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「感想」
8月11日、俺はロッキンに向かう。千葉の蘇我市で繰り広げられる音楽と汗、そして混沌の祭典だ。だが、今年は特別だ。暑さが俺の喉を締め上げ、皮膚を焦がし、神経を暴走させる。まるで生と死の境界を歩くような、このクソみたいなフェスティバルに、俺は自らを投げ込もうとしている。それがどれだけ愚かで無謀かは、俺自身よくわかってる。だが、それでも俺は行く。だから、これが遺言になるかもしれないことを、頭に入れておいてくれ。
そんなことを考えながら、俺は毎日10キロの道のりを自転車で漕いでいる。電動なんてぬるいもんは使わない。あえて、この荒れた舗装道路をひたすら漕ぎ続ける。汗が目に染み、太ももが悲鳴を上げる。それでも漕ぎ続ける。この苦しみこそが、俺の心臓を燃え上がらせロッキンで死なないための暑さへの訓練となっている。
さて、俺が最近観た2つの作品について話そう。『インサイド・ヘッド2』と『地面師たち』だ。この2本の映画は、俺の心に深い爪痕を残した。だが、それは甘い夢のような爪痕じゃない。もっと、こう…鉄拳で顔を殴られたような、そんな感覚だ。
まず、『インサイド・ヘッド2』だ。ピクサーが作り上げたこの美しい世界の裏側には、血みどろの感情が渦巻いている。ライリーという少女の頭の中で繰り広げられる感情の戦争。俺は2015年に公開された『インサイド・ヘッド』を観たとき初めて映画館で泣いた。そう、あの時はまだ俺も無垢だった。だが、今回の続編は、その無垢をさらに深く抉り取るような作品だった。感情がぶつかり合い、ねじれ、そして壊れる。ピクサーの完璧なビジュアルの裏で、感情が腐り落ちていくのを見ているような気分だった。だが、現実の思春期ってのは、こんなに綺麗に描かれるもんじゃない。もっと汚いんだ。汗と血と涙でぐちゃぐちゃになって、それでも何とか立ち上がる。それが俺の知っている思春期だ。だから、この映画には、どこか空虚さを感じた。
次に、『地面師たち』だ。これが本当に痛快な作品だった。ファイトクラブみたいな暴力的な世界観とは違うが、その詐欺の手口は暴力と同じくらい荒々しい。地面師たちは、偽の書類と偽のアイデンティティを使って、土地を手に入れ、大手の不動産会社をだます。彼らの狡猾さ、冷酷さ、そして一切の躊躇を見せない手法には、言葉を失った。
ピエール瀧、北村一輝、豊川悦司、そして綾野剛。彼らは、この荒々しい世界を体現する役者たちだ。彼らの演技には、血の通ったリアリティがある。特に豊川悦司のキャラクターには、どこか壊れかけた狂気が漂っている。彼が演じる詐欺師は、一度笑顔を見せたかと思えば、次の瞬間には相手を地獄の底に突き落とす。それはまるで、ボクサーが相手をノックアウトする寸前のスリルだ。
しかし、このドラマにも問題がないわけじゃない。特に終盤の展開には、どこかご都合主義が見え隠れしていた。沖縄でのシーンでは、北村一輝のキャラクターが、なぜああなる前に止められなかったのか、全く理解できない。そして、最後の格闘シーン。まるでタランティーノが脚本を放り投げたような、無意味なねじれがそこにあった。
それでも、この作品には、現代社会の裏側に潜む腐敗と暴力が詰まっている。それを目の当たりにすることで、俺たちはどこか解放される。自分よりも強大な存在が打ち倒されるのを見て、俺たちは一時的にでも自由を感じるんだ。
さて、これが俺の最近の映画体験だ。だが、もしこれが俺の最後の配信になるなら、ここで一つだけ言っておこう。8月11日、ロッキンで俺は死ぬかもしれない。だが、もしも生きて戻ることができたら、俺たちはまた次の作品について語り合おう。だが、その時が来るかどうかは、誰にもわからない。
次に観るべき映画についても考えているが、今のところ『パウ・パトロール』がトップだ。だが、俺はこの作品を避ける。理由は簡単だ。夏休みの時期に、おじさんが一人で『パウ・パトロール』を観に行ったら、それは確実にヤバいことになる。だから、俺は『あのコはだぁれ?』を選ぶことにする。それが俺の生きる道だ。
でも、もし俺が8月11日に死ぬことになったら、この話もこれで終わりだ。次の配信があるかどうかは、俺の生き様次第ってところだな。
メッセージはこちら👇
https://forms.gle/zep21THm7PwYrKwN8
Twitter👇
https://twitter.com/koukan_dokusyo
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8月11日、俺はロッキンに向かう。千葉の蘇我市で繰り広げられる音楽と汗、そして混沌の祭典だ。だが、今年は特別だ。暑さが俺の喉を締め上げ、皮膚を焦がし、神経を暴走させる。まるで生と死の境界を歩くような、このクソみたいなフェスティバルに、俺は自らを投げ込もうとしている。それがどれだけ愚かで無謀かは、俺自身よくわかってる。だが、それでも俺は行く。だから、これが遺言になるかもしれないことを、頭に入れておいてくれ。
そんなことを考えながら、俺は毎日10キロの道のりを自転車で漕いでいる。電動なんてぬるいもんは使わない。あえて、この荒れた舗装道路をひたすら漕ぎ続ける。汗が目に染み、太ももが悲鳴を上げる。それでも漕ぎ続ける。この苦しみこそが、俺の心臓を燃え上がらせロッキンで死なないための暑さへの訓練となっている。
さて、俺が最近観た2つの作品について話そう。『インサイド・ヘッド2』と『地面師たち』だ。この2本の映画は、俺の心に深い爪痕を残した。だが、それは甘い夢のような爪痕じゃない。もっと、こう…鉄拳で顔を殴られたような、そんな感覚だ。
まず、『インサイド・ヘッド2』だ。ピクサーが作り上げたこの美しい世界の裏側には、血みどろの感情が渦巻いている。ライリーという少女の頭の中で繰り広げられる感情の戦争。俺は2015年に公開された『インサイド・ヘッド』を観たとき初めて映画館で泣いた。そう、あの時はまだ俺も無垢だった。だが、今回の続編は、その無垢をさらに深く抉り取るような作品だった。感情がぶつかり合い、ねじれ、そして壊れる。ピクサーの完璧なビジュアルの裏で、感情が腐り落ちていくのを見ているような気分だった。だが、現実の思春期ってのは、こんなに綺麗に描かれるもんじゃない。もっと汚いんだ。汗と血と涙でぐちゃぐちゃになって、それでも何とか立ち上がる。それが俺の知っている思春期だ。だから、この映画には、どこか空虚さを感じた。
次に、『地面師たち』だ。これが本当に痛快な作品だった。ファイトクラブみたいな暴力的な世界観とは違うが、その詐欺の手口は暴力と同じくらい荒々しい。地面師たちは、偽の書類と偽のアイデンティティを使って、土地を手に入れ、大手の不動産会社をだます。彼らの狡猾さ、冷酷さ、そして一切の躊躇を見せない手法には、言葉を失った。
ピエール瀧、北村一輝、豊川悦司、そして綾野剛。彼らは、この荒々しい世界を体現する役者たちだ。彼らの演技には、血の通ったリアリティがある。特に豊川悦司のキャラクターには、どこか壊れかけた狂気が漂っている。彼が演じる詐欺師は、一度笑顔を見せたかと思えば、次の瞬間には相手を地獄の底に突き落とす。それはまるで、ボクサーが相手をノックアウトする寸前のスリルだ。
しかし、このドラマにも問題がないわけじゃない。特に終盤の展開には、どこかご都合主義が見え隠れしていた。沖縄でのシーンでは、北村一輝のキャラクターが、なぜああなる前に止められなかったのか、全く理解できない。そして、最後の格闘シーン。まるでタランティーノが脚本を放り投げたような、無意味なねじれがそこにあった。
それでも、この作品には、現代社会の裏側に潜む腐敗と暴力が詰まっている。それを目の当たりにすることで、俺たちはどこか解放される。自分よりも強大な存在が打ち倒されるのを見て、俺たちは一時的にでも自由を感じるんだ。
さて、これが俺の最近の映画体験だ。だが、もしこれが俺の最後の配信になるなら、ここで一つだけ言っておこう。8月11日、ロッキンで俺は死ぬかもしれない。だが、もしも生きて戻ることができたら、俺たちはまた次の作品について語り合おう。だが、その時が来るかどうかは、誰にもわからない。
次に観るべき映画についても考えているが、今のところ『パウ・パトロール』がトップだ。だが、俺はこの作品を避ける。理由は簡単だ。夏休みの時期に、おじさんが一人で『パウ・パトロール』を観に行ったら、それは確実にヤバいことになる。だから、俺は『あのコはだぁれ?』を選ぶことにする。それが俺の生きる道だ。
でも、もし俺が8月11日に死ぬことになったら、この話もこれで終わりだ。次の配信があるかどうかは、俺の生き様次第ってところだな。
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