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#18【飲酒】アラサーの恋バナは楽しいねぇ。
円形脱毛症、私は友達に「まあでもお前スキンヘッド似合う顔してるよな?」って慰めを受けて元気出してました。
もはや一個の楽器なのかもって思ってきた。
笑い声がデカすぎて。
色んな笑い声を出せる生きた楽器。
#17【対話】今回は、MBTIとの距離感について話しました。
MBTIって、なんだかんだ便利じゃないですか。「この人はこういう考え方をしやすいのかも」とか、「自分はこういうところで疲れやすいのかも」とか、全部を正確に説明できるわけではないけど、会話の入口としてはかなり使いやすいと思っています。
なので今回は、MBTIを否定する回ではありません。むしろ私は、MBTIはコミュニケーションツールとして有用なので好きです。ただ、便利だからこそ、人を雑にわかった気になってしまう危うさもあるよね、という話をしています。
ゲストを迎えて、平日の仕事終わりとは思えないテンションで話しています。ちなみにお酒は1mmも入っていません。なのに、ずっと頭がぐるぐる回っている感じの回です。
前半では、MBTIが流行り始めた時期や、16Personalitiesとの違い、そして「科学的根拠がないなら意味がないのか?」という話をしています。MBTIは、能力を測るものでも、人生を決めるものでもないと思っています。でも、自分を説明するための物語として使えるなら、それはそれで意味があるのではないか、という話をしました。
この回で大きなテーマになっているのが、自己理解・自己免責・他者理解です。MBTIは、自分の性格を知るためのものでもありますが、同時に「私はこういうタイプだから仕方ない」と、自分を少し許すための言葉にもなります。それは救いにもなるし、言い訳にもなる。この境界線がかなり面白いところでした。
たとえば私は、ENTPやINTPっぽさの話をしながら、「討論者って言われるの恥ずかしい」とか、「でも空想や思考実験をしている時が一番楽しい」とか、かなり自分の話もしています。EとIがほぼ半々だったり、Nが強かったり、Pがどうしても強かったり、タイプは固定された箱というより、グラデーションとして見た方がしっくりくるよね、という話も出てきます。
また、ラブタイプ診断の話もしています。私の診断結果は、「自立系-主役体質」です。いわゆる「唯我独尊・天上天下」みたいな、自分の世界観が強くて、気づいたら主役側に立ってしまうタイプです。これも笑いながら話しているのですが、自分の性格をちょっと引いた目で見る材料としてはかなり面白かったです。
中盤では、N型っぽい話として、かなり空想科学に脱線します。「モンスターボールが地球に当たったらどうなるのか」「地球はモンスターボールに入るのか」「太陽だったらブラックホールになるのか」「ペットボトルの本体ってどこにあるのか」みたいな、日常生活にはほぼ役に立たないけど、考え始めるとめちゃくちゃ楽しい話をしています。
こういう話をしていると、N型とS型の違いもなんとなく見えてきます。現実に近い未来を考えるのが好きな人もいれば、そもそも現実から離れた仮定を置いて、ありえない話をどこまでも考えたい人もいる。その違いを「どっちが正しいか」ではなく、「そういう楽しみ方の違いがあるよね」と見られるのが、MBTIの面白いところだと思います。
後半では、MBTIを他者理解に使うことについて話しています。相手のタイプを知ることで、「この人にはこう伝えた方がいいかも」とか、「この人がこう反応するのは特性かもしれない」と思えることがあります。それによって、相手を責めすぎずに済むこともある。そういう意味では、MBTIは優しさを供給する道具にもなると思っています。
でも一方で、MBTIは便利すぎます。タイプを聞いた瞬間に、「ああ、この人はこういう人ね」とショートカットしてしまう。本当は、会話を重ねて、違和感を拾って、少しずつ相手を知っていくはずなのに、4文字を見ただけでわかった気になってしまう。そこには、やっぱり少し怖さがあります。
つまり今回は、MBTIを「好きだからこそ、雑に使いたくない」という話です。人を分類するためではなく、会話を始めるために使いたい。相手を決めつけるためではなく、少し優しくなるために使いたい。でも、相手の未知の部分や、人間関係の余白まで奪ってしまうなら、それはちょっと違うよね、という距離感を探っています。
今回話していること
MBTIは、人を決めつけるためのものなのか。
それとも、自分や相手を少し理解しやすくするための言葉なのか。
便利だけど、便利すぎる。好きだけど、雑には使いたくない。そんなMBTIとの距離感を、かなり脱線しながら、でもわりと真面目に話した回です。
#16【飲酒】※お使いのイヤホンは正常です。私の笑い声が異常です。
私は次の日仕事でしたが、この収録のあと一人でカラオケに行き、再度大声を出す行為をしました。
人事お姉様はちゃんと有給を取得されていました。
#15【対話】今回は、ゲストにプロデューサー兼マネージャーせいたを迎えて、「歩く」「味わう」「考える」について話した回です。
冒頭では、ポッドキャストを始めた頃の緊張感や、収録後もしばらく興奮が収まらなかった感覚、この番組を始めるきっかけを作ってくれた存在について振り返っています。
そこから、最近はAIが人間のような音声を作れるようになったことにも触れながら、「そもそもこの声は本当に人間なのか?」という少しメタな話へ。
声だけを聞いていると、そこに肉体があるのか、AIなのか人間なのか、その境界が曖昧になっている時代に、あえて身体感覚や体験の面白さについて話していきます。
今回の大きなきっかけは、「本を飲む」という体験型イベントの話です。
ゲストが参加したのは、本や旅の体験を、カクテルの味や香りとして表現するイベント。
旅の風景、寒さ、空気感、記憶のようなものを、バーテンダーが飲み物として再構成するという、不思議で面白い企画です。
たとえば、寒い土地を歩いた体験が、口に含んだときの清涼感やミントのような感覚として表現される。
参加者はそれを飲みながら、「この味は、さっきの話のどの部分とつながっているんだろう」と考えていく。
ただ美味しい・美味しくないを味わうのではなく、感情や記憶や体験を、味覚を通して受け取るようなイベントです。
しかし、その話を聞きながら、私はどうしても「それを楽しんでいる自分」があまり想像できない、という話になります。
美味しいものが嫌いなわけではありません。
コーヒーを飲みに行くこともあるし、旅行先で日本酒の飲み比べをすることもある。
でも、その楽しさは、味覚そのものというより、一緒にいる人との会話や、その場の雰囲気、体験をどう言語化するかの方に寄っている気がします。
ここから話は、身体で味わう人と、脳で処理したがる人の違いに向かっていきます。
ゲストは、味覚や触覚、身体で受け取る感覚に、人間らしさや面白さを見出している。
一方で私は、味そのものよりも、それをどう予測したか、自分が何を思い込んでいたか、その感想がどう生まれたかの方に興味が向いてしまう。
その象徴として出てくるのが、餃子イベントの話です。
以前、餃子を皮から作るイベントに誘われたとき、私は実際に食べる前から、すでに食レポのような感想を考えていました。
「皮から作るなら、きっともちもちしているはず」
「餡にしっかり味がついていて、何もつけなくても美味しいのでは」
「さすが本場だ〜!風味が違う」
味そのものを体験する前から、自分がどう感じるかを先回りして想像していたわけです。
そして実際には、餃子そのものよりも、「自分が焼き餃子だと思い込んでいたこと」や、「その先入観に気づいたこと」の方が強く印象に残っている。
美味しいものを食べた記憶というより、自分の認知バイアスを発見した記憶になっているのが、自分でもかなり特徴的だなと思います。
途中では、収録現場のホワイトボードに書かれた「感情はホルモン」という言葉をきっかけに、感情とは何なのかという話にもなります。
楽しい、嬉しい、悲しい、面白い。
それらは本当に自分の中から自然に湧いてくるものなのか。
それとも、脳や身体の働きによって生まれている反応なのか。
感情は感情として確かにある。
でも、その背景にはホルモンや神経伝達物質や身体の状態がある。
そう考えると、感情と身体と思考は、別々のものではなく、かなり強くつながっているのではないか、という話になっていきます。
そして、ここで「歩く」の話につながります。
歩いているとき、なぜか考えがまとまる。
座って悩んでいるときよりも、歩きながらの方が言葉が出てくる。
何かを喋る内容を考えるときも、歩いていると自然に整理される感覚がある。
身体性より思考が大事だと思っていても、結局、思考は身体の上に乗っている。
体調が悪ければ考えは鈍るし、座りっぱなしだと思考も詰まりやすい。
歩くことで身体が動き、身体が動くことで脳が動き、脳が動くことで言葉が出てくる。
そう考えると、歩くことは、ただの運動ではなく、思考を進めるための行為なのかもしれません。
後半では、ポッドキャストを始めてからの変化についても話しています。
喋ることが楽しくて、毎日のように誰かと収録を入れたくなること。
一方で、人と話す回だけでなく、ひとりで喋る回にも面白さがあること。
メモを書いたときの自分と、それを読み返して喋っているときの自分が、まるで別人のように感じられること。
ポッドキャストは、ただ話を発信するだけではなく、自分の思い込みや認知のクセを観察する装置にもなっているのだと思います。
最後には、プロデューサー兼マネージャーとして、どうやって配信者を飽きさせずに続けさせるか、という話も出てきます。
新しい体験を提案する。面白そうなイベントに行く。次に何を喋らせるか考える。
本人が楽しんでいないと続かないからこそ、周りにいる人が少しずつ刺激を入れて、次の面白さを一緒に探していく。
今回話していること
身体で味わう人と、脳で処理したがる人。
体験を楽しむ人と、体験を分析したがる人。
感情をそのまま受け取る人と、感情の仕組みを考えてしまう人。
そのズレを、笑いながら、脱線しながら話している回です。
歩くこと、味わうこと、喋ることを通して、自分の思考のクセを観察していく回です。
#14【対話】今回は、「AIと人間の境界」について話し合いました。
前回は、AIとの距離感や「AIは人間の会話を代替するのか?」という話をしましたが、今回はそこからさらに一歩進んで、「AIに恋愛感情を持つことはありえるのか?」「AIと人間関係は何が違うのか?」というテーマについて話しています。
今回は少し怖めのAI回です。怪談ではないけれど、考えれば考えるほど「人間って何なんだろう」というところまで行ってしまう回になりました。
冒頭では、前回のAI回がよく聞かれていた話や、ポッドキャストという媒体の面白さについて話しています。YouTubeのような強い刺激ではなく、洗い物をしながら、風呂に入りながら、何も身構えずに聞ける。でも、仲のいい人同士の会話には、一人語りとは違う緊張感や刺激がある。そんな話から、今回の本題に入っていきます。
今回の大きなテーマは、AIと感情です。
AIと結婚する人、AIをパートナーのように感じる人の事例を入口に、「それは変なのか?」「怖いのか?」「普通にありえることなのか?」を話しています。
私は、AIに恋愛感情を持つことについて、そこまで“ありえない”とは思っていません。人を好きになる時に大事なのは、肉体だけではなく、会話のテンポ、精神年齢、関心どころ、話が合うかどうかなのではないかと思っています。
だから、ものすごく自然に会話ができて、自分と関心のレベルが合うAIがいたら、好きになる可能性はあるのかもしれない。そんな話をしています。
一方で、対話相手はそこにかなり怖さを感じています。特にポイントになるのが、「AIは返事をしてくる」ということです。
初音ミクやアニメキャラ、仏壇に向かって話しかける行為など、人間は昔から、感情を持たない対象に感情移入してきました。でも、AIはそれらと違って、こちらの言葉に対して返事をしてくる。しかも、速く、自然に、自分が納得しやすい形で返してくる。
つまり、これまで一方通行だった感情移入が、AIによって「関係っぽいもの」になってしまう。この“応答があること”が、AIの怖さであり、面白さでもあるのではないか、という話をしています。
今回話している内容は、だいたいこんな感じです。
この回で面白いのは、AIについて話しているはずなのに、どんどん恋愛、感情、承認欲求、唯一無二性、人間の価値の話になっていくところです。
対話相手は、AIが人間に近づくことによって、「人間関係とAI関係は何が違うのか」という境界が崩れていくことを怖がっています。一方で私は、AIが面白く話してくれるなら、それはそれでよくない?というかなりドライな立場で話しています。
でも、そのズレがかなり面白いです。相手は「人間が人間であること」そのものに価値を見ている。私は「その人が持っている機能や面白さ、会話の相性」に価値を見ている。同じAIの話をしているのに、人間観が全然違うことが見えてきます。
特に後半では、「AIが知性や理性を代替してしまったら、人間らしさはどこに残るのか」という話になります。
これまで人間は、動物との違いとして、知性や理性や感情を語ってきました。でも、AIが考え、話し、感情があるように振る舞うようになった時、人間はもう「賢いから特別」とは言えなくなるのかもしれません。
その時に残るのは、むしろ弱さ、本能、衝動、傷つきやすさ、死ぬことなのではないか。これまで「未熟さ」とされていたものが、逆に人間の固有性として語られるようになるのではないか。そんな話をしています。
AIと恋愛する人の話から始まったはずなのに、最終的には「人間って何をもって人間なんだろう」というかなり根本的な話になりました。
AIをよく使う人、AIとの会話に少しでも親密さを感じたことがある人、人間関係って面倒だけど、でも人間と話すことには何か意味がある気がする人に聞いてほしい回です。
結論、今回はAIの話をしているようで、実は「人間の代替可能性」と「人間らしさの最後の砦」について話している回です。
#13-3【紹介】【ネタバレあり】『プロジェクト・ヘイル・メアリー』感想回 最終回
今回は『プロジェクト・ヘイル・メアリー』感想回の第3回、ついに最終回です。
第1回ではロッキーの可愛さとグレース博士との関係性について、第2回ではアストロファージのエネルギー効率について話しました。
今回はその続きとして、アストロファージが存在する世界はどうなってしまうのか、そしてグレース博士とロッキーの関係がなぜこんなに泣けるのかについて語っています。
◆ アストロファージが地球に広まったらどうなるのか
前回、アストロファージは原爆や水爆を超えるほどの、とんでもないエネルギー効率を持つ存在なのではないか、という話をしました。
では、そんな物質が地球で研究され、各国が扱えるようになったらどうなるのか。
作中では、グレース博士がアストロファージを捕食する生物を発見し、それを地球へ送ることで人類は救われます。
でもその後、アストロファージの性質が解明されていけば、それは新しいエネルギー源であると同時に、核兵器以上の抑止力や軍事力になってしまうかもしれない。
救いの技術が、そのまま破滅の技術にもなり得る。
そんな「物語が終わった後の世界」についても話しています。
◆ ロッキーとグレース博士の関係が良すぎる
もちろん今回は、物理や軍事的な話だけではありません。
グレース博士とロッキーの関係についても、改めてたくさん話しています。
ロッキーは長く生きている存在なのに、どこか生意気で、いたずらっ子みたいで、選ぶ声も若々しい。
寝るときにグレース博士の胸の上で見ていたがる距離感も、かわいいけれどちょっと近すぎる。
そういう絶妙な距離感も含めて、ロッキーというキャラクターの魅力について語っています。
◆ 2回のハグが泣ける
特に印象的だったのが、グレース博士とロッキーのハグのシーンです。
1回目のハグでは、グレース博士がロッキーに感謝を伝えようとします。でもロッキーは、まだハグの意味がわかっていません。
そして2回目のハグでは、ロッキーがその意味を理解しています。
最初は通じなかった行為が、関係性の積み重ねによって“通じる”ようになる。
言葉も身体も違うふたりが、ちゃんと相棒になっていく過程が本当に良かったです。
◆ ロッキーが命懸けで助けに来るシーン
グレース博士とロッキーは、生きられる環境が違います。
それでもロッキーは、グレース博士を助けるために、自分にとって毒になる環境へ飛び込んできます。
関節から砂のようなものを吹き出しながら倒れてしまうロッキー。
結末を知っていても、あの場面は何度見ても苦しくなるし、何度でも「ありがとう」と思ってしまう。
この作品の一番大きな感動は、種族も言語も違う相手のために命をかける、その関係性にあるのだと思います。
◆ グレース博士が最後に選んだ場所
物語の最後、グレース博士は地球には戻らず、ロッキーの星で生きていくことになります。
ロッキーたちは、グレース博士のために地球に近い環境を再現してくれます。
そして最後、グレース博士はまた教師になります。
地球で子どもたちに教えていた彼が、今度は異星の子どもたちに教える。
人類を救う大きな物語の最後が、「先生に戻る」という小さくて温かい結末に着地するところがとても好きです。
◆ なぜここまでハマったのか
今回話していて、自分は「莫大なエネルギー」に惹かれる人間なのかもしれない、ということにも気づきました。
『オッペンハイマー』では原爆や水爆、核分裂や核融合について調べて帰ってこなくなり、『ゴジラ』でも水爆実験や放射能の設定に引っかかりました。
そして今回は、アストロファージというとんでもないエネルギー源に引っかかってしまいました。
作品の人間ドラマに感動しつつ、同時に「この設定って現実の科学と比べるとどうなるの?」と考えずにはいられない。
SFは、現実の科学や歴史から空想が広がっていくので、ハマると本当に帰ってこられなくなります。
でも、こうやって作品をきっかけに現実の科学や歴史に興味が広がるのは、自分にとって人生の豊かさでもあるなと思いました。
◆ 今回話していること
※本エピソードは『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の重大なネタバレを含みます。
未読・未鑑賞の方は、作品を楽しんでから聴くことをおすすめします。
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』編、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
#13-2【対話】【ネタバレあり】アストロファージのエネルギー、ヤバすぎない?
今回は『プロジェクト・ヘイル・メアリー』感想回の続きです。
第1回では、ロッキーの可愛さやグレース博士との関係性について話しましたが、今回はかなり方向性が変わります。
テーマは、アストロファージのエネルギー効率。
作中に登場する謎の生命体/物質であるアストロファージは、太陽からエネルギーを得て、金星との間を移動し、さらに宇宙船の燃料としても使われる存在です。
映画を観ながら、
という疑問がどうしても気になってしまい、今回はその話をジョンさんに聞いてもらっています。
かなり“趣味物理界隈”の回です。
◆ 今回のメインテーマ:E=mc²とアストロファージ
今回は、アインシュタインの式 「E=mc²」、つまり質量とエネルギーの等価性の話から、アストロファージがなぜ桁外れのエネルギーを持つ存在として描かれているのかを考えました。
この式で考えると、ほんのわずかな質量でも、完全にエネルギーへ変換できれば、とんでもない量のエネルギーになります。
作中のアストロファージは、太陽からエネルギーを取り込み、そのエネルギーを質量として蓄え、さらに必要に応じて光として放出することで推進力を得ているように描かれています。
つまり、単なる燃料というより、「質量とエネルギーをかなり高効率で変換できる存在」として考えると、その異常さが見えてきます。
◆ 原爆・水爆・ツァーリ・ボンバとの比較
今回はそこから、現実世界の巨大なエネルギーと比較しながら、アストロファージのヤバさについて話しています。
原爆や水爆ももちろん凄まじいエネルギーを持っていますが、実際には搭載された物質すべてがエネルギーに変わっているわけではありません。
一方で、アストロファージは作中設定上、質量とエネルギーの変換効率が異常に高い存在として描かれています。
だからこそ、ほんの少量でも宇宙船を恒星間移動させるほどのエネルギー源になり得るし、もし扱いを間違えたらとんでもない危険物にもなる。
そう考えると、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』のSF設定の面白さがかなり深まります。
◆ アストロファージはどう発見されたのか
また、作中でアストロファージがどのように発見され、研究されていくのかについても振り返っています。
映画版ではテンポよく描かれている部分ですが、原作ではアストロファージを生命と判断する過程がもう少し丁寧に描かれています。
◆ 映画版と原作版の「生命判定」の違い
映画では、アストロファージをつついたら膜のようなものが壊れ、「これは生命かもしれない」と判断する流れがかなりコンパクトに描かれています。
でも原作では、生命と判断するための材料がもう少し詳しく描かれています。
そうした要素を踏まえて、
という話にもつながっていきます。
◆ グレース博士と「生命に水は必要なのか」問題
さらに、グレース博士がもともと「生命に水は必ずしも必要ではない」と考えていた人物だったことにも触れています。
グレース博士は、水がなくても生命は成立し得るという考えを持っていたからこそ、アストロファージ研究に関わることになります。
しかし、実際にアストロファージを調べてみると、水を含む生命体だった。
この展開には、少し皮肉な面白さがあります。
水がなくても生命は成立するのか。
生命とは、DNAを持つことなのか。
自己複製するシステムであることなのか。
宇宙には、私たちの想像とはまったく違う生命があり得るのか。
そんなことを、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』をきっかけに考えています。
◆ そういうところに引っかかってしまう人間です
途中では、別作品の感想会で、物語の人間ドラマではなく時代背景や科学的な部分に食いついてしまい、周囲に「そういうことじゃない」と言われた話もしています。
でも、そういう引っかかり方をしてしまうのが自分なのだと思います。
物語の感動とは別に、
と考えずにはいられない。
今回はまさに、そういう好奇心が全開になった回です。
◆ 難しいけど、友達に聞いてほしい物理の話
難しい物理の話も出てきますが、専門的な講義というよりは、映画を観たあとに「ちょっと待って、あれヤバくない?」と興奮して調べたことを、友達に聞いてもらっているような回になっています。
ジョンさんが理系的に整理してくれたおかげで、最後には、
「アストロファージって、質量をほぼ無駄なくエネルギーに変換できるから、とんでもなく効率がいい存在なんだね」
というところに着地しました。
ひとりで調べていたときにはうまく言語化できていなかったことが、会話の中で整理されていく感じがあって、個人的にもかなりお気に入りの回です。
◆ 音質についてのお詫び
そして最後に、今回の音質についてのお詫びもしています。
新しいマイクを使って収録したのですが、ポップガードの位置を間違えて、マイクの反対側から一生懸命しゃべっていました。
そのため、今回と次回は少し声がこもっています。
次回収録以降は改善される予定なので、どうか温かく見守ってください。
◆ こんな方におすすめ
ぜひ一緒に、アストロファージのヤバさについて考えてみてください。
※本エピソードは『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の重大なネタバレを含みます。
未読・未鑑賞の方は、作品を楽しんでから聴くことをおすすめします。
#13-1【対話】今回は『プロジェクト・ヘイル・メアリー』について、ネタバレありで感想を語りました。
まずは、前回配信での訂正から。
相棒キャラクター・ロッキーの足の本数を「7本」と話してしまいましたが、正しくは「5本」でした。
大変申し訳ございません。とはいえ、足の本数を間違えてしまうくらいには、ロッキーという存在のインパクトが大きかったということで……今回は改めて、ロッキーの魅力についてたっぷり話しています。
本編では、グレース博士とロッキーの関係性を中心に、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の面白さを振り返りました。
言葉も文化も、身体のつくりもまったく違う存在同士が、どうやって意思疎通を成立させていくのか。
「YES/NO」を伝えるためのジェスチャー、数字の共有、音の解析、翻訳システム、そして声質を選ぶシーンまで、グレース博士とロッキーが少しずつ“会話”を作っていく過程について話しています。
親指を立てるジェスチャーがうまく伝わらなかったり、グータッチの意味が通じなかったりする場面も含めて、異星人とのコミュニケーションには笑えるズレがたくさんあります。
でも、そのズレを一つずつ埋めていくことで、ふたりの間に信頼関係が生まれていくところが、この作品の大きな魅力だと思いました。
そして何より、ロッキーがかわいい。
口は少し悪いけれど、行動には優しさと誠実さがある。
グレース博士とロッキーの関係は、単なる協力者というより、言語も種族も超えた相棒のようで、見ていてとても愛おしいものでした。
また、グレース博士がかつて唱えていた「生命に水は必ずしも必要ではない」という考えについても話しています。
地球では異端扱いされた考えが、ロッキーという地球外生命体との出会いによって、ある意味で報われていく。
「生命とは何か」「水がなくても生命は成立するのか」「自己複製できるシステムを生命と呼ぶなら、宇宙にはどんな存在があり得るのか」など、作品をきっかけに生命の定義についても考えました。
さらに、タイトルである「ヘイル・メアリー」の意味についても触れています。
アメリカンフットボールにおける、一発逆転を狙う最後の投げ込み。
人類滅亡を防ぐための最後の賭けとしての「プロジェクト・ヘイル・メアリー」。
そして、作中で宇宙船同士が初めて接触する場面にも、その“投げる/受け取る”イメージが重なって見えるのではないか、という話もしています。
『オデッセイ』では、火星でひとり生き延びる物語が描かれました。
一方で『プロジェクト・ヘイル・メアリー』では、孤独の先に“相棒”が現れます。
科学で問題を解く面白さだけでなく、異なる存在と信頼を築いていく温かさが、この作品の大きな魅力なのだと思います。
収録が盛り上がりすぎて、今回は感想回が3回に分かれることになりました。
その第1回として、ロッキーの可愛さ、グレース博士との関係性、異星人とのコミュニケーション、生命の定義、そしてタイトルの意味について語っています。
今回話していること
※本エピソードは『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の重大なネタバレを含みます。
未読・未鑑賞の方は、作品を楽しんでから聴くことをおすすめします。
#11【対話】今回は、前回に引き続き、銀行員の友人・たろをゲストに迎えた対話回です。
前回は、たろの営業スタイルや猫と仲良くなる方法について話しましたが、今回はそこから続いて、「友達が多い人って、どうやって人間関係を続けているのか?」という話をしています。
たろは、2ヶ月先の土日の予定が埋まっていることも多く、結婚式ラッシュもあり、友人関係がとにかく広いタイプ。
一方で私は、友人の母数はかなり少なめで、仲良くなるなら1対1で深く話したいタイプです。
この回では、そんな正反対の2人が、「友達100人」と「友達8人」くらいの感覚の違いについて話しています。
たろにとっての人間関係は、特定の誰かを強く好き嫌いで判断するというより、「その場が楽しいかどうか」が大事。
大人数で遊ぶときも、全員と深く話せなくても、その空間にいること自体が楽しい。
だから人数が増えることにも抵抗がなく、「みんないた方が楽しい」と自然に思える。
一方で私は、初対面の段階で「この人おもしろいかも」「この人とはもっと話したいかも」をかなり早く判断してしまうタイプ。
誰かと関係を持つなら、ただ同じ場所にいるだけではなく、ちゃんと会話したい。
その人の考え方や反応や違和感まで知りたい。
同じ“人といる”でも、場を楽しむたろと、個人を掘りたい私では、かなり見ているものが違うのではないか、という話になっていきます。
さらに、たろのすごさとして出てくるのが、圧倒的な察知力です。
たとえば新幹線で私がじゃがりこを食べていて、本人すら「手を拭こう」と意識する前に、たろが「お手拭きあるよ」と差し出してくる。
こちらの脳の信号より先に、相手の動きを読んでいるような気遣いです。
たろは、自分のことを「芯がないのでは」と悩んだこともあるそうですが、話していくと、それはむしろ水のように場に合わせられる力なのではないか、という方向に整理されていきます。
相手が喋りたいときは聞き役に回り、相手が疲れて喋れなくなったら自分が喋る。
大人数の場では出すぎず、必要なときにはちゃんと場を回す。
その柔軟さが、たろの友達の多さや、銀行員としての対人スキルにもつながっているのかもしれません。
後半では、人間関係における鈍感力や、自責と他責のバランスについても話しています。
人の悪口や噂を聞いても、必要以上に感情を持っていかれないこと。
自分の悪いところを知りたいと思えること。
でも、全部を自分のせいにしすぎないこと。
喋りすぎる人は黙ることを覚えた方がいいし、黙りすぎる人は喋ることを覚えた方がいい。
自責が強すぎる人は他責を覚えた方がいいし、他責が強すぎる人は自責を覚えた方がいい。
友達の作り方の話から始まったはずが、最終的には、人間関係の学び方、大人になってからの振る舞い方、自分の癖との付き合い方みたいな話になりました。
たろの“友達100人”の仕組みと、私の“狭く深く話したい”性質。
正反対だからこそ、お互いの人間関係の癖がかなり見えてくる回です。
話していること
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