NHK朝の連続テレビ小説の主人公のモデルといわれる、日本初の女性弁護士がいます。
三淵嘉子(みぶち・よしこ)。
今年、生誕110年、没後40年を迎える三淵は、法曹界にまだ女性の登用がなかった時代に、果敢に挑戦を試み、弁護士を皮切りに、女性初の判事、女性初の家庭裁判所長の座につきました。
彼女は、新聞記者やインタビュアーから、「三淵さんが法曹界にうってでるのは、女性の味方になりたいからですか?」と聞かれるのを嫌がりました。
「わたくしは、女性のためとか男性のためとか、そういうことを考えたことはありません。
あえて言うのであれば、か弱きものの力になれたらという思いで、法律家を志したのであります」
その発言のとおり、彼女は後年、家庭裁判所の設置に尽力し、裁判長に就任。
およそ16年間にわたり、のべ5000人以上の少年少女の更生に命を捧げました。
判決を言い渡す際の、三淵の、子どもたちに向けた言葉は、愛情と優しさにあふれ、傍聴人はもとより、裁きを受ける少年少女たちも号泣したと言います。
「あなたたちは、好き好んで、そういう環境に育ったわけではありません。
ですが、負けてはいけません。環境のせいにしてはいけません。
あなたたちが陽の光のほうに歩きさえすれば、必ず、手を差し伸べてくれるひとが現れるのです。
だから、どうか、絶望しないで。
どうか、明日を見捨てないでください」
1933年、昭和8年、弁護士法が改正され、女性にも弁護士の資格が認められるようになりましたが、女性に門戸を開いた大学は、ほとんどありませんでした。
旧帝大では、東北大学と九州大学のみ。
選科生などの扱いを除けば、東京で唯一女性弁護士への扉を開いたのは、明治大学だけでした。
その狭き門にあえて挑んだ三淵には、心に決めたある思いがあったのです。
それは「自分のたった一回の人生を、精一杯、生きる」。
シンプルで力強いその思いは、終生、変わることはありませんでした。
想像を絶する壁に挑んだ、法曹界のレジェンド、三淵嘉子が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?