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「アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方」を観て
月曜の午後、いつものように静かな部屋にいる。金曜日からずっと誰とも口をきかず、日曜に至っては一歩も外に出ないまま、ただ時間を消費していた。休暇中だからといって、やることが全くないわけではない。次の職場で必要なスキルを身につけるべく勉強をしている。だが、追い立てられるような受験勉強の切迫感ではないので、適度な暇も残っている。その暇を潰すように、私は「アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方」を観た。
「映画の概要」
この映画は、ドナルド・トランプという人物がいかにしてのし上がり、アメリカの頂点に立ったかを描く実録映画だ。「アプレンティス」の副題にある通り、トランプの成功は彼の師匠的存在である弁護士、ロイ・コーンの影響が大きい。ロイ・コーン。悪徳弁護士として知られ、数々の策略で相手を叩き潰し、自らの利益を追求してきた男だ。ゲイ差別をしながらも、自らもゲイであるという矛盾を抱え、その生涯はまさに欲望と破滅の象徴と言えよう。トランプは、そんなロイ・コーンから「勝利するための3つのルール」を教えられる。それは、以下のようなものだ。
・攻撃、攻撃、攻撃
・非を認めるな
・勝利を主張し続けろ
この映画を観た後、私は何とも言えない感情を抱えていた。怒り、呆れ、そして一種の畏怖。それらが混じり合った曖昧な感覚が、私の胸の中でくすぶり続けている。
「トランプの“作られ方”」
映画の中で描かれるトランプの成り上がりの過程は、決して偶然ではない。彼はロイ・コーンの教えを忠実に実行し、時に大胆に、時に冷酷に、自らの欲望を叶えていった。そして、その過程で多くの人々を切り捨て、多くの敵を作ってきた。
特に印象的だったのは、ロイ・コーンが「絶対に非を認めるな」と教えるシーンだ。この言葉を聞いて、私はふと自分の行動を思い返した。例えば、前回の配信で「アプレンティス」を「アトランティス」と言い間違えたのではないかと指摘された件。正直に言えば、記憶は曖昧だ。だが、ロイ・コーンの言葉を借りれば、非を認める必要などない。「そんなことは言っていない」と主張し続けるべきなのだ。もちろん、これは冗談だ。しかし、トランプは実際にこれを実行し、そのスタイルで成功を掴んできた。
「資本主義とトランプ」
映画を通して感じたのは、トランプの成功は資本主義社会が生んだ一つの矛盾そのものだということだ。資本主義は、人々が豊かになるためのシステムとして生まれたはずだ。しかし、その裏側では、多くの敗者が不幸に陥れられている。トランプの物語は、その矛盾を象徴している。
そして、トランプが登場するまでの背景には、彼を生み出す素地が確かに存在した。例えば、日本の政治を考えてみても、トランプ的な人物が現れても不思議ではない。民意を利用し、自らの利益を追求する人間たち。そんな人間に投票する人々の気持ちも、完全には否定できない。現状への不満が、そのような人物への支持を生むからだ。
「映像の魅力」
映画は、時代ごとに映像の質感を変えている。70年代のシーンはアメリカン・ニューシネマを彷彿とさせる粒子感があり、80年代以降はVHS特有の荒い映像が使われている。その工夫が物語に深みを与えている。さらに、俳優陣の演技も素晴らしい。トランプを演じたセバスチャン・スタンは、トランプそのものになりきっていたし、ロイ・コーン役のジェレミー・ストロングもまた圧巻の演技だった。この映画がアカデミー賞に絡んでもおかしくないだろう。
「見えてくる未来」
映画の終盤、ロイ・コーンが破滅へと向かう姿が描かれる。欲望に突き動かされ、自らを滅ぼしていくその様子は、どこかトランプの未来を暗示しているようにも思える。今やトランプはテック界の巨人たち――イーロン・マスクやジェフ・ベゾス、マーク・ザッカーバーグといった面々――と絡み合っている。しかし、彼らもまた、いつか足を引っ張り合い、破滅していくのではないか。
78歳という年齢に達しながらも、なお権力にしがみつくトランプ。その姿は滑稽であり、同時に恐ろしい。彼の行動は、豊臣秀吉が高齢になってから行った朝鮮出兵を彷彿とさせる。秀吉が高齢で頭が狂ったから起こしたという説を耳にしたこともあるが、実際にはそう単純な話ではないのだろうが、計画そのものが現実離れしていたのは否定できない。国力を無視した無謀な遠征は、最終的に多くの犠牲を生み出し、豊臣政権の弱体化を招いた。欲望と権力への執着、それが破滅へ向かう導線となる姿が、どこか秀吉の晩年の姿と重なって見えるのだ。しかし、秀吉ほど偉大だったかというと確実にそうでないと言えることは付け加えておきたい。
「終わりに」
私はこの映画を観て、ただ「面白かった」とは言えない。確かに、テンポの良さや映像美、俳優陣の見事な演技には感嘆した。しかし、それ以上に、この映画は私に多くのことを考えさせた。資本主義の矛盾、民主主義の危うさ、そして人間の欲望と破滅。そのすべてが、この映画の中に詰まっていた。
静かな部屋で、この感想をまとめている今も、映画の余韻は私の中で渦を巻いている。外には雨が降り始めたらしい。窓を開けると冷たい空気が部屋に流れ込み、私の考えを少しだけ洗い流してくれるような気がした。
「アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方」を観て
月曜の午後、いつものように静かな部屋にいる。金曜日からずっと誰とも口をきかず、日曜に至っては一歩も外に出ないまま、ただ時間を消費していた。休暇中だからといって、やることが全くないわけではない。次の職場で必要なスキルを身につけるべく勉強をしている。だが、追い立てられるような受験勉強の切迫感ではないので、適度な暇も残っている。その暇を潰すように、私は「アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方」を観た。
「映画の概要」
この映画は、ドナルド・トランプという人物がいかにしてのし上がり、アメリカの頂点に立ったかを描く実録映画だ。「アプレンティス」の副題にある通り、トランプの成功は彼の師匠的存在である弁護士、ロイ・コーンの影響が大きい。ロイ・コーン。悪徳弁護士として知られ、数々の策略で相手を叩き潰し、自らの利益を追求してきた男だ。ゲイ差別をしながらも、自らもゲイであるという矛盾を抱え、その生涯はまさに欲望と破滅の象徴と言えよう。トランプは、そんなロイ・コーンから「勝利するための3つのルール」を教えられる。それは、以下のようなものだ。
・攻撃、攻撃、攻撃
・非を認めるな
・勝利を主張し続けろ
この映画を観た後、私は何とも言えない感情を抱えていた。怒り、呆れ、そして一種の畏怖。それらが混じり合った曖昧な感覚が、私の胸の中でくすぶり続けている。
「トランプの“作られ方”」
映画の中で描かれるトランプの成り上がりの過程は、決して偶然ではない。彼はロイ・コーンの教えを忠実に実行し、時に大胆に、時に冷酷に、自らの欲望を叶えていった。そして、その過程で多くの人々を切り捨て、多くの敵を作ってきた。
特に印象的だったのは、ロイ・コーンが「絶対に非を認めるな」と教えるシーンだ。この言葉を聞いて、私はふと自分の行動を思い返した。例えば、前回の配信で「アプレンティス」を「アトランティス」と言い間違えたのではないかと指摘された件。正直に言えば、記憶は曖昧だ。だが、ロイ・コーンの言葉を借りれば、非を認める必要などない。「そんなことは言っていない」と主張し続けるべきなのだ。もちろん、これは冗談だ。しかし、トランプは実際にこれを実行し、そのスタイルで成功を掴んできた。
「資本主義とトランプ」
映画を通して感じたのは、トランプの成功は資本主義社会が生んだ一つの矛盾そのものだということだ。資本主義は、人々が豊かになるためのシステムとして生まれたはずだ。しかし、その裏側では、多くの敗者が不幸に陥れられている。トランプの物語は、その矛盾を象徴している。
そして、トランプが登場するまでの背景には、彼を生み出す素地が確かに存在した。例えば、日本の政治を考えてみても、トランプ的な人物が現れても不思議ではない。民意を利用し、自らの利益を追求する人間たち。そんな人間に投票する人々の気持ちも、完全には否定できない。現状への不満が、そのような人物への支持を生むからだ。
「映像の魅力」
映画は、時代ごとに映像の質感を変えている。70年代のシーンはアメリカン・ニューシネマを彷彿とさせる粒子感があり、80年代以降はVHS特有の荒い映像が使われている。その工夫が物語に深みを与えている。さらに、俳優陣の演技も素晴らしい。トランプを演じたセバスチャン・スタンは、トランプそのものになりきっていたし、ロイ・コーン役のジェレミー・ストロングもまた圧巻の演技だった。この映画がアカデミー賞に絡んでもおかしくないだろう。
「見えてくる未来」
映画の終盤、ロイ・コーンが破滅へと向かう姿が描かれる。欲望に突き動かされ、自らを滅ぼしていくその様子は、どこかトランプの未来を暗示しているようにも思える。今やトランプはテック界の巨人たち――イーロン・マスクやジェフ・ベゾス、マーク・ザッカーバーグといった面々――と絡み合っている。しかし、彼らもまた、いつか足を引っ張り合い、破滅していくのではないか。
78歳という年齢に達しながらも、なお権力にしがみつくトランプ。その姿は滑稽であり、同時に恐ろしい。彼の行動は、豊臣秀吉が高齢になってから行った朝鮮出兵を彷彿とさせる。秀吉が高齢で頭が狂ったから起こしたという説を耳にしたこともあるが、実際にはそう単純な話ではないのだろうが、計画そのものが現実離れしていたのは否定できない。国力を無視した無謀な遠征は、最終的に多くの犠牲を生み出し、豊臣政権の弱体化を招いた。欲望と権力への執着、それが破滅へ向かう導線となる姿が、どこか秀吉の晩年の姿と重なって見えるのだ。しかし、秀吉ほど偉大だったかというと確実にそうでないと言えることは付け加えておきたい。
「終わりに」
私はこの映画を観て、ただ「面白かった」とは言えない。確かに、テンポの良さや映像美、俳優陣の見事な演技には感嘆した。しかし、それ以上に、この映画は私に多くのことを考えさせた。資本主義の矛盾、民主主義の危うさ、そして人間の欲望と破滅。そのすべてが、この映画の中に詰まっていた。
静かな部屋で、この感想をまとめている今も、映画の余韻は私の中で渦を巻いている。外には雨が降り始めたらしい。窓を開けると冷たい空気が部屋に流れ込み、私の考えを少しだけ洗い流してくれるような気がした。
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