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「感想」
映画の話をしよう。今回取り上げるのは『アノーラ』。
ただ、その前に……少し寄り道をさせてほしい。なぜなら、この映画を語る前に訪れたあるイベントが、印象深かったからだ。
水道橋博士と「三又又三の日」
普段は毎週月曜日にこの配信をしているのだけれど、その日は3月3日。「三又又三の日」というイベントがあり、そちらに足を運ぶことにした。
水道橋博士の配信はそれなりに購入しているのだが、今回は特に気になるイベントだった。浅草・東洋館フランス座。ここはビートたけしが下積み時代を過ごした聖地であり、Netflixの『浅草キッド』でもロケ地になった場所だ。そんな特別な場所で行われるイベントと聞けば、足を運ばずにはいられない。
この日の座組は水道橋博士、三又又三、そして大久保佳代子。芸人三者三様の空気が絡み合う、なんとも味わい深いイベントだった。
三又又三は、お笑い好きなら一度は耳にしたことがあるだろうが、クズエピソードに事欠かない芸人としても知られる。とあるバラエティ番組ではある芸人が彼を徹底的にイジり倒し、三又は「やられ役」として成立していた。そのキャラクターは好き嫌いが分かれるところだが、一定層の熱心なファンがいることは間違いない。
そんな三又をメインに据えたイベントが「三又又三の日」だ。イベントに行くと決めた理由は、もともと水道橋博士の配信で三又のエピソードが語られていたことにある。博士と三又の関係は深く、彼の持つエピソードをもっと聞きたいと思っていたところだった。さらに、チケットが余っていると聞いたことも後押しになり、これはチャンスだと参加を決意した。
イベントは予想以上に面白かった。
特に印象に残ったのは、水道橋博士が延々と喋り続けた後、三又又三が「博士、長いよ。これは俺のイベントだよ!」とツッコミを入れた瞬間だった。会場の空気を読んで、絶妙なタイミングでツッコミを入れられるのは、やはり芸人ならではの技術だ。博士の話が長くなりがちな配信を見ている身としては、「こういう人がいるとバランスが取れるんだよな」と、しみじみ思った。
また、大久保さんがいたことでイベントの雰囲気が柔らかくなったのもよかった。三又と博士だけだと、どうしても内輪ノリが強くなりすぎるところがある。しかし、大久保さんがそこに適度な距離感を持って加わることで、全体のバランスがうまく取れていた。
惜しかったのは、三又又三が用意していたエピソードの一部が、時間の関係で披露されなかったことだ。テレビのバラエティ番組のように、エピソードを一覧で用意して、観客や大久保さんのリクエストに応じて話すスタイルにしてくれれば、より面白かったのではと思う。
『アノーラ』について
映画『アノーラ』は、アカデミー賞とパルムドールを獲得した話題作。公開初日の2月28日に観に行った。
物語は、ニューヨークのストリップダンサー、アノーラが、ロシアの金持ちの息子イワンと出会うところから始まる。イワンは、1万5000ドルでアノーラを「専属の彼女」として契約する。要するに、長期契約の売春のようなものだ。
金に任せて遊び放題のイワン。そんな彼に翻弄されながら、アノーラはラスベガスで突如プロポーズされ、ノリで結婚してしまう。だが、当然ながらそんな事態をイワンの両親が許すはずもなく、二人の結婚は大問題となる。
ここから物語はロードムービーの様相を呈していく。イワンの両親が送り込んだ「三バカトリオ」がイワンを連れ戻すべく動き出し、彼女を巡る騒動が繰り広げられる。
映画の評価
映画全体としては、なかなか面白い作品だったが、中盤のグダグダした展開が少々気になった。特に「三バカトリオ」の存在は、笑いを生む要素ではあったものの、不要に思える場面も多かった。
しかし、ラストのシーンが素晴らしかった。
イワンの両親に虐げられながらも、唯一アノーラを「人間」として扱ってくれたのが、ロシア人のイゴールというキャラクターだ。彼は金持ちに土地を奪われ、仕方なく彼らの言いなりになっている男だった(うろ覚えの記憶なので正確には違うかもしれない)。三バカトリオの中でも、一歩引いた位置で状況を見つめている彼の存在は、映画に深みを与えていた。
そして、衝撃的だったのが、終盤のセックスシーンだ。アノーラはイゴールを襲うのだが、その最中にキスをしようとした瞬間、彼女は泣き崩れる。彼女が流した涙の意味とは何だったのか?
おそらく、それは彼女の無力感ゆえの涙だったのではないか。
「私は結局、これしか与えるものがないのか」
アノーラは、愛のない契約関係の中で翻弄され続けてきた。そして、唯一優しく接してくれたイゴールに対しても、同じような関係でしか向き合えなかった自分への絶望があったのではないか。あるいは、彼女の人生が常に金によって左右されてきたことへの悲しみかもしれない。
観終わった後、この涙の意味について考え続けてしまった。これは、誰かと語りたくなる映画だ。
まとめ
「三又又三の日」と『アノーラ』。まったく関係のない二つの出来事だが、どちらにも共通していたのは、「語りたくなる」という点だった。
イベントでは三又又三のツッコミが冴え、映画ではアノーラの涙が心に残った。それらはどちらも、話の流れを決定づける「瞬間」だった。
そして、そうした「瞬間」によって作品の印象が変わるのは、映画も芸人のトークも同じなのかもしれない。
「感想」
映画の話をしよう。今回取り上げるのは『アノーラ』。
ただ、その前に……少し寄り道をさせてほしい。なぜなら、この映画を語る前に訪れたあるイベントが、印象深かったからだ。
水道橋博士と「三又又三の日」
普段は毎週月曜日にこの配信をしているのだけれど、その日は3月3日。「三又又三の日」というイベントがあり、そちらに足を運ぶことにした。
水道橋博士の配信はそれなりに購入しているのだが、今回は特に気になるイベントだった。浅草・東洋館フランス座。ここはビートたけしが下積み時代を過ごした聖地であり、Netflixの『浅草キッド』でもロケ地になった場所だ。そんな特別な場所で行われるイベントと聞けば、足を運ばずにはいられない。
この日の座組は水道橋博士、三又又三、そして大久保佳代子。芸人三者三様の空気が絡み合う、なんとも味わい深いイベントだった。
三又又三は、お笑い好きなら一度は耳にしたことがあるだろうが、クズエピソードに事欠かない芸人としても知られる。とあるバラエティ番組ではある芸人が彼を徹底的にイジり倒し、三又は「やられ役」として成立していた。そのキャラクターは好き嫌いが分かれるところだが、一定層の熱心なファンがいることは間違いない。
そんな三又をメインに据えたイベントが「三又又三の日」だ。イベントに行くと決めた理由は、もともと水道橋博士の配信で三又のエピソードが語られていたことにある。博士と三又の関係は深く、彼の持つエピソードをもっと聞きたいと思っていたところだった。さらに、チケットが余っていると聞いたことも後押しになり、これはチャンスだと参加を決意した。
イベントは予想以上に面白かった。
特に印象に残ったのは、水道橋博士が延々と喋り続けた後、三又又三が「博士、長いよ。これは俺のイベントだよ!」とツッコミを入れた瞬間だった。会場の空気を読んで、絶妙なタイミングでツッコミを入れられるのは、やはり芸人ならではの技術だ。博士の話が長くなりがちな配信を見ている身としては、「こういう人がいるとバランスが取れるんだよな」と、しみじみ思った。
また、大久保さんがいたことでイベントの雰囲気が柔らかくなったのもよかった。三又と博士だけだと、どうしても内輪ノリが強くなりすぎるところがある。しかし、大久保さんがそこに適度な距離感を持って加わることで、全体のバランスがうまく取れていた。
惜しかったのは、三又又三が用意していたエピソードの一部が、時間の関係で披露されなかったことだ。テレビのバラエティ番組のように、エピソードを一覧で用意して、観客や大久保さんのリクエストに応じて話すスタイルにしてくれれば、より面白かったのではと思う。
『アノーラ』について
映画『アノーラ』は、アカデミー賞とパルムドールを獲得した話題作。公開初日の2月28日に観に行った。
物語は、ニューヨークのストリップダンサー、アノーラが、ロシアの金持ちの息子イワンと出会うところから始まる。イワンは、1万5000ドルでアノーラを「専属の彼女」として契約する。要するに、長期契約の売春のようなものだ。
金に任せて遊び放題のイワン。そんな彼に翻弄されながら、アノーラはラスベガスで突如プロポーズされ、ノリで結婚してしまう。だが、当然ながらそんな事態をイワンの両親が許すはずもなく、二人の結婚は大問題となる。
ここから物語はロードムービーの様相を呈していく。イワンの両親が送り込んだ「三バカトリオ」がイワンを連れ戻すべく動き出し、彼女を巡る騒動が繰り広げられる。
映画の評価
映画全体としては、なかなか面白い作品だったが、中盤のグダグダした展開が少々気になった。特に「三バカトリオ」の存在は、笑いを生む要素ではあったものの、不要に思える場面も多かった。
しかし、ラストのシーンが素晴らしかった。
イワンの両親に虐げられながらも、唯一アノーラを「人間」として扱ってくれたのが、ロシア人のイゴールというキャラクターだ。彼は金持ちに土地を奪われ、仕方なく彼らの言いなりになっている男だった(うろ覚えの記憶なので正確には違うかもしれない)。三バカトリオの中でも、一歩引いた位置で状況を見つめている彼の存在は、映画に深みを与えていた。
そして、衝撃的だったのが、終盤のセックスシーンだ。アノーラはイゴールを襲うのだが、その最中にキスをしようとした瞬間、彼女は泣き崩れる。彼女が流した涙の意味とは何だったのか?
おそらく、それは彼女の無力感ゆえの涙だったのではないか。
「私は結局、これしか与えるものがないのか」
アノーラは、愛のない契約関係の中で翻弄され続けてきた。そして、唯一優しく接してくれたイゴールに対しても、同じような関係でしか向き合えなかった自分への絶望があったのではないか。あるいは、彼女の人生が常に金によって左右されてきたことへの悲しみかもしれない。
観終わった後、この涙の意味について考え続けてしまった。これは、誰かと語りたくなる映画だ。
まとめ
「三又又三の日」と『アノーラ』。まったく関係のない二つの出来事だが、どちらにも共通していたのは、「語りたくなる」という点だった。
イベントでは三又又三のツッコミが冴え、映画ではアノーラの涙が心に残った。それらはどちらも、話の流れを決定づける「瞬間」だった。
そして、そうした「瞬間」によって作品の印象が変わるのは、映画も芸人のトークも同じなのかもしれない。
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