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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。2024年からUdemy講師。公式サイト:れきぞう(歴蔵)https://www.sowhatzone.com/notehttps://note.com/simpleple/Xhttps://x.com/chrono_historyUdemyhttps://www.udemy.com/user/song-yuan... more
FAQs about 5分 de ヒストリー ~歴史・世界史・日本史・学び直し/クロノ:How many episodes does 5分 de ヒストリー ~歴史・世界史・日本史・学び直し/クロノ have?The podcast currently has 169 episodes available.
September 07, 2025#127【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展29:宋(北宋)その2教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第113回目は東アジア文化圏の形成と発展「宋(北宋)その2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文11世紀後半、宋は深刻な財政難となったため皇帝の神宗は王安石を登用する。彼は新法とよばれる均輸法、市易法、青苗法など一連の改革を行う。中小商人や農民を救済しながら富国強兵に努めようとした。しかし、これらの改革は豪商や大地主の利益を損なうものでもあった。官僚は豪商や大地主出身が多く、司馬光を中心に反対派(旧法党)を形成。改革派の新法党と対立したため政治は混乱した。...more6minPlay
September 04, 2025#126【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展28:宋(北宋)教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第112回目は東アジア文化圏の形成と発展「宋(北宋)」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文960年に後周の武将、趙 匡胤(太祖)が開封(かいほう)を都に宋を建てた。彼は藩鎮を解体し皇帝直属の親衛軍を強化する。武断政治ではなく文治(ぶんち)主義に基づく皇帝独裁体制を強化。科挙の最終試験に皇帝が実施する殿試を創設して官僚制を整備した。キタイ(契丹)と結んだ「せんえんの盟」に代表されるように、軍事力の低下した宋は周辺の異民族王朝と和議を結び、毎年多額の銀や絹などを贈り平和を維持した。...more6minPlay
September 02, 2025#125【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展27:五代十国時代教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第111回目は東アジア文化圏の形成と発展「五代十国時代」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文907年の唐滅亡から960年の北宋成立までの間を五代十国時代と言う。節度使の朱全忠が建てた後梁に始まり後唐・後晋・後漢・後周と華北に5つの短命な王朝が相次いで成立した。その周辺で10の大小様々な地方政権が興亡した。5つのうちの3つ目である後晋は、建国するさいにキタイ(契丹)の援助を受けた。キタイは10世紀初めに耶律阿保機(やりつあぼき)がモンゴル高原東部を中心に建てた強力な国家であり華北の政変に介入して、援助の見返りとして後晋から燕雲十六州を獲得した。この時代、貴族層は没落し形勢戸とよばれる新興地主や大商人が台頭してきた。...more6minPlay
August 28, 2025#123【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展26:唐その5教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第110回目は東アジア文化圏の形成と発展「唐その5」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文楊貴妃のいとこの楊国忠が宰相になると、節度使の安禄山と史思明を中心に安史の乱が起きる。唐は洛陽と長安を奪われ危機に陥るが、ウイグルの支援で反乱は鎮圧された。弱体化が露呈した唐は、ウイグルとチベットに中央アジアを奪われるなどして領域が縮小する。さらに内地に置かれた節度使が自立し、地方の財政・民政も掌握する藩鎮になった。9世紀後半には農民反乱である黄巣の乱が起こり、唐の衰退は決定的となる。907年、反乱鎮圧に活躍した節度使の朱全忠により、唐は滅ぼされた。...more6minPlay
August 26, 2025#122【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展25:唐その4教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第109回目は東アジア文化圏の形成と発展「唐その4」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文3代の高宗の死後、皇后の則天武后が周を建てる。後に唐が復活し、玄宗は善政に努め「開元の治」と呼ばれた。しかし、農民の逃亡や皇后の逝去が重なり、治世の後半は楊貴妃に溺れ政治をかえりみなくなった。彼女の一族が役人に登用され政治権力を握るようになる。軍事制度が府兵制から募兵制に変わり、国境地帯では警備の兵として異民族が雇われるようになり、指揮官として節度使が置かれた。中でも安禄山は複数の節度使を兼ね、山東半島から洛陽に至る大領域を勢力圏にした。...more6minPlay
August 24, 2025#121【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展24:唐その3教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第108回目は東アジア文化圏の形成と発展「唐その3」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文武力を背景とする土地の公有化が強大な権力を生み出した。戸籍をもとに民衆に土地を支給する均田制は皇帝の権力を強めたが、租税・労役・兵役が課される民衆にとっては過酷な制度だった。重税と徴兵から農民が逃亡し、均田制と府兵制が崩れ、荘園が拡大し、傭兵を採用する募兵制に変わる。その後、税制は租庸調制から両税法に切り替わり、王朝による土地管理と貴族の大土地所有の制限を目指す方針は放棄された。...more6minPlay
August 21, 2025#120【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展23:唐その2教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第107回目は東アジア文化圏の形成と発展「唐その2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文太宗(李世民)は、東突厥を従え、チベット(吐蕃)のソンツェン=ガンポと和親して中央ユーラシアへも勢力を伸ばした。3代の高宗の時代には西突厥も服属させ、西域のオアシス諸都市にも進出。朝鮮半島にも勢力圏をひろげたので、唐は一時期、東アジア・中央ユーラシアにまたがる世界帝国となった。征服地には6つの都護府が置かれ、諸民族の自治を認める間接統治がとられた。これを羈縻政策(きびせいさく)という。...more6minPlay
August 19, 2025#119【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展22:唐教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第107回目は東アジア文化圏の形成と発展「唐」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文618年、煬帝暗殺の知らせを聞き、李淵(高祖)が長安を都に唐を建てる。この時点では、まだ中国全土を支配しておらず、子の李世民(太宗)の代で再統一する。彼の治世は「貞観の治」と呼ばれ最高の名君と称賛された。唐の支配体制は、隋を反面教師としているのが特徴だ。独裁ではなく集団指導体制を採用。中央に中書省・門下省・尚書省(しょうしょしょう)の三省、尚書省に属す六部、観察機関の御史台が置かれた。官僚の採用法については、隋にひき続き科挙を用いている。...more6minPlay
August 18, 2025#118【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展21:隋その2教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第106回目は東アジア文化圏の形成と発展「隋その2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文第2代の煬帝は中国の華北と江南をつなぐ交通、輸送の幹線として大運河を完成させる。温暖な地域で開発が進む江南の経済力や文化力を、首都長安をはじめ華北に取り込む。親子2代にわたる悲願が達成されたが、建設には多数のマンパワーが必要とされ、その負担に苦しむ人民の不満が、隋短命の一因となった。3回に及ぶ高句麗への遠征失敗をきっかけに、各地で農民や豪族の反乱が起こる。煬帝は都を脱出して揚州に逃れる。しかし親衛隊の隊長に殺害され隋は滅亡した。...more6minPlay
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