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《真珠の耳飾りの少女》を見るために、わずか1か月余りで約31万人が来場。なぜ日本人は、これほどまでにフェルメールに惹かれるのでしょうか。現存する作品はわずか37点ほどとされ、その少なさゆえに希少価値は高く、真贋をめぐる議論や謎も絶えません。 牛乳を注ぐ女性、手紙を読む人、こちらを振り返る少女、何気ない日常を描いた親しみやすさと、その背後に残る謎が、フェルメールを特別な存在にしているのかもしれません。今回から始まるフェルメール編では、まずその人気と希少性を入り口に、「なぜ私たちはフェルメールを見たくなるのか」を探っていきます。
参考図書:
ルース・アサワ 触れるものすべて
マリリン・チェイス (著), 石井ひろみ (翻訳)
ワイヤー彫刻で評価を得たルース・アサワは、やがて商業ギャラリーの世界から距離を取り、地域に根ざした工芸家・教育者としての道を歩み始めます。子どもたちとアートをつくる活動や公共芸術に力を注ぐ中で、その表現も抽象的な針金彫刻から、人魚や動物など誰にでも伝わる具体的なモチーフを持つ噴水へと広がっていきました。そこには、作品を売ること以上に、街に残し、次の世代へ伝えることを大切にしたアサワの姿勢が見えてきます。晩年には自らの強制収容の記憶も作品として残し、アーティストであると同時に、教育者として社会と関わり続けた彼女の人生を振り返ります。
美術教師を目指して大学に進んだルース・アサワでしたが、日系人であることを理由に教育実習先が見つからず、その道を断たれてしまいます。行き着いたブラック・マウンテン・カレッジで出会ったのが、「一枚の紙で何ができるのか」を徹底的に考えさせる師、アルバースでした。素材そのものを観察し、曲げる、折る、組み合わせる、その教えは、やがてアサワが針金という素材の可能性を追究する原点になります。教師になれなかった女性が、思いがけない出会いを通じて「自分だけの表現」を見つけていく転換点をたどります。
15歳のルース・アサワを待っていたのは、日系人という理由で自由を奪われ、馬小屋から始まった強制収容生活でした。家族や収容者同士の信頼さえ揺らいでいく過酷な環境の一方で、美術を教えてくれる教師や、日系人を擁護した人々との出会いもあり、アサワは少しずつ自分の進む道を探していきます。後に彼女が針金による彫刻で知られるようになったことから、「収容所の鉄条網が芸術へ昇華された」と語られることもありますが、そこまで単純な成功物語として捉えてよいのでしょうか。今回は、後世から都合よく“美談”にすることなく、アサワが実際に経験した喪失と、その中でも途切れなかった創作への関心を見つめます。
針金を編むという独自の表現へとたどり着いた日系二世のアーティスト、ルース・アサワ。天井から吊られた彫刻は、軽やかに空間へ広がり、その向こう側の景色や壁に落ちる影までも作品の一部へと変えてく。
“知る人ぞ知る存在”だった彼女は、近年になって急速に再評価され、作品価格も大きく上昇。
今回からルース・アサワアイコを深掘ります。
参考書籍:
Richard Meryman , Andrew Wyeth: A Secret Life, Harper Perennial, 1998
高橋 秀治「アンドリュー・ワイエス作品集」東京美術、2017年
ジェイムズ H.タフ、桑原 住雄訳「アメリカン・ヴィジョン: ワイエス芸術の三代」リブロポート、1988年
抽象表現主義がアメリカ美術の主流になっていく中でも、アンドリュー・ワイエスは最後まで自分の描き方を大きく変えませんでした。時代遅れと評されることがあっても、身近な人や風景、自分が心を動かされた瞬間を描き続け、その姿勢は晩年の《マリアージュ》《ドクター・シン》《アザー・ワールド》、そして《グッバイ》にも表れています。大統領に「我々の仕事は万人に理解されるということはないようですね」と語ったというエピソードからは、評価に迎合せず、自分の感覚を信じ続けたワイエスの生き方が見えてきます。6回にわたって追ってきたワイエス編の最後に、彼が何を見つめ、なぜそれを描き続けたのかを振り返ります。
死や喪失を描いてきたアンドリュー・ワイエスは、若いシリとの出会いをきっかけに、「成長」や「再生」へと新たな視線を向けていきます。やがて彼はヘルガを15年近く描き続け、素描を含む約240点もの作品を残しますが、その存在を妻ベッツィに隠していたことから、二人の関係は不倫だったのではないかと大きな話題になりました。そんな疑惑の渦中で、ベッツィがヘルガ・シリーズについて語った言葉が、「彼が描きたかったのは、愛です」。画家とモデル、夫と妻、創作と私生活の境界をめぐり、ワイエスの知られざる一面に迫ります。
アンドリュー・ワイエス自身が生死の境を経験した《踏みつけられた草》から、クリスティーナとアルヴァロの死、そして人のいなくなったオルソン・ハウスへ。今回の回では、ワイエスが一貫して描いてきた「失われていくもの」と「そこに残された痕跡」をたどります。人物がいなくなった後も、使い込まれた扉や壊れた煙突、屋根にとまる燕といった細部には、その人の存在や記憶が静かに残されています。死を直接描くのではなく、消えていく気配や残されたものを通して表現するワイエスの視点から、喪失を描くということの深さを考えます。
父の突然の死をきっかけに、アンドリュー・ワイエスの作品には、それまで以上に喪失や孤独の気配が漂い始めます。父を亡くした翌年に描かれた《冬 1946》では、ひとりの男が斜面を下っていく一方、その約2年後の《クリスティーナの世界》では、下半身が不自由な女性が遠くの家へ向かって力強く進んでいきます。下へ向かう男と、上へ進む女、対照的な2枚を並べて見ることで、ワイエスが経験した喪失と、その先に見いだした生命の力が浮かび上がります。現実をそのまま写すのではなく、自らが感じた世界を絵に変えていったワイエスの表現にも迫ります。
驚くほど緻密で、乾いた空気や木の質感まで伝わってくるアンドリュー・ワイエスの絵。その表現を支えたのが、水彩絵の具から水分を絞り、何度も何度も塗り重ねていく「ドライブラッシュ」という技法でした。芸術一家に生まれ、父やデューラーから影響を受けながら、自分の感動を残すための表現を追求していったワイエスは、20歳の個展で早くも完売を経験します。そして、のちの代表作につながるクリスティーナ・オルソンとの出会いまで、圧倒的な描写力の裏側にある技法と執念をたどります。
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