**AI時代だからこそ、人間の温もりが恋しくなる**
何年ぶりかにガストに行ったら、まさかの完全無人接客に衝撃を受けたお話です。入店から会計まで店員さんと一度も話さず、料理を運んでくるのはロボット。しかも「オッケー」と言ったら勝手に帰っちゃって、まさかのロボット追いかけっこ事件が発生。便利になったけれど、何か大切なものを失っているような気がして。
## 今回のポイント
• タモリさんの「一生懸命やる奴は番組から外す」という長寿番組の秘訣
• 何年ぶりかのガストで体験した完全無人接客システムの衝撃
• タブレット注文からロボット配膳まで、人と全く接触しない食事体験
• 「オッケー」で帰っちゃうロボットとの予期せぬ鬼ごっこ
• 便利さの裏に感じた得体の知れない違和感と冷たさ
• AIやロボットには肯定的だったはずなのに感じた一抹の寂しさ
• デジタルが極まった時代だからこそ求められるアナログ力
• 考えることはAIに任せて、人間は感じることに特化すべき論
• 人間にしかできない温もりや人間力の重要性
• これからの時代に必要な「アナログ力」を磨く必要性
## 久しぶりのファミレス体験が教えてくれたこと
金曜日の夜、昔懐かしいハナキンデータランドの話から始まった今回のエピソード。タモリさんが40年近く続けているミュージックステーションの秘訣は「一生懸命やりすぎない」こと。100パーセントの力でやられても引いてしまうから、自然体で6割くらいの力で適当にやるくらいがちょうどいい。長く続けるコツは、力を入れすぎないで自然体でできるかどうかなんだなと感じました。
そんな自然体の大切さを思いながら、昨日はプログラミングの仕事で疲れて、久しぶりに外食をしようとガストに向かいました。コロナ前以来、何年ぶりかのガストでしたが、そこで体験したのは想像を超える変化でした。
店に入ってから会計まで、店員さんと誰とも話していないんです。誰一人として。これって、すごくないですか。入店して勝手に座ったら、注文は席の横にあるタブレットで済ませます。今時タブレット注文は珍しくありませんが、驚いたのはその先でした。
料理ができあがると、タブレットに「料理が届きます」とピッピ光って通知が来るのですが、運んでくるのは人間ではなくロボットなんです。配膳ロボットがビューっとやってきて、そこに料理が載っている。複数人で食事に行ったので、配膳ロボットから料理を取って、テーブルに並べてもらいました。
ところが、ぼくが受け取りの際に「オッケー」と言ったら、配膳ロボットがそのまま帰っちゃったんです。まだ料理が残っているのに。どうやら「オッケー」という言葉を聞くと帰るようにプログラミングされているらしく、止まってくれないので追いかけることになりました。まさかガストの中でロボットと鬼ごっこをすることになるとは思ってもみませんでした。
食事を終えて帰る時も驚きでした。普通、レジはお金を受け取るから人がいると思うじゃないですか。いないんです。タッチパネルで全て完結してしまう。もちろん、ガストにはセントラルキッチンやホットキッチンで料理を温める人はいると思いますが、接客の部分には誰一人いなくて、お金を払うのも機械相手。最近のコンビニも同じような感じですよね。
結果的に、店員さんの顔を誰一人見ることなく食事が終わりました。これには正直、衝撃を受けました。
## 便利さの裏にある違和感
誤解してほしくないのは、ガストをディスりたいわけではありません。料理自体は普通に美味しくて、ちゃんと食べました。人手不足という現実もあるでしょうし、むしろ人に接客してほしくないという人もいるかもしれません。そういう人には良いシステムなのかもしれません。
でも、ガストって一応ファミリーレストランじゃないですか。単に食事をして帰る場所ではないと思うんです。家族や友人と過ごす場所、人との繋がりを感じる場所でもあったはず。それが全て機械で処理されてしまうというのは、なんだか一抹の冷たさを感じました。
ぼくは普段、AIやロボットに対してはどちらかというと肯定的な立場です。人間ができないことや、人間がやらなくてもいいことは、どんどん機械やAI、ロボットにやってもらって、人間は人間にしかできないことをやればいいと思っています。
でも、実際にレストランで全て機械に処理されると、得体の知れない違和感や冷たさを感じてしまいました。これはぼくが古い世代だからでしょうか。そう思うこと自体がおかしいのかもしれませんが、料理は美味しくいただいて帰ってきたものの、なんとも言えない違和感が残りました。
## デジタル極まる時代のアナログ力
デジタルが極まるとこういう感じになるのかなと思いました。AIがすごい勢いで世の中を席巻していて、ぼくがやっているプログラミング授業も、AIが入ってきたことでやり方を変えなければいけません。だからこそ、あすコロラジオのような活動も始めているわけです。
でも逆に、デジタルが極まったからこそ、すごくアナログなことが求められるんじゃないかと思うんです。考えることはAIには勝てないと思います。でも、感じること、温もりとか、人としての温もりみたいなものは絶対に人間が欲しいと思うし、それは多分AIには無理ですよね。
AIはプログラミングで動いているので考えることは得意ですが、感じているように振る舞うことはできても、本当に感じる温度感を出すのは人間にしかできません。だから、接客で「いらっしゃいませ」と言って人に温かさを与えるとか、そういうことはAIにはできないと思うんです。
これからはアナログの時代だなと感じました。アナログ力、人間力。ぼくには全然ないじゃんと思いますが、これから磨いていく必要があるのかもしれません。
## 感じることの価値
ガストでの体験を通して、考えすぎかもしれませんが、そんなことを思いました。便利になることは素晴らしいことですが、その中で失われていく人と人との繋がりや温もりを、どこかで補っていく必要があるのかもしれません。
人間にしかできないことは何なのか。それは多分、相手を思いやる気持ちや、その場の空気を読む力、そして何より、心から相手のことを想う温かさなのではないでしょうか。技術は進歩しても、人の心が求めるものは変わらないのかもしれませんね。
そんなことを考えた、ガストでのロボット鬼ごっこ体験でした。皆さんはどう思われますか。
## 次回もお楽しみに
今回も最後までお聞きいただき、ありがとうございました。何気ない日常の出来事から、ついつい深く考えてしまうのがぼくの悪い癖ですが、同じような違和感を感じた方がいらっしゃったら嬉しいです。次回もまた、日常の小さな発見をお話しできればと思います。