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マラソン30km地点で浮かんだ言葉は「根性」でした。でも、家族はスマホで“僕という点”を見ていた。
応援ナビは、苦悶の表情ではなく「進行」を可視化する。それは、痛みを消費するテレビ型応援とは違う、新しい優しさかもしれない。
マラソンを通して考える、
テクノロジーと応援の現在地。
江戸の飛脚と、元自衛官芸人・やす子。
一見つながらない二つの存在の「あいだ」には、日本人の身体を大きく書き換えた“あるアップデート”が隠れていました。
ナンバ走り、玄米エンジン、兵式体操、そして駅伝。
明治維新は、日本人の身体OSを書き換えたのか?
生活に入り込んだデジタルを、今回は“身体”から考えます。
最新のテクノロジーで武装しながら、
なぜ僕らはわざわざ山へ「苦しみ」に行くのか。
2017年、ナイキの「Breaking2」以降、
カーボンプレートシューズはランニングの常識を変えました。
靴はもはや“守るもの”ではなく、“推進装置”になった。
一方で、日本には千年以上前から、
山を走り、歩き続ける修験道という文化があります。
千日回峰行、擬死再生、そして「向こう側」へ行く身体。
2026年の僕らは、
スマートウォッチとAIコーチを身につけながら、
その山へ向かっています。
テクノロジーが進化するほど、
逆に浮かび上がる「生身の体」の価値。
お坊さんと、カーボンプレートのあいだ。
その“あいだ”にある、汗と泥の感覚について話しました。
走ることは、いつから「記録」になり、いつから「データ」になったのか。
スマートウォッチで心拍や距離を当たり前のように確認しながら走る、現代のランニング。
その一方で、日本のマラソンの原点には、根性と感覚だけを頼りに走っていた時代がありました。
今回のエピソードでは、日本マラソンの父と呼ばれる 金栗四三の時代から、市民ランナーが都市を駆け抜ける 東京マラソンまでを行き来しながら、「走る文化」と「テクノロジー」の変化をたどります。
水を飲むなと言われていた時代。
時計すら頼れなかった時代。
そして、腕の上の小さな画面が体調を教えてくれる今。
マラソンは、競技からエンタメへ。
根性論から、科学とのダイアログへ。
北九州マラソンを目前に控えた視点も交えながら、走り続けることの意味と、その“あいだ”にあるものを静かに考える回です。
【TRIP OFF】
Spotify
https://open.spotify.com/show/385FiVkTnYUGA2Zyj3HxzX
Amazon Music
https://music.amazon.co.jp/podcasts/45f79d0a-e215-4326-8ae9-b808f8c6d860/trip-off
Apple Podcasts
https://podcasts.apple.com/us/podcast/trip-off/id1873235815
【番組を移行します】
今回のエピソードをもって、
この番組での配信はひと区切りとなります。
今後は、TRIP OFF という名前で別の場所へ移行しながら、
これまでと同じように話していく予定です。
この番組は、当初「0と1のあいだに」として始めたもので、
試行錯誤の連続ではありましたが、
その過程も含めて、このまま残しておこうと思います。
これまで聴いてくださった皆さま、
拙いお話ではありましたが、本当にありがとうございました。
新しい場所については、あらためてお知らせします。
ワーナーの買収ニュース、
インスタ有料化の噂。
プラットフォームは、
いつの間にか「居場所」から「ビジネス」に変わっていく。
気づけばSNSは、
承認やつながりを預ける
精神的シェルターみたいな存在になっていた。
でも、そのシェルターは
本当に守ってくれるのか。
ある日、料金表が貼られたらどうなるのか。
今回のエピソードでは、「心の置き場所」をどこに持つかを考えます。
AIが共通テストで満点を取る、そんなニュースから。
じゃあ人間は、何を考えて生きていくんだろう。
生成AIを毎日使う立場だからこそ感じる、
「できることが増えた時代」の、ちょっとした違和感。
学歴やスキルよりも、
何をつくりたいか、どう人と関わるか。
そして、自分の中にある歪んだ視点とどう付き合うか。
便利さに流されすぎず、
それでも技術はちゃんと楽しみたい。
そんな生活者・フリーランスとしての、今の考えを話しました。
走ってるだけなのに、
なぜか理由を聞かれることがあります。
「なんで走ってるの?」
「大会に出るの?」
「何を目指してるの?」
ただ体を動かしたいだけでも、
少し説明が必要になる空気がある。
飲み会や夜更かしは特に説明はいらないのに、
早起きして走ることだけ、
なぜか“目的”を求められる不思議。
走ることが特別な行為になる場所で、
日常と健康、そして“普通”の境目について考えてみました。
今のやる気を、
気合いや根性で保とうとすると、
だいたい長続きしません。
ふと想像するのは、
もしこのまま年を重ねたら、
どんな日常を送っていたいか、ということ。
走っている自分、
働いている自分、
人と関わっている自分。
遠い未来の姿から逆算すると、
今日やることが、少しだけ具体になります。
今回は、
老後のイメージを起点にした
モチベーションの考え方について話しました。
共感してほしい気持ちはある。
話を聞いてほしい夜もある。
でも、いざ決める瞬間になると、
なぜか誰にも相談しなくなる。
正解を探しているわけでも、
背中を押してほしいわけでもなくて、
ただ、自分の中で静かに腹をくくる時間。
今回は、
ひとりで決めることの居心地について話しました。
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