさに愛の世界。
そして、それが私達の本当の世界だと、そういうふうにご理解ください。名前にこだわらないでください。記号くらいに思ってください。名前はどうでもいいんです。今は便宜上、そういう名前で呼んでいるだけですから。
また、宇宙という言葉ですが、この宇宙というのも、意識の世界を指しています。
私達が知っている地球、太陽、月、太陽系、銀河系等々、それらをひっくるめて宇宙と言っている宇宙のことではありません。
宇宙ということについては、拙著「宇宙の風」に詳しく語っていますので、よろしければご参照ください。
そして、あと一つ。異語という言葉です。
異語とは、たとえば日本語であるとか英語、中国語というようなものではありません。確かに口から音を発しますが、そこには、主語とか述語はありません。異語で伝えるものは波動です。エネルギーです。
私達は意識、エネルギーですから、異語を通して、すべての意識達と通じ合えるんです。
要は、正しい瞑想を重ね、愛であった自分に目覚め、愛であった自分を自分の中に流し、愛であった自分とともに帰っていくことが私達の願い、切なる思いでしたということに、それぞれがそれぞれの心で感じ知っていかれたらいいんです。
そうなっていけば、あなたの人生、あなたのこれからの時間は、目に見えない世界からの働きかけにより、様変わりに変わっていくでしょう。
あなたの人生、あなたの時間と申しましたが、私は、今、肉体を持っているあなたの人生、あなたの時間に限定しているのではないことを、蛇足ながら明記しておきます。
皆さんも、どうぞ、愛を思い瞑想を重ねていく日々をお過ごしください。
私は思う喜び、思える喜びを味わっています。
瞑想を重ね、自分の心に伝わり響いてくるこの波動、このエネルギーだけが私には信じられる現実です。
この波動、このエネルギーに触れ、感じ、そしてその中にある自分だったことが信じられることが、どれだけ幸せであり喜びであるか、私の中にはっきりと伝わってきます。
ともにある喜びです。通じ合える喜びです。
態度、表情、言葉等々の形を伴って示されていく優しさであるとか、温もりであるとか、いわゆる形の世界におけるそういうものは理解できるけれど、そういうものは何もなくて、ただ心に伝わり響いてくる波動、エネルギーを感じ信じていくことは、肉、肉で生きてきた鈍感な私には、実際のところ、本当に難行苦行でした。
しかし、何時の頃からか、この肉を纏っている私、この私以外に存在している私というものを、私は心で感じるようになってきました。
肉の私が思っていることと、何か違うことが私の中から伝わってくる感覚が、正しい瞑想を重ねていく中で、はっきりとしてきたんです。
そして、おそらく、その時点で私が母の温もりを心に感じていなければ、その私の中から伝わってくる思いは、また巧妙にブラックの世界とすり替えられていたに違いないということも、自分の心で分かってきました。
知らずのうちに、己を前に出していく、己を掲げていく危険性と、その落とし穴に自らはまっていく恐ろしさ、愚かさです。
だから、いかに、母の温もりが大切なポイントであるのか、私はそのところを無事クリアできたから、混乱なく、今を迎えているんだと思っています。
今、私は、瞑想をして、どんなに凄まじいエネルギーを感じようとも、それは私の中ですでに喜びと化し、温もりに帰っていくエネルギーであることを確認済みです。
心を向けていけばいくほどに、私の中の愛のエネルギーが応えてくれる喜びを感じています。
だから、私にとって、瞑想はただただ喜びです。
思う喜び、思える喜び。ともにある喜び、通じ合える喜び。
一つの肉体を持たせていただいたことに、限りない優しさを感じています。
そこで、母の反省と同時並行に進めていくのが、他力の反省です。
根深く根強くこびりついている他力の心を知っていくんです。
繰り返します。
他力の心とは、肉、形を本物とする心です。我一番、我は神なりの思いです。
この心を崩していくために、私達は何度も転生してくるのですが、結果はその逆となってしまうのです。崩すどころか、さらに上積みをしてしまう結果でした。
私達人間は、自分の本当の姿を忘れ、自分を肉だと思って、その自分を高め、肉の自分の幸せと喜びを手に入れようと、自分の外に、思いを向け続けてきました。
神、仏の加護と力を求め続けました。いつも比較競争の中にありました。そうして、闘いの後、勝利を収めた者が、覇者となりすべてを牛耳っていきます。人類の歴史は闘いの中にあったと言っても言い過ぎではないでしょう。
もっと言うならば、神と神の闘い。それぞれが神という大義名分を掲げ、己の我欲をむき出しにしていくんです。
そうして得た王者、覇者の地位であっても、いずれはその地位を追われる、つまり滅亡していくんです。覇権を争い、いつ自分の寝首を掻かれるか、心休まる日など一日もないでしょう。
日本の国、世界の国々の歴史を紐解けば、大体こういう愚かなことを繰り返してきたことが分かります。
人間は、自分の本当の姿に目覚めていくために、何度も、何度も、数え切れないほど転生をしてくるのです。
しかし、その自分達の切なる思いとは裏腹に、転生のたびに、みんな真っ黒なエネルギーを溜め込んでいきます。
しかも、誰もそんなことには、全く気付けませんでした。全く気付けないほど、自分達が堕落してしまった、それが私達人間の偽らざる現実です。
地球人類の殆どすべての人が、自分のその肉体を指して自分だとしています。今ももちろん、その基盤の上で生きています。これからもそうでしょう。
また、殆どすべての人が、神や仏というものは、自分達人間とは別個の世界のものだと思っています。では、なぜそう思うのでしょうか。
人間とはいかなる存在なのか、これが、本当に自分の心で知って分かっていけば、決してそうは思わないはずなんですが、現実はそうでないんです。だから、私達人間が堕落してしまったと言えるんです。
神を心から信じ敬う、神に忠誠を誓う、仏に帰依する、こういうことは、本当に素晴らしいことなのでしょうか。立派なことなのでしょうか。褒められるべきことなのでしょうか。
神や仏の世界を説くというか、感じていく人は、これまでにもあまた出現したことでしょうが、自分とはいかなる存在か、自分の本当の姿を知らず分からず説く神、仏の世界とはいったいどんな世界なのでしょうか。
悟りを開くとか、悟りの境地に達することは、本当にあるのでしょうか。
どうぞ、既成概念をすべて外して、これまでに記してきました母の反省をしてみてください。
転生のたびに、真っ黒なエネルギーを蓄積してきたとか、人類は堕落してしまっているとか、そういうことは、にわかには理解できないとは思いますが、まず、母の反省を通して、自分の心に何かが、確かに何かが響いてくる体験を重ねていかれたらと思います。
ある時は、涙が一筋頬を伝う、ある時には、涙ぐむ、またある時には、涙と鼻水が溢れ出てくるかもしれません。お母さんと心から呼んでみたい、そんな思いが突き上がってくるかもしれません。
それらは、母に向けて出してきた自分の思いとは裏腹で、想定外のことかもしれませんが、そういう体験をされたらいいなあと思います。
そのうちに、自分の頭では訳が分からずに、どう説明していいか分からないけれど、自分の中から反応してくる自分の思いが確かにあることを知っていきます。
黙って、静かにそこに座っておられない状態になるかもしれません。
たとえば、自分の中から突き上がってくる思い、それをエネルギーと表現しましょうか。
自分はたくさんの凄いエネルギーを持っている。このエネルギーが自分のこの肉体を動かしているのではないだろうか。
そうすれば、この肉体とこのエネルギーとの関係をどのように理解すればいいのだろうか。
色々、色々、考えてみてください。
そして、考えて出せる結論はないと思いますから、本書に書いてあることが本当のことだと仮定して、それを自分の心で実証してください。
愛(本当の自分)に目覚めよう
私達は、誰一人例外なく間違ってきたんです。
しかし、その間違いに自ら気付いていけるのも私達なんです。
間違いとは、私達は、本当の自分(=愛)を信じないで、偽物の自分(≠愛)を信じてきたことです。偽物の自分を自分だと思い込んできたことです。つまり、私達は、これまで誰一人例外なく、自分を含む目に見える、形ある世界が本物の世界だと思い込んできたのです。
当然、そこに喜びであるとか、幸せであるとか、生きがいを探し求めていきます。一生懸命、道を模索していきます。一度きりの人生だと思って・・・。
しかし、哀しいかな、それでは、いつまで経っても、本当の喜びであるとか、幸せには巡り合えないんです。偽物の自分を自分だと思い込んで、その偽物の自分が、楽しい、嬉しい、幸せ、喜びだと感じているに過ぎないだけなんです。
だから、その楽しみや喜びは、本当に楽しみだけ、喜びだけをあなたにもたらしたわけではないはずです。
楽しみを得るために、喜びを手に入れるために、あなたは苦労しませんでしたか。あなたの心と身体を使いませんでしたか。特に心のほうはどうでしたでしょうか。あなたはどんな心を使ってきましたか。どんな思いを出してきましたか。
そして、その後はどうですか。苦労して手に入れた喜びと幸せであればあるほど、それを守り、また大きくしていくために、さらに、あなたは心と身体を使っていったのではないでしょうか。
そうして、それだけ苦労して手に入れたものも、自分の肉体の消滅とともに、あなたの目の前から消えてなくなっていきます。
もちろん、築いたものは、色々な形となって後に遺されていくでしょう。しかし、同時にそれは苦しみとなっていきます。そこにはまた新たな苦悩が生じていきます。
このように、私達が本物だと思い込んでいる世界、世の中というのは、悲喜こもごもです。その中で、幸せと喜びを感じている人もいれば、悲しみに沈んでいる人もいます。
しかし、それさえも分かりません。その立場は時間の経過とともに逆転していく可能性は、多々あるのではないでしょうか。
今は、幸せであり喜びであっても、ある瞬間から悲しみの奥底に落ちていくこともあります。
そのような悲喜こもごもの中で、一喜一憂していくことが、本当に、本当の人生だと言えるのでしょうか。
世間一般に、人生、色々と言われています。しかし、人生、色々ではありません。喜びも苦しみもあるのが人生ではありません。
本当は、人生は喜びだけなんです。喜びの人生を生きていくのが、私達人間の本来の姿なんです。
それがそうでないのは、私達人間は、本当の自分の人生を生きることを知らないからです。
本当の自分の人生を生きるとは、自分の本当の姿(=愛)を知っていくことです。自分の本当の姿(=愛)を知らないで生きて、死んでいくことが苦しみなんです。
自分の本当の姿(=愛)を知っていくために、自分に用意した時間が、人生の時間です。
そして、その自分を知っていくことが、人生の目的なんです。
愛を知らずに生きてきた私達ですが、どうでしょうか、あなたも今こそ、本当の愛を知っていきませんか。本当のご自分と出会っていきませんか。本当のご自分を感じ知っていくような生き方をなさいませんか。
私は、自分の中の愛(本当の自分)を感じて信じていく方向に、心を向けていくように日々努めています。
ゆったりと静かな時間をできるだけ持つように心掛けています。
具体的には、瞑想の時間を持っています。ただし、瞑想と言っても、色々な瞑想があります。そこで、瞑想に関連して、少々記しておきます。
瞑想とは、目を閉じて思うことです。
瞑想の一般的なイメージとして、座禅を組んでとか、姿勢を正して精神を統一してとか、反対にリラックスしてとか、そのようなイメージの中で行われているようですが、そういう瞑想は止めてください。
ましてや、滝に当たって、山を駆け巡ってなどという修行はもってのほかです。そんなことで悟りを開くとか、気持ちが洗われるとか、喜びを感じるとか、幸せになるとか、感謝の思いに満たされるとか、そういうことは絶対にありません。
瞑想をするうえで、最も大切なことは、あなたの心がどこに向いているかということなんです。
その確認のないままで、瞑想をするということは、全く良くないことで、そんな瞑想を続けていれば、その人の末路は哀れなものになっていくでしょう。
私がしている瞑想は、そんな瞑想ではありません。
では、どのような瞑想かということですが、その前に、どなたにもやっていただきたいことがあります。それは、母の反省と他力の反省です。
まず、母の反省です。
自分を産んでくれた母親に対して、どんな思いで接してきたか、接しているか、なるべく小さな頃のことを思い出してください。
母親がしてくれたこと、してくれなかったこと、自分が母親にしてあげたこと、という三点に絞って、その時、自分はどんな思いを使ったのか思い出して、ノート等に綴ってみるという反省です。
なぜ母の反省なのかということですが、あなたのお母さんが、あなたに今の肉体をくれたのです。
それは、「はじめに」のところでも書きましたように、あなたが自分に肉体をください、私を産んでくださいと、母になる人にお願いしたからなのです。もちろん、そんなことは、今の段階では、おそらく、みんな知らないと答えるでしょう。
しかし、それは、今はそうであっても、いつの日にか、どなたの心にも感じられることなんです。
そして、それは同時に、今の自分のこの肉体がなければ、自分に本当のことを伝えることができないと知っていきます。
自分に本当のことを伝えることができなければ、どうなっていくのか、本当はみんな自分の心に知っているんです。ただ、それはあまりにも苦しくて、あまりにも恐怖だから、触れないようにして、誤魔化して日々の時間を過ごしているだけです。
自分の中に蠢くエネルギーを、母を通して、まず感じてくださいというのが、母の反省です。
母の反省をしていって、母親との関わり合いの中で、自分が母親に出してきた思いを知っていけば、自分がどんなに凄まじい思いを、目の前の母親目がけて吐き出してきたかが、はっきりと感じられます。
母親が口を開くたびに、何かをするたびに、自分の心から母親に向かってストレートに出る思いが、どなたにも必ずあります。
その出る思いはどんな思いなのか、そして、そのエネルギーの勢いはどんななのかを確認してください。
母親という存在は、自分の中に溜め込んできた思いを、素直にストレートに出してくれるありがたい存在です。
産んでくれて、育ててくれてという親の恩をありがたく受け止め、それに報いるような人間であれというそんな道徳的なものはどうでもいいことです。
それよりも何よりも、自分の母親に対して出す思いを包み隠さずに、ありのまま、感じ確認していくんです。そのために、自分にとって受け入れ難い母親が目の前にいることを知ってください。
中には、母を敬い、母を美化する人もいるでしょうが、殆どの人は、母親を見下げ蹴散らして、我儘気ままのやり放題というところではないでしょうか。
母を敬い、母を美化している人も、もっと自分の心の奥を感じていかれたら、とても、とてもということでしょう。
みんなすごいです。肉体という形を持った目の前にいる母親を通して、自分の中の狂った凄まじいエネルギーを感じていきましょう。
みんな心の中にあるんだから、母の反省をしていけば、必ずどなたも自分の中の狂った凄まじいエネルギーを知っていきます。
知っていくまで、母の反省をしてください。
みんな本当の自分を捨て去った、愛を捨て去ったんです。
温もりなど要らない、愛などくそくらえと叫んできた思いを自分の中で確認できるまで、母の反省をしてください。
そして、お母さんと心に思う、心で呼ぶ、そんな時間を持ってください。
そうしていけば、どんなに温もりなど要らない、愛などくそくらえと叫んでいても、それを本当に無条件で、ただただ受け止めてくれていた母の思い(母の温もり)を、いつの日にか、どなたも知っていけるのです。
そうなってくれば、自分が肉体という形を何としても持ちたかった思いが、自分の中ではっきりと確認できます。
どんなに今という時が嬉しくてありがたい時なのか、自ずと自分の心に響いてきます。
まずそんな母の反省と、母を思う時間を設けて、最初は、表面的でいいですから、お母さん、ごめんなさい、お母さん、ありがとうと、素直に言えるようになってください。
初めは、それがささやかなものであっても、ああ私は間違ってきたなあ、お母さん、ごめんなさい、お母さん、ありがとうという思いが、段々とはっきりと感じてくるようになってきます。
もちろん、それはそんなに簡単にはいきません。
その思いを阻止する思いが、長い、長い転生を経て、それぞれの心の中に溜め込まれているからです。
そして、その阻止する思いとは、肉、形を本物とする思いなんです。我一番の思いです。我は神なりの思いです。
その肉、形を本物とする思い、我一番、我は神なりの思いを、私達は他力の心と言っています。
この他力の心が、私達の心の中にこびりついています。その心は、非常に根深いし、根強い思いなんです。
From the publisher's feed

0 Listeners