本日のテーマ:「イングランド王国の誕生とノルマン・コンクエスト」
今回は、イングランド王国の起源となる「ノルマン・コンクエスト」を解説。ヴァイキングの襲撃から始まり、フランス国内に生まれた「ノルマンディー公国」がいかにして海を渡り、複雑怪奇な「二重構造」を生み出したのか?百年戦争へと繋がる壮大な歴史の幕開けです。
👇今回の見出し👇
ノルマンコンクエスト/イングランド王国の誕生/百年戦争のルーツ/ヴァイキング/略奪と襲撃/シャルル3世/単純王/毒を以て毒を制す/ノルマンディー地方/ノルマンディー公ウィリアム/ウィリアム1世/ノルマン朝/ドーバー海峡/フランスの臣下/王であり家来/プランタジネット朝/フランス貴族の血統/領地拡大/政略結婚/ねじれ現象
👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇
① ヴァイキング対策が生んだ「ノルマンディー公国」
当時のフランスは、北から襲来するヴァイキングの略奪に苦しめられていました。そこでフランス王シャルル3世(単純王)は、あるヴァイキングの一団に土地を与え、定住させる代わりに他のヴァイキングを防ぐ防波堤とする条約を結びます。これがフランス北部に位置する「ノルマンディー(北の人々の土地)」の始まりです。
② ノルマン・コンクエストと「二重の身分」
ノルマンディー定住から数世代後、公爵ウィリアムは海を渡りイングランドを征服(ノルマン・コンクエスト)。ウィリアム1世としてイングランド王に即位します。しかし、彼はフランス国内ではあくまで「フランス王の家来(ノルマンディー公)」のまま。これにより「一国の王でありながら、隣国の王の家来でもある」という非常に歪な関係が成立しました。
③ プランタジネット朝による領土の肥大化
その後、イングランドではフランス貴族の血を引くプランタジネット朝が成立します。相続や政略結婚を繰り返した結果、イングランド王はイギリスだけでなく、フランス国内にも王家を凌ぐほどの広大な領地を持つことになります。この「フランス王より力のある家来」という矛盾した状況が、後の百年戦争の火種となっていきます。
■ 関連年表
911年: サン=クレール=シュール=エプト条約(ノルマンディー公国の起源)
1066年: ヘイスティングズの戦い(ウィリアム1世によるイングランド征服)
1154年: ヘンリー2世即位(プランタジネット朝の成立)
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